とある市場の浮浪児事情
朝方に寝て、起きたら一日が終わりかけているという怪奇現象に見舞われた俺は、ハンナに呆れられながらユーリエが用意してくれた夕食を、離れのリビングで全員揃って食べていた。
これから全員で風呂に入り、今日は早めに寝るつもりである。
「まったく、いくら何でも夕方まで寝てるなんて、だらけすぎじゃ無いのかい?」
ハンナは手厳しいが、さすがに自分でも寝過ぎたなという反省はある。俺はごまかすように頭を掻き、無理矢理に話題転換を図った。
「明日は、いつも通りの営業スケジュールで良いんですよね? 在庫が殆ど無いので、早めに仕入れに行ってきますよ」
「そうだね、そうしようか。しばらく店を空けていたから、明日は豪華にサービスしようかね」
ハンナはミエミエなのは承知で、話題転換に乗ってくれるようだ。業務に関係する話題だったからだろう。
「解りました。何か考えてみます」
俺はハンナにそう答え、幾つかのメニューを脳裏に浮かべる。何を出すかは手に入る素材次第になる。
その後は和気藹々とした団欒の時を過ごし、交代で風呂に入ってから、魔術の研究もせずに寝たのだった。
翌朝、久し振りの市場に出向いた俺は、旅行に出るために空にした食材の補充をするため市場を見て回り、良さそうな食材を積極的に購入して回っていた。
「ウートさん、ウートさん、人参と蕪菁とキャベツと玉葱買って~」
八百屋の看板娘ヤネットが、いつもの調子で声をかけてくる。彼女は小麦色に日焼けした肌に、麦わら帽子を被り、いつも市場で元気な声を張り上げている。
俺は常連客の一人で、ひときわ愛想良く対応してくれるので、通りがかればいつも何かしら購入するのが常であった。
「ああ、一箱ずつ貰うよ。何時ものように、後で届けてくれるか?」
「ありがと~。まいどあり~です~。お届けしておきますね~」
俺は何時も元気で明るいヤネットに、ニッコリと微笑みかけられながらその場で代金を支払い、次の仕入れ先に向かおうとしていた。
「ドロボー!!! 誰か、誰か捕まえとくれ!」
その時市場に、大きな声が響き渡る。
その声に釣られるように振り向いた俺だったが、その直後正面からすぐ脇をすり抜けるようにして、小さな影が走り抜けていった。
すぐに振り返って、その影の姿を追ったが、既に人混みに紛れて見つけることは出来なかった。
「この街で、あんな真似して大丈夫なのか?」
俺は驚いたようにヤネットに尋ねた。
「ああ、ウートさんは知らないのか~。四日位前からかなあ、急に現れるようになったんだよ~。大人の人たちは、多分よそ者が流れてきて近くに住み着いたんだろうって、話してたよ~」
ヤネットは、しばらく街を離れていた俺に、最新の情報を教えてくれる。
こうした情報は非常に重要な意味を持つことがあるので積極的な収集が必要だし、噂話を挟んだコミュニケーションの意味も有り、俺は重要視している。まあ、ただの噂好きとも言えるが。
「私の見たところ~、多分子供だと思うんだよね~。ちょっと可哀想だな~、と思ってるんだけど、大人達はカンカンでね~、捕まえて痛い目に遭わせるとか言ってる人もいるんだよ~」
多少の同情を声色に滲ませ、ヤネットは伏し目がちに言った。まだ十四歳で、盗みを働いているであろう子供と歳が近いだけに、自らの境遇と照らして同情論が湧くのかも知れない。もしくは、彼女が優しいからなのだろう。
「そんな事件が起こっていたのか、教えてくれてありがとう。ついでで悪いんだけどさ、被害に遭った人がどのくらい居て、金額が幾らになるのか『町会』に報告するよう、大人達に話しておいてくれないか?」
俺の言葉に、ヤネットは期待を込めた眼差しで微笑みを浮かべ、力強く頷いた。
「うん。任せて~、必ず伝えるから~」
「頼んだよ」
俺はそう伝えて、酒場に戻っていった。
その夜酒場には、ここ数日の被害状況がほぼ揃っていた。
被害が発生したのはヤネットが話してくれたとおり四日前からで、主に食料品が狙われているらしい。
