試験勉強という名の包囲網。あるいは、僕の部屋が領土紛争の最前線になった件
修学旅行という名の集団狂気から帰還して一週間。
学校という日常は、まるで何事もなかったかのように僕たちを迎え入れたが、僕、西野和彦を取り巻く環境は、明らかに「戦後処理」の段階へと移行していた。
そして今日、僕の平穏な聖域である自室は、未曾有の危機に瀕している。
「和彦くん、この問題教えて! あ、その前にこのクッキー食べて。手作りなんだよ?」
羽賀杏菜が、僕の勉強机の半分を可愛らしいラッピングの袋で占拠した。
彼女になったはずの幼馴染は、最近「家庭的」というステータスを急速に強化している。
17歳の男子の部屋に、当たり前のようにパジャマに近い格好で上がり込むその神経を、僕は一度解剖してみたい。
「……杏菜。今は数学の微積に集中させてくれ。あと、そのクッキー、見た目はいいけどバターの匂いが部屋に充満して、僕の思考回路が脂質異常を起こしそうだ」
「ひどーい! せっかく和彦くんのために焼いたのに!」
「西野。彼女の甘言に惑わされるのは論外よ。今は期末試験という名の生存競争の最中だわ。……この公式の証明、あなたがやりなさい。できなかったら、今日の夕飯の献立を決める権利を剥奪するわよ」
一ノ瀬佳樹が、僕のベッドの上に陣取って参考書を広げている。
なぜ、彼女が我が家の夕食の献立にまで介入しているのか。
それは僕の両親が、幼馴染である彼女たちを「将来の家族候補」として、無条件で迎え入れているからに他ならない。
佳樹の琥珀色の瞳は、数式よりも、僕と杏菜の物理的な距離をミリ単位で計測している。
「和彦ー! おやつにするなら、肉まん買ってきたぞ! 脳みそ使うなら、糖分よりタンパク質だろ!」
ドアを蹴破るような勢いで入ってきたのは、和久井檸檬だ。
部活を引退して以来、彼女の有り余るエネルギーは、全て僕への「栄養補給」と「身体接触」へと注がれている。
彼女は僕の背中にのしかかり、首に腕を回してくる。
……近い。
石鹸の香りと、ジャージ越しに伝わる柔軟な筋肉の感触。
僕はペンを落とし、天を仰いだ。
「……和久井。僕の部屋はジムじゃないんだ。あと、その肉まんの匂いで、杏菜のクッキーの香りが完全に敗北したぞ」
「……和彦、さん。……これ、コーヒー、淹れました。……苦い、です。……目が、覚める、ように」
足元から、柏木小鞠が静かにマグカップを差し出してきた。
彼女は机の下に座り込み、僕の足にそっと自分の足を重ねている。
彼女の影の薄さは、時として最凶の暗殺者のような奇襲を可能にする。
やれやれ。
自室。かつては僕の孤独と文庫本を守るための砦だった場所。
それが今や、4人の少女たちの欲望が渦巻く、極東の火薬庫と化している。
「……ねえ、和彦くん。休憩しよう?」
杏菜が、僕の腕を自身の柔らかい胸元に引き寄せる。
その瞬間、佳樹のペンが折れる音がし、檸檬が僕の耳を甘噛みし、小鞠が僕の裾を強く引いた。
「……どうせ、恋でもなんでもしてしまうんだろうな、僕は」
本日、自宅という最終防衛ラインで零れた、最大級の敗北宣言。
僕は、17歳の冬が、これまで以上に騒がしく、そして熱いものになることを予感せざるを得なかった。
4人の幼馴染たちが形成する、逃げ場のない「日常」。
僕は、彼女たちの体温に包まれながら、解くべき数式を忘れ、ただ深く、深く、諦めの溜息をついた。




