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酒場の親父は転生者  作者: 乱世の奸雄
酒場の親父は転生者 第二巻
25/51

とある招致の混乱事情

 ゴードン夫婦の夫婦喧嘩に巻き込まれた格好となった翌朝、俺はしつこく残る眠気を、顔を洗って覚まそうと部屋を出た。

「おはようございます。あなた」

「ああ、おはようユーリエ」

 部屋を出たところで、ミリィを抱いたユーリエと行き会う。

 ユーリエに抱かれたミリィは、そのつぶらな瞳でじっと俺の方を見ている。生後二ヶ月を過ぎた辺りで、まだ自我の発生には至っていないと思われるが、彼女の瞳に、このむさい親父はどう映っているのだろうか、非常に気になるところである。

 やがて俺の顔を見るのに飽きたのか、母親の顔に視線を移して、途端にニッコリと天使を思わせる笑顔を見せた。ユーリエもその笑顔を見て、嬉しそうに笑っている。最近ではユーリエも、出会った頃には見られなかった砕けた表情を周囲に見せるようになっており、ハンナや俺と暮らすこの場所が彼女にとっても居場所として定着してきた事を実感させる。彼女が安心してミリィと生活できるようにこの居場所を守るのも、俺の使命である。

「昨日は五月蠅くして済まなかったな」

 俺はゴードン夫妻の夫婦喧嘩に巻き込まれ被害を被った側だが、部屋に誘ったのは俺の責任でもある。その結果ミリィの発育に影響が出るような事があれば、二人に申し訳が無い。

「ふふふ、平気ですよ。あれはあなたが困っているだろうと思って、ハンナさんが助け船を出しただけです。ミリィはちゃんとグッスリ眠っていましたから」

 ユーリエは、ゆらゆらと抱いたミリィをあやしながら、俺に笑顔で教えてくれた。後でハンナに礼を言わなくてはならないようだ。本当に助かったからな。

「そうか、それなら良かった。ちょっと、顔を洗ってくるよ」

 俺はユーリエにそう告げて、井戸の方へと歩いて行った。

 キュッキュッキュッキュッ

 井戸に備え付けた水道ポンプのレバーを操作し、桶に水を貯め、その水で顔を洗うと、少し低めの心地よい水温で汚れと共に眠気まで洗い流せる気がする。気が済むまで顔を洗うと、部屋から持ち出し首に巻いていたタオルを使って水気を拭った。

「おはよう、ウート」

 いつの間にかハンナが後ろに立っていて、彼女が手に持ったタオルを見て、顔を洗いに来たのだと解る。

「おはよう。ハンナ、昨日はありがとうございました。本当に助かりましたよ」

 俺は早速お礼を言いつつ場所を譲り、ハンナのために水道ポンプを操作して、桶に水を貯める。ハンナは短く礼を言って顔を洗い始めた。

 ハンナは、洗顔が済むとタオルを使いながら「あの二人にも困ったもんだねぇ、こんなとこまで来て喧嘩する事無いじゃ無いのさ」と呆れ顔だ。

 原因の一端を担う俺としては、ハンナの言葉に全面的な賛成は出来ないが、困っていたのは事実だったし、今後の事を心配もしていた。

「大丈夫でしょうかあの二人?」

「ほっときゃいいのさ、どうせ一晩たてばケロッとしてるさ、ああいうのは当人同士でしか解決できない問題だからね、下手に周りが騒いでも馬鹿を見るだけさ」

 ハンナはそう言って容赦なく切り捨てるが、俺としては心配である。だが、解決出来るだけの妙案があるわけではないので、年長者の言葉に頷くしか無い。

 俺は、その日の仕入れを行うために市場に向かう準備をしようと、ハンナにその旨断ってから部屋に向かって歩き始めた。



 その日の昼営業の時間中、ゴードン夫妻はクロード及び冒険者一行を伴って酒場に昼食を取りに来た。それを食べてから王都に戻る事になったらしい。

 ゴードン夫妻は、昨日あれほど険悪であったはずだが、今はやけにラブラブな雰囲気を醸しだし、俺をイラッとさせる。どうやらゴードンが“力業”で事態の打開を図ったと確信するに至る。

「ウート、取りあえず例の件は保留になった。俺は諦めちゃいないが、ヨランダの意思も大事にしないといけないからな。まあ、又相談させてくれ」

「へいへい」

 俺は適当な返事をするしか無かったが、余り俺を巻き込まないで貰いたいと言うのが本音である。

 今日は比較的お昼のお客が少なかったので、彼らにだけ特別に、手間のかかる本式のカルボナーラを作って出す。滅多に来られない彼らへの、餞別の意味もある。

「何これ! 凄く美味しい、何て言う料理なんですか?」

 ヨランダが、始めて食べるであろうパスタを、恐る恐る一口食すなり、目を輝かせて聞いてくる。

「カルボナーラだな、気に入ったのなら良かった」

「ええ、とっても美味しいです。この白い細長い食材はなんでしょう?」

「パスタのことか? 最近ここらでは珍しくない食材になりつつあるんだが、殆どこの街で消費されてるから知らないのも無理は無いかな。こんな田舎にも、王都にない食材くらいはあるからね」

 俺は昨日のヨランダの発言を捉え、少しだけ皮肉を効かせる。ヨランダにもその自覚があるのか、顔を赤らめてうつむいた。ゴードンが途端に睨んでくる。寝た子を起こすなと言う事らしい。

