北風と太陽。あるいは、クリスマスという名の最終決戦に向けた兵站(へいたん)について
カレンダーが12月に突入した途端、街は一斉に浮かれ始めた。
赤と緑の装飾、耳を塞いでも聞こえてくるシャンシャンという鈴の音。
独り身のモブキャラにとっては、生存権を脅かされる暗黒の季節がやってきたわけだが、今年の僕、西野和彦には、それ以上に切実な問題が山積していた。
「ねえ、和彦くん。今年のクリスマス、予定空けておいてね。……二人っきりで、どこか行きたいな」
放課後の渡り廊下。羽賀杏菜が、僕のコートのポケットに自分の手を突っ込んできた。
最近の彼女は、寒さを理由に物理的な距離をゼロにする技術を習得している。
付き合っているのだから当然の権利だ、と言わんばかりの堂々とした「彼女」面。
だが、その背後から吹き付ける北風は、12月の気温以上に冷たかった。
「……羽賀、じゃなくて杏菜。ポケットが伸びるからやめろ。あと、一ノ瀬の眼鏡が反射でレーザーを撃ってきそうな勢いでこっちを見てるぞ」
「あら、西野。私はただ、冬休み中の学習計画表に『24日:補習』と書き込む準備をしていただけよ。……杏菜、恋は盲目と言うけれど、赤点という現実はあなたの視界を遮ってくれないわよ」
一ノ瀬佳樹が、冷徹な手つきでバインダーを叩いた。
彼女の独占欲は、最近「教育的指導」という大義名分を盾にして、僕と杏菜のデートプランを根こそぎ粉砕しようとしている。
佳樹の琥珀色の瞳は、僕たちが繋ごうとしている手元を、獲物を狙う鷹のように監視していた。
「なーんだ、佳樹。クリスマスなんて、部活の連中と焼肉行くのが一番だろ! 和彦、あんたも来いよ。……そのあと、二人で腹ごなしにジョギングするのもいいぞ」
和久井檸檬が、反対側から僕の首を絞めるような勢いで抱きついてきた。
冬でも彼女の体温は高く、石鹸の匂いとマフラーの毛羽立ちが僕の鼻腔をくすぐる。
彼女にとってのクリスマスは、もはや「筋肉と食欲と、和彦」という三要素で構成されているらしい。
「……和久井。ジョギングはデートとは呼ばない。あと、その焼肉の誘い、絶対僕が財布にされるやつだろ」
「……和彦、さん。これ……編みました。……少し、重いですけど。……ずっと、つけていて、ください」
闇の中から、柏木小鞠が驚くほど分厚い手編みのマフラーを差し出してきた。
彼女の指先は冷たいが、その瞳には、執念という名の消えない灯火が宿っている。
そのマフラーを巻いたら、二度と外せない呪いでもかかっていそうで、僕は震えが止まらなかった。
「……あのさ、みんな。クリスマスくらい、僕を自由にさせてくれないか?」
僕が精一杯の勇気を振り絞って放った一言は、彼女たちの冷ややかな、あるいは熱すぎる視線によって瞬時に霧散した。
「和彦くん。……自由って、私以外の女の子と遊ぶ自由のこと?」
杏菜が、僕のポケットの中で僕の手を強く握りしめた。
彼女の瞳が、少しだけ潤んでいる。
それは「彼女」としての不安か、あるいは最強の「幼馴染」としての演技か。
17歳の男子に、その真偽を見極める術はない。
やれやれ。
冬の訪れとともに、僕を巡る4つの引力は、より強固に、より複雑に絡み合っていた。
進路希望調査票の白さが、僕たちの未来への不安を煽る一方で、目の前の少女たちの熱量は、そんな不安を焼き尽くすほどに激しい。
「……どうせ、恋でもなんでもしてしまうんだろうな、僕は」
本日、12月の澄んだ空気の中で零れた、乾いた敗北宣言。
僕は、4人の少女たちの体温に守られ(あるいは監視され)ながら、赤く染まった帰り道を歩き続けた。
クリスマスという名の戦場は、もう目の前まで迫っていた。




