アンジェリカ
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」
いくら謝っても、失われた命は二度と戻らない。
「女神様、私のせいで命を落とした兵士達の魂に、安らかな眠りをお与えください」
アンジェリカ元王女は、彼等の魂の安寧を女神様に祈りながら、どうすれば自分の罪を償う事が出来るのだろうと途方に暮れた。
現在、貴族牢である北の塔に入れられているのは、アンジェリカだけだ。
王城で生まれ育ったアンジェリカも、実際にここに入ったのは初めてである。
塔の最上階のこの部屋にはベッドや机、椅子などが揃えられており、三方には小窓があって外を見る事が出来た。ただ部屋の北側に壁がなく、代わりに冷たい鉄格子になっており、中の様子は丸見えだ。
しかし見張りは塔の外におり、食事を差し入れられる時以外は独りなので、他人の視線を気にする必要は無かった。
小窓には鉄格子は嵌っていないものの、逃亡や身投げ防止の為、顔程の大きさしかない。それでも部屋に新鮮な空気を入れ、外を眺めて気を紛らわせるには十分だ。
アンジェリカは窓を開けて、外を眺めながら自分自身を振り返った。
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私はお姉様と比べて、甘やかされて育ったと思う。時々お姉様から呆れられたけど、今思えば自分でも我が儘だったと思うわ。
でもそれが許されるのは子供の時だけ。成人したら、いずれ政略結婚させられる事は分かっていた。
幼い頃から物語のような恋に憧れていたけれど、それが叶う事は無いって、どこか諦めてたの。だって私の理想はとても高くて、そんな人世界中の何処にもいないだろうから。
けれど成人の儀で、私は恋に落ちてしまった。この私が一目惚れするなんて、自分でも信じられなかったくらい。だって理想よりも、ずっとずっと素敵な人だったんだもの。
彼が優しく私に微笑んでくれた時、この人こそ私の運命の相手だって思ったわ。
寝る前に彼の微笑みを思い出して胸をときめかせ、そのすぐ後に、どうしようもない身分差に枕を濡らした。
恋って楽しいばかりじゃないって、初めて知ったわ。会う事もままならず辛い思いもしたけれど、彼との未来を思えば幸せな気持ちになれた。
だけど彼には既に妻子がいて、私はそもそも愛されていなかった。全て私の勘違いと思い込み。あれだけ周りを振り回して、大騒ぎして迷惑をかけて…馬鹿だったわ。
そんな事を知らないお父様はエドガーお兄様を私の伴侶にしようと思ってたみたい。
でも失恋したとはいえ、恋を知ってしまった後では意に染まぬ結婚はどうしても受け入れ難くて。
だって彼、外面はいいけれど、あまり性格は良くないもの。小さい頃から直接自分の手は汚さず、弱いものイジメをして愉しんでたのを私もお姉様も知ってる。
ただ家格や年齢的にみてもエドガー様以上の相手はいなかったから、何もしなければ、私は彼の元に嫁ぐ事になっていただろう。
そんな政略結婚が嫌で、戦争で死んだ事にして姿を消すつもりだった。そうすれば誰にも迷惑はかからないと、本気でそう思ってたの。
その為に沢山勉強して、魔法の修行も真面目に取り組んだ。自分で目標を決めて努力するなんて初めてだったわ。
お姉様に比べて出来が悪いことがコンプレックスだったけど、私ってやれば出来る子だったみたい。考えてみれば、これまでの私って、言われた事を嫌々していただけだものね。
身の回りの世話が自分で出来るようになって、魔法の腕も格段に上がって、私はなんだって出来る、何処にでも行けるって、そう思えたの。
でも前より少し賢くなった気になっただけで、私は自分自身の事しか考えていない、愚かで我が儘な王女に変わりなかった。
あの頃の私は、恋に夢を見る事を諦めた代わりに、自由に生きる未来を夢見てた。
だから戦争参加を反対するお姉様や賢者様の忠告に耳を貸さなかったの。
本当に、なんて愚かだったんだろう
私が戦争参加するのは、羊が自ら狼の群れに食べられに行くようなものだと言った賢者様の言葉は正しかった。
思い出すのもおぞましい、あの赤毛で毛むくじゃらの他国の傭兵達…。私を陵辱しようとする彼等から無理矢理抑えつけられて肌に触れられた瞬間、感じた事の無い激しい怒りと殺意が胸の奥から湧いてきて…。
