第11話 狂った聖女は夕暮れに笑う
何か、違和感があった。
光となって空へ昇ってゆく竜の魂が、歪む。別の場所へと引き寄せられているような、それに抗っているかのような。そして、咆哮か、或いは悲鳴のような音と共にそれは消えていった。
竜を倒すのは初めてではない。そしてこんな事は以前にはなかった。
この世界だから、なのか。それとも他に要因があるのか。
クレフ達は気味が悪そうに空を見上げていた。しかし、それで何かがわかるというわけでもない。
ともかくだ。
「終わったのか……?」
クレフはそう口に出して言っていた。
「さっきの、竜に踏まれたアレ。あれが僕達がここまで追ってきた奴って事でいいんですよね」
「死体は何処だ。まさか焼けてしまったのではあるまいな」
アーベルとカーラが辺りを見回す。竜自身はさほど動きもしなかったので、未だその骨の下にあるのではないかと思うのだが。それらしき物は見えなかった。
「魔力の痕跡は途切れてる。探査術式を使っても、この周辺には何も居ない。魔術で探知を妨害されてる訳でも無い。……なあ、ニーア? これで終わったのかな?」
クレフはひとつひとつを確認し、再びそう言う。
「はい。……終わりました」
ニーアはそう答えた。そして、つかつかと四人から離れて歩き始める。
「感謝いたします。あなた方がいなければ、ここまでは決して来られなかった」
振り返り微笑む彼女の顔は、聖女という言葉を具現化したかのよう。
完璧であり、現実味がなく、ひどく嘘臭い。
「……やめようぜ」
と、クレフは言った。スゥだけが疑問符を浮かべてクレフを見る。他の者は全て、表情を変えないままに無言で互いに視線を送り続けていた。
「やめる、とは?」
ニーアが問い返すと、クレフは溜息を吐いて頭を掻いた。
「終わったんだ。この先は何も起こらない。皆で街に帰るんだよ。アーベルは店に戻り、俺とスゥはどっかで仕事を見つけて、月に一度あんたの宿屋へ行って、財布の小銭を寄付する。カーラは……どうするか分からないが。……それでいいんじゃないのか?」
「……何を言っているんですか? クレフ様」
不安げに言うスゥ。クレフは彼女にちらりと視線を向け、口を閉ざした。
「そうですね。それも、いいかもしれません」
ニーアは視線を伏せてそう言っていた。だが。
「ですが……申し訳ありません、わたくしは、とても疑り深くて……」
その唇が三日月状に歪み、ひどく醜い笑みを刻む。
「何を言っているんですか!?」
恐慌にかられたように問い直すスゥ。クレフは苦く口を開いていた。
「つまり、自作自演ってこったよ。最初から最後まで、彼女に誘われるまま俺達はここへ来たんだ」
「蘇生――。国教レベルの統一宗派が最も栄えた時代に可能としたものを、魔王扱いされて滅ぼされた程度の異端宗派が実現出来る筈なんざ、そもそも無いだろうが」
クレフは肩をすくめながら語り始めた。
「可能だとするなら、それは生贄を利用したものだ。言ったよな? 精霊使いが生贄の儀式を行った事もあるって。だが人間一人の魔力なんてのは、たかが知れてる。僅かずつっつったって、大量の人間から毎日集まる魔力に比べりゃ誤差みたいなもんだろ? それでも生贄が有効だったのは、魔力だけでなく生命力、それ以外にも。その存在全てを捧げるからなんだよ」
ニーアは微笑みながらそれを聞いていた。
「1800万死なせたんだろ。その中で、それからも、だいぶ使ったとしても数千万はまだ残ってる。俺は最初からそう思ってた」
「――っ」
流石にアーベルが絶句するが、ニーアは薄い笑声を響かせるだけだ。
「あんたはずっと聖戦を使っていたんだ。自分のために捧げられる犠牲を全て捕えて魔力に変換していた。その魂までも。だからきっと、あの悪魔娘も今の竜も、還るべき場所にはまだ還れていない」
「そう言えば、情けをかけようとしておられましたね」
くすくすと笑うニーア。肯定ということか。