「良ければ、材料を分けようか? 作り方も教えるよ」

 途端にヨランダは笑顔を見せ、その話に飛びついてきた。食事を終えた後、厨房に案内する。

「まず、フライパンで豚の塩付け肉をオリーブオイルで炒める。焦がさないように弱火で火を通すように気を付けて」

「フライパン? 炒める?」

 俺の説明が解らないらしく、ヨランダはオロオロしているが、見たとおりにやればいいと伝え、俺は実践していく。 

「次に、これが乾燥させたパスタだよ」

 俺は透き通った黄金色をしたパスタの束を見せ、ヨランダに説明する。

「これを、お湯で戻して食べるんだが、茹でるときは大きな鍋にお湯を沸かして、沸騰したところで少量の塩を加えてから乾燥パスタを投入する。均一に茹でるため、鍋は深くて乾燥パスタ全体が湯に浸かるように注意して、それから芯が無くなるまで茹でる。この茹で時間で麺の堅さや太さを加減できるのでお好みで調整するといい。今日は説明しながらなので別々にやるけど、本番の時は茹で上がるまでにソースを作っておくといいね」

 俺は早めにパスタを湯から上げ、ソースの作成にかかる。

「二人分だと卵二個にオリーブオイル、粉チーズと黒胡椒を入れて掻き混ぜる」

「黒胡椒なんて高価なものを使っていたんですか!」

「無いと、味が引き締まらないからね。後で材料と一緒に必要量を渡すよ」

 ヨランダは驚いていたが、俺は事も無げに言い切った。美味しい物を食べるためには、最低限必要な素材がある。これで少しはヨランダにも、黒胡椒の重要性が伝わるかもしれない。

「ソースにさっき火を通した豚の塩付け肉を入れる。そしてさらにパスタを入れて和える。これで完成だ」

 俺は出来上がったカルボナーラを大皿に盛って、まだ物足りないという顔をしている冒険者達へ持って行った。彼らは大喜びで飛びついている。

「一度ここで作ってみて下さい。今見た作業を忘れないうちにね」

 俺が後ろで監督しながら、ヨランダは見よう見まねで調理して、それなりの完成度のカルボナーラを作り上げた。俺はそれを味見して合格点を出すと、ゴードンとクロードに食べるよう促した。

「お、旨い。こりゃあ、王都に帰ってからも楽しみが増えたな」

 ゴードンの言葉に、クロードも無言で食べながらコクコクと頷いている。この言葉にはヨランダも嬉しそうに微笑んでいた。

「材料一式に、フライパンを進呈しますから、王都でもみんなに振る舞って上げて下さい。お友達にもね」

 俺は料理の宣伝もかねてヨランダに依頼する。料理が広まればそれに付随して、食材や調理具など様々な物に波及し、経済効果が生まれる。俺の密かな狙いはそれである。それに、色々心中を騒がせたヨランダへの詫びの意味もある。

「ありがとうございます、ウートさん。いいお土産ができました」

 ヨランダの表情には、昨日まで見られた猜疑心の影はなくなっており、俺もゴードンの家族と険悪にはなりたくなかったので、ほっと胸を撫で下ろした。

 俺は王都に旅立つヨランダに、これでもかと言わんばかりに食材を押し付け、その代わりにと言うわけでは無いが、ゴードンにある頼み事をしてから、彼らが旅立つのを見送った。

 ゴードンの驚きのメセルブルグ移転宣言や、ヨランダが懸念している王国の商会を牛耳る大商人たちの情報など有意義な話も聞けたし、漠然とだが今後の指針みたいなものが出来たヨランダ達との出会いだった。



 ゴードン一行が王都に戻って行ってから一週間後、待望の風呂が完成した。

 俺にとっては水道設備の方がおまけで有り、風呂こそが大本命であるから、喜びもひとしおである。

 早速、風呂を沸かす準備をし、ハンナ及びユーリエに使い方を説明する。特にこの『五右衛門風呂』方式では火傷に気をつける必要があるため、何度も入念に説明を行う。

 そして、栄えある一番風呂はミリィのものとなった。

 先ずはミリィを、別に用意した洗い桶の中で温度を調節しながらハンナとユーリエが慎重に入浴させる。初めての風呂にミリィがどんな反応を示すか心配ではあったが、特にむずかる事無く入浴は済んだ。

「次は、ハンナさんどうぞ」

 俺は、年長者を優先し、ハンナへ入浴を進める。風呂の体験を早期に理解して貰いたい思惑もある。

「わたしゃいいよぉ、なんだか恐ろしいじゃ無いか」

 ハンナは及び腰だったが、せっかくだから一度くらいはと言うユーリエの説得も有り、恐る恐る入っていった。俺は裏で火加減を見ながら、ハンナに湯加減を確認したり質問に答えたりして、入り方を指導する。三十分ほどで出てきたハンナは、すっかり風呂を気に入ったようだった。

「これはいいものだねぇ。何て言うか、体が生き返るようだよ。ユーリエも早く入っておいで」

「でも・・・・・・」

 ユーリエは俺を見て、逡巡する姿を見せる。俺が楽しみにしているのを知っているからであろう。

「俺は長風呂を楽しみたいんで、最後がいいな。ミリィをハンナさんが見てくれているうちに、入ってきなさい」

 俺はユーリエを促して、先に入らせる。俺が入ってからだと、ユーリエが入るときに再びハンナさんを呼ばなければならない。その事も伝えると、ユーリエは素直に応じて入っていった。

