純白の降伏文書。あるいは、誓いのキスの裏側に隠された「四方向からの永久拘束」について
2030年。カレンダーの数字が、かつて空想だと思っていた領域に踏み込んだ、雲一つない晴天の午後。 僕、西野和彦は、タキシードという名の「終身刑の囚人服」に身を包み、チャペルの控え室で鏡を眺めていた。 結局のところ、20代という季節は、僕が彼女たちの包囲網から脱出するための期間ではなく、どの角度から捕まるのが最も安らかかを悟るための、長い長い「諦め」の予習期間だった。
「……ねえ、和彦くん。ネクタイ、また曲がってる。……これからは、私が毎日、あなたの呼吸が止まらない程度に、きつく、優しく結び直してあげるからね」
背後から、羽賀杏菜が純白のウェディングドレスを纏って現れた。 それは彼女の無垢さの象徴ではなく、僕の人生の余白をすべて白く塗りつぶし、他者の介入を許さないという「独占禁止法違反」の旗印に見えた。
「……杏菜。誓いの言葉を言う前に、絞殺されるのは勘弁してくれ」 「ふふ、大丈夫。もし和彦くんが倒れても、私がそのまま引きずってバージンロードを完走するから。……ねえ、知ってる? 私のドレスの裏地、みんなが少しずつ糸を縫い込んでくれたんだよ。だからこれ、私一人じゃなくて、みんなで君を捕まえてる服なんだ」
戦慄した。彼女は「正妻」という座を手に入れる代わりに、他の三人が僕に干渉し続ける権利を、この純白の布の下に「密約」として縫い込んでいたのだ。
「新郎。心拍数が平常時より12%上昇しているわ。一ノ瀬法律事務所の代表として、この婚姻に伴う『和彦共有管理規定』の最終確認に来たわ」
一ノ瀬佳樹が、祝辞の原稿という名の「判決文」を手に現れた。 「杏菜が戸籍を管理し、私が資産とスケジュールを管理し、檸檬が肉体的な健康を管理し、小鞠が精神の深淵を管理する。これで法的にも感情的にも、あなたの逃げ場は完全に消失したわ。おめでとう、西野。今日からあなたは、私たちの『永久欠番』よ」
「和彦! 杏菜! 準備はいいか! 披露宴の余興はラグビー部員全員でスクラム組んで祝ってやるからな!」
和久井檸檬が、他大学の指導者となった逞しい腕で僕の背中をバシッと叩く。 「お前が誰と結婚しようが、私の『一番』はお前だって決めてるんだ。……だからさ、これからも遠慮なく、私のために走り続けろよ」
「……和彦、さん。……これ、結婚祝いの……真綿の……クッションです。……私たちが、その中に……溶けて、夜通し……二人の寝息を、観測していますから」
影の中から柏木小鞠が現れ、微かに彼女の香水の匂いがするクッションを差し出してきた。 彼女は僕を「永遠の主人公」として自らの物語に幽閉し、現実の僕がどれだけ杏菜と時を重ねようとも、精神の核だけは自分の闇の中に繋ぎ止めておくことを、湿った瞳で誓っていた。
やれやれ。 扉が開く。パイプオルガンの音が、僕の独身生活への弔鐘のように鳴り響く。 僕は隣を歩く杏菜の体温を、背後から突き刺さる佳樹の理性を、右側で笑う檸檬の鼓動を、そして足元に纏わりつく小鞠の執念を、全身で受け止めた。
「……ねえ、和彦くん。私たち、幸せだね」
バージンロードの先、ステンドグラスの光の中で、杏菜が僕を見上げる。 その笑顔は、かつての放課後、僕のボタンをねだった少女の面影を残したまま、僕を世界の終わりまで連れて行く決意に満ちていた。
「……ああ。……これ以上の幸せは、僕のキャパシティを優に超えているよ。……参ったな、本当だ」
僕の口から零れた、人生最大にして、死ぬまで有効な敗北宣言。 僕は、4人の少女たちの重すぎる情念を、これから始まる長い「地獄という名の楽園」への供え物として、深い、深い、諦めの溜息と共に飲み込んだ。
結局、僕は「西野和彦」であることを諦め、彼女たちの「共有財産」であることを選んだのだ。
「……どうせ、一生かけて恋でもなんでもしてしまうんだろうな、僕は。……この、四人全員に」
本日、神の前で誓った、最高級の敗北宣言。 僕は自分を縛り付ける四つの視線と体温を、未来へと続く青空の中に溶け込ませながら、ただ静かに、幸せな絶望を噛み締めた。