それ以外が狙われた形跡が無く、どうやら飢えを凌ぐための犯行らしいと思われた。金額についても、今のところ総額で銀貨一枚程度ということで、それ程多くはない。
「おい、ウート。こんな情報集めてどうするつもりだ? 兵士に知らせるのか?」
マルセロが集めた情報を俺に伝えた後、怪訝そうに聞いてきた。俺としてはまだ、具体的な方針を決定していないが、相手が子供なのであれば、危険な事態になる前に何らかの手を打つべきだと、考えていた。
「俺の方から兵士に告げるなんて事はしませんよ。直接被害に遭った訳でもありませんしね。ですが事態を把握する必要を感じたと言いますか、居なかったときに起こった事件ですからね、情報収集の意味合いが強いです」
俺は、現時点でノープランなことを伝える。
「俺の方にも噂は入って来ているんだが、まだ具体的な方針決定までには至っていない。だが、放置も出来んのでな、近く捕縛に動こうかとしていたところだな」
『町会』メンバーの一人で、市場を統括しているボルツが真剣な口調で話してくれる。
「相手の情報について、何か具体的な特徴は聞いていますか? ヤネットの話では子供じゃないかと言うんですが」
「ああ、そうみたいだ。恐ろしくすばしっこくて、足が速い。大人じゃ捕まえられないだろうな。捕まえようと思ったら、住処を押さえて、人数出して包囲しないと無理だろうよ」
「まだ子供なんだろう? 何とか穏便に済ましてやれないのかい?」
俺たちの会話に、ハンナが心配そうに割り込んでくる。
俺たちの話を後ろで聞いていたらしいユーリエも、ハンナに賛成のようで、ハンナの言葉に合わせて何度も頷いている。
「そうは言うが、盗みは重罪だ。俺だって何とかしてやりたい気持ちはあるが、甘すぎては他に示しがつかなくなる。そいつは困るんだよ・・・・・・」
ボルツの言葉にも、沈痛な響きが籠もる。誰だって子供を傷つけたくは無いのだ。
「ハンナさんさえ良ければ、この店で面倒を見てやってもいいかなと、俺は考えているんですが。もちろん、本人の性根を見てからにはなりますがね」
俺は考えていたことを、全体に相談するつもりで話す。
「そうだねえ・・・・・・。まだ、子供一人ぐらいならどうとでもなるし、行く当てが決まるまで面倒見るぐらいならかまわないよ」
同情していたところも有り、ハンナは大らかなところを見せる。
「じゃあ、決まりですね。ボルツさん、この件はこっちで引き取りたいので、被害額の保証も、最終的には本人に弁済させますが、一旦はこちらで面倒見ます。その旨市場の人たちへの伝達をお願いします。それと、俺がいいと言うまでは泳がせて貰えますか、もちろんその間の被害も面倒見ますので」
「ああ、任せておいてくれ、俺としても一番ありがたい解決方法だからな」
俺の言葉に、ボルツは嬉しそうに同意し、その場は纏まったのだった。
次の日、俺は仕入れをハンナにお願いして、自室に鍵をかけて籠っていた。
前日現場を目撃していた俺は、自分の足では対象を捕縛することは出来ないだろうと、考えていた。
そうなると、一番いいのは逃げられない場所に追い込むか、寝ているところを急襲するか、いずれにしても対象の動きを理解し、行動を把握する必要がある。
それには偵察というか、観察を行う必要がある。そして俺にはその為の最強のツールが存在するのだ。そう、『千里眼の水晶』である。
俺は水晶を取り出し、右手を掴むように載せて目を閉じた。
見ようと思うイメージに従い、目を閉じた侭の視界にクリアな映像が浮かぶ。そのまま「市場へ移動しよう」と考えた時には、俺がイメージしていた視点の市場の映像に切り替わっている。わざわざ視点を移動していかなくても、場所に対する鮮明なイメージがあれば瞬時に切り替えられるらしい。非常に便利な機能である。
イメージしていた通りの市場を見下ろす視点を調整して、対象の探索に移る。この視点なら、どれだけ早く逃げたとしても、見逃すことはない。
俺は不審な人物、特に背の低い対象を探そうとするが、特に違和感のある対象を見つけることは出来ない。多分、うまく紛れ込んでいるのだろうなと、さらに視点を上昇させて異変に備えた。
