予兆 その1
大天使達が最後の封印を解くために解除魔法を使い始めてから数分が経過した。
彼等は解除魔法に必死に天力を注ぎ続けているけれど、元の封印魔法の方はというと変化は見られない。
私はエンドイルの顔をそっと盗み見た。
彼は特に慌てる様子もなく、落ち着いた眼差しで大天使達の封印解除を見守っている。
ひょっとして解除には時間がかかるのかな?
「あの……」
「なんだ」
背の高いエンドイルが私を見下ろす。
「ヴァレンテイルから聞いたんだけど、あなたには天使の血筋がわかるって……」
「それがどうした?」
エンドイルが愛想のない表情で答える。
「私は……ルーヴァの血筋なの?」
ぐっと見つめる私に、エンドイルは少し間を置いてから口を開いた。
「お前がその答えを求めるならば、ルーヴァに問うがいい。言えるのはそれだけだ」
それ以上話をするつもりはないのか、エンドイルはまた封印の方を向いてしまった。
それから気まずい沈黙が30分ほど流れた。
相変わらず封印の魔力図に変化はない。
「解除ってどれくらいかかるの?」
しびれを切らした私は、ヴァレンテイルに小声で訊ねた。
「ゆっくりと3日はかけて解く事になっている」
3日!?
私は心の中で叫んだ。
目の前にゴールがあると言うのに、3日もただじっと待っているなんてあんまりだ。
「それも神様の言いつけなの?」
少し意地の悪い言い方になってしまった。
だけどヴァレンテイルは気にも留めない様子で短く答えた。
「そうだ」
まるで他人事みたいだ。
彼女たちは神様の僕で、ただ言われたことに従っているだけ……。
私はタイガの最後の封印を観る。
だけど私は違う。
神様とか伝承とか、運命だとか、そんなのどうでもいい。
私はタイガを完全復活させて、1日でも早くエンリの元へ帰りたいんだ。
もう心配しなくてもいいんだよって、安心させてあげたい。
3日もなんて待ってられないよ。
私は小さく息をつくと、封印の魔力図へ向かって歩き出した。
「ん? なにをするつもりだ!」
背後からエンドイルの声がする。
「3日もかけなくても、私がやればすぐに解けるよ」
私は振り返ってそう言うと、封印の魔力図の端を握りしめた。
「やめ……!」
エンドイルの制止を無視して一気に引き千切る。
次の瞬間、冷たさを感じる澄んだ音が辺りに響くと同時に、巨大な金色の魔力図は粉々に砕け散った。
それと同時に、嵐のように大きく膨れ上がった濃密な魔力が私を包み込んだ。
漆黒の魔力が私の視界を塞ぐ。
急に強烈な眩暈が襲って来て、私は天地もわからない闇の中で倒れた。
「なんということだ! 全員でこの者の魔を抑えるぞ! 急げ!!」
遠くの方でエンドイルの焦った叫び声が聞こえる。
慌ただしい気配が私を取り囲んでいるような気がする。
身体が動かない。
こんなこといままではなかったのに、一体私はどうなって……。
水面に浮かんでいるようにゆらゆらと頭の中が揺れる中、私の意識はぷつりと途絶えた――。
あれから1週間も寝込んでしまったけれど、私は遂にやり遂げた。
タイガの完全復活!
これでエンリを助けることができるんだ!
達成感と喜びの中、食事をいただいてから私達は人界へ戻ってきた。
エンジュリオの王城、天界の門へ戻ってきた私達を、エクールが出迎えてくれた。
「あれ? もしかして待っててくれたの?」
呑気に私が訊ねると、エクールは焦ったように言った。
「天魔戦争ですわ!」
「え!?」
「貴女達が天界へ向かったあと、すぐに知らせが届いたんですの!」
「どいういうこと? って、それよりいつ始まるの!」
「いつではありませんわ。もう始まってるんですの!」
私は慌てて鞄からエンタングルメントを取り出した。
そこには寝起きで確認したときと変わらず、”元気です”のマークが描かれているだけだ。
「そんな……エンリ?」
約束したのに……まさかエンリは私に監視塔からの連絡を教えてくれなかった……?
