ガロン3
運悪くガロンの進行方向にいた人間達は、恐怖のどん底に突き落とされた。
見た事もない大きくて恐ろしい魔物が、物凄い勢いで近づいてくるのだ。
中央広場へと続くメインストリートは、たちまちパニックとなった。
捕まったら殺される。食われたくない。まだ死にたくない。
みんな思っている事は一緒だった。人々は買った物を放り投げ、我先にと逃げ出した。
「魔物が来る! みんな逃げろっ!!」
「うわぁぁっ!」
「邪魔だ! どけぇ!」
「きゃあっ」
逃げ惑う人々に押された拍子に、若い母親の手から幼子が引き離された。
「エディ!」
「ママぁ!」
母親は子供の手を掴もうとしたが、人の波に流されてしまった。
幼い子供は母親を見失うまいと必死になって後を追って走ったが、足がもつれて盛大に転んだ。
「うわあぁぁぁん」
痛みと心細さに、子供は倒れた姿勢のまま泣きじゃくった。
しかし誰も子供を顧みる事はなく、その脇を通り過ぎていく。
恐怖で逃げ惑う人々に、他人の子供を気遣う余裕は残っていなかった。
「どいて、通して!」
「よせ、あんたも食われるぞ!」
「離して!」
母親は引き止める手を振り払うと、子供の泣き声を頼りに、人の波に逆らいながら助けに戻ってきた。
ようやく人の波を乗り越えた先に見えたもの、それは倒れた我が子の前で立ち止まった禍々しい魔物の姿だった。
恐怖で立ちすくんだ隙に、魔物の鋭い爪が我が子の背中に伸びるのが見えた。
「いやあぁぁぁぁっ!」
それ以上見ていられなくなった母親は、顔を覆ってその場に崩れ落ちた。
泣き声が止んだ。
(嘘…嘘よ。あの子はまだ3歳なのに…どうしてこんな…)
あの時しっかりと手を握っていれば、魔物に食べられずにすんだのに。
可愛い盛りの子供を、こんな形で失くしてしまうなんて…。
母親は顔を覆ったまま、ボロボロと涙をこぼした。
ザリッ、ザリッと、魔物が近づいてくる気配がしたが、我が子を失った今、逃げる気力も湧かない。
(エディ、助けてあげられなくてごめんね。ママもすぐにそっちに行くから)
恐怖と喪失感に包まれたまま泣き続けていると、頭にふわりと温かくて柔らかい感触がした。
「ママ」
「…え?」
亡くしたはずの我が子の声が聞こえて顔を上げると、そこには魔物の小脇に抱かれた我が子が自分に向って手を伸ばしていた。
何が起こったか分からずに唖然としていると、
「ほら」
と、魔物がしゃがんで我が子をそっと差し出してきた。
涙で濡れた顔のまま反射的に両手を伸ばすと、ずしっとした重みを感じた。
日に日に増えていく体重を、今この瞬間程嬉しく思った事はない。
ぎゅっと小さくて柔らかい体を抱きしめると、いつも通りの温かい体温を感じて、母親は喜びの涙を流した。
「ああ、エディ! 無事で良かった」
「ちょっと擦りむいただけとは思うけど、怪我してるみたいだ。手当てしてやって」
「あ…、はい」
魔物に話しかけられた母親は、どぎまぎしながら魔物と我が子の顔を見比べた。
「じゃあ俺、先を急ぐから」
そう言って立ち上がった魔物に、エディは無邪気に手を振った。
「緑のお兄ちゃん、バイバイ」
「…バイバイ」
魔物は鋭い爪のある大きな手を小さく手を振って、風のように走り去っていった。
「エディ、大丈夫? 痛い所見せて」
「うん」
魔物は鋭い爪を持っていた。抱き上げた時に引っ掻かれたかも知れない。
そう思って子供の体を調べてみたが、転んだ拍子に膝を擦りむいているだけで、服に穴も開いていなかった。
どうやら魔物は、エディが怪我をしないように気遣ってくれたらしい。
「手を離しちゃってごめんね。怖かったよね」
そう言って頭を撫でてやると、エディは無邪気に笑った。
「怖くなかったよ。緑のお兄ちゃんが、大丈夫か? って言って抱っこしてくれた。お前ちっちゃくて軽いな〜って言われた」
「…そう」
エディを助けてくれたのは単なる気まぐれだろうか? それとも…?
どちらにせよ、あんなに恐ろしい魔物と対峙して、我が子共々無事だったのは奇跡としか言いようがない。
「女神様、感謝します」
母親は我が子をギュッと抱き寄せて、その柔らかい髪に顔を埋めた。
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