来訪者
タイガとの魔王城での生活が始まった。
手始めに寝食をするための部屋を1つ選ぶところから始める。
魔王城というだけあって、大きな城には部屋が沢山あった。
迷った末に、私は3階にある窓からの見晴らしが一番いい部屋を寝所に選んだ。
早速埃だらけの部屋を掃除する。
床を掃いて、シーツを洗濯して、傷んだベッドを補強した。
破れたカーテンを補修して、割れたガラス窓も魔法を使って修繕する。
私達には職人の知識や腕前はなくとも、魔法の知識と無限の魔力がある。
タイガには魔力の貸与の他に、必要な材木や触媒となる鉱石などを調達してきてもらった。
まる1日がかりの大仕事だ。
大変だったけれど、大変だった分だけ綺麗になった部屋を見回した時の感動はひとしおだった。
それに新しい場所での生活という新鮮さも、とてもわくわくして楽しい!
その夜(といっても魔界に夜はなく、常に天上の赤いお日様が照らしているのだけど)は、タイガが獲ってきた魔物を庭で調理してお腹いっぱい食べた。
翌日は調理場の掃除をすることにした。
簡単な調理なら外でも出来るけれど、魔法による調理はどうしても雑になりがちだからね。
やっぱり調理場が使えた方が何かと便利だ。
室内の掃除と傷んだ釜や調理道具の修繕と、こちらもなかなか大変だった。
さらに翌日、私は城の外壁に貼り付いた雑草の駆除を提案する。
1500年放置されてきた城は、赤い日に照らされた片面が魔界の植物によってびっしりと寝食されてしまっていたからだ。
黒猫のタイガが空を飛びながらツタや雑草を爪で切り刻んでいく。
どうやらそれはタイガのツボにハマったらしく、楽しそうに暴れまわっていたので任せることにした。
その間に私は城内の掃除をする。
この広すぎる城を綺麗に掃除するには、まだまだかかりそうだ。
額の汗を拭いながら、私は微笑んだ。
こんな何気ない日々が楽しくて仕方がない。
……ううん。本当はこれがただの問題の先送りなんだってことくらい、わかっている。
私は終わらせたくないんだ。
だってこの旅の終わりは、タイガとの別れだから……。
それからも城の掃除や周辺の庭の手入れの日々が続いた。
尤も人は慣れるもので、2週間も経つと魔法による掃除にも手慣れてきて、段々余裕が持てるようになってきた。
私は空いた時間にこの土地に生える植物について調べ始めていた。
既に食べられそうな植物を何種類か発見しいていて、お肉ばかりの食生活から野菜も取り込んだものへと変わっている。
やっぱり偏った食事はよくないもんね。
それにしても、こんなに気が休まる日々は久しぶりだ。
もちろんエンリとはエンタングルメントを通じて連絡を取り合っているので、私が無事な事はすでに伝えてある。
思えばいままで旅の間は、ずっと次の天魔戦争の事が頭から離れなくて、焦燥感に駆られていた気がする。
こうして何も考えずに、ただ穏やかなタイガとの時間を楽しめたのはいつぶりだろうか?
予定していたひと月まで、もう半分を切ってしまった。
こんな日々がずっと続けばいいのに――。
ひと月が過ぎた頃、タイガからそろそろルーヴァの城へ行かないのかと聞かれた。
予定を過ぎてからずっと避けてきた話題だったけれど、とうとう捕まってしまったのだ。
私は城の掃除がまだ残っているでしょうと、これが終わるまでとタイガを説き伏せた。
タイガの城に住み始めてから、ふた月近くが経った。
廃墟のようだったタイガの魔王城は、相変わらず人気、もとい魔物気はないものの、いまでは見違えるような姿へと変わっている。
先延ばしの言い訳に使っていた城の掃除だけど、それももう残すところあと1箇所だけになってしまった。
その掃除が終わったら……。
私は寝返りを打つと、枕元で丸くなって眠っている黒猫のタイガを見た。
次の言い訳を考えようかと思った。
でも、いつまでも問題を先延ばしにはできない……よね。
翌日、私は最後にと残しておいた玉座の間の掃除をタイガに提案した。
するとタイガの瞳があからさまに期待に輝いた。
私は苦笑いする。
私にとっては心休まる日々だったけれど、闘争を愛するタイガにとっては退屈な日々だったという事だろう。
玉座の間に着いた私達は、早速掃除を開始する。
私とタイガはそれぞれ行動を起こした。
毎日やって来た事だ。もう段取りやお互いの役割について話合う必要すらない。
私が低い場所の汚れや損傷具合を確認している間に、黒猫のタイガは空を飛んで垂れ幕を外していく。
最近では飽き飽きした様子だった城の掃除にも、今日のタイガは心なしか積極的でうれしそうだ。
そんなにルーヴァの城へ闘争を仕掛けたかったの?
やっぱり、タイガにとっては魔界で生きる方が幸せなんだよね……。
私はなるべくのんびりやったつもりなのに、玉座の間の掃除はあっと言う間に終わってしまった。
昼食を玉座の間で食べた私達は、綺麗になった玉座に座って一息ついた。
玉座から見渡す室内の景色は相変わらずだったけれど、廃墟感がなくなった分、寂しさは少し軽減されていた。
「これでいつ大魔王のタイガと謁見したいって人が現れても、恥ずかしくないね」
私は膝の上で丸くなっているタイガに言った。
「ふん。んな度胸のあるやつなんざ、いねーよ」
「そんなのわからないじゃない。いつかタイガが相手でも怯まない、強い魔族の誰かが会いに来るかもしれないよ。その時にまた廃墟みたいにボロボロだったら恥ずかしいでしょう? これからはマメに掃除して、ちゃんと綺麗にしておかなくっちゃね」
「ちっ、面倒くせー」
タイガが嫌そうな顔をする。
「あはは。確かにこれだけ広い城だもん。ひとりでやるのは大変だね。他の大魔王達はどうしてるの?」
「配下にやらせてるぜ」
そういえばラトムが連れていたのは、ルーヴァの支配地の奴隷だったっけ。
「……タイガは配下を作らないの?」
「配下にできるような知能を持ったやつがいねー」
言われてみれば確かに。
少なくともタイガの魔王城の周りでは魔物しか見た事がない。
ここは魔族が生まれない土地ってこと?
それはつまり、これからもタイガは魔王城にひとり……ということだよね。
私はタイガの小さな猫額を見下ろす。
「ねぇ、だったらさ。いっそ管理が面倒な魔王城なんて捨てて、一緒に人界で……」
急に耳を立てたタイガが立ち上がった。
「どうしたの?」
私は一点を見つめるタイガの視線を追った。
玉座から十数m離れた赤絨毯の上に、魔力が渦巻いている。
その渦の中から、紫色のロングヘアーをゆらしながらゆっくりとひとりの女性が姿を現した。
知性と品性を感じさせる上がり目と、おでこのところでピタリと揃えられた前髪、胸部が大きく開いた黒いドレスを妖艶な体で着こなすその女性の顔を見た私は、心臓が飛び出しそうになった。
「大魔王タイガ・ガルドノスの支配地では、魔族は生まれません」
肖像画からそのまま飛び出してきたような彼女は、想像と違って威圧感のない物静かな口調で言った。
タイガが女性の前に立ちはだかる様に飛び出す。
私も玉座から立ち上がって、数歩タイガを追いかけた。
「久しぶりね。1500年ぶりかしら。大魔王タイガ・ガルドノス」
大魔王ルーヴァ・ダラハネーズは、穏やかだけど冷たい微笑を、タイガと、そして私に向けた。




