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そこにくるみの木があったから  作者: タラ吉の助
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父逝く

前書きあり

父が逝ってしまいました。       自分の死より、想像できなかった。    一番長い付き合いの人。         生まれてからずっと側にいた人。      酒ぐせは悪かったが、私と同じ、くだらいない事も好きだった。        何十年か前、税金逃れに竹やぶに1億円以上捨てた男性がインタビューを受けていたのを、テレビで見て、その人が、デスクに大きなお茶飲み茶碗を見て、俺はそれより大きな物を作ってやるといって、付き合いのある備前焼の釜元に大きいお茶飲み茶碗を作らせた。下の壺部分はすぐ出来たのだが、ふたがどうしても難しいとか、釜元が家に来てはこれで勘弁してほしいと、けやきのふたを作ってきたが、だめだ。ふたも備前焼でないと、と無理難題。その釜元が私に        「ふたは薄くなくてはならないが、薄いと火を入れると割れるんですよ」    と、あなたからも言って下さいよ。的な雰囲気で言われた。が、父の意志は堅く、しかしなんとかふたも焼き上がりなんとか竹やぶ1億円社長のマネをする事が出来た。           なんと、そのお茶飲み茶碗は、1升入るのだから、茶碗と言うより壺だった。それが茶の間のテーブルに鎮座しているから、家に来た人はそれをツッコまずにはいられなかった。        そんな父も80を過ぎた頃から、大好きなUFOやインスタントラーメンも完食する事も減り。亡くなる2年前には酒も止めさせた。かかりつけの医師から酒を探して飲もうとしないかと聞かれたが、すんなりと止めてくれた。     しかし、それからすぐ、食も減り、逆流性食道炎や、夜間頻尿など、この歳にしては、血圧、糖尿の薬など一切なかった人が、あれよあれよという間にいろいろ薬が増えた。         1年くらい前から、急に熱がでる。      予告なく、ガタガタと身体が震えだし熱を測ると、38度とか。        本人いわく、少しもしんどくないそうで、病名は肺炎。長らくの喫煙の影響もあるのだが、それが段々と誤嚥性肺炎へと変わっていった。          発熱は薬ですぐ治まるのだが、肺炎の薬の副反応で下痢をする。        かかりつけの医院で点滴でもと思い、相談に行ったら、総合病院に入院するよう言われた。家に帰ると、父はパンとコーヒーでいつも通り遅い朝食だった。                  「先生が総合病院に行きなさいって」  こうやって、ゆっくりだけど自分でごはんもたべてるのに。          父は黙って私に従った。          ずっと、私の言う事は従ってくれていた。自分の身体が弱っていると自覚はあったと思う。             食が細くなり、私が無理矢理口に入れる                    「あと、一口」               「もう、いらない」            食べないと死ぬよ!の私の言葉に      「せいせいする」と投げ捨てるように言った。もう飲み込む力がなくなっていた。                  総合病院の内科の医師から        「人が口から食べ物を入れられないていう事は、今の身体の役目は終わったという事なんだと思う」と。        父の場合、誤嚥性肺炎以外の症状はなく、老衰なんですよ。とも言われた。   病院ではいろいろ手をつくしてくれた。何度か口にゼリーを入れてもらったが、飲み込めない為、その度に吸引や口の中をキレイに拭いたり。     「本人も大変なんです。」        それを聞いて、諦めもついた。      亡くなるまで、何回か面会出来た。     入院後、初めての面会の時、医師の前で「1人しか生まれかった。この子1人なんだと」泣きながら言っていた。    私も泣きながら、愛おしく父の髪を撫で、肩を触った。            亡くなる前日、ひ孫にも会え、孫には「お前も、ぼちぼち頑張れよ」と声をかけた。                次の朝、6時に血圧が下がりましたの病院からの連絡。急な様子はなかったが10時に家を出る直前、病院からのすぐ来て下さいに、母と急いだ。   病院では個室に変わっていた。      まっすぐ上を向いて、両手はお腹の上で重ねられていた。   

孫夫婦、ひ孫、私の主人、母。       みんないたが、意識はなく、眠っていた。息も浅くなく、深くもなく。      私は父の手を握っていたが、全く動く事はなかった。           

母と2人になった個室で、7時15分頃、ナースステーションから看護師が入って来て、父の首を触り、手首を触りながら、       

「もう、止まるよ」と静かに言われ、えっと顔を見た時なのか、息を引き取った。       

いろいろな人の臨床に立ち会ったが、苦しまず、眠るように。        こんな死に方見た事なかった。      父は両親の介護を悔いなくして来た甲斐だ。                 父の葬儀前、近所で1人暮らしの女の人が、父から            「おじさんが、見てるから安心しなよ。」って声をかけてもらったとか。   その人は、親戚もなく1人暮らし。    私の家から家の灯りも見える。       夜勤の仕事をしているから、灯りが点かないと、私家族で勝手な心配をしていたものだ。私より1歳下なので父も気にかけていたんだろう。       亡くなったあと、そんな父のエピソードに触れて、やはり酒ぐせは悪かったが、下の者から慕われていたし、女、子供には優しい父だった。    花木や動物も好きで、毎年やってくるツバメは特に大事にしていた。     ここ何年も巣を作りに来なかったが、ひにくにも、今年は巣を作り、卵もふかした。入院中の父に伝えると、喜んでいた。

後書きあり

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