私は怒りのままに魔力で巨大な竜巻を作り、あの痴れ者3人の命を奪った。
私の純潔と尊厳を守る為だったから、あの痴れ者達の命を奪った事は後悔していない。
だけど、その巻き添えで多くの兵士達が死ぬ事になるなんて…。
ショックで茫然自失状態だった私は、暴走する竜巻をコントロールする事が出来なかった。
鬱蒼と繁る森の一部を破壊し、やがて砦を攻めていた兵士達を巻きこんで空に舞い上がっていくのを、成す術も無く泣きながら眺めるしかできなくて。
嫌でも己の無力さと愚かさ、そして命の儚さを、思い知らされた。
空から地上に叩き付けられる兵士達。やがてぎこちなく立ち上がった彼等は、生きる屍となって同胞に襲いかかる。
地獄と化した戦場から命からがら逃げ出して、巨大な美しい花に囲まれた静かな場所に辿り着いた。聖騎士達とともに疲れきった身体を休めていたけれど、そこも安全ではなく、私の目の前で賢者様が生きたまま花に飲み込まれてしまった。
あの日の光景は、繰り返し悪夢となって私を苛む。
賢者様に初めて会ったのは、お祖父様と一緒に城の図書館を訪れた時。私とお姉様を見て面倒くさそうな顔をしたから、凄く印象に残ってる。あんな態度を取られたのは初めてだった。
まさか彼が賢者様だったなんて、思いもしなかったわ。
寝癖だらけの頭に青白い顔。猫背でボソボソ喋る陰気で変わった人だったもの。
彼はいつもお祖父様とお茶を飲みながらおしゃべりをして、私達の相手をする事は全くなかった。他の人達のように、可愛らしいですねと褒めた事は一度もない。
でも決して嫌な人じゃなかった。次に図書館を訪れた時、私好みの本が手の届く位置に並べられていたもの。そのさりげない優しさが嬉しかったけれど、彼が私達との距離を縮めることはなくて、本当に変わった人。
彼の事は嫌いでも好きでもなかったけど、お祖父様が信頼しているのは子供の私でも理解出来た。彼の少ない言葉には、お世辞も嘘も無かったから。
彼の態度は、お祖父様が亡くなってからも変わらなかった。
私が逃亡計画を打ち明けたのは賢者様だけ。私は彼と親しいどころか嫌われていたけれど、家族以外に信頼出来る人は彼しかいなかったから。
賢者様は私が戦争参加するのを反対したけど、私の決意が変わらないと分ってからは黙認してくれて、戦争が始まってからは私の面倒を見てくれた。
どうやらクリフォード将軍に頼まれて、仕方なくだったみたいだけど。私が側にいくと、いつも眉を下げて迷惑そうにして…。本当に失礼な人。
だからと言って嫌いにはならなかったわ。むしろ信頼してた。王女という肩書きに臆する事なく発言する貴重な人だったから。
相変わらずひょろひょろだったけれど、図書館に籠っている頃に比べると筋肉もついて、少しは頼りがいが出てきてた。
勇者様の師匠になってから、彼もようやく賢者らしくなったみたい。
それなのに…。
戦地に身を置いている以上、誰にも命の保証は無かったけれど、少なくとも彼は、あんな風に惨たらしく死ぬ運命じゃなかったはず。
全部、私の所為だ。
それなのに私は聖騎士達に守られ、おめおめと城へ戻ってきてしまった。
望んだ事ではなかったけれど、結果的に私は多くの人の命を奪ったのだ。
いくら私が王女だからといっても…、いや王女だからこそ、決して許される事じゃない。
謁見の間でお父様に懺悔し、罰を与えて欲しいと懇願した結果、こうして北の塔に幽閉される事になったのだけれど。
『戦争体験による神経衰弱』
それが私の幽閉理由。
お父様は私の罪を隠蔽するつもりなのね。そんなの無理なのに。
あの場にいた聖騎士達は皆、事実を知っている。あれは事故だと、誰も私を責めなかったけれど、だからといって私の罪は無かった事になんてならない。
「これほど大きな罪を、私はどう償えばいいの?」
その問いに答えてくれる人は誰もいない。
(もしもこの場に賢者様がいたら、答えてくれたかしら?)
きっといつものように物凄く迷惑そうな顔をしながら、私の話を聞いてくれたでしょうね。
それから、ため息を吐きながらガシガシと頭を掻いたり、空を仰いだりしながら考えをまとめて、文句を言いながら助言をしてくれたに違いないわ。
だけど賢者様には二度と会う事は叶わない。
彼の悲惨な最後の姿を思い出して、私はベッドに突っ伏して泣いた。
信頼出来る人が、この世界からいなくなってしまった事が、ただただ悲しかった。