それが起こったのは、三十分ほどそうした状態で待機していた時だ。
町の一角で人々が急に立ち止まり、辺りをキョロキョロ見るような不審な動作が見て取れる。音は聞こえないが、何やら騒ぎが起こったことが一目瞭然だ。
騒ぎの中心は、自家製のパンを売る屋台らしい。街のパン屋ではなく、周辺の農家が自家製パンを売りに来ている屋台だ。
視点をその辺りに移すと、走り抜けていく小さな影が見える。
上から見ていても、感心するほどに早い。この動きは、早いだけではなく、周囲の状況を瞬時に判断し、動きを先読みしなければ出来ない芸当だろう。
小さな人影は、人込みを縫うように抜けると、素早く路地裏に飛び込んで、感心するほど堂々と歩き始めた。
盗んだものは、被っているフード付のボロボロなローブの下にでも隠したのか、一見しただけでは所持しているかどうかわからない。
俺は視点を移動し、正面からローブを覗き込んでみる。そこに映ったのは、まだ顔つきにあどけなさを残す、十歳前後の少年であった。
(嫌な目付きをしているな)
俺は、思わずそういった感想を抱く。
少年の目付きには、その歳の少年には到底似つかわしくない猜疑と恨みの感情がこもり、周囲を油断なく見渡している。
少年はほとんど黒に近いブラウンの髪と、比較的明るいブラウンの瞳をしているが、顔だちは堀が深い西洋人的特徴を備えており、今は過酷な生活を物語るように頬がこけている。
身体つきも全体的に細く、服を脱がせればあばら骨が浮いていそうな身体つきだが、動きはその分シャープで、先ほどの逃走劇を見ただけでも、潜在力の高さが伺い知れた。
少年は油断なく、足早に街の外へと向かっている。時折周囲を伺い、警戒しているところを見ても、その用心深さが伺い知れる。
(ん~これは、生粋の盗賊かな? そうなると、更生させるのは無理かもしれないな・・・・・・)
食料品ばかりを狙う手口から、子供が食い扶持を稼ぐために犯行を重ねていると予想していた俺は、当てが外れて頭を抱えそうになる。盗みを当然の事として、罪悪感を覚えずに行っているとしたら、反省など求めても反発されるだけだろう。少なくとも、俺には更生させる自信など皆無だった。
しかし、一旦は引き受けた仕事でもある。簡単に諦める訳には行かないだろうし、少なくとも住処を突き止める必要がある。俺はそう思って、少年の観察を続けることにした。
少年はやがて、街の南に位置する街はずれの森へと向かっていく。森には街の人々も薪を拾ったり野草を取りに入ったりするため、そこへと続くはっきりとした道が出来ている。少年はしばらくその道をたどると、程なくして獣道にしか見えない脇道に逸れ、躊躇いもなく歩いていく。
やがて森の中の比較的開けた場所に立つ、崩れかけた小屋へとたどり着いた。
どうやら少年が住処にしているらしく、扉が崩れて開け放たれた出入口を躊躇いも無く潜り、その中に入っていく。
俺も中を確認しようと、小屋の中に視点を移動させる。その時、音は聞こえないので詳細はわからないが、声でもかけたのだろうか、中からもう一人の少年が走り出してくるのが見えた。
年齢は五歳くらいだろうか、先の少年よりは幾分か年下の様子だ。だが、同じ髪の色と瞳の色を見ても、顔立を見ても、よく似ていて一見して兄弟と知れる。兄は弟に安心させるかのように何事か語りかけ、頭をやさしくポンポンと撫ぜた。
その顔からは、先ほどまで浮かべていた険のある表情が取れており、年齢に相応しい顔つきになっている。弟に対する態度は優しく、年長者として振る舞っている様子が感じられた。
だが、会話を続けていくうちに、二人の表情は段々と険しいものになっていく。弟の方は今にも泣きだしそうな表情だ。
二人は、そのまま連れ立って奥に向かう。奥にもう一つ小さな部屋があり、その中は外からかき集めたのであろう落ち葉が敷き詰められ、簡易的な寝台としているようだった。
そして、部屋の中央にはボロ布に包まれた小さな人影が横たわっていた。
(病人か!)
