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進路希望調査の再演。あるいは、夢見る少女でいられない僕らの現実について

4月も半ばを過ぎると、新入生の初々しい喧騒は校舎の隅へと追いやられ、代わりに3年生のフロアには、湿り気を帯びた「焦燥」という名の空気が漂い始める。

僕、西野和彦の目の前にあるのは、今年度最初となる進路希望調査票だ。

去年の白紙とは違い、そこには僕の将来を規定する冷たい文字がすでに刻まれている。だが、隣の席からは、紙を破らんばかりの強い筆圧と、それとは対照的な弱々しい溜息が聞こえてきた。


「……ねえ、和彦くん。やっぱり、D判定から上がらないよ。私、本当に行けるのかな」


羽賀杏菜が、模試の結果を隠すように僕の方へ身を寄せた。

彼女になったはずの幼馴染。けれど、恋人という称号は、英単語の暗記を助けてはくれないし、数学の証明問題を解いてくれるわけでもない。

18歳の春。僕たちは「付き合っている」という甘い夢から、否応なく受験という名の現実に引きずり戻されていた。


「……杏菜。まだ春だ。今の時期の判定なんて、浪人生を含めた母数での話なんだから気にするな」

「でも、和彦くんはA判定でしょ? 佳樹ちゃんだって……。私だけ、違う世界の住人みたいで、すごく寂しいんだよ」


杏菜の瞳が、春の日差しを反射して、今にもこぼれそうなほど潤んでいる。

僕は、そんな彼女を励ます気の利いた言葉を探したが、僕の脳内にあるのは次時間の現代文の予習だけで、恋人を救う名台詞なんて一文字も用意されていなかった。


「……羽賀杏菜。その甘えは、あなたの受験に対する姿勢をそのまま反映しているわね」


背後から、冷徹な判決が下された。一ノ瀬佳樹だ。

彼女は自分の完璧な調査票を手に、僕たちの間に無言の壁を築くように座り込んだ。

佳樹にとって、僕と同じクラスになったこの一年は、僕の学習環境から杏菜という「不確定要素」を排除するための、最終決戦の場なのだ。


「西野。あなたが彼女のカウンセラーを務める時間は、一日の学習スケジュールの3%以内に抑えるべきよ。……杏菜、不安なら泣く前にこの応用問題集を解きなさい。それが、あなたが西野と同じ場所へ行くための唯一の最短距離だわ」

「佳樹ちゃん、言い方……。でも、分かってるよ。私、頑張るしかないんだよね」


佳樹の琥珀色の瞳は、杏菜の涙を完全に無視し、僕に向かって「分かっているわね、共犯者さん?」と無言で問いかけてくる。

彼女の独占欲は、もはや「教育」という形を借りた、僕への執拗なマーキングと化していた。


「なーんだ、みんな朝から暗いな! 判定なんて、最後に勝てばいいんだよ!」


和久井檸檬が、窓から身を乗り出すようにして僕の首を絞……もとい、ハグしてきた。

彼女はスポーツ推薦で合格が決まっている、この教室で唯一の「勝者」だ。

だが、その明るい声の裏側に、時折見え隠れする寂しさを僕は知っている。

彼女にとっての3年生は、僕との物理的な距離がゼロになるための、最後の猶予期間なのだ。


「和彦、放課後グラウンドで待ってるからな! 勉強の合間に、シャトルラン付き合えよ!」

「……和久井。受験生を心不全で殺す気か。あと、一ノ瀬のペンが折れる音が聞こえたんだが」


やれやれ。

新しいクラス、新しい日々。けれど、僕を巡る4人の幼馴染たちの包囲網は、新緑の季節を迎え、より深く、より逃げ場のないものへと根を張っていた。


「……和彦、さん。……これ、私の、クラスの……進路資料、です。……和彦さんの大学の、近くの、短大……調べて、おきました」


隣のA組から、柏木小鞠が壁の隙間から(あるいは僕の錯覚か)現れて、メモを差し出してきた。

彼女はクラスが分かれたことで、逆に「影からの干渉」というプレッシャーを強めていた。

彼女の瞳に宿る、僕の未来を先回りして包囲しようとする執念。それは、春の陽気さえも凍りつかせる、静かな呪縛だった。


放課後の図書室。

杏菜の隣で、僕は彼女の迷う鉛筆の先を見つめていた。

判定の低さに震える手。それを支えることも、代わりに解いてやることもできない。


「……ねえ、和彦くん。もし、私がダメだったら……」

「ダメじゃない。……僕が、最後まで付き合うって決めたんだから」


僕の口から零れた、本日最大級の譲歩。

それを聞いた杏菜の顔が、一瞬で真っ赤に染まり、彼女は僕のシャツの裾をぎゅっと握りしめた。


「……うん。私、頑張る。和彦くんを、誰にも渡したくないもん」


その言葉は、後ろの席で参考書を捲る佳樹の手を止めさせ、窓際で僕たちを見守る檸檬を黙らせ、影で耳を澄ませる小鞠の指先を震えさせた。


「……どうせ、恋でもなんでもしてしまうんだろうな、僕は」


本日、春の夕暮れに染まった図書室で零れた、最大級の敗北宣言。

僕は、4人の少女たちの重すぎる愛情と、自分自身の甘さを噛み締めながら、再び難解な数式に向き合った。

3年生という名の、最後の戦いが始まった。

その先に、僕たちの「5人の絆」がどう形を変えるのか。

今はまだ、誰も知らない。


僕は、自分を縛り付ける4つの体温を、夕闇の中に溶け込ませながら、ただ深く、深く、諦めの溜息をついた。

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