第40話 従弟の暴走
「そこまで、彼女が私を気にする理由はないはずだが?」
口に出して言うと、少し情けない気持ちがするが、それは事実だ。
最近になって、エオールはようやく離れに通うようになっていたが、彼女と信頼関係が築けたとは思ってもいなかった。
ラトナはエオールが行けば、微笑して出迎えてくれたが、ただ、それだけだ。
そこに好意的なものは、微塵も見えなかった。
何を強請るわけでもなく、媚びるでもなく、淡々と……。早く帰れと言わんばかりに、あらぬ方向ばかり眺めていた。
ラトナが唯一拘ったのは「離れ」から出たくない。……それだけだった。
「やはり、あの離れには「何か」いるようだな?」
確信はしているものの、姿が視えないので、善悪の区別がつかないのがきつかった。
ラトナは憑依こそされていないようだが、影響は受けているようだし……。
……とはいえ、安易にあの場を「聖化」して、これ以上彼女を失望させたくなかった。
「薄気味悪い建物だけど、残念ながら僕はそっちの目は使えないしね。貴方も今は視えないんじゃ、答え合わせが出来ないな」
「それにしたって、声まで掛けたのに、どうして、そのままラトナを帰してしまったんだ? こんな夜中に、また離れに戻るのだって大変だろう?」
「仕方ないじゃないか。何か急に逃げ出してしまったんだから」
「はっ?」
「僕の美しい顔にときめいて、恥ずかしくなってしまったのかもしれない。ごめんね。罪な顔で……」
「お前。鏡を見たことがあるのか?」
「毎日見ているし、手鏡も持ち歩いているけど?」
こんな時に冗談かと思ったら、アースクロットは懐から小さな鏡を取り出して、自分の顔をうっとり眺めていた。
恐ろしい。
本当だったようだ。
「…………お前が、何か彼女にしたんじゃ?」
「はっ? 貴方の嫁だよ。僕は誓って何もしていないよ。むしろ、彼女の行動力に感動して、貴方との仲を応援したくらいだ。それなのに、さよならって……」
「さよなら?」
「また会いましょうって、意味だと思うけど」
「そんなはずがあるか。お前、言葉も分からないのか?」
もっと辛辣に叩きたいところを、エオールは何とかぐっと堪えた。
この男の頭が足りていないことは、今に始まったことではないのだ。
それを承知で頼んでいるのだから、エオールが悪いのだ。
きっと、アースクロットの無自覚なところで、何か彼女が傷つくことをぺらぺらと話したに違いない。
(これじゃあ、ロータス医師にも、レイラにも顔向けできない)
――さよなら?
意味深すぎる。
そんな別れの言葉を告げるために、彼女はたった一人で、夜中にエオールのもとに来たのだろうか?
十日以上放置してしまった為に、更に彼女の気を悪くしてしまったのかもしれない。
(確かに、来たり来なかったりしたら、不快かもしれないが……)
仕事で当分顔が出せないと、伝言するべきだったのか。
(しかし、次に行ける日も分からないのに、言伝なんて……)
エオール自身、ラトナに対して、必死になりたくなかったのも事実だ。
彼女は、そこまで自分に会いたいようにも見えなかったから……。
「とりあえず、今からでも、離れに……」
――と、一歩踏み出した途端、目眩がした。
ずきずきと頭も痛い。
少し休めば治るはずだが、なぜ今この時に……と歯痒くて仕方なかった。
「駄目だ。今は無理だよ。少しでも休まないと」
「しかし……」
こんな時だけ正論を言うのだから、腹が立つのだ。
アースクロットは、強引にエオールを再び椅子に座らせると、神経を逆撫でするような最高の笑顔を浮かべて、どんと自身の胸を叩いた。
「安心して。僕がお嫁さんのところに行って来るよ。一度、ちゃんと彼女と話してみたかったし、貴方のこともしっかり擁護してくるから。ここは一つ僕に任せて」
「やめてくれ……。不安しかない」
「貴方には陛下直属の重要な仕事があるんでしょう? そういう役目は僕に任せて、仕事に集中しときなよ」
「お前なんかに任せたから、こんなことになったんだろうが……」
「こんなこと? 意味が分からないな? まっ、貴方の心配は分かるけどさ。大丈夫さ。僕は能力持ちだ。それに昔から運だけは良いんだ。そうだなあ。霊が視えなくて不便なら、視える奴にそれとなく、貴方のお嫁さんを視てもらっても良いしね。ああ、そうだ! フリューエル家の……」
「頼むから、それだけは絶対にしないでくれ」
微妙な力関係にある御三家だ。
血縁関係であるアースクロットにも、急を要するまで話したくなかったのに、能力持ち=御三家のすべてに、エオールの弱点が知れ渡ってしまったら、どうなるのか?
特にフリューエル家は、駄目だ。
――もし、霊視ができないことが、奴らにバレてしまったら?
(終わりだ)
隣国フレイヤをどうこう考える前に、内戦が起こりかねない。
それなのに、こういう時に限って、アースクロットは下手に有能なメイド長に後事を託すと、部屋の外側から鍵を掛けて、能天気に出て行ってしまったのだ。