そんなユーリエだったが、俺に遠慮したのか、女性としては短めの二十分程で入浴を済ませて出てくる。だがその姿は、肌が上気しピンク色に染まっていて、いつもより三割増しの美しさだった。

 もし、ハンナがいなければ、間違いなくその場で襲いかかっていたに違いない。俺はそれ以上見ているのは危険だと感じ、風呂に逃げ込む事にした。

「追い炊きは調節してあるから、気にしなくて問題ありません。多分長い時間入っているので、俺の事は気にせず先に休んで下さい」

 そう言って風呂に入る。この異世界に来て、九ヶ月ぶりの風呂となる。むっとくる湿気も、お湯の臭いも、お湯に浸かったときの痺れるような熱さも、何もかもが懐かしく、最高に気持ちが良かった。

「はあ、やっぱり風呂は最高だ。何でもっと早く作らなかったんだ」

 俺はあまりの気持ち良さに、お湯が温くなり、すっかり冷めてしまうまで入り続け、ハンナとユーリエを呆れさせる事になった。

 しかし、二人も風呂の良さは認めてくれたようで、それから俺たちは毎日のように仕事上がりの風呂を楽しむようになったのだった。



「ウート、奴さんたち宿屋に到着したみたいだぜ」

 そう言って、『町会』メンバーの一人であるクルマンが知らせに来てくれる。奴さんたちというのは、『町会』に依頼して招聘してもらったザザニッツから来たガラス工房の面々である。

 彼らは経費がこちら持ちであることをいいことに、工房の親方夫婦、その息子夫婦に孫三人、筆頭の徒弟頭とその部下という大所帯でやって来ていた。

 マルセロに言わせれば、「人の足元を見やがって、図々しい上に厚かましい奴らだ、こんな話止めにしちまえ!」という事になるのだが、俺としてはてっとり早くこの世界の技術水準を知ることが出来る機会を優先していたから、その程度は全く問題無かった。

 それに、あくまで依頼し招待したのはこちら側である。先に失礼な真似を働くことは、自分たちの恥にしかならないので精々歓待してやり、情報を引き出させて貰う事にしようと決めていたのだった。

 他に適当な場所も無いため、歓待はこの酒場で行う事になった。そもそもこの街で最高の料理は、この場所でしか作れないというのもある。しかし、俺が想像していた以上に、ザザニッツの一行はどうしようも無い連中だった。

「なんだ、このみすぼらしい酒場は、わざわざ我々を呼んでおいて歓待がこんな場所だというのかね? これだから田舎者は困るんだ」

 酒場に入るなり、開口一番に吐いた台詞がこれである。この台詞を吐いたのが、ザザニッツで一番有名なガラス工房『ベニッツガラス工房』の親方キロルゼン・ベニッツだった。彼は貫禄があると言うには少々無理がある大きな腹を揺すりながら酒場に入ってきて、小馬鹿にしたように店内を見渡すと、尊大な態度で先程の台詞を吐いたのだ。

 しかし、その後に続いた彼の奥方であるブリッタの姿に圧倒され、不快に感じたのは一瞬であった。

「ほんとザマスわね~、失礼ザマスわ~」

(すげえな・・・・・・)

 俺がブリッタを見て、まず感じたのは素直な驚嘆の言葉であった。

 まず、何が凄いのかと言えば、その顔である。目鼻口はちゃんとあるのだが、その横にあり得ないぐらいスペースがあり、それがとてつもない違和感を放っている。まるでボールの真ん中に小さな顔を描いたような感じと言えばいいのだろうか、そして、その下に続くはずの顎と首の境が見つけられず、何重にも折り重なった脂肪の襞が、まるでスプリングを巻いたかのように連なっている。

 体の方も凄くて、凄まじく張り裂けそうなほど張り詰めている箇所と、肉の襞が覆っている箇所とで、全身が肉の塊という感じだ。

 一行はその後も、ブリッタにそっくりな息子のエロルゼン。その妻であるゾフィーアと三人の子供達、徒弟頭のフォルケル、最後がフォルケルの部下であるクロップと続いた。――ちなみに彼らの名前は、入ってくるたびに逐一、クルマンさんが教えてくれた。

 酒場に入ってきた彼らを、ユーリエは完璧な営業スマイルで席へ案内し、一番奥の上座にキロルゼン夫妻と息子のエロルゼン。次の下座にゾフィーアと子供達。最後がフォルケルとクロップで、空いた席には『町会』メンバーがホストとして、サポートに付く。

 この場の仕切りは、当然の如くマルセロに任せてある。マルセロは全員が席に着いたのを見届けると口火を切った。

「本日は、メセルブルグまでお越しいただき、ありがとうございます。この店は、メセルブルグ一の料理が楽しめる隠れた名店でございまして、きっとご満足いただけるものと確信いたしております。先ずは料理を堪能していただきたいと思います」

 マルセロの挨拶が済んで直ぐ、俺たちは料理を運び入れる。情報収集の前に食事と酒で歓待し、いい気分にさせるのが目的である。

 正式なコース料理など作れるはずもないし、作るつもりも無いので、取りあえず質より量で攻め、見た目が華やかに、歓待している風に見せる為に数多くの料理を出してく。

 上品な料理では無いが、相手も貴族というわけではないし、ここで出している料理は他では味わえない料理ばかりであり、満足させる自信はある。

 だから俺は、彼らを満足させるため、十分な準備をし、かなりの量を用意して臨んだはずだった・・・・・・。

「嘘だろ、おい・・・・・・」

 俺は、事前に組んでいた段取りを全て放り投げ、必死に料理を仕上げていく。なぜなら、メインのテーブルだけ恐ろしい勢いで料理が減っていくからだ。正直青くなり、時間配分も吹っ飛んで、必死で予定に無かった追加の料理まで作る。ペースの違う他の卓にも配慮する必要があり、子供達の為に用意した特製ハンバーグ目玉焼き乗せを焼く傍ら、メインのテーブルへ料理の目方を増やすためだけに、料理と呼べないような肉の厚切りを焼いていく。

