運命の分岐点 その2
「ティアズ!」
私の名を叫んだエクールが駆け寄ってくる。
夢で見たのと同じ、少し青ざめた表情で――。
手が震える。急速に心臓の鼓動が早まっていく。
「エクール……ど、どうしたの? そんなに慌てて」
「天魔戦争ですわ!」
心臓が張り裂けそうなほど大きく鼓動を打った。
「貴女達が天界へ向かったあと、すぐに知らせが届いたんですの!」
膝がガクガクと震えだした。
私はよろける様に床に刺さった私の杖に縋りついた。
夢の通り、天魔戦争は始まっていた。
つまりこのままだとエンリもカブトにいちゃんも……。
そんなの絶対駄目だ!!
気を取り直した私は、力を振り絞って膝を伸ばした。
杖を引き抜いて腰のホルダーに差し込む。
「タイガ! 急いでブリトールへ向かうよ!」
仮に夢の通りなんだとしたら、いますぐに向かえばギリギリ間に合うはずだ。
タイガが私の肩から飛び降りて馬サイズへと変わる。
「お待ちなさい!」
エクールが私に小さな箱を差し出す。
「これをお持ちなさい」
「これは……」
勲章……?
「貴女に贈られるはずだった勲章ですわ。これがあれば国境を自由に渡れますの。タイガちゃんに乗って、一直線にブリトールを目指せますわ」
やっぱりあの夢は予知だったのかもしれない。
「ありがとう、エクール」
私は受け取った小箱を鞄に入れた。
それからバスケットの中から神樹の果実を取り出すと、6個あったうちの5個をタイガに食べさせた。
最後の1個は手に持って、空になったバスケットは逆さまにして鞄に押し込んだ。
タイガの背に乗る。
「ティアズ!」
エクールが神妙な面持ちで私を見上げる。
「私が貴女に言った言葉、覚えてますわね?」
「……もちろん、覚えてるよ」
「ならいいですわ。エンリの事、頼みますわ」
「うん、行ってくる!」
タイガが走り出す。
通路を走り抜けて廊下に出る。
タイガは最初に見つけた城壁の開口から外へ飛び立った。
「私の事は大丈夫だから、全速力で翔んで!」
馬サイズのタイガの全身が濃密な魔力のオーラに包まれる。
飛翔は一気に加速した。
突風だった空気の壁が、暴風の壁へと変わる。
私は振り落とされないように、すかさず『つるつるの魔法』で風を受け流し始めた。
空腹のせいで手足の力は入らないけれど、沢山寝たおかげで神力なら満たされている。
このまま一息に、ブリトールまで行く!
夢の通りならどんなに急いでも丸1日はかかるはず。
私は手に持っていた神樹の果実にかじり付いた。
胸の奥に渦巻く不安は拭えない。
その不安を跳ね除けるように、2口目は挑むように果実にかじり付いた。
口内に広がる神樹の甘い果汁と胃に落ちた瑞々しい果肉が、感情に抑圧されていた食欲を煽る。
私はあっという間に果実を平らげた。
ヴァレンテイルに迷惑をかけないように、念のため種は捨てずに鞄の中へ仕舞う。
私は絶望なんてしないし、自棄にもならないよ、エクール。
必ず間に合わせて、今度こそエンリを救ってみせるんだから!!
まる1日飛び続けて、とうとう戦火の炎が見えてくる。
神樹の果実のおかげだろうか? 夢の時より神力も気力も体力も、疲弊してはいても枯渇寸前というほど消耗してはいない。
ブリトールの街を通り過ぎて北の大平原を飛ぶ。
「タイガ、あっちへ!」
私は夢でエンリ達を見つけた場所を指し示した。
人族側の後方拠点を通り過ぎ、無数の人と魔物が犇めき合う前線の更に先へ進む。
「確か夢ではあの辺りに……」
私は目を凝らして空の上から周囲を見渡した。
「いない……どうして?」
その時、私が探していた場所とは遠く反対側で、轟音と共に見覚えのある光のドームが広がった。
「まさか――タイガ! あっちへ急いで!!」
夢と少し違ってる?
