図工室の幽霊と、饒舌すぎた幼馴染の沈黙について
文化祭前夜。校舎全体が、熱病に浮かされたような独特の喧騒に包まれている。
僕はといえば、クラスの出し物である巨大オブジェの最終調整という、いかにも「労働力の安売り」な役回りを押しつけられ、薄暗い図工室に居残っていた。
「……ふう。これでようやく終わりか」
腰を伸ばして一息つくと、背後の棚の陰から、控えめな、けれど確実な気配がした。
柏木小鞠。
4人の幼馴染の中で最も小柄で、僕の影に隠れるのが定位置だった彼女が、お化け屋敷の小道具を抱えてそこに立っていた。
「……和彦、さん。まだ、いたんですね」
「柏木か。君こそ、その荷物はどうしたんだよ。小鞠のクラスは展示だけのはずだろ?」
「……手伝いです。断れなくて。あと、少しでも……長く、ここにいたかった、から」
小鞠は視線を泳がせながら、小さな声で呟いた。
柏木小鞠。彼女は一見すると「守ってあげたくなる系ヒロイン」のテンプレを地で行く存在だ。
だが、その内側には、一ノ瀬佳樹のような論理的な強さとも、和久井檸檬のような身体的な躍動とも違う、静かで、それでいて頑固な熱が潜んでいる。
「……ねえ、和彦さん。覚えてますか? 昔、ここで一緒に、秘密基地を作ったこと」
「ああ。確か、10歳の時だったかな。掃除用具入れの中にダンボールを持ち込んで、先生にこっぴどく叱られた」
「……はい。あの時、和彦さんが『小鞠は僕が守るから』って言ってくれて。……私、ずっと、それを、お守りにしてたんです」
小鞠が少しだけ、僕に歩み寄った。
図工室の窓から差し込む月光が、彼女の眼鏡を白く光らせる。
彼女との距離が縮まるたび、部屋に漂う木材の匂いや絵の具の香りが、どこか甘い、彼女自身の匂いに塗り替えられていく気がした。
「……でも、和彦さんは、私だけの和彦さんじゃなくなっちゃった。杏菜さんも、佳樹さんも、檸檬さんも。みんな、和彦さんの特別になりたがってる」
「……柏木?」
「……私、一番、後ろにいるから。みんなの背中を見てるから、わかるんです。このままじゃ、私は……ただの『幼馴染4人目』で終わっちゃう」
彼女の手が、お化け屋敷用の白い布を強く握りしめた。
震える声。けれど、その瞳には逃げ場のない決意が宿っている。
和久井檸檬が「疾風」なら、柏木小鞠は「深海」だ。
静かに、けれど確実に、僕の足元から全てを飲み込んでいこうとする。
「……私にも、賭けさせてください。杏菜さんたちの、あの『賭け』に。私だって、和彦さんの『境界線』を越えたいんです」
「……っ」
僕は息を呑んだ。
温水和彦という平凡な男の日常を、彼女たちは次々と、容赦なく「青春」という戦場に引きずり出していく。
平穏を愛するモブキャラとしての僕の防壁は、もうボロボロだった。
「……どうせ、恋でもなんでもしてしまうんだろうな、僕は」
本日何度目かの、そして最も絶望的な敗北宣言が、口をついて出た。
小鞠は僕の独白を聞くと、ふっと、いつもの彼女らしい、けれど少しだけ挑戦的な微笑みを浮かべた。
「……和彦さん。逃げても無駄、ですよ。だって、私たちは……17年間も、あなたの隣にいるんですから」
図工室に響く、遠い喧騒。
けれど、僕の耳には、目の前の少女の小さくて力強い心臓の音だけが、不自然なほど大きく聞こえていた。




