三人の裏切り者と、僕の進路という名の公開処刑について
1月下旬。センター試験を終えた三年生たちの姿が校舎から消え、卒業へのカウントダウンが本格的に始まった頃、僕、西野和彦の日常には、新たな地獄が待っていた。
「ねえ、和彦くん。やっぱり、私、指定校推薦じゃなくて一般受験にしようかなって……」
放課後の教室。誰もいなくなった机に突っ伏しながら、羽賀杏菜が消え入りそうな声で呟いた。
彼女の瞳には、揺れる不安と、僕への強すぎる執着が混じり合っている。
付き合っているという事実が、かえって彼女の進路を複雑にしている。その責任の重さに、僕は胃の痛みを覚えた。
「……杏菜。指定校推薦は確実なんだろ? それを蹴って、今から一般なんて……」
「だって、そうしないと、和彦くんと違う大学になっちゃうかもしれないでしょ? 私、それが嫌なの。……だから、和彦くんと同じ大学目指して、一緒に勉強したい」
杏菜が、僕の制服の袖をぎゅっと握る。
その言葉は甘く、僕の理性をとろけさせるには十分だったが、次の瞬間、教室の扉が音もなく開き、背筋の凍るような冷気が流れ込んできた。
「杏菜、馬鹿なことはよしなさい。あなたの成績で、今から西野の志望校に一般で合格できるとでも思っているの?」
一ノ瀬佳樹だ。彼女は手にした参考書を音もなく机に置き、杏菜の前に立ちはだかった。
佳樹の眼鏡の奥の瞳は、まるで杏菜の将来を正確に予測するレーダーのように鋭く光っている。
「和彦、あなたも。無責任に彼女の決断を容認するのは、愚の骨頂よ。進路は遊びじゃない。……私は、あなたと同じ大学に進学する。だから、杏菜が別の選択をしても、あなたの生活圏は変わらない。そうよね?」
佳樹の言葉は、杏菜への牽制であり、僕への「絶対に離れない」という無言の圧力でもあった。
だが、その佳樹の背後から、さらに別の影が迫っていた。
「あー、もう! 佳樹も杏菜も、なんでそんなにウジウジしてんだよ! 和彦、お前、いっそ私と同じ大学に来いよ!」
和久井檸檬が、教室に乗り込んできた。部活を引退してからも、その体力は底なしだ。
彼女は僕の首に腕を回すと、そのまま豪快に笑い飛ばした。
「私、スポーツ推薦で他県の大学行くの、もう決まってるからさ。あんたが来れば、誰にも邪魔されないだろ! 毎日、プロテイン作ってやるよ!」
檸檬の誘いは、他の二人とは全く異なるアプローチだった。
彼女にとっては「和彦を独占する」という一点において、場所や手段は問わないのだろう。
「……和彦、さん。……私も、です」
教室の隅から、柏木小鞠が震える声で囁いた。
彼女は手に持つスケッチブックに、僕の横顔のデッサンを描きながら、その瞳に静かな執念を宿らせている。
「……和彦さんが、選んだ場所なら……どこへでも、ついて、行きます。……たとえ、この世の果て、でも」
小鞠の言葉には、どこか恐ろしささえ感じさせる響きがあった。
彼女にとっての進路は、もはや僕という存在そのものに他ならないのだ。
やれやれ。
進路希望調査票の提出が間近に迫る中、僕を巡る4人の幼馴染たちの主張は、かつてないほど激しく、そしてそれぞれの「僕を独占したい」という欲求がむき出しになっていた。
特に、杏菜の「一緒に勉強したい」という言葉は、佳樹のプライドを、そして檸檬の奔放さを刺激するには十分だったようだ。
「……ねえ、和彦くん。やっぱり、私、和彦くんの隣がいい」
杏菜が、佳樹と檸檬の視線に晒されながらも、僕の手をそっと握ってきた。
その熱い手のひらが、僕の心を激しく揺さぶる。
僕の進路。それは僕一人の問題ではなく、この4人の少女たちの未来をも決定づける、あまりに重い選択だった。
「……どうせ、恋でもなんでもしてしまうんだろうな、僕は」
本日、放課後の教室で零れた、絶望にも似た敗北宣言。
僕は、4人の少女たちの熱気に包まれながら、目の前の現実から目を背けることができなかった。
誰の望みも叶えられないかもしれない。
けれど、誰かを裏切ることもできない。
17歳の冬。
僕の進路希望調査票の「空白」は、そのまま僕自身の「答えのなさ」を象徴しているようだった。
僕は、自分を縛り付ける4つの手を振り払うこともできず、ただ深く、深く、溜息をついた。