 結局、彼らは自分のテーブルの料理を全て片付けたあげく、既にギブアップしていた他のテーブルの料理まで平らげて、底なしの食欲をなんとか満足させたようだった。

 俺は必死になって料理を作りながらも、ペースを計るために何度もフロアを行き来して、ついでにさり気なく彼らを観察している。交渉ごとにはまず、相手の性格や性質を知る事が重要だからだ。

 そうやって観察しているうちに、性格だけで無く、彼らの関係の一端が見えてくる。

 例えば、ブリッタとゾフィーアの嫁姑の仲はかなり深刻な模様で、会話どころか相手が見ていないところで向ける目線には、強い侮蔑の光がある。特にゾフィーアの方にその傾向が顕著なようで、上手く隠しているが時折夫にも同じ目を向けている気がする。

 彼女はスタイルも良く、それなりに美人だが、退廃的な雰囲気を纏っており、どこか子供達に対する態度も素っ気ない風である。末の娘らしいエディッタの面倒こそ見ているものの、息子のハロルゼンと妹のパメーラが行儀悪く食べ散らかしているのを見ても止めようともしていなかった。

 ベニッツ親子はと言えばそれに気付かず、子供達のことは全く気にする事無く、一心不乱に目の前の料理に食らい付き、貪っている。

 さらに気になったのが、彼らのフォルケルやクロップに対する態度である。彼らの徒弟に対する態度は下僕に対するそれであり、高圧的で見下した態度で接している。特に息子のエロルゼンは、年長者であるフォルケルに対してすら敬意の欠片も見せず、父に倣うか、それ以上の態度で尊大に接しているようだった。

 それらを総合的に鑑みて、俺はこの招待は失敗に終わりそうな予感を覚えていた。正直に言って「胸くそ悪い」と言う感想しか覚えないほどに不快な連中である。一刻も早く情報収集を終えて、お帰り願いたかった。

「どうでしょう、料理にはご満足いただけたでしょうか?」

 マルセロも同じ気持ちなのであろう、少々言葉と表情がやけくそ気味に感じる。今回骨を折って貰った彼らには、後で特別に旨い酒をご馳走しなければならないようである。

「ふん、まあまあだったな」

 キロルゼンは、あれだけ貪り食っておきながら、尊大な態度を崩さず言い放った。しかしブリッタの感想は違ったようで、視線を俺に向けると話しかけてきた。俺はゴム鞠と話しているような錯覚を覚える。

「この料理を作ったのはあなたザマスわね?」

「ええ、まあ」

 俺は錯覚を打ち消す事が出来ないまま、力なく答える。なぜか話しかけられただけで、背筋に悪寒が走る。

「こんな田舎のしなびた酒場で腕を振るうより、宅の屋敷に来て料理長をやるザマス。宅の屋敷には頻繁に貴族様も来られるザマスのよ、こんな場所で田舎者相手に料理を出しているよりよっぽど有意義な生活ザマスわよ、オホホホホホ」

 ブチブチと、彼方此方で堪忍袋が切れている音がする気がしたが、さすがはこの街の長老を務める、海千山千の猛者達である。態度に表すような者は居ない。発案者の俺が真っ先に切れては骨を折ってくれた彼らに申し訳が立たないので、俺も何とか自制する事が出来た。

「申し訳ありません。大変魅力的なお誘いではありますが、まだまだ修行中の身です。ご勘弁下さい」

 俺は心の中にカンペを作って、それを読み上げる。かなり棒読みだ。

「あらまあ、残念ねえ。でもいいザマス。あなた程度なら探せばゴロゴロいるでしょうからね。オホホホホホ」

 負け惜しみなのか、残念そうな声の後に、尊大な声に戻って言い放つ。もはや処置なしである。俺はさっさと用件を済ませる事にした。

「今日は、素晴らしい作品をお持ちいただいていると伺っています。ここらでご披露下さいませんか?」

「ふん、そうだな。貴様らが何を企んで儂らを招いたかは知らんが、約束ではあるからな。王国一のガラス工房である我が工房の作品は、本来は貴族の方々のみに販売する希少な物だ。どうせ買う事もできんだろうから見るだけであろうが、精々鑑賞して目に焼き付けるが良いぞ」

 キロルゼンは尊大に言い放つと、フォルケルとクロップの方に顎をしゃくる。それを受けてフォルケルとクロップの二人は、運び込んでいた木箱を空いていたテーブルの下に運び、中から慎重な手つきで次々と作品をテーブルの上に並べ始める。

 俺はそれらの作品を見るまで、正直彼らを軽蔑しきっていたのだが、作品が並べられるたびに感嘆し、嘆息するのを止められなかった。

 色は殆どが深い青色をしていて、ガラスの厚さのためか透明度は低く、手を裏にかざせば影が見える程度の透明度である。作品は殆どが皿で、コップやボトルの形状すら存在しない。後はガラス玉で作られたアクセサリーや、複雑な形状に造形された置物が存在するぐらいである。

