未来の先にある現在地。あるいは、巡る季節と僕らの終わらない敗北宣言について
2030年代も半ばを過ぎ、世界がいよいよ僕たちの空想を追い越し始めた頃。
僕、西野和彦は、毎朝同じ時間に目覚ましを止め、同じ道を通って職場へ向かい、同じ顔ぶれに溜息をつく――そんな、驚くほど安定した日常を生きていた。
それを「幸せ」と呼ぶべきなのかどうか、正直なところ、今でも分からない。
ただ一つ確かなのは、あの頃必死に守ろうとしていた「変わらない関係」は、いつの間にか形を変えながら、もっと逃げ場のないものへと進化していた、という事実だけだ。
「……ねえ、和彦くん」
背後から声がして、僕は手を止める。
ベランダのプランターに植えた小さな桜の枝。その蕾を指差しながら、羽賀杏菜が微笑んでいた。
「今年も綺麗に咲きそうだね。……あの頃、みんなで見た桜と、同じ色」
「……ああ。そうだな」
短く答えながら、僕は無意識に逃げ道を探す癖が、もうほとんど意味を持たなくなっていることを自覚する。
付き合い始めてから、そして同じ生活を送るようになってから、一体何度この季節を一緒に越えてきただろう。
「でもさ、花びらの掃除をする側の身にもなってほしいんだけどな。風流と清掃コストは、常にトレードオフの関係にある」
「もう。……せっかくいい雰囲気だったのに」
杏菜はそう言いながらも、僕の肩に自然に頭を預けてくる。
その距離感に、今さら戸惑う理由はなかった。
人生の後半戦。
僕たちは、かつて屋上で語り合った「未来」の、そのさらに先――誰も正解を用意していなかった現在地を歩いている。
そして、その道行きにおいてもなお、僕の周囲には、相変わらず強烈な存在感を主張する面々が揃っていた。
「わはは! 佳樹、湿っぽいのはそこまでだ!」
空港のロビー。
和久井檸檬の豪快な声が、少し張り詰めた空気を破る。
「お前がいない間、和彦の隣は私が死守しといてやるよ! 選考会に勝ったら、この街に私の銅像でも建てさせてやるからな!」
「……それ、税金の使い道としては却下だな」
そう返しながらも、僕は視線を逸らせなかった。
「……一ノ瀬、さん。……佳樹さんが、いない……物語、は……筆が進み……ません」
柏木小鞠が、眼鏡を拭きながら小さく呟く。
その声には、冗談とも本気ともつかない重さがあった。
やれやれ。
僕たちは大人になった。
それぞれの道があり、それぞれの戦場がある。
けれど――
この四人と僕の関係だけは、時間というものを踏み越えて、いつの間にか「選択肢」ではなくなっていた。
「……一ノ瀬。行ってこい」
自分でも驚くほど、自然に言葉が出た。
「……僕たちの『負け戦』は、お前が帰ってくるまで、そのままにしておく」
佳樹は一瞬だけ目を見開き、それから、これまでで一番美しい、満開の笑顔を見せた。
「……当然よ。……判決を待っていなさい、西野和彦」
彼女は振り返らず、搭乗ゲートの向こうへと消えていく。
残された僕たちの頭上には、不必要なまでに高い、夏の青空。
未来は、まだ続く。
そして僕は、相変わらず逃げきれない中心点として、四人の視線と体温を引き受けたまま、その先へ歩いていくのだろう。
どうせ――
この敗北宣言だけは、何度でも更新されるのだから。




