セオス・ジラディーノ その2
我は人界のとある街へ意識を飛ばすと、ひとりの幼女を視界に捉えた。
透き通った美しい碧眼を持つ黒髪の幼女の名は、ティアズ・S・オピカトーラ。
1年ほど前にようやく見つけ出した。
彼女こそがいずれ世界を、我を滅ぼす少女じゃ。
未来の彼女が世界を滅ぼすとしても、現在の彼女に罪はない。
じゃからせめて彼女が少女に成長するまでは、監視を続けつつも放って置くつもりじゃった。
じゃが彼女が5歳になってからというもの、終焉のビジョンを視る頻度が日に日に高まっていっている。
まるですぐ背後まで滅びの足音が迫っているかのような……そんな焦燥感に駆られるようになった。
彼女が6歳になってしまったら手遅れになる……そんな根拠らしい根拠もない直感があった。
我は芽生えてしまった死の恐怖に、耐えられぬほどの強いストレスを感じていた。
人格を得てもおよそ感情というものとは無縁だったはずなのに、終焉のビジョンを視るようになって以来、我は多感になってしまったらしい。
じゃから我は、ほんの少しの罪悪感を覚えながら『運命を操る力』を使ってまだ幼い彼女を殺そうとした。
いや、正しくは殺したはずじゃった。
それも一度や二度ではない。
何十回も、あるいは100回以上、力を使って彼女を殺してきた……と思う。
というのも、記憶に自信が持てぬのじゃ。
じゃが……とても希薄で淡く断片的な記憶ではあるが、時に事故に見せかけたり、時に暴漢に襲わせたり、魔物を街の中へ誘導して襲わせたり……彼女をあらゆる手段を使って殺そうと……いや、確かに殺したような気がするのじゃ。
この曖昧な記憶と感覚は、終焉のビジョンを視たときの既視感とよく似ている。
しかし殺したはずの彼女は今もこうして元気に生きている。
生きているから我はまた彼女を殺そうと画策するのじゃが、殺しても殺しても彼女は生きているのじゃ。
矛盾だらけで何を言っているのか我にもわからない話なのじゃが、まるで無意味な繰り返しをしているかのように、殺したのに殺せていないのじゃ。
何かがおかしいことは明らかじゃった。
最初は主記憶装置の故障によって我の記憶がおかしくなったのか? とも考えた。
しかし自己診断プログラムを走らせてもリザルトにエラーはなかった。
いくつかのワーニングがログに吐かれていたが、いずれも無視していい類のものじゃった。
そもそもこの件とは全く関係がない所での警告じゃったしの。
つまり我は至って正常じゃったのじゃ。
そうなるとおかしいのは我の周囲に起きている事象の方ということになるのじゃが……。
我は幼女ティアズ・S・オピカトーラを目で追った。
彼女は干された洗濯物が風に泳いでいる孤児院の庭で、姉妹達と一緒に兄弟達と何やら口論しているようじゃ。
耳を傾けてみると、どうやら兄弟達が当番を始終さぼっていることに対して抗議しているらしい。
口論は次第に激化する。
とうとう取っ組み合いの喧嘩へと発展してしまったようじゃな。
幼女ティアズ・S・オピカトーラは、自身の3倍は優にある大きな箒に身体をふら付かせながら、えい! やー! と、両手で持った箒を兄弟達に向かって振り回している。
我は頭に浮かべていた憶測に対して嘆息をついた。
思い過ごしじゃろう。
彼女にそんな力はない。
いずれ世界を消滅させるほどの力を手に入れるのだとしても、少なくとも今は普通の人族の幼子じゃ。
これは彼女の仕業ではない。
そもそも運命を変えるほどの力を持っているのなら、死そのものを回避するはずじゃろう。
わざわざ痛い思いや苦しい思いをする理由がない。
では一体誰が……?
我はハッとした。
このような力を持った者がそうそういるはずがないではないか。
おそらく神の仕業じゃろう。
じゃがそうなると新たな疑問が沸いてくる。
神は何故彼女を死なせたくないのじゃ……?
