ずっとまえから
子供は大輔くんの就職が決まってから、という誓約つきで結婚したのはあれから1ヶ月後のこと。学生結婚ということでお父さんは大反対したけど、大輔くんの真っ直ぐな言葉で最後には折れてくれた。
「――ほーら、パパだぞぉ~」
まだ耳もちゃんと出来上がっていないうちから私のお腹に声をかけている栗色の髪に溜息を吐く。
「大輔くんってば、一体いつまで話しかけるつもり?いい加減片付けないといつまでも終わらないでしょ」
「大丈夫だよぉ美佳さん。どうせ明日も休み取ってあるしさ」
部屋の隅には未だ積み上げられたままのダンボールの山がある。この家に引っ越してきたのは昨日のことだ。
「親バカになりそうで今から心配なんだけど・・・」
子供が出来てしかも女の子だと知るや否や、大輔くんはずっとこの調子だった。出会ってから今までの私への態度を考えても、娘にデレデレの子煩悩パパ、という構図がはっきりと見える。
「そりゃ親バカにもなるよ。美佳さんの赤ちゃんなんだから可愛いに決まってるし」
でしょ?と締まりのない顔で笑う大輔くんに、私は何も言えなくなってしまった。我が子にちょっと嫉妬していた自分が馬鹿らしくなってくる。
「・・・ずるいよね、大輔くんは」
「え?」
大輔くんのアプローチがすべて本心だと分かってからは、こういう言葉にいちいち照れてしまってこっちばっかり恥ずかしい思いをしていた。大学を卒業する頃には“サークル随一のバカップル”として翔子以上の伝説を作り上げてしまったほどだ。半年前に挙げた遅い結婚式では友人代表のスピーチで翔子にそれを暴露されてしまい、私はしばらく赤面して俯いたままだった。翔子も来年には浩二くんと式を挙げるらしいので、そのときには例の2日伝説を暴露してやろうと密かに考えている。
引越しの挨拶のため、私はその晩向かいの家を訪れた。大輔くんには部屋を片付けさせている。
暗がりでよく見えないが、表札には筆記体で「AYANA」と書かれているようだった。
「“あやな”って・・・まさかね」
インターホンから女性の声が聞こえてきた。
『――はい、どちらさまでしょうか?』
「向かいに引っ越してきました城夜と申します。ご挨拶に伺いました」
『まあ、そうですか。少し待っていてくださいね』
何か手間取っていたのか、ドアが開いたのは1分ほどしてからだった。
「すみません、少し動きにくいもので――」
その奥から出てきたお腹の大きな女性は、
「幸・・・?」
長かった黒髪はばっさりと切られているけれど、間違いない。
「もしかして、美佳ちゃん・・・?」
「そう!そうだよ幸!すごい、こんなことってあるんだ・・・」
大学を卒業して以来連絡の取れなくなっていた幸と、こんなところで再会できるなんて思ってもみなかった。結婚式に呼べなかったことを少し後悔していたのに。
再会の喜びに手を取り合っていると、目の前のドアと背後のドアから音がした。
「おい何してるんだ、幸――」
「美佳さん、どうかしたの――」
同時に顔を出した夫二人は顔を見合わせた。
「あ、どうもこんばんは・・・」
「すみませんお騒がせしまして・・・」
頭を下げるところまで同時だったのがおかしくて、間に立った私と幸は思わず噴き出した。
△△△
洗い物をしていると、くいくいとエプロンが引っ張られた。
「――ねえねえ、おかあさん」
「なあに、由佳?」
「おとうさんは、“けっこん”のときゆびわをつくったんでしょ?どんなゆびわ?」
どうやら大輔くんが吹き込んだらしい。まだ5歳の娘は最近“けっこん”について興味津々だった。
「うーん、おとうさんに訊いてみたら?」
「わかったぁ」
由佳は父親そっくりの栗色の髪を揺らしてとてとてと駆けていく。ちょうど寝室から大輔くんが出てくるところだった。
「おっ、由佳。しーっ、だぞ。勇生が起きちゃうからな」
「うん。あのね、おとうさん・・・」
由佳はこくりと頷いたあと、しゃがみ込んだ大輔くんの耳元で囁く。
「ユカ、おおきくなったらきょういちくんと“けっこん”するの。だからゆびわのつくりかた、おしえて?」
「な、なんだってえええ!?」
あちゃー。とうとうこのときが来たか。きょういちくん、というのは幸と京介くんの子で由佳ともよく遊んでいる。
「おとうさん、しーっ」
由佳が怒ったように人差し指を口に当てるが、大輔くんはそれどころじゃないみたいだ。
「ゆ、由佳!それはダメだ!由佳にはまだ早い!!」
騒いでいると案の定勇生がぐずりはじめた。私は溜息を吐くと、急いで寝室に向かう。
「もう、勇生が起きちゃったでしょ!これ以上騒がないで」
「だ、だって美佳さん!」
「だって、じゃないの!・・・ごめんね、勇生。うるさかったよね~」
抱き上げて勇生をあやしていると、襖の向こうからぼそぼそと声が聞こえてくる。
「――だからな、由佳。指環は大きく作るものなんだぞ?」
「でも、それじゃあユカつけられないよ?」
「それでいいんだよ・・・じゃなかった、そのくらい大好きってことさ。指環は大きければ大きいほどいいんだ」
「そっかぁ。じゃあおっきくつくるね!」
またあんな嘘を吹き込んで・・・本当に大輔くんは親バカなんだから。今からこんなんじゃ、本当にお嫁に行くときどうなってしまうやら。
「・・・ま、そのときは私が慰めてあげますか。ねえ、勇生?」
だー、と勇生が拳を突き上げて、私はそれに微笑むのだった。
END
読んでいただいた方には分かるかと思いますが、このお話は「きっとどこかに」シリーズの前日譚となるお話になります。京介と幸の子供が京一で、美佳と大輔の子供が由佳と勇生ですね。
本編で由佳が「お父さんも花の指環でプロポーズした」と言った辺りからこのお話のことはずっと考えていて、いつか書きたいとずっと思っていたものです。初見の方に本編を読んでもらうきっかけになればいいな、と思います。
京介のキャラクターはほぼ京一そのままです。幸がかなり感情を表に出す方なので、バランスを取るためツンデレ度が増した感じ。幼馴染に対してまだ照れが残っているんですね。まあ京一と違って好意がはっきりしていますからこんな風になるのかな、と。
美佳は敢えて由佳とは違う感じにしたので飄々としたキャラクターですけど、察しのよさだとか秘めた強さだとかはやっぱり親子だなぁと思います。飄々とした部分は勇生の方に受け継がれたんでしょうね。
大輔は敦史っぽさを意識しました。一応理由はあるんですが・・・ネタバレになるのでここでは言いません。
まあ何が言いたいかというと、親世代と子世代で話をリンクさせたかったんですね。運命のいたずらというか、そういうものを感じ取っていただければ幸いかな、と。
今のところ「きっとどこかに」「それはひそかな」それぞれの番外編のネタが残っているのですが、いつ投稿できるかは分かりません・・・シリーズ以外の話もそろそろ上げたいところですし。
気長に待ってやってください・・・はい。
※美佳たちが通っていた聖陽学園は女子高という設定だったことをすっかり忘れていました・・・orz
この話を修正することは難しいので、「きっとどこかに」~「きっといまなら」の方で設定を直しておきたいと思います。
ではでは