俺はそれを見て、緊張の度合いを強くする。子供たちが三人いたこともそうだが、病人を抱えているとなれば深刻度はより増してくる。
横たわる人影をよく見ると、まだ幼い女の子である事が解る。年齢的には兄弟の中間位だろうか、赤い顔をして、苦しげな息を吐いている。かなり病状は深刻なようだ。
少年は、小さな人影の横に座り込み、枕元に置いたボロボロの桶に貯めた水から、小さな布きれを濡らして少女の額に乗せている。
寝台には毛布すら存在せず、少女の物だろうローブを下に、弟の物だろうローブを上にかけている。見ているだけで痛ましい気持ちになる映像だ。
俺はそこまでを見届けて、素早く映像を断ち切った。あまり猶予は無いと感じとれたからだ。
立ち上がって部屋の外に出ると、ハンナとユーリエ、マルセロが待機している。俺がしようとしている事は、すでに『町会』メンバーも含めて話してある。もちろん絶句されたのだが・・・・・・。
「マルセロさん、場所がわかりました。若い連中を借りてすぐに出発します。それからユーリエ、バイエルさんに待機をお願いしてくれ」
俺の深刻な表情を見て、三人は事態の深刻さを悟ったのか、一様に硬い表情を浮かべる。
「ウート、怪我人でもいたのかい?」
外に向かって歩く俺の後に従いながら、ハンナが問いかけてくる。
「病人みたいです。犯人は三人組で、一人女の子が臥せっているようです。すぐに連れて来ますので、準備をお願いします」
「なんてこったい。可愛そうに。その子は私の部屋に連れておいで。ここには赤ん坊も居るから、一応用心した方がいい。頼んだよ」
「解りました」
俺は、急ぎ足で外に出ると、酒場で待機していていた街の若手メンバーと共に、目的地に向かったのだった。
目的地に着いた俺たちは、総勢十五人に及び、俺以外の十四人で小屋の周囲を囲んでもらう。
(「蟻の這い出る隙もない」と迄はいかないが、病人や小さな子供を連れて逃げ出せるほど、大きな隙もない)
俺はそれを確認した後、周囲に合図をしてから堂々と小屋に歩み寄った。
「君たちは完全に包囲されている。無駄な抵抗は止めて、早く出てきなさい!」
俺は小屋の前に立つと、堂々と大声で呼びかけた。
(一度やってみたかったんだよな、これ)
理由はそれだけである。だが、周囲を囲っているメンバーの受けは悪かったらしく、唖然とした表情で俺を見ているのが多数であった。
(なんだよ、お約束だろ? 洒落の解らない奴らだな)
そんな感想を抱きながら、俺は誤魔化すように咳払いすると、小屋の扉を潜る。
その瞬間、物陰から飛び出してきた影を右腕で払ったのは、瞬間的な反応で、僥倖ともいえるほどの偶然の産物に過ぎない。だが、右腕に焼けるような痛みが走り、攻撃されたのだと自覚する。
飛び出してきた影は、奥の扉の前に飛びのき、奥へ行かせまいと立ちふさがる。
そこには年長の少年が、食事などに使う小さなナイフを、両手で突き出すように構えて、精一杯、俺を威嚇していた。
「いてーじゃねーか、なにしやがるんだ、ゴルァ!」
俺はワザとドスの利いた声で怒鳴り、少年を威嚇する。知らないものが見れば、ヤクザが子供に因縁を吹きかけているように見えるだろう。だがこれは完全な虚勢である。
(痛って~よ、ヤバイよ、この子供怖いよ! ナイフとかありえないし、痛いし、もう帰りたい・・・・・・)
はっきり言って、完全な計算外だ。まさか刃物を持って向かってくるとは思っていなかった。
俺は、内心はひどく動揺し弱音を吐きながらも、一切表には出さない事に成功し、傷ついて血が滴る腕を少年の目の前に翳した。傷口から出た血が、シャツの袖を赤く染めているが、見た目ほど深い傷ではない。だが、見た目にも鮮やかな血の色は、動揺を誘うには効果がある。目の前でそれを見た少年は、明らかに動揺を見せ、構えたナイフの切っ先は定まらずに震えている。
「おとなしく話を聞いてくれるなら、手荒なことをするつもりはなかったんだが、抵抗するなら仕方がないよな? そこに隠れている妹と弟も同罪だぜ?」
