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オーディオブック配信お礼小話 帰り道

 ガルデンに旅発つ前のある夜。イーリスは薄闇の通路で、手に持ったランプを掲げていた。


 橙色の光が、つるりとした材質のアーチ型の天井を照らす。一部がはっきりと見えても、今いるのは広大な地下通路だ。その材質がなになのかわからないの同様、全貌の見えないそれに、イーリスは、ごくっと息を呑みながら奥へ広がる通路を照らし出した。


「ヴィリの話では、ここが聖女召喚に関わっていたらしいけれど……」


 なにしろ広大な通路だ。王妃教育で学んだところ以外には、迷ったら大変と思い、足を踏み入れたことはなかった。


 だけど、陽菜の今後に関係するかもしれないのなら、少しでもここの全貌について知っておきたい。そう思い、今まで通ったことのないところを探ってみようとしたのだが……。


「やっぱり、広いわ……」


 改めて歩いて感じたことに小さな息をつく。ましてや、ここは普段王族以外は入ることができない場所だ。


「リーンハルトが、今夜来ると言っていたから、迷わないように、それまでには帰らないと……」


 もし迷ったら、見つけてもらえるかも危ういだろう。だから、手に持った紙に、今曲がった通路の向きを書きながら進んでいく。同じ灰褐色の通路と階段の連続だ。一つでも書き漏らしたら、元の場所に戻ることができなくなってしまうかもしれないと思って、忘れないように丁寧に紙に記していたのだが……。


「間違えないようにしないとね……」


 書きながら呟いた声が、シンとした空間に広がっていく。


 その感覚に、妙な気分になった。


 顔を上げて、誰もいない暗がりの通路を見つめる。


 この暗がりで一人なのは当たり前なのだが、今感じた気分は過去にも味わったことがある。


「なんだか……一人暮らしを始めた頃、遅い時間に帰る時みたいな気持ちね……」


 誰もいない。


 ただ、暗闇が自分の周囲を孤独とともに包んでいる。


 ふと、前世で一人暮らしを始めた頃、誰も待つ人がいない部屋に向かって、暗い道を歩いていた時の気分を思い出した。それまで家族と暮らしていて、毎日が賑やかだったせいだろうか。


 仕事が終わって、コツコツと暗くなった通り沿いの道を歩いていても、浮き立つような気分にはならなかった。周囲に立つアパートやマンションからは、明るい家族の声が響いてくるせいだろうか。楽しげな声が周りからは聞こえるのに、自分の帰る道の先には、誰も待っている人はいなくて――。


 なぜだか、マンションに灯る明かりの一つ一つがひどく眩しかった記憶が蘇り、一度大きく首を横に振る。


「ううん、今の私には待っている人がいるから――」


 軽く笑って、思い出を振り切る。


 王妃宮に帰れば、コリンナがいるはずだ。それに多くの女官も待っているし、管理官はイーリスの姿が見えなければ、絶対に騒ぎ出すだろう。


「そうよ、それなのにどうして変な気分になったのかしら」


 きっとこの通路に映るランプの明かりが、暗闇の中でマンションの窓から壁にこぼれる光の明るさを思い出させたからだ。


 苦笑して、軽く首をもう一度横に振った時、視界の端で、なにかが動いたような気がした。


「え、なに?」


 ここには、誰もいないはずだ。


 急いでランプの明かりをそちらに向けるが、通路はシーンと静まり返っている。


「……誰か、いるの……?」


 いるはずがない。王族以外には入れない通路に誰かがいたとしたら、それは明らかに不審者だ。


 ごくっと息を呑んだ。


 耳をそばだてると、かすかになにかの音がする。


 コトン。カツカツ。


 墓場のような静かな空間に響く音に、背筋に緊張が走る。


(え……? 誰も入れないはずよね?)


 ヴィリの話を聞いてから、ここに通じる出入り口付近の警備は厳重にしたし、騎士団の目をかいくぐって、こっそりとここに入ることはできないはずだ。


 それなのに、どこかで音がする。


 かすかになにかが動くような。


(人!? それとも……!?)


 咄嗟に羽織っていたショールで、ランプの灯りを隠しながら、耳をそばだてる。


 たが明度を落とした暗がりの中では、またサッと黒い影が通路の奥を横切っていくではないか。


 黒い長い尾が揺れるのが見えた気がした。


(動物!?)


 どうして、こんなところに――と思うが、今見た大きさは明らかに大型のものだ。


 見えた影からすると、豹か虎。


(まさか――)


 どこからか迷い込んだのだろうか。


 じりっと足が後ろに下がる。


(どうしよう……。急いで帰れば大丈夫かしら?)


