経験したくなかった、人生初の…………
結論から言えば、私の身に危険などというものは無縁なのだ。
八精霊と常につながっているし、名目上の夫は精霊王様だ。
少しくらい怪我をしたって、精霊が治してくれるし、あのムーリスの特殊な鳥籠がないかぎり、リーはいつでも私の居場所が分かる。
だから、私の意識があればいつでもお城に帰れるし、意識がなくともリーが迎えに来てくれる。
それでも私は今、困っていた。
だって、無事なのは、あくまで私だけの話であって、ジークは含まれないのだから。
あの筋肉ムキムキの王様の顔がよぎる。
そういえば、そうだった。ジークってばお尋ね者だった。精霊王の妃に横恋慕だったっけ?
あまりにくだらな過ぎて、忘れかかってたんだよね。
私の肩書に、エーダーフェール王の婚約者がついているんだっけ。
ほんの少し話したことがあるだけで、私はあの王様のことを何一つ知らない。
結婚の申し込みすら受けていないのだから、婚約者だって言われたってねぇ。
事後承諾もなにもあったものじゃない。いつの間にかジークと恋仲になってるってことになっているし。
この世界の王様がどれだけ偉いのか知らないけれど、ジークの手配書に関してはいいがかりもいいところだ。言いがかりで勇者と一緒に魔王倒したジークが犯罪者になるんだから、この世界怖いよ。
誰に捕まってもトッキーがいる限り、私はいつでもお城に帰ることが出来るっていう、安心感が油断につながってるとは思う。
だけどなぁ。
大きくため息をついて、部屋を見渡した。質素な部屋なんてものじゃない。石造りの部屋の床の一角に麻の敷布があって、多分そこが寝床。あとは、桶が無造作に置いてある。ものすごい異臭を漂わせているから、用途は言われなくても分かった。
人が抜け出せないような小さな明り取りの窓が一つ。扉は分厚い木で出来ていて、目の高さが小さく切り取られ、鉄格子が嵌っている。
これは、牢屋ってやつだろう。
人生初の牢屋だね。一生お目にかかることはないはずの施設だし、できれば一生経験したくなかったよ。
窓の外を見る。隙間から見える星空が夜だと教えてくれた。
お昼前にロームロームを買いに行ったはずだから…………。
どれだけ気を失っていたんだよ、私。
五、六時間は確実に意識がなかったはずだ。
私が転がされていた、麻の敷布は敷布の役目をはたしているとは思えない酷いものだった。おかげで、顔がひりひりする。
そうそう、なにが困っているかって、一緒に捕まったジークが建物の中のどこにいるのかが、分からない事だ。
一緒に捕まったのだから、この周辺にジークがいるはずなのだ。けれどジークの居場所を探して教えて欲しいと、風の精霊の白虎に言っても、「いない」の一点張りなんだよね。場所が分からなくては、トッキーに空間を開いてもらえない。いくらこの街のどこにでも空間をつなげられるっていっても、場所が限定できなければお手上げだもの。
とりあえず、一回リーの元に戻って、出直すのもありなんだけど、犯罪者として捕まってしまっているジークのことを思うと、それも出来なくて、どうしたら良いのか思案しているところだ。
ジークなら一人で抜け出せるかもしれないけれど、肝心の剣は私の体の中だ。どのくらいの距離が離れると呼び出せなくなるのかも聞いていない。ちゃんと聞いておけば良かった。
ここを出ていったらジークの武器が出せなくなってしまう。
なんてことになったら笑えない。ジークの危機だ。
そう考えると、近くにいたほうがいいと思える。それに、ジークの剣はちょっと特殊仕様みたいだし。
ロッキードさんにちらっと聞いたとこによると、騎士の誓いと共に、主にあたる人物の体のなかに剣が入るなんて、普通ではないんだって。人の体に同化する剣なんて伝説級の剣だそうで、そりゃ、勇者の仲間なんだから持っていてもおかしくはないんだけどさ。
とんでもないもの、体に収めているのは気のせいじゃないだろうなぁと憂鬱な気分になったのはつい最近のことだ。
ここには、竜もいるし、精霊王も魔王もいる。
体の中に同化してしまう剣があったって普通なんだろうと、あまり深く考えなかったから、そういう細かいところをジークに聞いていなかったのだ。
白虎がこの近くにいないと言うならば、ジークだけ別の場所に連れて行かれてしまった可能性もある。
けれど、剣が私の中から、なくならないのは、まだ、剣を呼べるほど意識が回復していないかもしれないという可能性も考えられるのだ。
次のとるべき行動を決められなくて、ぐるぐるとさっきから同じ事を考えている自覚はあった。
言い訳じゃないけど、普通の会社員にこんな状況の対処方がわかるわけがない。
そんな知識は必要なかったし、これからも必要としなくていいはずだったのだから。
それでも、いつまでも、こうして考え込んでいても仕方がない。
よし、考えても仕方ない時は、行動あるのみだ。
心配なのはジークのことだけだ。
自分の目でジークがこの建物の中にいないことを確かめてから、帰ろう。