 しかし、彼らが自慢げに取り出しただけの事は有り、それらが芸術的にも優れた作品である事が解る。特に中央の大皿が素晴らしく、皿としての全体の造形もさることながら、縁の表面に施された精緻な文様がとても美しかった。

「どれも素晴らしい作品ですね。特にこの大皿が素晴らしい。これは誰の作品ですか?」

 俺は試しに聞いてみた。これほど素晴らしい作品を生み出す技術をキロルゼンは持っているのだろうか? そうであるならば彼の尊大な態度にも、多少は納得がいく。

「ふん、それは『ベニッツガラス工房』の作品だぞ、と言う事は儂と息子の物と言う事に決まっておろうが、他に誰がいるというのだ」

 キロルゼンがそう言い放った瞬間、彼に背を向けている徒弟二人の顔が怒りに赤く染まるのを、傍にいる俺だけは見ていた。その様子を見れば、事の真実は自ずと知れようと言うものだ。

 正直に言って、彼らがどうしてこれほど屈辱的な扱いに耐えているのか理解できないが、俺は全ての事情を知る立場に無いのだから、その点についてこだわってもどうしようも無い事である。ただ、何らかの交渉材料にはなるかも知れないので、情報として頭に入れておくことにした。

「ところで、コップやグラス、もしくはボトルやポットは無いのでしょうか」

 俺の何気ない質問に、一瞬場が静寂に包まれた。

 やがてキロルゼン夫婦とその息子から、嘲りを含んだ大笑いが起こる。

「アッハハハ、ヒー、ヒー、これはおかしなことを言うではないか、ここの亭主の得意技は料理ではなく道化話であったか、こんなに笑ったのは久しぶりだわい」

 キロルゼンが、笑いの発作をようやく収めながら言った。

「全く、これだから素人は。熱して溶けたガラスはドロドロの蜂蜜のようなものですよ。それをいかにして容器に形作ろうと言うのか、自分で試してみたらよろしい」

 息子のエロルゼンも追従する。どうやら彼らには、吹きガラスの技術が無いらしい、俺は知りたいことは知れたので、彼らの様子には頓着せずに先に進めることにする。不快な時間は一刻も早く終わってほしいからだ。

「では、透明なガラス。出来れば板状の物が欲しいんですが、それは作れますか?」

 キロルゼンはもはや議論にも値しない、といった表情で蔑みながら。

「透明なガラスだと? あんなものは失敗作だ。失敗で出来ることはあっても、わざわざ作ることなどありえん話だ。我々の祖先がこの色を作りあげるのに、どれだけの手間と時間をかけたと思っている。不愉快だ、帰らせてもらおう。お前たち、帰るぞ」

 キロルゼンは立ち上がると、大声で怒鳴り、ドシドシと足音を立てながら店を出ていく。ブリッタやエロルゼンも後に続き、ゾフィーアと子供たちも渋々と後に続く、徒弟たちは取り出した作品を箱に詰めなおし始めている。

 『町会』のメンバーは怒り心頭の様子だったが、徒弟たちの手前怒りの声を上げたりはせず、集まってやけ酒をあおり始めている。

(やれやれ、知りたいことは知れたし、追い出す手間が省けて万々歳というところか。しかし、思った以上に技術が進歩していないな。これだと自分達で一から始めても同じかな、出来ればガラスの扱いに長けた職人を借りたい気持ちはあったんだが、まあこれ以上奴らと関わるぐらいなら、多少の遅延はやむなしだな・・・・・・)

 俺は、片づけを続ける徒弟たちを見守りながら、少なくない徒労感を感じていた。

「あの! 少し、お伺いしてもいいですか?」

 その時突然片づけをしていたクロップが、片づけの手を止めて俺に話しかけてきた。

「なんです?」

 俺は、クロップに向き直り気軽に問い返す。この二人にまで嫌悪を感じていないし、多少は同情を感じている。あんな碌でもない主人の元で働かなければならないとは、ブラック企業に就職した哀れなサラリーマンと被ってしまうではないか。それに比べればこの酒場は天国に等しい。

「先ほど透明のガラス板が欲しいと仰っていましたが、一体そんなものを何に使うおつもりなんですか?」

 クロップの瞳は真剣で、キロルゼン達のような嘲りの様子は見受けられない。別に隠す必要もないので、話すことにする。

「ああ、窓に填めて使うんだ。窓ガラスと言うんだが、向こう側が見えて便利だし、窓を開けなくても明かりが取れるじゃないか? 貴族の屋敷にはあるだろう?」

 俺は王宮で普通に使われていた窓ガラスを思い出し、当然彼らなら作り方を知っていると思っていたのだがそうでは無かったらしい、ならばあれを作っているのは別の工房だと思い込んでいたので、何気なく話を振った。

「いえ、ガラスでそのような物を作っているという話は、聞いたことがありません。貴族の屋敷であれば、クリスタルを魔法で成形した物の事ではないでしょうか。今では失われた魔法との事ですが、遺跡から発掘されたものが多数出回っているのですよ。恐ろしく高価ですが・・・・・・」

「あれはクリスタルだったのか。しかしまあ、透明ならクリスタルでもガラスでもどっちでもいいんだ。クリスタルを製造する技術は知らないが、クリスタルに近いガラスを製造する技術は大体解っているし」

