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愛の実証的研究 ~侯爵令息と伯爵令嬢の非科学的な結論~  作者: 埴輪庭


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17.「これが普通」

 ◆


 朝の光が窓から差し込んで、私は目を覚ました。


 いつもと同じ時間。


 いつもと同じ部屋。


 でも、何かが違う。


 胸の奥にあった重い石のようなものが、消えていた。


 ペンダントに手を伸ばす。


 冷たい金属の感触は変わらない。


 でも、もうこれはただの装飾品だ。


 私を縛っていた見えない鎖ではない。


 身支度を整えながら、あの日のことを思い返す。


 といってもまだ一か月もたっていないのだけれど。


 セシリア様がペンダントを浄化してくださってから大体二週間といった所だ。


 エルンスト様とセシリア様の優しさ。


 真実を知った時の衝撃。


 父が私に何をしていたのか──考えると胸が痛む。


 でも今はそれよりも大切なことがある。


 普通の一日を、普通に過ごすこと。


 ◆


 学園への道は、秋の朝の冷たい空気に包まれていた。


 石畳の上を歩く私の足音が、いつもより軽い。


 向こうから男子生徒の一団が歩いてくる。


 私は無意識に身構えた。


 いつものように、彼らが私に群がってくるのを覚悟して。


 でも──


「おはようございます、リーベンシュタイン男爵令嬢」


 普通の挨拶。


 普通の笑顔。


 それ以上でも以下でもない、ただの朝の挨拶だった。


 私は慌てて返事をした。


 正直二週間たってもまだ慣れない。


 逃げ腰になってしまう。


「お、おはようございます」


 彼らはそのまま通り過ぎていく。


 振り返ることもなく、執着することもなく。


 まるで私が、ただの学生の一人であるかのように。


 これが普通。


 これが私が望んでいたものだ。


 ◆


 教室の扉を開けると、一瞬私に視線が集まるがそれだけだ。


 私に執着していた男子生徒はみな帰るべき所へと戻っていった。


 それにともない、女子生徒からの視線も日々軟化している。


 一時の熱病のようなもの──そう受け止められているらしい。


 祝福の力はまだ残っているそうだが、それでも意識して誰かと親しくなろうとしない限りは効果を発揮しないらしいし、効果を発揮したとしても元々の好感度を多少底上げする程度──だとセシリア様は言っていた。


 それでもその気になれば、クラスの中心人物くらいにはすぐなれるのかもしれないけれど。


 でも私はその気になんてならない。


 ◆


 放課後の図書館は、いつも通り静謐な空気に包まれていた。


 ラファエル様と向かい合って座り、それぞれの課題に取り組む。


 ペンを走らせる音と、ページをめくる音だけが響いている。


「アンナ嬢、この問題の解法はどう思われますか?」


 ラファエル様がいつも通りの穏やかな声で尋ねてきた。


 私は彼の手元を覗き込む。


 数学の問題だ。


 ただ、答えを出すまでの計算回数が多すぎる。


 そんな気がする。


 そんな気がする、というのは数字を見ると計算しなくてもなんとなく答えがどんな感じになるのかが分かるからだ。


 前世の事はもう余り思い出す事はないけれど、()()から私は数字には滅法強いのだ。


「ここの術式は、もう少し簡略化できるかもしれません」


 私はペンを借りて、別解を書き始めた。


 ラファエル様は興味深そうに見守っている。


 彼の態度は、昨日も今日も全く変わらない。


 穏やかで、誠実で、適度な距離を保った友人としての振る舞い。


 私はふと顔を上げて、彼を見つめた。


「どうかされましたか?」


 ラファエル様が不思議そうに尋ねる。


「いえ、何でもありません」


 私は微笑んだ。


 ◆


 図書館を出る。


 橙色の光が学園の建物を染め上げている。


 ここ最近はずっとこの色を見ている。


 ラファエル様との勉強会はもう何日も続いていた。


「今日も有意義な時間でした」


 ラファエル様が微笑みながら言った。


「また明日もよろしいですか?」


「はい、もちろん」


 私は頷いた。


 彼は優雅に一礼して、去っていく。


 その後ろ姿を見送りながら、私は思った。


 これが本当の関係なのだと。


 魔力で歪められたものではない、ごく自然な人と人との繋がり。


 それはとても穏やかで、静かで、でも確かな温かさがあった。


 家路につきながら、私は考える。


 父のことを、どうするべきか。


 エルンスト様の忠告通り、今はまだ動くべきではない。


 でもいつかは向き合わなければならない。


 なぜ父は、私にあんなことをしたのか。


 その答えを知る時が、必ず来る。


 でもそれまでは、こうして“普通”を過ごしていきたい。


 空を見上げると、一番星が輝き始めていた。


 私は小さく微笑んで、家への道を急いだ。


 明日もきっと、普通の一日が待っている。



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