そう決めて、私は木製のドアの前に立った。ちょっと意識して開けてとお願いすれば、精霊が扉を壊してくれる。ガチャンと音がして、扉が静かに開いた。
「レーン様、ジークはいませんよ。帰りましょうよ」
「早く帰らないと、セシルリール様が怒っちゃいますよ?」
皆とはぐれたせいか、翡翠以外の精霊の長が小さくなってそばにいてくれていた。
「うーん、信じてないわけじゃないの。ただ、剣が出ていかないから心配なんだよ」
口には出せないけれど、意識がなくて、倒れているほうがいいと思っていた。
最悪な事態になっていて、それで精霊達がジークがいないなんて言っている可能性もあるからだ。
あっさり、やられたもんなぁ。ジーク。
嫌な考えを振り切って、廊下に出る。
薄暗い通路に松明が一定の感覚で配置されて、明りをとっている。油の匂いと変な異臭が辺りに広がっていた。
「うわぁ。ダンジョンみたい。無駄に広そうだな、もう」
どこかの、ロールプレイングゲームに出てくるダンジョンよろしく、奥の方は真っ暗でよく見えない。
なんでこんなに沢山の牢屋が並んでいるんだよ。
気味が悪いじゃないか。
パチパチと火の爆ぜる音だけが、妙に静かなこの場所に響いている。
あぁ、ゾンビゲーム思い出しちゃった。脇から突然でてくるんだよね、ゾンビが。
そういう妙な物が出てこない事を祈る。
行く先に誰かがいれば、白虎が教えてくれるから、手当たり次第に牢屋の中を見ていくことにした。
一つ一つ覗いていくうちに、気分が悪くなり始める。
テレビで見るような、日本の牢屋などとは比べ物にならないほどに、不衛生なここは、たまに見かける囚人の匂いもすごかった。間違いなくお風呂に入れて貰えないのだと思う。
暗いからだろうか、囚人の瞳が力を失い、生きているように見えなくて。足が震えた。今すぐにここから出たいという衝動に駆られる。けれど、ジークを置いてはいけないと言い聞かせてなんとか踏みとどまった。
怖いと思う。
こういう所が、決定的に日本と違うのだ。
人扱いされいない。
私も、ここに入れられたって事は、人扱いされていないんだ。
精霊の長達がいなければ、同じようになっていたに違いない。
目の前の人が気の毒だと思う。かといって、事情も分からずに、ここに囚われている人を解放するほどお人良しにはなれない。
それに、無気力なまるで洞のような瞳に背筋が凍った。
いくつかの扉を覗き込んだところで、ずっと奥の方から、扉をガンガン叩く音と、聞き覚えのある声が聞こえてくる。
その声の主は、出せと叫んでいるようで…………。
よかった、ジークいるじゃん。
ほっとしてそちらの方に、歩みを進める。精霊でも間違えることがあるのかと、ちょっと微笑ましく思ってしまう。
近づけば、間違いなくジークの声だ。
あたりに兵がいないことをもう一度確認して、扉を壊そうと白虎に頼もうとしたところで急に白虎が大人サイズになる。
驚いた私から扉を隠すように、白虎が立ちふさがり両手で私の肩を押さえていた。
まぁ、そんなことをしなくてもあの牢屋の中からここは死角になっているだろうからジークに私の姿は見えないだろうに。
そもそもジークから私を隠す理由もない。
助けにきたと、教えてあげればよいのだから。
「いけません。レーン様、セシルリール様のもとへ」
なにが「いけません」なのかわからずに、白虎の手を払ってジークがいるはずの扉へ行こうとしたけれど、白虎の腕はびくともせず、一歩も動けない。ちょっと腹がたって白虎を睨みつけた。
「白虎、冗談はやめて。ジークを置いていけるわけないじゃない」
「レーン様こそなにを仰っているのですか?ジークはこの近くにはいないと申し上げました」
それでは、すぐそこにいるはずの人間は一体誰だというつもりなのか。
ジークは私たちがここにいることに気付かないようで、まだ上品とはかけ離れた言葉を叫んでいる。
理由はわからないけれど、白虎は真剣な目をして私を止めていた。
なにか、そう、違和感がある。
なにか重大なことを私は見落としているんじゃないだろうか。
そう不安になるような真剣さを感じ取り、私はちょっと考える。
「わかった。さっきも思ったんだけど、私、貴方たちがいれば、危険って危険はないよね?帰ろうと思えばいつでも帰れるんだし。だから、まだ、ここにいるのよね?」
精霊の長達の力があれば、別に牢屋まで運ばれなくても、リーの元へ帰されていたっていいはずだ。けれど、私は気が付くまで放っておかれている。と、いうことは、そんなに危険が迫っているわけではないということだ。
「中にいる人がジークでなくても、確かめてから帰る。万が一、中にいる人がジークではなくて、襲われるようなことがあれば、助けてくれるのよね?」
そう確認を取ると、私の意思を優先してくれる白虎は、目を伏せてそっと手を肩の上からどけてくれる。
同時に、ガチャンと鍵が壊れる音がした。
扉がゆっくりと開く。
ジークを連れて帰ろうと、伸ばした私の腕を掴んだのは、空中に浮かんだ腕だった。




