表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

28/58

三学期という名のタイムリミット。あるいは、進路希望調査票に書けない僕らの共依存について

1月。正月気分の余韻を、容赦ない冬の乾燥した風が追い払っていく。

学校という巨大なシステムが再起動し、僕、西野和彦の日常は、またしても「4人の幼馴染」という名の包囲網に組み込まれることになった。


だが、今学期はいつもと毛色が違う。

教室の掲示板に貼り出された「進路希望調査票の提出について」という紙が、まるで死刑宣告のように僕たちを見下ろしていた。


「ねえ、和彦くん。……進路、もう決めた?」


放課後の図書室。

窓の外で赤く染まる夕日を背に、羽賀杏菜が小声で囁いた。

僕の隣で単語帳をめくっている彼女の横顔には、冬休みまでの天真爛漫な明るさはなく、どこか遠くの景色を不安げに見つめるようなかげりがある。

彼女になったはずの幼馴染。けれど、その契約に「将来」という項目は含まれていなかったことに、僕たちは今更ながら気づき始めていた。


「……とりあえず、今の偏差値で届く範囲の大学は書いたけど。杏菜こそ、指定校推薦狙うんだろ?」

「うーん、そうなんだけど……。でも、それだと和彦くんと離れちゃうかもしれないでしょ? 私、それが一番怖いんだよ」


杏菜が、僕の机の下で僕の指先をそっと絡めてきた。

図書室という静寂の聖域。司書の先生の目や、他の生徒の気配がある中でのこの接触は、僕の心拍数を無駄に跳ね上がらせる。

17歳の冬。

付き合っているという事実が、進路という「物理的な距離」を決定する現実に直面し、僕たちの無敵だったはずの恋心は、脆くも揺らぎ始めていた。


「西野、杏菜。図書室での私語および過度な接触は、校則以前に知性に対する冒涜だわ」


背後から、凍てつくような声がした。一ノ瀬佳樹だ。

彼女は辞書ほども厚い赤本を小脇に抱え、眼鏡を鋭く光らせながら僕たちの前に立ちはだかった。

彼女の管理欲は、3学期に入ってからというもの、僕の「偏差値」と「異性交遊」の両輪を完璧に制御しようとする、狂気的な熱量を帯びている。


「……一ノ瀬。僕はただ、杏菜の進路相談に乗っていただけだ。不純な動機なんて、この夕日の赤さの3割程度しかない」

「その3割が問題なのよ。西野、あなたの志望校は私の志望校の隣駅にあるわ。移動時間を考慮すれば、放課後の合同学習は継続可能。……杏菜、あなたは今の成績ではその圏外よ。身の丈に合った選択をすることね」


佳樹の言葉は鋭利なナイフのようで、それでいて、彼女自身が僕と離れることを一番に拒んでいることが、琥珀色の瞳の奥に透けて見えた。

彼女にとっての進路。それは、僕という存在を自分の人生の射程内に留め続けるための、緻密な計算式なのだ。


「なーんだ、みんな湿っぽいこと言ってんな! 進路なんて、どこの大学に行っても私が会いに行けば済む話だろ!」


図書室の扉を豪快に開けて入ってきたのは、和久井檸檬だ。

部活を引退した彼女は、有り余るエネルギーを「和彦への突撃」に全振りしている。

彼女は僕の肩に腕を回し、耳元で豪快に笑う。冬特有の、セーターの温もりと石鹸の香りが僕の理性を掻き乱す。


「和彦、私さ、スポーツ推薦で他県に行くかもしれないけど……。あんたのこと、追いかけるのだけは得意だからさ。覚悟しとけよ?」


直球。あまりに眩しすぎる直球だ。

檸檬の言葉には、計画も計算もない。ただ、自分の脚力だけで距離をゼロにするという、野生的な執念が宿っていた。


「……和彦、さん。……これ、合格祈願の……お守り、です。……中に、私の、想い……詰めて、おきました」


足元から、柏木小鞠が震える手でお守りを差し出してきた。

一瞬「髪」と言いかけなかったか? その物騒な沈黙に、僕は本気で背筋が凍る思いがした。

彼女にとっての進路とは、僕の影の中にどれだけ深く潜り込めるか、それだけが基準のようだった。


やれやれ。

3学期。卒業という出口が、ぼんやりとだが確実に見え始めたこの時期。

僕を巡る4人の幼馴染たちの引力は、もはや「友情」や「恋愛」といった既存の言葉では定義できないほど、いびつで巨大なものに変質していた。


「……ねえ、和彦くん。ずっと、一緒にいられるかな」


杏菜が、僕の服の裾を強く握りしめた。

その問いに、僕は答えられなかった。17歳の僕たちは、あまりに無力だ。

親の期待、進路調査票の冷たさ、そして否応なく訪れる「大人」へのステップ。

それら全てが、僕たちの「ごっこ遊び」を終わらせに来ている。


「……どうせ、恋でもなんでもしてしまうんだろうな、僕は」


本日、赤く染まった図書室で零れた、祈りにも似た敗北宣言。

僕は、4人の少女たちの熱気と、忍び寄る「別れ」の気配の間に立ち尽くしていた。

どれだけ強く握りしめても、時間は指の間から砂のように零れ落ちていく。

けれど、僕は自分を縛り付けるこの4つの手を、振り払うことだけは、どうしてもできなかった。


僕たちは、まだ何も決まっていない白紙の調査票を見つめながら、ただ互いの体温を確かめるように、長く、静かな放課後を刻んでいった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