僕らの敗北は、いつか紺碧の空に溶ける。あるいは、永遠という名の幼馴染ループについて
2040年代の夏。
太陽は相変わらず無慈悲に地上を焼き、アスファルトの匂いは数十年経っても僕の三半規管に「あの頃」を強制フラッシュバックさせる。
僕、西野和彦は、もはや「初老」という区分に片足を突っ込みながら、かつて僕たちのすべてが始まったあの海辺の防波堤に座っていた。
人生という名の長い長い「負け戦」を戦い抜き、ようやく手に入れたのは、静寂ではなく、相変わらず耳元で騒ぎ立てる四つの喧騒だった。
「……ねえ、和彦くん。こうして並んで海を見てると、なんだか昨日もここにいたみたいな気がするね。……私、おばあちゃんになっても、和彦くんの前では17歳のままでいられる気がするんだ」
隣で羽賀杏菜が、潮風に髪をなびかせながら、僕の肩にそっと頭を乗せた。
彼女の肌は時を重ねて柔らかくなったけれど、僕のシャツを掴む指先の力強さは、あの夏休みの宿題を押し付けられた時と少しも変わっていない。
「……杏菜。17歳のままなのは、君の家事の要領だけにしてくれ。……だが、まあ、この景色だけは、僕たちの劣化を笑わないでいてくれるみたいだな」
僕がそう毒づくと、杏菜は「もう、相変わらずなんだから」と嬉しそうに笑った。
この笑顔を守るために、僕は一体どれだけの「やれやれ」を積み上げてきただろう。だが、僕の背後には、その「やれやれ」を福利で増幅させる債権者たちが、今日も元気に集結していた。
「西野。海水の塩分による衣類の腐食を考慮しなさい。……杏菜、あなたのその『思い出補正』による情緒的な発言は、私の厳密な人生記録においては誤差の範囲内よ。私の作成した『終活に向けた資産運用の最終合意書』の追補版に、速やかに署名しなさい」
一ノ瀬佳樹が、最新型のタブレットを盾のように構えて、砂浜をヒールで踏みしめて現れた。
彼女は法曹界の神話となった今でも、僕の人生の「法的欠陥」を修正することに全精力を注いでいる。
佳樹にとって、この海辺の再訪は、僕との契約が死を超えて継続されることを確認するための、一種の儀式なのだ。
「一ノ瀬……お前、自分の銅像の除幕式はどうしたんだよ」
「あなたの隣に私の居場所を確保すること以上に、歴史に残すべき事業など存在しないわ。……西野、そのジャケットの襟。海風で0.3ミリ浮いているわね。私が完璧にアイロンをかけ直してあげるから、そのまま石像のように固まっていなさい」
佳樹の独占欲は、今や「歴史の保存」という名の強迫観念と化し、僕の余生をミリ単位で完璧に包囲していた。
「おーい! 和彦! 杏菜! 泳ぐぞ! 私がさっき、海パンのままコンビニでビールとスイカを仕込んできたからな!」
和久井檸檬が、現役のトップアスリートも真っ青な身のこなしで、テトラポットの上から飛び出してきた。
彼女はスポーツ界の至宝と呼ばれながらも、僕たちの前ではあの頃の「暴走機関車」のまま、僕の平穏を豪快に蹴散らしていく。
檸檬は僕の背中をバシッと叩くと、夕焼けに染まる海を見つめて、少しだけ誇らしげに笑った。
「和彦、お前、最後まで私のライバルでいろよ。……私が天国まで先に行っても、お前をスクラムで引きずり上げる準備はできてるからな!」
檸檬の明るい声。けれど、彼女が僕の腕を掴む手のひらに、震えるような感謝が宿っているのを、僕は知っている。
彼女にとって、この「五人」というチームだけは、どんなメダルよりも輝かしい、唯一無二のゴールだった。
「……和彦、さん。……これ、来世の……あなたに、贈る……呪……メッセージ、です。……嘘です、ただの、私の……全集……です。……これを、墓石の……下に、埋めておけば……生まれ変わっても、私の、声から……逃げられません」
影の中から、文学の巨星となった柏木小鞠が現れて、鈍器のような厚みの本を差し出してきた。
彼女は言葉で世界を呪い、そして救ってきたが、その瞳に宿る執念は、出会ったあの図書館の片隅と同じ、静謐な闇を保っている。
小鞠の瞳。それは、僕がどれだけ遠い未来へ旅立とうとも、その魂を自らの筆致で捉え、永遠の物語の中に繋ぎ止めようとする、深淵のような愛の重力だった。
やれやれ。
結局、僕たちはいつもの五人で、防波堤に並んで腰を下ろした。
杏菜が僕の手を握り、佳樹が僕の将来を査定し、檸檬が僕の背中を叩き、小鞠が僕の影を静かに踏んでいる。
「……ねえ、和彦くん。私たち、最高に幸せな負け犬だったね」
夕陽が水平線に沈み、空が深い群青色へと溶けていく。
僕たちは、誰かに勝とうとしたわけじゃない。ただ、この騒がしい「檻」の中で、お互いの体温を必死に繋ぎ止めてきただけだ。
そして、その結果がこの光景なのだとしたら、僕は喜んで、何度でも敗北宣言を口にしよう。
「……どうせ、来世でもなんでも、恋してしまうんだろうな、僕は」
本日、波の音と潮風の中で零れた、人生の総決算としての敗北宣言。
僕は、四人の少女たちの重すぎる情念と、隣で微笑む彼女の温度を噛み締めながら、ただ深く、深く、最高の満足を込めた溜息をついた。
物語は、ここで一旦幕を閉じる。
けれど、僕たちの「青春」という名の美しい地獄は、きっとこの海の向こう側まで、ずっと、ずっと続いていくのだ。




