天魔戦争 その10
「何が大魔王の風格だァ! 巨獣化なんてのは、ただ躯体をデカくするだけの見せかけの力じゃねェか!」
「あんた……何を言ってるの?」
私は気が抜けるほど驚いた。
もしかしてこの大将は、大魔王の巨獣化を目の当たりにした事がない?
私でもわかるのだから、人よりも魔に敏感な魔族ならひと目でわかるはずだ。
あれはただの見せかけなんかじゃない。
巨獣化はあくまでも、解放した膨大な魔力に耐え得るように躯体を強化した結果に過ぎない。
つまり大魔王が持つ底知れないほどの膨大な魔力を、全開で扱える最終形態があの姿なんだ。
何故ならタイガは魔力の解放に合わせて体を変化させてきたからだ。
こと闘争に関して、タイガが無意味なことをする訳がない。
必要な事だからそうしてきたはずだ。
そしてタイガは魔力を魔法だけでなく、爪や牙、躯体の表皮に直接纏って身体を強化する使い方をする。
氷牙狼もそうだった。
魔に準じ、闘争を好む生粋の魔族――と、2つの事例だけで断言していいのかはわからないけれど、あえて区別するなら彼等は魔を直接自身の力へと変える術を持っている。
およそ人間にはできない魔力の特異な使い方だし、人界の魔物でもそういった魔力の使い方をする例は知らない。
だからもし魔族と魔物との明確な差を挙げるとするなら、言語を介する知能の高さと、この魔力の特別な使い方に尽きると思っていた。
だけどこの大将は、彼等と比べるとまるで魔を扱いきれていないように見える。
知能は高いけれど、魔という観点ではどちらかというと人界の魔物に近い感じだ。
「あなたはきっと、魔の深淵からほど遠い場所にいるんだね」
「この俺様が、魔から程遠い場所にいる、だと?」
図星を突いてしまったのだろうか?
魔族軍の大将の瞳が深紅に染まった。
「人族風情がァ……貴様に魔の何がわかるッ!!」
肩を震わせていた大将が激高する。
その怒声にびくりとして、魔族の兵士達は手を止めて大将を振り返った。
「確かに私は魔族じゃない。でも私は知ってるんだ。魔と溶け合って身も心も1つとなるあの感覚を……」
心の底から湧き上がる闘争と憎悪――そしてそれに呼応するように、己の限界を突破して湧き上がってくる膨大な魔力。
そこには悩みや迷いも、苦痛もない。
心の声に従って、ただ闘争という1点にのみ落ちていく……甘美な魔の深淵の味を――。
「魔力暴走を何度も経験した私にはわかる。あんたは全然魔を魔として扱えていない」
「魔力暴走を……何度もだ? 出鱈目言ってんじゃねェぜ! そいつは人族如きが一度だって辿り着ける境地じゃねェ!!」
一層強く発せられた怒声に魔族の兵士達が怯えた様に身を縮こませる。
だけど私は一切動じなかった。
彼等には観えていないものが、私にははっきりと観えている。
「怒りや憎悪を発してさえ、あんたの魔力は微塵も揺らがない。やっぱりあんたはなったことがないんだね。あの感覚を感じたことがないんだ」
「テメェ……!」
「あんたにはタイガや氷牙狼のような魔の威圧感がまるでない。知ってる? 人界には弱い犬ほどよく吼えるって言葉があるんだよ。あんたがいくら大声を出して自分を大きく見せた所で、格下は脅せても私には虚しいだけだよ」
私は声を荒げるでもなく、努めて冷静に、平坦な調子で言い切った。
ネズミ顔の大将の表情が、怒りと憎悪に大きく歪んでいく。
「気が変わったぜェ……。もう少し体力を削ってからと思ったが、テメェは今すぐ俺様の手で殺すッ!!」
「あんたが私を? へぇ。でも逃げ回ってばかりの腰抜けには無理だと思うけど?」
ダメ押しの挑発。
歪んだネズミ顔全体にくっきりと血管が浮き上がる。
「テメェら! そいつを押し潰して動きを止めろォッ!!」
「「「う……うおおおおおお!!」」」
硬直していた魔族兵達が再び動き出す。
私は柄にもなく小さく舌打ちした。
私にしては上手く演技できたと思ったのに、作戦失敗だ。
頭に血を上らせてむかってきた所を、一撃で意識を刈り取ってやるつもりだったのに!
