誕生日という名の時限爆弾。あるいは、恋する乙女の賞味期限について
5月。ゴールデンウィークという名の、受験生にとっては「地獄の特訓期間」でしかない連休が過ぎ、校庭の緑はいよいよ目に痛いほどの深さを増してきた。
僕、西野和彦の日常は、相変わらず四人の幼馴染という名の包囲網によって、そのプライバシーの九割九分を剥奪されている。
「ねえ、和彦くん。……もうすぐ、私の誕生日なんだけど……覚えてる?」
放課後の図書室。
隣の席で英語の長文読解と格闘していた羽賀杏菜が、テキストの影から上目遣いで僕を覗き込んできた。
もちろん覚えている。彼女の誕生日は、僕ら幼馴染五人にとって、正月の次に重要な定期イベントだ。
だが、付き合っている状態での誕生日は、これまでとは決定的に意味が違う。それは、ただの祝祭ではなく、僕の「恋人としての資質」を問われる公開処刑にも等しい。
「……忘れるわけないだろ。もうすぐ18歳か。選挙権も手に入るし、成人だな」
「もう、そういう理屈っぽいのはいいの! ……ねえ、何してくれる? 私、今年は和彦くんと二人きりがいいな……なんて」
杏菜が僕の机の下で、僕の足を自分の足でそっと突ついてきた。
図書室の冷房が、彼女の熱っぽい視線を冷やすには全く足りていない。
僕の理性が「勉強しろ」と警鐘を鳴らす中、彼女の期待に満ちた瞳が、僕の思考回路をショートさせていく。
「……羽賀杏菜。公の場での過度な誘惑は、他の利用者の学習効率を著しく低下させるわ」
背後から、凍てつくような判決が下された。一ノ瀬佳樹だ。
彼女は自分の模試の結果表を僕の机に叩きつけるように置くと、眼鏡の奥の琥珀色の瞳を鋭く光らせた。
彼女にとって、杏菜の誕生日は「和彦との学習計画が大幅に削られる不確定要素」以外の何物でもないらしい。
「西野。彼女の誕生日は日曜日よ。その日は全統模試の解説講義があるわ。恋人の機嫌取りと、将来の展望。今のあなたにとってどちらが優先事項か、計算するまでもないはずよ」
「佳樹ちゃん、それはひどいよ! 一年に一度のお祝いなんだよ? ちょっとくらい休んだって……!」
佳樹と杏菜。二人の間で火花が散り、図書室の重苦しい空気がさらに凝縮されていく。
そこに、窓の外から賑やかな声が割り込んできた。
「おーい、和彦! 杏菜の誕生会、今年も私の家で盛大にやるぞ! 特大のプロテインケーキ、もう予約しといたからな!」
和久井檸檬が、窓の外の廊下から身を乗り出して叫んだ。
推薦合格組の余裕というやつだろうが、彼女の「二人きりにさせない」という意志は、佳樹のそれよりも直球で、かつ回避不能な力強さを持っていた。
彼女は僕の肩を叩くふりをして、杏菜を牽制するように笑う。
「……和彦、さん。……私も、プレゼント……用意して、あります。……和彦さんが、杏菜さんに……あげるものの、隣に……置けるように」
闇の中から、柏木小鞠が僕の袖を掴んで現れた。
彼女は一人だけ別のクラスになったことで、情報の入手経路を「影のネットワーク」へと特化させていた。
彼女の瞳に宿る、静かな、けれど決して逃がさないという執念。
それは、杏菜の誕生日という華やかな舞台の裏側で、着実に僕への包囲網を縮めていた。
やれやれ。
杏菜の誕生日まで、あと一週間。
僕の周りでは、当の本人である杏菜の期待と、それを阻止しようとする佳樹の論理、無理やり巻き込む檸檬の勢い、そして影から忍び寄る小鞠の情念が、複雑怪奇に絡み合っていた。
「……和彦くん。私、期待しててもいいかな」
帰り道。
夕闇に包まれた通学路で、杏菜が僕の手を強く握りしめた。
他の三人の目が届かない、ほんの数分間の贅沢。
「……ほどほどにな。僕にできることなんて、知れてるだろ」
「ううん。和彦くんが私のために考えてくれたことなら、何でも嬉しいんだよ」
杏菜が、僕の肩に頭を預けてくる。
制服越しに伝わる彼女の体温。
18歳になる。それは僕たちの関係が、ただの「ごっこ遊び」では済まされなくなる一歩手前であることを意味していた。
「……どうせ、恋でもなんでもしてしまうんだろうな、僕は」
本日、紫色の夕焼けに染まった帰り道で零れた、最大級の敗北宣言。
僕は、4人の少女たちの重すぎる愛情と、迫りくる誕生日のプレッシャーを噛み締めながら、夜の風に吹かれた。
受験という現実。恋という幻想。
その狭間で揺れ動きながら、僕たちの最後の一年は、容赦なくその歩みを進めていく。
僕は、自分を縛り付ける4つの想いを、胸の奥に閉じ込めながら、ただ深く、深く、諦めの溜息をついた。