 だが、動物ならば走り出せば追いかけてくるかもしれない。


 できるだけ音を立てないように、今来た道を戻ろうとしたのに、イーリスが動いた気配が伝わったのだろうか。


 後ろから突如白い影が現れたではないか。


 振り返れば、追いかけてくるのは、珍しい白い豹だ。


「来ないで!」


 間違いなく追いつかれる。だが、走れば、余計に獲物として認識されてしまうだろう。


 とはいえ、牙が見える以上、ここで留まってもその餌食となるだけだ。


 少しでも早く、通路の横道に入って隠れるしかないと思ったときだった。


「イーリス? どうしたんだ?」


「リーンハルト!?」


 突然響いた声にびっくりして、奥の通路に目を向ける。


 見れば、後ろにある横に通じていた通路からリーンハルトが現れ、急いでイーリスに近寄ってくるではないか。


 目の前で、豹に追いかけられているのに気がつき、慌てて声を張り上げた。


「止まれ!」


 その瞬間、パッと豹が足を止める。


 動きを止めた豹の姿に、思わずイーリスも足を止めれば、白い姿はクウンと甘えるようにリーンハルトを見上げていく。


 その白い頭に手を伸ばし、リーンハルトは教えるように話しかけた。


「彼女は違う」


「クウン?」


「彼女はイーリスだ」


 その瞬間、豹の瞳が幾度か瞬く。


「イ・イ・リ・ス」


 一文字ずつ、言い含めるように名前を呟き、なぜか持っていたイーリスの腕輪の匂いを嗅がせる。ふんふんと豹が腕輪の匂いを嗅ぎ、パッと理解したというようにイーリスに頭を下げた。


「リーンハルト、あのこれは……」


「ああ、念のためこの通路の番人をオデルにお願いしていたんだ」


「番人!?」


 驚いて見つめると、豹は申し訳なさそうにイーリスを見上げてくる。


「俺たち以外には入れないように、以前鳥を作ったような絡繰りでできないかとオデルに尋ねたら、村から離れた山の畑を守らせていた番犬を改良すれば使えそうだというので、一族に豹型に直してもらって連れてきてくれたんだ」


「絡繰り――」


「ああ、これならは、秘密の通路の見張りができるからな。もし、入り込んだ者がいたとしても、この姿ならば逃げるだろうし。今日持ってきてくれたので、一度どの辺りに置くのがいいか様子を見てから、君のことを覚えさせるため、あとで会わせようと思っていたんだが……」


 ここで会えるとは思わなかったと豹の頭に手を置きながら笑っている。


 その言葉を聞いて、イーリスも豹へと手を差し出した。


 怖々だったが、リーンハルトの側で同じように頭を撫でれば、嬉しそうに目を細めている。本当に、魔道具の絡繰りとは思えない精密さだ。


「そう、ここの番人になってくれるのね。よろしく、私がイーリスよ」


「クウン」


 リーンハルトとオデルから教えられていた守る相手だとわかったのか、豹は甘えるような声で答えている。


 その頭を、白い指で優しく撫でた。


 喉をゴロゴロと鳴らしている様子は、まるで本物のネコ科の動物みたいだ。


 思わずホッとした。イーリスが安堵したのがわかったのだろう、前にいるリーンハルトが少し不思議そうに尋ねた。


「ところで、イーリスはどうしてここに……」


「あ、少しこの通路について調べていたの。きちんと知っておきたいし……」


「そうか、ではこの通路について、俺が知っていることも、もっと話しておいたほうがいいな」


 それならば、一緒に王妃宮に帰ろうか――と手を差し出してくれる。


 ふと、その手を見つめた。


 ――一緒に、家に帰る。


 なんでもないことなのに、先ほどの記憶のせいだろうか、ひどく心にくすぐったい。


 一緒に同じ場所へ戻るだけなのに。好きな人と同じ家に帰るということに、心がなぜか温かくなっていく。


 だから、そっと手を重ねた。


「うん――」


 伝わってくるリーンハルトの手の温もりが心地よい。まだ寒い夜の中で、リーンハルトの差し出した温もりが心の奥にまで伝わってくるようだ。


 嬉しい。


 だから、豹に王妃宮までの道を教えて歩きだしながら、イーリスはぎゅっと握り締めてくれるリーンハルトの手を、幸せな気持ちで握り返しながら、一緒に笑って帰り道についた。


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― 新着の感想 ―
本編が波乱してるので、こういう小話、ほっとします。可愛い夫婦です♪
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