鎖国子女
父は酒ぐせが悪かった。私は母のスナックも手伝う事もあったので、相当の酒ぐせを見てきたが、父はかなりクセが強かった。人の感情として(喜)(怒)(喜)(楽)がある。(喜)いい事。結婚が決まった。子供が生まれた。うれしい事があると報告がてら店に呑みに来てみんなと喜びをわかちあう人。(怒)ニュースを見て腹が立ったと店に呑みに来て、他の客に靴を投げていた人。(哀)離婚して別れた妻が子供を連れて出て、子供に会えないと泣く人。(楽)とにかく楽しい。酒を呑んでいて楽しくて仕方ないとピョンピョン跳ねていた人。いろんなクセのある人がいたが、父はどれにも属さない。呑むとどうなるか、他人をののしる事だった。基本家で一人呑み。茶の間で日本酒をちびちびとなめるように。1合ほど呑むとぽつりぽつりとつぶやく。汚い方言で、言われる「馬鹿が」。みたいな単語から始まる。母の兄弟。母の連れ子。その人達の生活態度が気に入らないと。ずっと独り言で、何故自分が気に入らないかを解説している。時には独り言ではあきたらず、本人に電話をして説教をする始末。もちろん電話は切られる。「チッ、バカヤローが」こんな汚い言葉の方言で。父は自分が成功者だと自賛する。そして何故か小学生の私をののしる事も。「お前、俺のように出世できるのか?できないだろうな、何故ならお前つまらない人間だからだ。」何をさせても駄目な人間。酒を呑むといつも言われていた。憎かった。死ねばいいのに。殺してやりたい。私や母をののしる口を封じたい。息のねを止めてやりたい。そんな感情がわいていた。小さい子どもながら。しかしこれが次の日にはころっと変わる。「俺、そんな事言ったか?」「言っていない。そんな事言うわけないだろう。」半分怒るように。母と二人で言われ言葉など言っても、カセットに声を録音しても、真顔で否定する始末。自分の声なのに。まったく二度腹を立てさせられる。その日は母と説教。その日はおとなしく酒を呑む。次の日はちょっとあやしい。三日目には四日前と同じ光景。どうしてうちはこんなにゴタゴタが絶えないんだろう。たったの三人家族なのに。ごはんを食べるようにお酒を呑んでくれたらいいのに。日替わりで気になる対象が替わる。急に教育パパにもなる。「今、国語で習っている所を出せ」おもむろにに言われる。父が読んで文章に使われている漢字を書かせる。どんなに簡単な漢字でも。一度私が漢字を書けなくてひどく叱られたが、たいがいは父が漢字を読めなくてゲームセット。五行くらいでそのスパルタ教育は終了。それ以外にも他の親が教えてくれないような事を教えてくれた。「親苦労、子楽、孫ベェ」とゆう言葉。親が築き上げたもので子供が楽をしてそれを見た孫がうちは頑張らなくていんだと思い努力せず財産を潰す、といった話。金持ちは三代続かないといった話。だから私の代になった時の事まで気にかけていた。その他に 人を見たら泥棒と思え。借金の保証人になるな。若い男の車に乗るな、格好つけてスピードを出して危険だから。強姦にあったら抵抗するな。あとで仕返ししてやる。抵抗して殺されるのだけは避けろ。しかしこんな田舎でそんな事現実にあるのだろうか。登下校だって一人になる事もほとんどないし、移動だって親の車だし。子供ながらピンと来なかったがちょっと気持ち悪い経験をした。その日はいつもの母の兄の所へ遊びに行っていた。母と兄嫁は花札をしていて、私と三歳年下の女の子Lといつものように近くの商店にお菓子を買いに出掛けた。犬も連れて。しかしいつもの商店が閉まっていて、少し遠いけど駅前の商店に行った。川沿いの真っ直ぐの道は車がすれ違うには少し狭いがそれなりに人通りはあった。少し歩くと白い乗用車が止まっていて、通り過ぎようとした時「すいません。」男の人の声に振り向いた。「あなた中学生?」「いいえ、小学生です」私は小学五年生だった。男の人は運転席に座っていた。四十才くらい。「小学生かぁ、この近くの病院を教えてほしんだけど」と言われ、私が「この辺りに住んでいないのでわかりません。」と言うと、おじさんは、「地図があるから見てほしい」と、いって太もも辺りの沢山のティッシュを両手でモシャモシャしていた。「ちょっと見てほしんだ。」と、言いながら。するとティッシュの隙間から局部が出てきた。私はハッとして後退りした。「どうしよう、ミルクみたいなのが出てくるんだ」と、「なんでだろー病院に行きたいんだけど」と、切羽詰まったような言い方で。私はLの手と犬のひもをギュっと握って足ばやに逃げた。