喪失感
その日の朝、鳥の声で目を覚ましたレンは、上半身を起こして伸びをしたり、首や腕を回して体の調子を確かめた。
(体が軽い。久しぶりにベッドで眠ったからかな。疲れが取れたみたいだ)
休養をしっかりとる為には、やはり睡眠が一番だ。
当初はこの薄っぺらで固いマットに慣れず、寝付きも悪かったのだけれど、慣れとは恐ろしい物である。今では訓練のおかげで、ごつごつした地面や石で出来た冷たい地下牢の床でも平気で眠れるようになったのだから。
どうやらアルヴィンも少し前に起きて朝食の準備をしているらしく、スープの香りが鼻をくすぐった。それと同時にぐ〜っとお腹が鳴って、レンはベッドから起きて身支度をした。
心が悲しみでいっぱいになっても、体は勝手に生きようとして空腹を訴える。
(この感覚も3度目だな…)
生まれて初めて喪失感というのを実感したのは、お父さんが事故で死んだと知らされた時。
胸にポッカリと穴が開いたみたいで、何もする気が起きなくて食事もとらずにいた。
その穴を塞いでくれたのは、お母さんだった。抜け殻みたいになったレンを心配して、諦めずに世話をしてくれたおかげで、体が食べ物を欲している事を思い出した。
二度目はお母さんが死んだと聞かされた時。
やっぱり心にポッカリと穴が開いたようになって、一時的に食欲が失せたけど、仇を取る為に強くなるという目的があったから、体作りの為に意識してよく食べるようになった。おかげでそれなりに筋肉も体力もついた。…周りと比べたら相変わらず体は小さかったけれど。
お母さんを亡くした悲しさと寂しさが消える事はなかったけれど、一時的にでもそれを忘れさせてくれたのは先生だった。出会った日から毎日一緒に過ごし、悲しむ暇がないくらい色んな事を教えてくれた。
その後エルマーと出会った事で、寂しさは少しずつ薄らいできた。
ようやくお母さんのいない生活に慣れたと思ったら、今度は目の前でショーンを亡くしてしまった。
神は乗り越えられる試練しか与えない、というけれど、あまりにも自分から奪い過ぎじゃないだろうか?
誰だっていずれは家族や友人など親しい人と死別する事になるが、自分に課せられた時期は、あまりにも早いと思う。
時間の経過とともに先生の死を少しずつ受け入れられる事は、経験上わかっている。
生きる為に食べて、活動して、眠って、それらを繰り返しているうちに、悲しみに慣れてきてしまう。大事な人がいない生活が当たり前になってくるのだ。
「おはようございます」
「おはよう、もう起きたのか。もう少しゆっくり寝てても良かったんだぞ」
「ぐっすり眠れたから大丈夫です。それよりお腹が空いちゃって」
「ははは。若いな。じゃあ朝食にしよう」
アルヴィンの用意してくれたスープを一口飲んで、その味にレンは少し笑った。
聖騎士は訓練で運動量が多いから、もう少し塩気があってもいいと思うのだけど、アルヴィンは濃い味付けがあまり好きではないらしい。薄くて味気なく思っていたスープの味にも、すっかり慣れてしまった。
(きっとこんな風に、いつかは先生のいない生活にも慣れてしまうんだろうな)
仕方ないけれど、やはり寂しい。
空虚な思いを抱えていると、アルヴィンがレンを伺うように声をかけてきた。
「今日はどうする? ゆっくり休むか?」
「いえ、訓練所に行って鍛錬しようと思います」
ショーンを失ったばかりのレンの心には、またポッカリと大きな穴が開いているままで、しばらく塞がることはないだろうけれど、体を動かしていれば多少の気は紛れる。
(余計な事を考えないくらい鍛錬に打ち込めばいい。俺はもっともっと強くならなくちゃ)
勇者として、自分には経験も実力もまだまだ足りない事を嫌という程思い知らされた。ショーンの死は、あまりにも高すぎる授業料だったと言えるだろう。
「そうか。じゃあ私も一緒に行こう」
アルヴィンが余計なことを言わずに寄り添ってくれるのが、とても有り難かった。
訓練所に行くと、エルマーや他の聖騎士達も集まっていた。考える事は同じらしい。
「フィリップさん、ご指導お願いします!」
「いいだろう。かかって来い!」
レンは素早く踏み込んで槍を突き出した。フィリップはその攻撃を半身で躱し、すかさず反撃を仕掛けてくる。レンは槍の柄で防ぐと後ろに飛び、一旦距離を置いてから槍を横に薙いだ。
真剣勝負と言っていいほどの激しい実技訓練を、周囲の者達は固唾を飲んで見守った。
(強くなりたい! もっともっと強くなって、もう誰も失いたくない!)
レンは一心不乱に槍を振るった。
どれくらい時間が経っただろう?
「何だあれは!?」
誰かの驚いた声に振り返ると、神殿から色とりどりの光の柱が幾筋も空へと伸びているのが見えた。光は空で混ざり合い、やがてオーロラのように揺れ動きながらレン達の真上まで到達した。
「凄い…こんなの見た事ない」
「ああ、美しいな」
荘厳な光景に誰もが動きを止めて空を見上げた。
「隊長、これは一体なんでしょうか?」
「わからん。何かの兆しだろうか」
聖騎士となって長く神殿に仕えていたアルヴィンにも、初めての体験らしい。
「あの神々しい光に悪い感じはしない。しかし念の為、神殿の様子を見に行った方がいいかも知れんな」
「では私達が行ってきます。隊長達は戦場から帰ってこられたばかりですから」
戦争に参加せず、首都の護りを任されていた2名の聖騎士が名乗りを上げた。
「では頼む。気をつけてな」
2人が神殿に向ったのを見送って、しばらく経った頃。
訓練所の外が何やら騒がしくなったと思ったら、門番が慌てふためいてやってきた。
「隊長! 大変です。西エリアに突然魔物が現れたそうです!」
「何だって!? 被害は!?」
「分かりません。メインストリートにいた者達は逃げるだけで精一杯だったようです」
「魔物の数は?」
「確認されているのは一体だけですが、大きくて緑色をした恐ろしい姿だそうです」
「わかった! 皆、聞こえたな!?」
「はい! いつでも出れます!」
「どれほど危険な魔物かは分からないが、民の安全が第一だ! 見つけても無理に戦おうとせず、民の避難と守護に徹せよ!」
レンは自分の愛馬に跨がると、アルヴィンの後に続いた。フィリップもエルマーも厳しい顔をして馬を走らせていた。
どうして突然魔物が現れたのか分からないが、帰らずの森の惨劇を首都で起こさせる訳にはいかない。
(どんな魔物が相手でも、一歩も引くものか。必ずこの手で討ち取ってやる!)
レンは手綱を握る手に力を込めた。
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