 俺は事実を淡々と告げる。それが彼らにもたらす衝撃はある程度計算に入っている。俺の言葉に反応したのは、クロップではなくフォルケルの方だった。

「もしかして、グラスやボトルを作る技術も、知っていて俺たちを試していたのか」

 フォルケルの、問いかけとも呟きとも取れる言葉に、俺は肩をすくめることで答えた。

 二人はしばらくの間呆然とした様子だったが、しばらくするとノロノロと作業を再開し、荷物を持って酒場を後にしていった。

 二人が出て行った後、酒場は大いに荒れた。『町会』メンバーはあらゆる言葉でキロルゼン一行を罵り、遺憾ながら俺も同意見だったので一緒に気焔を上げた。

 こうして、ガラス工房の誘致は、大失敗に終わるかに思われた。



 散々浴びるように酒を飲み、ハンナとユーリエに叱られるように散会になったヤケ酒会の後、俺はグッスリと寝入っていた。

 しかし、深夜にもかかわらず突然来客の訪問を受け、酔いと眠気のダブルパンチに見舞われた最悪の状態の中、やむ無く対応する事になった。

 非常識としか言い様の無い時間に訪ねて来た相手は、『ベニッツガラス工房』徒弟頭のフォルケルである。

「なあ、あんた。俺たちを雇う気はないか?」

 深夜に突然訪問してきた挙句、酒の抜け切れない俺に対しフォルケルは意外、とも言い切れないが、思い切ったことを提案してきた。

「この街にガラス工房を作りたいってことで、ベニッツの奴らを呼んだんだろう? それなら俺たちの方が適任じゃないか? さっきの連中の態度を見たろう。昔の技法にしがみ付き、新しいことをやろうとすれば全否定だ。そうしないと自分たちの権威を保てない事が解っているんだ。ザザニッツの工房はどこもそんな感じだがな。工房を起こすとなれば、それなりの準備がいるし、経験を積んだ人材がいた方がいいだろう?」

 フォルケルは不安な面持ちを隠せずに、一気にまくし立てるように言った。

 俺は、中途半端に酒が抜けたときに起きる頭痛に耐えながら、ユーリエが入れてくれた水を飲む。俺を起こしてくれたのも彼女である。

「赤ん坊がいるんでね、小さな声で頼む」

 俺は努めて冷静に聞こえる声を出して、フォルケルに要請する。正直状況を把握し、相手の思惑を読み取らなければならないが、想定外の事態に、対応は後手に回ってしまっている。

「まず、ベニッツの親方はこの事をご存じなのですか?」

 俺は当然知らないであろう事を予想しながら、あえて聞いた。

「いえ・・・・・・、知らないし、知れば大騒ぎになるでしょう」

 フォルケルは、先程より幾分かは冷静になった声で、声量を落として答える。

「それでは、お話になりませんね。こちらは正式に要請して招聘しているんですよ? そんな中、無理矢理職人を奪うような真似をすれば、どう考えてもこちらが悪い。街の評判を落とす事にもなりかねない。なにより、面倒事はごめん被りたいのでお受けできません」

 俺の中には、そうしてやれば無礼千万であった『ベニッツガラス工房』に一泡吹かせられるとの思いも、有るには有る。しかし、一時の愉悦のために信用を失う愚は犯したくないとの冷静な思いの方が強かった。

「あんた達には迷惑を掛けないと約束する。俺たちが欲しいのは、自由になった後の生活保障なんだ」

俺は、フォルケルの言葉に疑いの思いを抱く。あの連中が、自分達の面子を潰されるような真似をされて、黙って引き下がるなどあり得ないではないか。

「迷惑を掛けないと言うがどうするつもりなんだ? あんた達を雇って、彼らが黙っているとはとても思えないんだが」

俺は、その思いを率直にぶつけてみた。

「これだけは断言しておきたいんだが、あんた達が雇ってくれないとしても、俺たちはもうザザニッツに戻るつもりは無い。と言うよりももう今頃は戻る場所が無くなっていると言うべきだがな」

 フォルケルの表情には、必死な者の覚悟が滲む。俺はどういうことかと、目で問うた。

「奴らの態度を見ただろ? もう徒弟達の我慢は限界に達していたんだ。だからあんたらが作ってくれたこの機会を、最大限に利用させて貰った。奴らが戻ったときにはもう『ベニッツガラス工房』は立て直し不可能になっているだろう。徒弟達は全員が逃げ出し、製品は持ち出される事になっている。納期に間に合わなければ、奴らは莫大な違約金を被る事になる。それを返そうにも、奴らに出来るのはガラスに色を付ける事だけなんだがな」

 フォルケルは、嘲りと嫌悪を含んだ、憎悪を滲ませる口調で言い放った。

「色だけだって? そんな馬鹿な・・・・・・。仮にも親方だろう?」

「ガラスじゃ透明度とその美しさで、絶対にクリスタルには勝てないんだ。だからどれだけ美しい色を編み出せるかが、ガラスの持つ価値とされている。ベニッツの祖先は確かに凄かったんだろうさ、あの色出せるのは奴らのレシピだけだからな。しかし、奴らはそれに長年の間胡座をかいて、新たな技術の発展を妨害し、豊富な資金力でザザニッツの街を牛耳ってきた。あの街で奴らに逆らって生きていくのは不可能だった。これまではな」

 フォルケルは深い憎悪を滲ませ、目の前に組んだ両手を強く握りしめている。

「俺は以前から睨まれていてな、だから徒弟達を代表して奴らを油断させるために付いてきたんだ。そうすれば残った奴らは大人しくしていると踏んだんだろうが、それこそこちらの狙い通りなんだと知らずにな。あんた達が、俺を雇う気が無いなら、俺はこのまま消えるだけだ・・・・・・」