「でもどうして? 薄々とでも気付いてはいたのですよね。どうして――ここまで。そしてどうして、このまま帰ろうとなんて言ったのですか?」
そこだけが分からないというようにニーアは言っていた。それに対してクレフは答える。
「あんたには必要なんだろうと思ったからさ。さっきの老婆――でもあんたの実年齢に比べりゃとんでもなく若いんだろ? 神聖魔法で不老を実現している。そしてそのコストは想像を絶するほど重い筈だ」
ニーアは喉奥を鳴らすようにして笑っていた。
「甘い。やはり、甘いのですね。言った筈ですよ? 情けをかけることが常に美徳であるとは限らない、と。貴方はさきほどの竜との戦いの合間にでも、わたくしを殺しておくべきだった」
「……うっかり死んでくれないか、とは思ってはいたがね……」
クレフは引き攣ったような喉で強引に息を吸い込むと、大きく吐き出して平常心を保とうとする。
「精霊神。……意思を持った神の事を、一神教徒は邪神と呼ぶよな。人智を超えた力を持ち、個としての意思を持つものなど、それは単なる化物であると」
「今のあんたこそそうじゃねえのか? 邪神――ハニュエール・レター」
「……吸血鬼の王、悪魔族、古代兵器に古竜と来て、最後はやはり人間か」
長剣を抜くカーラ。
「ああやだやだ、本当に逃げ出したいって思ったのなんて、いつぶりだろうねぇ……」
そう言いつつも身構えるアーベル。
そして呆然と立つスゥへと、クレフは手を伸ばす。
「こっちへ来てくれ、スゥ。……頼んだ。無理はしない程度にな」
「……はい」
スゥはクレフの前へと立ち、振り払うように長剣を引き抜いていた。
「皆様の戦力、ここまでの戦いで良く見させていただきました。中でも警戒していたのはやはり精霊騎士――ですが、聖銃を持たない精霊騎士など恐るるに足らない」
「聖……"銃"ってなんだい?」
アーベルの問いにクレフはニーアから視線を逸らさず答える。
「クロスボウの強化版みたいなものさ。王都の騎士団でも実用化に向けて改良が進められてた。誰でも中級の攻撃魔法を安定してぶっ放せる道具って感じかね」
「それで異界放逐を発動するってんなら、かなりのゆとり武器だね」
クレフ達はニーアを半円形に包囲していた。幾つかの対抗魔術は伏せながら、それ以上動けない。
さっさと接近して叩っ斬ってしまいたい所ではあるが、相手が何をして来るか予想もつかないのだ。
「来ないのですか? 恐ろしいのですね? では、少々手の内を明かして差し上げましょう」
ニーアはそう言うと、足元に魔法陣を展開してみせた。
やはり、神官でありながら魔術師。こいつは、そのようなものだったか。
その魔法陣は赤黒い光を発しながらただ回るだけで、暫くの間何の魔術なのか分からなかった。
中央に立つニーアが左右に分かれて、ようやく理解が出来る。
双子のように並び立つ二人のニーア。二重身の魔術だ。
「まやかし……?」
と呟くスゥに苦々しくクレフは答える。
「いいや、どっちも実体だよ。自分を構成する物質を間引いて二つに分けているんだ。重さは半分になるが、それ以外はほぼオリジナルと同等っていう厄介な魔術さ」
「魔術ということは、クレフ様やアーベル様も使えるのですか」
続くスゥの問いに二人は苦笑してみせる。
「いいや、俺は魔術師としては凡庸だしな……」
「残念ながら初見だよ。機会があったら解析してみたい、かな」
言いつつもアーベルがあまり乗り気ではなさそうだったのは、当たり前の事か。
頭のネジが相当緩んでいなければ、自分を薄めて二つに分けようなんて事に抵抗を覚えない筈がない。
「まやかしではクレフさんには勝てませんね」
二人のニーアは軽く視線を交わすと、背中合わせになるようにして立つ。
一方が両手に盾状の対魔法障壁と対物理障壁を構え、もう一方が口を開いていた。
「なにせ……あんな偽物で真物にも迫るような性能を発揮させるんですから」
言いながらニーアが見ているのはスゥの構えるヒヒイロカネの剣だ。