私は範囲で『つるつるの魔法』をかけて、向かってくる魔族兵を逆さまにひっくり返した。
間髪を入れずに後ろの魔族兵達が倒れた仲間を踏みつけて押し寄せる。
私はそれらも魔法で転倒させた。
倒れた魔族兵の体が積み重なり、私を取り囲むように小さな生垣が築かれていく。
しかし2000匹の魔族兵の勢いは止まらない。
彼等は武器を手放して押し寄せてくる。
いままでは槍の間合いだけ距離感が保たれていた。
僅かながら動き回って逃げる余地があった。
だけどこうも捨て身で向かって来られては……!
いくら『つるつるの魔法』で足を止めても抗え切れない。
私はとうとう何十もの魔族兵の体の下敷きになった。
最大範囲で『超つるつるの魔法』を発動させて抗うも、範囲外の兵士達がつっかえているのか、まったく動かせない。
押し潰されて息苦しい中、少し離れたところで何かを貫く音と共に魔族兵の苦悶の大声が響いた。
「まさか……?」
私がそう思った時だった。
すぐ近くの魔族兵の絶叫と共に、下敷きになって伸び切っていた私の左腕に何かがかすめた。
間違いない。
大将の尻尾が味方の魔族兵の体ごと私を貫こうと狙ってる!
「ここまで……するの?」
沸々と怒りが湧いてくる。
「どきなさい! あんたたち、このままだとあいつに殺されるよ!」
「かもしれない。しかし命令に逆らえば確実な死が待っている。だったら少しでも生き延びられる可能性にかけるしかないんだ!」
すぐそばの魔族兵が答えた。
「なによそれぇ……!」
ふざけないで!
仲間を、命をなんだと思ってるの!?
「どいて! どきなさい!!」
魔族兵たちはもう何も答えなかった。
だけど肌に触れている部分からは、彼等が死の恐怖に震えているのが伝わってくる。
こうしている間にも、あらゆる方向から魔族兵の苦悶の絶叫が響いている。
魔族軍の大将はきっと、何百人の魔族兵が死のうとも、私を確実に殺すまで攻撃の手を止めないつもりだ。
「冗談じゃないよ……っ!」
私はこんなところで終われない。
ちゃんと無事に帰るって、エンリと約束したんだから……!
私は両目を瞑った。
意識を集中して世界を感じ取る。
私を覆いつくす魔族兵の向こうから伸びてくる、目に見えない大将の尻尾攻撃を捉える。
次の攻撃に合わせて、私は『威力を受け流す超つるつるの魔法』を放った。
続けて2度、3度、4度と尻尾が魔族兵の体を貫く前に攻撃の威力を奪い取っていく。
これくらいでいい。あまり強すぎては命を奪ってしまう。
私は目を開いた。
「ごめんね。でも……命を落とすくらいなら、大怪我の方がまだマシだから」
私は最大範囲で『超つるつるの魔法』を魔族兵達にかけると、集めた衝撃を全て解放した。
空気を揺らす重い衝撃と共に、圧し掛かっていた100を超える魔族兵が空を舞う。
「テ……テメェ!」
魔族軍の大将の顔が怒りと驚愕に染まる。
吹き飛んだ魔族兵が空から降り注ぐ中、圧迫感と息苦しさから解放された私は立ち上がった。
魔族軍の大将を真っ直ぐ睨みつける。
「あんただけは絶対に許さない!」