 俺はそこまで聞いて、深い溜息と共に腕を組んだ。どうやらとんでもない火薬庫に油をまいて火を付けたらしいと知ったからだ。知ったときには既に手遅れの感がある。

 しかし、元を正せば奴らの身から出た錆、と言うべきではないだろうか。そうなると後の問題はフォルケル達をどうするか、と言う事になる。

「俺たちはトラブルに巻き込まれたくは無い。だが、正直に言えばあんた達の腕は欲しいと思ってる。だから、奴らが去った後、あんた達が戻ってきて雇ってくれと言うのなら雇うだろう」

 俺はそう伝える。つまるところトラブルは自力で解決してから頼ってこい、と言う事だ。厄介なトラブルに対応するだけの力は今の俺には無く、守るべき者も多いのだ。

「ありがたい。それだけ聞ければ思い切った行動が取れるよ。明日は奴らの事を冷たくあしらってくれ、後はクロップが上手くやるだろう」

 フォルケルはそう言うと、頭を下げてから離れを出て行った。その横顔は、覚悟を決めた男の顔であった。



 翌朝、酷い二日酔いに耐えながらも、何とか市場での仕入れ――殆ど前日食い尽くされていた――を済ませ、昼間の営業のための仕込みを開始した直後であった。

 地鳴りかと思わせるような音を響かせて、ベニッツ親子三人が酒場に怒鳴り込んできた。

「フォルケルを出せぇ、お前らが匿っているのはわかっているんだぞ!」

「そうザマス、そうザマス、出すザマス~」

「ゾフィーアもだ、あの売女どこに消えやがった!!!」

 各々が、際限なく興奮してがなり立てるので、俺にはけたたましい騒音にしか聞こえない。いい加減、怒鳴りつけようと大きく息を吸い込んだ瞬間、俺より先に彼らを一喝する声が上がった。

「人の店で、何わめき散らしてるんだい!」

「ななな、何を言うか、元はと言えばお前達が」

「そうザマス。そうザマス」

「あの売女を」

 なおも続けようと口火を切りかけた三人を、鋭い視線で黙らせる。

「うちの店が関係してる、確かな証拠があって言ってるんだろうね? 間違いでしたじゃ、済まさないよ」

 ハンナは鋭い啖呵を切った。

「しかし、それ以外に考えられるか! 朝になってみれば、フォルケルの姿が無い、息子の嫁のゾフィーアとエディッタまで消えておるんだぞ? 我らの機密欲しさに、お前達が仕組んだとしか考えられんじゃないか」

 ハンナの剣幕に気圧されながらも、キロルゼンはしぶとく言い募る。

 その時、いつの間に現れたのか、クロップが二人の子供引き連れて三人の背後に立った。

「あのお、実は黙っていろと脅されていたのですが、フォルケルさんは今朝早く王都の方面に向かって出発されました。かなり急いでおられたようですが、何かあったのでしょうか?」

 彼はのんびりと、まるで世間話でもするように言った。事の重大性をまるで認識していない風だ。フォルケルが言っていた“クロップが上手くやる”とは、このことだろう。

「なんだと、なぜそれを早く言わん!」

 キロルゼンはクロップを睨み付けているが、彼は飄々と受け流し、

「早く追いかけないと、逃げ切られてしまうのでは?」

「クッ、確かにそうだ。行くぞ」

 キロルゼンは、こちらに詫びの一つも言わずに、ドスドスと足音を響かせて店を出て行く。もう怒る気にもなれず、早く視界から消え去って欲しいのみだ。

「あ、馬車を回しておきましたが、私まで乗ると定員オーバーになってしまいますね。フォルケルさんに追いつけなくなります」

「よし、ではお前は後から歩いて戻ってこい。遅くなるんじゃ無いぞ」

 キロルゼンは信じられない事を命じて、彼らが乗り降りする事が出来るように荷台の後ろに細かいステップの付けられた馬車に乗り込んでいく。

 個人的に彼らが馬車に乗るなら輓馬が必要なんじゃ無いかと思ったら、本当に輓馬が引いている。御者席にはエロルゼンが座り、憤怒の表情で馬を走らせ始めた。

 「あの、糞売女めぇ。見つけたらただではすまさんぞぉ」

 そんな声が、走り去る馬車から響いてくる。クロップは遠ざかる馬車を、手を振りながらのんびりと眺めている。

「なあ、クロップ」

 俺は色々と問い質すため、クロップの傍に歩み寄った。

「なんでしょう?」

 クロップは解放感に包まれた、晴れやかな顔をして向き直った。昨日までは大人しそうな、気弱な青年に見えていたが、まるで人が変わったような変貌を見せている。

「フォルケルは今どこだ? それに、奴らが言っていた、ゾフィーアとエディッタまで消えていたとはどういう事だ?」

 俺は今回、全くと言っていいほど事態を掌握しきれていない事に苛立っていた。

 もう少し慎重に情報を集め、混乱を生じさせないで事態を調整する、いい方法があったのではないかとの後悔の念が湧き始めている。

特に、ゾフィーアが失踪したという話に、フォルケルが無関係だとは到底思えない。だとするならば、平和であったかどうかは別にして、子供までいる家庭の崩壊の引き金を引いたかもしれないという、俺の後味の悪さは遺憾ともしがたかった。

