魔界へ その2
ベッドから起き出た私は、黒猫のタイガを肩に乗せてエンリと一緒にダイニングへ向かった。
そこで食事を摂りながら、私が助かった経緯や、現在の天魔戦争の状況など、詳しい話をホーケンとカブトにいちゃんも交えて、エンリから話を聞かせてもらう事となった。
それで天魔戦争はどうなったかというと、実はまだ続いていた。
3日経った今でも北の大平原には沢山の魔物達がうろついていて、兵士達は休む間もなく残党狩りに奔走しているようだ。
とは言え、Aランク以上の魔物は粗方タイガが狩りつくしていたから、強力な魔導兵器をもった兵士達の優勢で討伐は進んでいるみたい。
ホーケン曰く、街の平穏が確保できるのも時間の問題だろうという話だった。
一応冒険者ギルドから魔物討伐の緊急依頼も出ているとのことだったので、話を終えた私は孤児院へ行って先生に元気な顔を見せるついでに、帰りにギルドへ寄って依頼を受ける事にした。
私がこの依頼を受けることにしたのは、みんなが住むブリトールの安全のため、というのももちろんそうだけど、もう1つ理由があった。
それはタイガのためだ。
まぁ正確には私のためでもあるんだけどね。
というのも、タイガは巨獣化して大暴れしたせいで魔力を大きく失っていたからだ。
濃密な魔素に包まれた魔界と違って、魔素から魔力を補充できない人界では、あの全力の姿を取るのはタイガにとってなかなか負担が大きかったみたい。
そんな訳で、沢山の魔物のお肉が狙いという訳なのだ。
それからというもの、毎朝ルーフィルド家の客室で目を覚ましては、エンリ達と朝食を共にしたあとタイガと2人で北の大平原へ魔物討伐へ行って、倒した魔物をその場で魔法で調理してタイガに食べさせる日々を送っていた。
そんな生活を2週間ほど過ごしていたある日、私を訪ねて王国騎士団団長のヴァンがルーフィルド家にやってきた。
ルーフィルド家の応接間を借りた私は、ヴァンとソファに座って向かい合う。
「突然の訪問、すまんな」
ヴァンは開口一番そう言った。
「ううん。それよりどうしたの? もしかして何か問題が起きたとか?」
こんな偉い人がわざわざ私の元に訪ねてくるくらいだ。
私は何か悪い事が起きたのかと思った。
ヴァンはややぎこちなく微笑むと言った。
「今のところ問題は起きていない。順調といってもいいだろう。ただ少し、お前と話がしたくてな」
そう言いながらヴァンの視線が一瞬、私の膝の上で丸くなっている黒猫のタイガに向けられる。
「私と話?」
私は固唾をのんだ。
もしかして私が大魔王のタイガを復活させた件について、王様から何か命令が来たのだろうか?
「お前も参加していると聞いたが、知っての通り魔物の残党狩りもそろそろ終わりが見えてきた。まもなく街の周辺の安全は確保できるだろう」
あれ? 違う?
「そうだね。最近はちょっと遠くまで足を伸ばさないと魔物が見つからないからね」
ヴァンはティーカップを手に取ると紅茶をひと口啜った。
「此度の天魔戦争に於ける各地の被害情報だが、軍事用の通信網を通じて続々と集まってきているのだが、正直な話、過去の歴史を振り返ってみてもこれほど被害が少なかったことは例がないだろう」
どうやらヴァンは本当にただ世間話がしたいだけみたい?