予想を裏切られて焦りはしたけれど、決して悪い事じゃない。
違うということは、変えられるということなのだから。
希望はある!
広範囲に渡って沢山の魔物達が焼き尽くされる中、彼女たちはいた。
「エンリ! カブトにいちゃん!」
隻腕のカブトにいちゃんが崩れる様に膝をついて倒れた。
気づいたエンリが振り返って、カブトにいちゃんのそばにしゃがみ込むのが見える。
夢と同じだ。
今度こそ見逃さない!
「どこ?」
今の私の魔法の射程なら、この距離でも遠隔で魔力図を破壊できるはず。
私は先行して神力の糸を伸ばしながら、周囲に倒れる魔物達を凝視する。
「どこなの?」
動いている魔物も、魔力の光も見当たらない。
そうこうしている間に、タイガが2人の近くに着地した。
私はタイガの背中から滑り降りると、エンリの元へ駆け寄った。
「エンリ! 助けに――」
私の声にエンリが驚いた様子で顔を上げた時だった。
彼女の胸を、背中から槍の先端が貫いた。
「エン……リ……?」
目の前が真っ暗になったみたいだった。
エンリの向こう、別の魔物がこちらを見て大笑いしている。
魔法じゃない……。あいつが……あいつが槍を投げたんだ……!
夢に踊らされて、魔法にばかり気にかけて……ここは敵地のど真ん中だというのに、私は……っ、視野が狭いにも程がある。
なんて愚かだったんだ……っ!
タイガが俊足で私の横をすり抜けていくと、大笑いしている魔物の首を刎ねた。
「グワアァァーーー!!」
咆哮と共にタイガが巨獣化する。
空まで届きそうな超巨体と竜の頭を持つ尾。
全身の漆黒の体毛は、膨大で濃密な魔力を帯びて揺れていた。
天魔大戦以来の、1500年ぶりの大魔王タイガ・ガルドノスの顕現。
その姿は大魔王と呼ばれるに相応しい禍々しさを纏っていた。
「ガルルルルル……」
タイガが周囲の魔物達を威嚇する。
私はよろよろとエンリの元へ歩み寄ると、崩れる様に膝からへたりこんだ。
「エンリ……っ」
「ティア……ゲホッ、ケホッ」
咳と共に吐き出された血が飛び散る。
槍は完全に彼女の胸のやや左側を貫いていた。
血を吐いたということは、肺は確実に貫かれているということだ。
そして位置的に心臓も傷つけられている可能性が高い。
どうみても致命傷だった。
私はまた……エンリを助けられなかった……!
私はエンリの上体をゆっくりと、やさしく抱き上げた。
「来て……しまったんですね。はぁ……はぁ……それに……タイガちゃん……のっ……ケホッ、ケホッ!」
「しゃべらないで! く……うぅッ、エンリぃ……」
悔しさと悲しさで視界が曇る。
どうしてもっと広い視点で見られなかったのか!
なんだっていつも手遅れになってから気づくんだっ!!
「はぁ……はぁ……。ああ……、見えます……ふふ……ふ。やっぱり……ティアは天使ケホッ。ゲホッ! ……はぁッ……はぁッ……だったんですね」
虚ろなエンリの視線が私の頭上を見ている。
「うぅ……エンリぃ!!」
「最後に……会えて……よか…………」
エンリの瞳から光が消えていく。
「いやだ! いやだよ。死んじゃやだよぉ……!!」
私の腕を押さえていたエンリの手が、するりと地面に落ちた。
「うわあああああああああ~~~~~~!!!!」
私は天を仰いで泣き叫んだ。
運命は変えられなかった。
目の前の事に盲目になって……!
人とは違う神力を持っているからって、結局私は凡庸でしかなかったんだ。
大切な人ひとり守れない、無力な人間だった……!
エクールの顔が浮かぶ。
こんなことになってしまって……頼るっていったって誰に何を頼れるというの?
もうどうしたらいいのかもわからない。
無理だよ。
「ふん。いつまでそうしてるつもりだ?」
びくりと全身が震えた。
タイガはこちらを振り返らない。
「やめて……」
お願いだから、その先を言わないで……タイガ!