私は床に刺さった私の杖を引き抜いた。
「タイガ! 急いでブリトールへ向かうよ!」
「お待ちなさい!」
走り出した私達をエクールが呼び止めた。
「これをお持ちなさい」
そういってエクールは小さな箱を差し出した。
「これは?」
「貴女に贈られるはずだった勲章ですわ。これがあれば国境を自由に渡れますの。タイガちゃんに乗って、一直線にブリトールを目指せますわ」
「エクール……ありがとう!」
私は小箱を受け取って鞄に入れると走り出した。
「ティア! 気を付けて。エンリの事を頼みますわ!」
「うん!」
馬サイズのタイガの背に乗って、城の窓から空へ飛び立つ。
完全復活したタイガの飛翔速度は私の想像を超えて速かった。
普通なら馬で1ヵ月以上かかる距離だ。
ショートカットが出来るとは言っても、それなりに時間はかかるはず。
私は『つるつるの魔法』で空気抵抗を少しでも和らげて、タイガの飛翔を補助し続けた。
まる1日以上飛び続けて私の神力が尽きかけた頃、戦火の炎が見えてくるとブリトールはすぐに視認できた。
「エンリ……無事でいて!」
焦る心を抑えながらブリトールを通過し、戦場の最前線へと向かう。
眼下では魔導兵器を手にした兵士達が、無数の魔物達との交戦を続けている。
空を飛ぶ魔物達の中を潜り抜け、最前線まで辿り着く――だけどここまでエンリの姿は見当たらなかった。
戦場は北の大平原に広範囲に広がっている。
見逃している可能性がないとは言い切れない。
焦りが募る。
「どこなの? エンリ!」
その時、敵陣の更に奥の方で、眩い光が大地を覆った。
まるで天力に浄化されたかのように、広範囲に渡って沢山の魔物達が焼き尽くされる。
その中心に、見知った2人の人物が背中合わせに立っていた。
「エンリ! カブトにいちゃん!」
隻腕のカブトにいちゃんが崩れる様に膝をついて倒れた。
気づいたエンリが振り返って、カブトにいちゃんのそばにしゃがみ込むのが見える。
ルーフィルド家に伝わる特級魔法は、術者とその周囲にいる者の生命力を魔力へ変えて魔法を発動する。
紫丁香花の騎士がカブトにいちゃん一人だけなんてありえない。
きっと他の紫丁香花の騎士達はもう……そして今、カブトにいちゃんも……?
そんなの嫌だ!
「タイガ、あそこを目指して! 急いで!!」
私の視線はエンリとカブトにいちゃんに釘付けだった。
だから見逃していた。
エンリの魔法で息絶えていたと思っていた魔物の1匹が、魔力図を構築し、エンリを背後から狙っていた事に。
魔法の発動の光に気づいた時には、もう手遅れだった。
ゆっくりと流れる時間の中で、意識に身体が追いついてこなかった。
私は魔力図から射出された石の棘が、私の目の前でエンリの身体を貫くのを、ただじっと見ているしかできなかった。
「エンリ!!!!」
タイガの背中から飛び降りた私は、落下の衝撃を魔法で受け流すと2人の元へ駆け寄った。
全身傷だらけのカブトにいちゃんは意識がないのか、白目をむいていて息も絶え絶えだった。
そしてエンリは……。
私はエンリの背中を抱き上げた。
「は……ッ、はぁっ……うそだ。こんなこと!」
目の前の惨状に呼吸が乱れる。
疲労と過呼吸の眩暈に頭がグラつく。
心臓は張り裂けそうなほど脈打っている。
だけど頭は冷水を浴びた様に冷ややかだった。
彼女の胸に空いた大穴は、医者じゃなくてもわかる致命傷だった。
例えここが天魔戦争中で、最前線でなかったとしても、手の施しようのない深手だった。
両目に溜まった涙に歪む視界で、私はエンリを見下ろした。
「はぁ……はぁ……」
弱々しく苦しそうなエンリの息遣いが私の胸に伝わってくる。
抱きしめる私の腕を伝って温かいものが太ももへと流れて、へたりこんだ私の両足を濡らしていた。
「どうして……っ、どうして知らせてくれなかったの。知らせてくれたら、私……っ!」
薄目を開けて私の顔を見たエンリは一瞬驚いた表情を見せると、弱々しく微笑んだ。
「ティアには……はぁ……はぁ……生きていて……欲しかったんです……」
「エンリのばか……っ! そんなことされても、私はうれしくないよ!」
「ケホッ、カフッ!」
咳き込んだエンリの口から大量の血が飛び散った。
「エンリ!」
「やっぱり……怒られてしまい……ました。カブトさんの……ケホッ、言っていた通りです。ふふ……ふ……」
再びエンリが苦しそうに咳き込む。
吐き出された血が彼女のブラウスを赤く染めていった。
「はぁッ、はぁッ、ティアには……っ……未来があるんです……本当のご両親にも……会わなきゃなんです。それ……なのに、私のために、っゲホッ、ケホッ」
「お願いだからもうしゃべらないで! 大丈夫だから、きっとなんとかして助けるから!!」
何か手は! 本当に何もないの!?
「そうだっ、タイガ! 魔力を貸して!!」
私はタイガの魔力を操ると、ルティが私に使った治癒魔法の魔力図を描いた。
「これで治癒できるはず……!」
私は魔法を発動させた。
しかし魔力図は発動の光を放たなかった。