 俺には、自身の幸福を追求するのは人間の権利であるとの思いもあるのだが、そこに他者の幸福を踏みにじる権利まで含まれているとは考えていない。もしそんなことが許されるならば、他人が自分を踏みにじることを認めなければならなくなる。そうなれば後は、力と力がぶつかり合い、力ある者が利己的な欲求を押し通す、弱肉強食の世の中が到来するだけである。それはあまりにも不毛な生き方であろう。だから俺は、相手の立場を考慮し、調和の取れた結果を残すことを信条としているつもりだ。

 しかし世の中は、そんな理想論がまかり通るほど平和ではなく、むしろ利己的な相手の方が多数を占めていることも理解している。だがそんな相手であるならば、俺も遠慮する必要を感じなくて済み“目には目を歯には歯を”の精神で応酬することができる。

 そして、俺の考える“目には目を歯には歯を”の精神には、“恩には恩を義理には義理を”返すことが謳われており、俺の対人関係における基本的なスタンスとなっている。

 だが一方で、子供に対してはこの考えを当てはめていない。なぜなら子供は独り立ちするまで、一方的に守られてしかるべき存在だと思っているからだ。これを否定することは自身の子供時代を否定し、自分を育んでくれた周囲の大人たちの心を踏みにじる、人間として最低の行為だと思っているのだ。

 そんな俺からしてみれば、自身の発案が引き金になって子供と母親とを引き離す結果になったとすれば、自身の信条とは相容れない結果と言うべきで、看過し得ない事態だ。自然と追及の姿勢は厳しいものとなる。

「フォルケルさんは、ゾフィーラさんと一緒に街外れに身を隠しています。私も正確な位置まではわかりませんが、明日には戻ってくると思います」

「なら、お前で構わない。知っていることを洗いざらい喋ってもらうぞ」

 俺はクロップを促し、万が一にもベニッツ親子が戻ってきた場合に備えて、話をする場所を変えることにし、俺とユーリエの部屋がある離れのリビングに案内する。クロップを座らせ、自分も対峙する形で席に着く。昨日の深夜、フォルケルが座っていた位置に、クロップが座る形だ。

「フォルケルは何を考えている。昨日の話ではゾフィーラの事など何も聞いていないぞ、子供から母親を取り上げるようなことの片棒を、俺たちに担がせるつもりか」

 俺の厳しい言葉にクロップは困惑の表情を見せ、先ほどの喜びから一転して厳しい表情を浮かべる。瞳には猜疑の光が浮かび、こちらを非難する気配すら漂わせている。理不尽なことを言われていると感じているらしい。

「最初から、これも計画のうちだったのか?」

 クロップの様子に頑なさを感じるが、俺とて引き下がる気はなかった。

「そうです。あの二人は元々言い交した仲だった。それを無理矢理横入りして、奪いとったのはエロルゼンのやつです」

「だからって子供たちのことも考えずに、大人の都合で引き裂くのか? そもそもなぜ子供たち全員ではなく、エディッタだけを連れて逃げた?」

 俺の最大の疑念はそこだった。三人を連れて逃げたのならまだしも、一人だけ連れて逃げるのが解せない。三人が同列でない理由が何かあるのだろうか?

「エディッタは、フォルケルさんの娘だからです」

「なんだって!」

(エディッタは三歳だったはずだ、という事は二人の関係は四年以上も続いているという事なのか、それほど根の深い問題だったとは・・・・・・)

「ゾフィーラさんは、前徒弟頭の一人娘でした。そして、若手の有望株だったフォルケルさんと恋仲になり、前徒弟頭もそれを認めていたそうです。しかしあるとき、エロルゼンがゾフィーラを呼び出して無理矢理に自分の物にしたのです。当時、ゾフィーラさんの母親が病に臥せっていたそうで、薬代が必要だった事や、父親の職を盾に取って脅したと噂されています。しかし、母親はすぐに亡くなり、後を追うように父親も亡くなって、悲しみに暮れる彼女を支えたのが、フォルケルさんなんです」

 聞けば聞くほど、ベニッツ親子の下種加減が強調される話だが、この話が事実なのかどうかを、俺が知るすべはない。ベニッツ親子の為人ひととなりを見て判断するなら、十分に考えられそうな話ではある。だが、敵対者である徒弟側の意見だけを聞いて判断するのは、正しい判断とは言えないだろう。

 しかし、もうすでにここに至っては、これだけ拗れ、壊れた人間関係を解決できる妙案はありそうになかった。ここで彼らを責め、彼らを雇わない決断をしたところで、より多くの不幸な人間を生み出す事になるだけだろう。

「わかった。納得は出来ないが、個人の事情にまで立ち入ることはやめておこう。これ以上、不幸な人間を生み出しても意味は無いからな」

 俺はそう結論づけ、クロップに伝えた。

 クロップは、明らかに安堵した表情を見せ、頭を下げた。

「とりあえず、四人のための住居を用意させよう。それから工房を建ててそっちへ移って貰う、これほど急に話が進むとは予想していなかったのでね、しばらくは不自由を掛けるかも知れないが、我慢してくれ」

 俺はそう告げて、クロップを案内するために離れを出た。

(これ以上の混乱は避けたいところだ、事業の効率を優先しすぎて、調査を疎かにした俺の責任だな。今後はもう少し慎重に行動すべきかも知れない)

 俺の胸中には未だに苦い物が残っているが、すこしでも現状が良くなる選択をしたつもりではある。それでも、どこか割り切れないものを感じてしまうのであった。


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