俺が未だ見ていないはずの、二人の事を言い当てたことに、少年は激しく驚いて見せた。
「まったく、人様に見境なく刃物を向けるとは、親の顔が見てみたいね。どういう躾をしたんだか」
「父さん母さんを馬鹿にするな! 何にも知らないくせに、勝手なこと言うなよ、出てけよ、今すぐ出てけ!!!」
俺は少年を挑発し、少年は思惑通り激昂する。親に対する愛情と尊敬の念は、しっかり持っているらしい。つまり、ちゃんと愛情持って育てられた事を意味している。根っからの悪童だったらこうは行かないだろうし、更生の可能性が見出せないし、難しくなるだろう。
「へ~、そりゃ俺はお前の両親を知らないからな。お前のやってることから想像するしかない。お前の親は人の物を盗むことを教えたり、傷つけることを教えたんじゃないのか? ならお前はなんでそんなことをする、両親は今のお前を見てなんて言うんだろうな?」
俺は、正論をぶつけて少年の動揺を誘う。俺としては手加減をしてやるつもりは一切ない。道を踏み外しかけている少年を更生させるには、一度徹底的にやり込め、今の自分を挫いてやる必要がある。
少年がした行為は、俺にしても緊急避難的な行為であるとの認識はある。だが、その行為を正当化したままでは、真っ当な社会生活は送れるようにならないのだ。
「でも・・・・・・。だって・・・・・・。仕方ないじゃないか・・・・・・。父さんと約束したんだ、妹と弟を守るって」
「へ~その結果、妹や弟はもっと大変なことになったぞ。これからどうする気なんだ、お前は、ん?」
俺の容赦のない責めに、少年は瞳に大きな涙を浮かべている。
子供相手に大人気ないと思うかもしれないが、俺はこの少年をかなり認めている。同じ男として尊敬に値すると思っている。
この少年は、この歳で、体を張って弟妹を守り、必死で戦っている。
そんな相手を子供と見下すのは、俺の基準では失礼にあたる。同格の相手なら手加減するのも同様だ。
だが、今この少年は猜疑心から大人を敵視し、正しい選択を取ることが出来ていない。その事は惜しいと思える。だからその事を、身を持って伝える必要があると思うのだ。
「そりゃ~俺達は何にも知らないさ、ただの部外者だしな。だけど、盗みを働かれ、傷つけられた。これで何を解れと言うんだ? その頭は飾りか? 何のためについている。妹たちを助けるためにできることは他にないのか! お前が馬鹿なせいで、妹たちは死ぬんだぞ!!!」
俺の「死ぬ」という言葉に、少年は堪えきれなくなったのか、大粒の涙を流す。やりすぎたのか、思考停止になり、無駄な時間がかかってしまう。俺は強引に踏み込むべきか焦り始めていた。
「お願いです。お兄ちゃんを許してあげて」
その時、奥の部屋から小さな人影がフラフラとした足取りで現れ、俺の前で耐え切れずに崩れ落ちるように、跪いた。
「――旦那様、ごめんなさい。私が病気になったのがいけないの。お兄ちゃんは悪くないの――」
それ以上言葉を繋ぐことが出来ず、激しくせき込み始める。俺の耳には、ヒュー、ヒュー、という呼吸音が聞こえてくる。喘鳴と言われる、気管支に異常を来したときに聞こえる呼吸音だ。
「わかった、わかったから、それ以上喋っちゃだめだ。今から薬師のところに連れて行くからね。頑張るんだよ」
俺は優しく語りかけ、慌てて跪くと幼女の体を抱き上げた。その瞬間、ぞわっとしたものが体を駆け巡る。人一人とは思えないほどに、その体は軽すぎるのだ。
「説教は後だ、この子を助けたかったら弟と一緒に黙ってついてこい」
戸惑い、狼狽える少年にそう告げて、俺は外に走り出した。
抱きかかえる幼女に、負担にならないよう気を遣いながら、必死で走って酒場に戻る。その速度は間違いなく、親父史上最速であったに違いない。腕の痛みすら何処かに消え去っていた。
酒場の二階にある、ハンナの自室に幼女を運び込む。ハンナの部屋にはベッドが二つ――片方はジルのものだったのだろう――置かれており、その片方に寝かせた後、待ち構えていたバイエルに容体を見てもらった。