「おっちゃんち〇ち〇出してた」Lがいった。「誰にも言っちゃ駄目だよ」私はおおごとになるのが面倒だった。その後犬が嘔吐した。「犬も気持ち悪かったんだね」Lが無邪気に言った。この時は一人ではなかったし、そこそこ大きくなっていたから怖いと思わなかったが、小学低学年の時母のお姉さんの所に一人泊まりに行っていた時の事、おばさんの家から100メートルほど離れた所に私の服を縫ってくれるおばさんがいてその家からの帰り歩いていると、車が私のすぐ横で止まった。車の窓が開いていて運転手のおじさんと目があった。おじさんは私を見てニヤッとした。その時期学校の先生から緑色の不審な車の情報を聞いていて、まさに緑色の車だった。私は足が震えた。「どーしよ、逃げなきゃ。どっちに逃げる。一瞬考えた。そうだ、服を縫ってくれるおばさんんちには、庭にそこのおじいさんのいた。最悪おじいさんの姿が見えたら」と、思い後帰りした。庭にいたおじいさんはどうした?とゆう表情で私を見たので、「また、きたぁ」と、ごまかした。事件に巻き込まれる時ってこんな日常の隙間にあるのだと思った。父の話は現実的だと感じた。酒ぐせは悪いがたまに的を獲ている。そして酒を呑まなかったらなかなかのジェントルマンだ。私が独身の時父と買い物に行っても荷物はすべて父が持つ。「お前はバッグだけ持ってろ」広いショッピングモールの駐車場も私と母を入口で車から降ろし父は遠く離れた場所に車を止めて一人歩いてくる。帰りは一人歩いて車を取りに行き私達を入口で乗せてくれる。気前もいい。私は結婚するまで自分の車にガソリンを入れた事がなかった。いつも父が満タンにしていてくれた。私の新婚旅行には新しく口座をつくり小遣いだといって50万円振り込んでくれた。私が小学校低学年の時近くのスーパーで土曜夜市があり父と行った時金魚すくいをしようとゆう事になったのだがお金ではなくスーパーで買い物をして貰えるチケットが必要だった。いくらか買い物をして金魚すくいをした。だが低学年だしめったにやった事もなく金魚をすくう事ができなくまた買い物をする事に。「くるみちゃん、ほしいオモチャ買え」「やったー」いくつか買ってまた金魚すくいをした。まだ取れない。そしてまたオモチャ売り場に。「他にほしい物ないか」私は高くて遠慮していたキャンディキャンディのキャンディが持っていたボストンバッグの子供用バッグを指さし、「あれ」と言ったら父はほいっと買ってくれた。また金魚すくい。そしてまたオモチャ売り場。さすがに私は何もいらないと言ったが父はチケットが欲しかったらしく「あのライフルのエアガン格好いいな」といってちゃっちゃっと買ってまた金魚すくい。この親子スーパーの思うツボ。いいカモだ。結局三匹くらい持って帰った。「アイスクリームを買って来たぞ」と、言えば50個くらい買って帰る。そんな感じでお酒を呑まなかったら結構面白い父だった。父の子供の頃の夢はパイロット。本人いわく家庭の事情で東大に行けなかったらしい。絶対婿取りの私がお嫁に行っていい相手の職業は医師か弁護士。今だかつて目の前に弁護士が出現した事はない。しかしなかなか酒ぐせは悪いままだった。私が高校生になっても。ある日学校から帰ると、庭先にいろんなものが散乱していた。家に入ると茶の間で酒を呑んでいる父の回りにもいろんなものが散乱していてテレビには生玉子が投げられていた。「もー何してるの!」と、私。「だって、お父ちゃんが!」と母。いつもの夫婦げんかだ。父は母に手をあげた事はない。私にはあるけど。そんな父も怒鳴りながら拳をあげるしぐさをすれば母は怖くて「ぎゃー」と、叫びながらピッチングマシンのように手当たり次第回りの物を投げる。「茶器は投げるな!それ私の物!」と、私が叫ぶ。「あなた達、何歳だと思っているの!私も高校生だよ。いい加減やめたら?」何度この光景をみただろうか。しかしそんな父も心を入れ替える時がきた。私の結婚だ。念願の婿取り。私は父の言い付けを守り、高校だけは卒業して、家に残り、父が用意してくれた喫茶店をして、父の言う通り五年は店をして結婚した。どこにも出ていないので結婚相手も地元の人。すべて20キロ圏内で用を済ませてしまった。まったくの鎖国子女だ。大変だ。今まで三人好き勝手に暮らしてきたから。そこに他人が入る。しかも相手は私の一番の結婚条件「酒を呑まない人」なのだから。父は少し真面目に酒を呑んでくれるようになった。そして呑みながら私をののしっていたが、私が子供を生むと、「お前は、よくやった。」とつぶやくようになった。