「ですが、いい加減目障りです。少し早めさせていただきましょう」
喋る方のニーアの眼前から、無挙動で泥の塊が迸る。
あれは呪詛だ。呪詛はその内容によって現れ方を変える。スゥは飛来する泥を被る事は何とか避けたものの、飛散する飛沫は引き寄せられるようにスゥの持つ剣へと付着していった。
剣に宿っていた精霊が悲鳴をあげて逃げてゆく。一瞬にしてただの青銅剣へと戻ったそれは、これまで重ねてきた無理の代償を払うかのように、錆びた砂へと還っていった。
「ち……」
「おっと、動かれませんよう」
僅かに踏み出そうとしたカーラをニーアの放つ散弾針が襲う。
左手で対魔法障壁を生み出したカーラだが、抑えきれないと見て堅固な物理障壁へと切り替えていた。
土中に含まれる金属を編み上げて立ち上がる土壁の魔術。その表面に細い短針は弾かれるだけだが、これでは身動きが取れない。
それをこそ目的とした魔術だった。盾の裏に釘付けとなったカーラに、ニーアの言葉は続く。
「カーラさん、貴女は素晴らしい戦士です。膨大な戦闘経験と度胸を持ち、指揮能力も悪くはない。けれど……貴女がそこまで鍛え上げられるまでに、大きな傷の幾つかは負った事があるのでは?」
「――っ!?」
唐突に、カーラの全身から鮮血が吹き出す。
致命傷である事は明らかだった。それも、数秒のうちに彼女の命は潰える。
反射的にとしか言いようがないスピードで復元の魔術を用いるアーベル。だが治癒は効果を発揮しない。
一瞬遅れてクレフが解魔を使い、ひっそりと重ねられていた難治癒の刻印を解除してようやくカーラの傷が塞がってゆく。
「ぐっ……ぉ……」
自分の血の海に膝をつくカーラ。まさか、彼女のそんな姿を見る事になろうとは。アーベルとスゥは目の前の光景が信じられないとでも言うように、呆然とそれを眺めていた。
「なん、だ……今、何が起きたんです?」
「神聖魔法、負傷だ。……復元の逆、体に残る記憶から過去に負った負傷を再現する。本来直近の一つ二つを開かせるのが関の山だってのに、なんて出力だよ」
もう、ニーアには何もさせられない。
クレフは自分が知る限りの魔力干渉結界を生み出し、全員にそこへ入るよう促していた。
包囲は捨てる事になるが仕方ない。そもそも、これまで攻め手の一つすら見いだせていないのだ。
「賢明ですね。でも、流石のクレフさんでもその結界を維持するのは辛いのでは? いったいどのくらい持つのでしょうね、それは……」
自然にそれができなくなるのを待つつもりもないのだろう。
ニーアは次々と散弾針を撃ち込んで来る。広範囲に拡散する無数の針は、生み出すのに容易く消すのに難い。魔術師同士のシールド戦に特化した魔術と言えた。
結界内から加粒子槍を撃ち返しながらアーベルが叫ぶ。
「クレフ! この結界内じゃこっちの魔術も減殺される、このままじゃ勝てないよ!」
「分かってる! だが、今はこうするしかないんだ!」
「カーラだけをここで守ってくれればいいよ! 確かにカーラはもう一発あれを食らったら持たない。だけど僕達なら――」
「そうじゃないんだアーベル。思い出したんだ。……神聖魔法は、人を殺せる」
「……本気で言っているのかい?」
そのアーベルの言葉は、クレフの正気を疑ったり馬鹿にするようなものではなかった。
心底からの恐怖に震えていた。
魔術は人を殺せない。こう言ったらどう思うだろうか。
嘘だ、攻撃魔法があるじゃないかと。そう言われるだろうか。
だが逆だ。それこそが、魔術は人を殺せないという証明だ。
人を殺すというシンプルな結果が出せないからこそ、ぶつければ致命傷となるような物を生み出し、叩きつけなければならないのだ。
魔術は人のイメージが魔力によって具現化したもの。よって他者のイメージによって干渉され、妨害される。死という願いは確かな生の事実によって否定され、後者の方が明らかに強いのだ。
しかし多数の人の願いである神聖魔法は、それを超え得る。