「いかんな、肺炎を起こしかけておる」
いつになく、バイエルの表情も深刻だ。
「『エリクシール』で治りますかね?」
「無理じゃ、万能薬とは言うても、全ての病状に効くわけじゃないんじゃ。外傷や病原菌が原因でない場合にはほとんど効果がない。この子の場合、栄養失調、体力低下、多分先天的に気管支も弱いようじゃし、それらが合わさっての病状なんじゃ。とりあえず儂の薬を飲ませておいた、後は体力次第じゃの」
そう告げられた後、俺たちは部屋を追い出された。人が多いと病人に触るし、着替えをさせたりするためらしい。伝染性の病気ではないとわかったので、ユーリエも看病に加わっている。後は女性陣に任せた方が良さそうである。
俺はそう判断して、階下に降りた。
酒場では、マルセルをはじめとする『町会』メンバーに、木工ギルドから借りてきた若手メンバー数人が少年二人を見張っていた。もちろん凶器の類は取り上げられている。
「どうだった?」
マルセロが心配そうな顔で、俺に問うてきた。
「正直、わかりません。バイエルさんが言うには、肺炎を起こしかけていて危険な状態だと。薬を飲ませて様子を見るしかないと」
俺の言葉に、一同は沈痛な表情を浮かべる。
「クラリッサに会わせろ」
床の上に直接座らせられていた少年が、突如顔を上げて叫んだ。どうやらあの子はクラリッサという名前らしい。
「だめだね」
俺はその要求を、さも当然と言うが如く冷たく突き放す。
「なんでだよ」
「お前が傍にいると、病気がひどくなるからだ」
少年は、泣きそうな顔で唇を噛み締めている。
「あの子には、安静が必要だ。落ち着いたら会わせてやる。それまでは大人しくしているんだ」
俺は尚も言い聞かせ、少年を見下ろし、圧力を掛ける。一緒に居る弟が、怯えて兄の背中に縋り付いているが、お構いなしだ。
「あなた、傷の手当てを」
その時、二階からユーリエが降りてきて、俺に呼びかけた。手には包帯と傷薬らしい木製の容器を持っている。俺の傷に気が付いて、バイエルから受け取ってきたのだろう。
俺は頷いて、空いていたテーブルに座る。その時意識して、少年から見えやすい位置に席を取る。自分がしでかしたことを、理解させるためだ。
ユーリエが、シャツの袖をまくって、傷口を確認している。傷口の長さは十五センチくらいで、深くは無く、血は既に止まっている。
ユーリエは一度包帯と傷薬を置いてから立ち上がり、店の奥から水の入った桶を持ってくると、傷口を軽く洗い流す。その後余計な水分を拭き取って、容器から軟膏をすくい取り、傷口にそっと塗り込んでいく。傷薬はピリピリと染みたが、顔に出すような真似はしない。ただの男の見栄である。
少年は気になるのか、時折その様子をチラチラと覗き見るが、すぐに目線を離してしまう。だが、俺が期待した詫びを入れる気配が無い。どうやらこのまま放っておく訳にはいかないようだ。俺は、ユーリエが包帯を巻き終わるまで、ゆっくりと待った。
「ありがとう。手当上手いんだな」
「いえ、このくらい普通ですよ」
ユーリエは微笑んで、二階に戻っていった。
俺はそれを見送ってから、椅子を引いて二人の少年の前に座り込む。わざと包帯を巻いた腕を見せつけるようにして、威圧感を与える構えである。
「なあ、そこの坊主。お前これからどうするんだ?」
少年の顔に訝しげな表情が浮かぶ、何を問われているか解らないといった顔だ。
「だからこの後、ここを出て行ってどうするかって、聞いてるんだよ。まさかここで面倒見て貰えるなんて、思ってんじゃ無いだろうな? よしてくれよ、盗みはする、怪我はさせる。そんな奴を置いてやる義理は無いね」
俺はハッキリと言い切った。周りの若者達が何か言いかけたが、マルセロが目線でそれを制した。
「そうだな、妹と、弟は可哀想だから俺が面倒を見てやるよ、まだ小さいしな。お前と違って、言うことを聞きそうだ。それでどうする、妹と弟、足手まといが居なくなって清々しただろ? 一人で自由に生きていけるもんな」