「話は聞いたよ。王都も大きな被害もなくて無事みたいだね」
王都ラザーニにも魔物の襲撃は起きていた。
いくらブリトールが砦の役割だと言っても、魔族はどうか知らないけれど魔物達にとってはそんなの関係ないからね。
ましてや広大な北の大平原に囲いなど作れるはずもない。
空を飛んで大亀裂を越えて行った魔物や、ブリトールと大亀裂の間をすり抜けて行った魔物がかなりの数いたようだ。
ルイズ曰く、王都ラザーニでは宮廷魔術師団団長のラウゼルが率いる王国軍を始め、遺跡のダンジョン目当てで逗留していた冒険者達、特に高ランク冒険者達が冒険者ギルドからの緊急依頼を受けて街の防衛に参加していたらしく、特に大きな被害が出ることなく魔物を退けられたらしい。
私が目を覚ました時には、ルイズはギルドマスターの仕事があるからと既に王都へ帰還した後だったから、これはエンリを通しての又聞きだ。
「リングイーネにもあぶれた魔物が数百ほど向かったようだが、そちらはキューチェガルからの援軍もあってなんとか守られたようだ。街の防壁や建物に多少の被害はあったようだが、ベール家からは無事との連絡を受けている」
よかった。アデネラも無事なんだね。
「ただ小さな村や町の中には壊滅した所もあったようだがな」
「……村人たちは?」
私は恐る恐る訊ねた。
「全員無事のはずだ。ルーギンス陛下の命令で、小さな町村に住まう民は最寄りの街へ事前に避難させていたはずだからな。被害は建物と畑という事だ」
「そっか、よかった」
「ルーギンス陛下が先手を打てたのも、エルガンの予言とベール家の予測があったからこそだ。天魔戦争の時期をある程度予測できていたことが大きかった。そういえばティアズもそれには貢献していたのだったな」
「少しだけね」
私は微笑む。
「王都も周辺の街も、魔物の死体の片付けや壊された防壁や建物の瓦礫の撤去を始め、街の復旧に向けてようやく動き始めたようだ」
「じゃあ、天魔戦争はもう終わったんだね」
私はほっと胸を撫でおろした。
「人里を離れ、各地に散らばった魔物の数も計り知れぬ。しばらくは魔物が引き起こすトラブルが各地で起こるだろうが、そこはこれまで通り冒険者達に適宜対処してもらうことになるだろう。戦争というレベルの戦いは終わったと言っていいかもしれぬ……だが、完全に安心するのはまだ尚早だ」
「何かあるの?」
「監視塔から『魔界の門』消滅の知らせがまだ届いていないのだ。あの門が顕現している限り、いつまた魔族軍が攻めてくるともわからぬ。それにお前からの報告を受けて気になっている事もある」
「……もしかして、魔族軍の規模が小さすぎた事?」
過去の天魔戦争の歴史を振り返ってみれば、第一波の魔物の波は大きかったものの、本隊である魔族軍2千は明らかに少なすぎる。
「そうだ。それに魔族軍の兵が非戦闘員の奴隷だったという話が本当だとすれば、あまりにも腑に落ちぬ。そもそも魔族達の狙いがわからぬ以上、議論をしても仕方がないのだが……ティアズはこれをどう思う?」
ヴァレンテイルが語ってくれた憶測が正しければ、魔族の目的は人族を滅ぼす事だ。
だとすれば確かに色々おかしい。
敵の大将は尻尾の猛毒は脅威だったけれど、魔物の格としては明らかに低かった。
非戦闘員を兵として連れてくるのも目的と真逆の行為だ。
「魔族軍2千は先兵隊で……本隊はこれから来る?」
恐る恐る私が答えるとヴァンも同じ事を考えていたのか静かに頷いた。
「とは言え、一度の天魔戦争で、魔族軍が2度に分けて魔界の門を越えて進軍してきた例は、記録に残されている限り過去にただの一度もない。杞憂であればいいのだがな……」
いままでがそうだったからといって、今回もそうだという保証はどこにもない。
それはヴァンも良く分かっているのだと思う。
ヴァンが助言を求める様に私の膝の上で丸くなっているタイガを見る。
しかしタイガは目を背けると鼻を鳴らした。
知らん、ということだろう。
「私が行って見てこようか?」
「なにっ!?」
驚いたヴァンが伏せていた顔を上げる。
「そろそろ行こうと思っていたところだったしね」
この2週間、いっぱい食べてタイガの魔力も大分戻ってきた。
魔界の門が閉じてしまったら面倒だし、丁度いい頃合いだろう。
「そろそろ行くだと? まさか……」
「うん。魔界へ」
 