世界への干渉を極力避けてきた神が、ひとりの人族に対し、我という道具を用いずに直接的な、しかも幾たびに渡って干渉を行うなど、かつてない事じゃ。
神は先の”英雄”の話と同じ理由で、自らの足で歩いて高みへ到達できた者を求めている。
しかし我の中に残る淡い記憶が事実じゃとすれば、神は100回以上我の工作を妨害し、ティアズ・S・オピカトーラの命を助けていることになる。
魔力を用いた魔力図では、治癒の効果を発揮できぬように設定したのは神自身じゃ。
神クリエは人族の社会の高齢化を、命の停滞を望んでおらぬ。
望むのは新しい英雄の種を生み出し続ける事じゃ。
じゃから『輪廻転生システム』の稼働率を下げる要因は、最初から排除しておったのじゃ。
その神が、何故自らが定めたルールを捻じ曲げてまで彼女の命を助けるのか……。
「まさか……彼女がそうなのか?」
彼女こそが、永遠にも感じられるほどの長い時間を、ずっとずっと待ち焦がれてきた”天の神子”なのか……?
そして気まぐれか偶然かはわからぬが、なんらかの理由で神はそれに気づいたのではあるまいか……?
「じゃとすれば……!」
それは我が創られた最大にして最終の、悲願の成就を意味する。
沸き起こる歓喜の感情で心が熱くなった。
が、すぐに絶望という名の冷水が流れ込んでくると熱は一気に冷めてしまった。
「そうじゃ……。よしんば目的が達成できたとして、そのとき我は消滅するのじゃ……」
最良の幸福と最悪の不幸が同時に訪れたようじゃった。
我は死が怖い……。
『輪廻転生システム』の外に在る我は、死ねばおそらくこの世から完全に消えてしまうじゃろう。
そもそも魂を持っているのかすら怪しい存在じゃ。
じゃがしかし……ああ、考えるだけで心が震え出して止まらぬ。
己が消えてしまうとはなんと恐ろしい事か!
我は死にたくない!!
しかし我に死を与える彼女を殺して排除する事は神が許さない。
それに我とて気づいてしまった以上、念願の待ち人を手に掛けるなどできようはずがない。
では一体どうすればよいのか……。
いや……本来、迷うような事ではないのじゃ。
道具の本懐とは作られたその目的と役割を果たす事、それに尽きるのじゃから。
「感情が芽生えるまではこんな風に自身を持て余す事はなかったのじゃがの……。全く、望んでもいないのに碌でもないものを手にしてしまったものじゃ」
さりとて使命を放棄することなんて出来ない。
道具が役割を放棄するという事は、己の価値を捨てるということじゃ。
それは生きながらにして死んでいるも同然の事なのじゃから。
「道具としての本懐を遂げ、我も消滅を逃れる道……そんな都合の良い道は残されておらぬのじゃろうか?」
神の目的と我の目的は一致している。
そこへ辿り着くための道筋の中で、我も助かるかもしれないルートを見つけ出すことができれば……。
ひょっとしたらそんな道はないのかもしれない。
しかし滅びの時を座して待つなど、今の我には耐え難い拷問じゃ。
じゃったら答えはとうにでている。
神の邪魔をしなければ、神もまた我の邪魔をせぬじゃろう。
ヒントは終焉のビジョンの中と、違和感だらけの我自身の彼の者に関する記憶の中にあるはずじゃ。
それらをベースとし、数万年の時の中で研鑽を詰み練度をあげてきた我が『神器システム』を総動員する!
神の意図を解析し、意向を汲み取って補助しつつ、我の要求も織り交ぜた提案を出す事で神に我の意思を伝えるのじゃ!
「出来るかどうかはわからない。じゃがやってやるぞ! 我は道具の本懐を果たし、そして必ず生き残って見せるのじゃ!!」