俺はさらに突き放した物言いをして、少年を試す。先程と違い、時間はタップリとあるから、ゆっくりと確実に追い込んでいく。
少年は、両拳を握りしめて俯き、弟が不安そうに兄を見ている。置いて行かれることを不安視しているのだろう。
「お前はさっき、妹を見てどう思った? 何にも思うことは無かったのか? 勝てない相手に刃向かって、傷つけて、挙げ句の果てに妹に庇って貰ったんだぞ? そして妹は死にかけてる。全部お前のせいなんじゃないか? 何であんな小さな子が出来て、お前に出来ないんだ? 自分なら出来ると思ったのか? 自分が誰も信じられないからって、妹達をそれに巻き込むのか? 本当にそれがお前のしたかったことなのか? どうなんだ?」
少年は、膝立ちになり、俯いて、大粒の涙を溢し始めている。弟は既に大声で泣き出している。それでも、俺は追及の手を緩めない。ここで緩めては、何の意味も無いのだ。
「なんで素直に謝らない? 何で素直にお願いしない? お前自身のプライドか? それに何の意味が、何の価値がある? 妹や弟を秤に掛けてまで守りたいものなのか? そんな意味も価値も無い、安いプライドなんて捨てちまえよ」
俺はそれきり沈黙する。言うべき事は言った。後は相手次第だという気持ちがある。やけになって、反発するようだと見込みは薄い。それでも本気で見捨てるつもりは無いが、本当に更生することは出来ないだろう。
それに、これは俺の信念でもあるが、必要な時に頭を下げられない人間を心底軽蔑しているし、近くに置いておきたく無いのである。
プライドを持つこと自体は大事だが、それに拘る余り、必要な手段を取ることが出来ずに大事なものを得ることが出来なかったり失ったりするのであれば、そのプライドに何の価値があるのかと思ってしまうのである。
そんなものは俺に言わせれば価値の無いプライドで、安いプライドと言うことになる。そんなものに拘る人間を信用することなど出来ないし、したくも無い。見るだけでも鬱陶しいから近くに居て欲しくも無いのである。
そして、それに気が付いて欲しいからこそ、厳しく当たったのである。
「け、怪我を、させて、ごめんなさい・・・・・・。妹と、弟を、助けて下さい。お願いします」
少年は、鼻水をすすりながら、それでもハッキリと俺を見ながら言った。俺はその目を真っ直ぐに見つめ返す。
「お前はどうする? どうしたい?」
俺は今までとは異なり、落ち着いた優しい声で問いかける。望む答えが聞けたからだ。
「働き、ますから、どんなことでも、やります。だから、ここに、置いて下さい。お願いします」
俺は立ち上がって歩み寄り、しゃがみ込んで目線を合わせてから、少年の頭をグシャグシャっと乱暴に撫でた。
「俺の名は、ウートだ、お前は?」
俺は自分から名乗りを上げ、少年の名前を聞いてやる。少年は、涙を袖で拭い、鼻を啜ってから答えた。
「ハルケート・シュベート。妹はクラリッサ、弟はヨハイム」
「そうか、ハルケートか。じゃあ、ハルケートよく聞け。お前達三人は、今日から俺が面倒を見てやる。お前達が間違ったことをすれば、俺が責任を取る。そして、俺がお前達に罰を与える。お前達が良いことをすれば、俺の名誉になる。だから、出来れば俺が誇れる人になってくれ。この選択が間違っていなかったことを証明してくれ。いいな?」
ハルケートはコクリと頷く。あわせて後ろで、ヨハイムも頷いている。周囲の人々もほっと息をついたようだ。
「よし、じゃあ、先ずは飯だな。それから風呂だ。マルセロさん、こいつらの着替え都合つきます?」
「ああ、ハンナに頼んだ方が早いな。息子の服が取ってあるだろうから、言っておいてやるよ」
「お願いします。ちょっと飯を作ってきます。ああ、よかったら皆も食べていってくれ、今日は店の奢りだ」
俺の言葉に、若手から歓声が上がる。
「ああ、但し騒ぐのは無しだ。上に病人がいるんでね」
俺の指摘に、思い出したように声を抑え、頷いている。俺はそれを見届けてから、厨房へと向かったのだった。




