僕の誕生日は、どうせ彼女たちの手のひらの上
17歳という年齢は、人生における一種の「中だるみ」だと思う。
受験への焦燥感に焼かれるには少し早く、かといって子供のように無邪気に夏を謳歌するには、自意識が育ちすぎている。
そんな微妙な時期に迎える誕生日は、僕にとって、祝祭というよりは「生存確認」に近い行事だった。
8月17日。
朝からスマホの通知が騒がしい。
羽賀杏菜からは、スタンプの連打とともに『誕生日おめでとう! 海のリベンジ、今日しちゃう?』という、相変わらず語彙力の欠如したメッセージ。
和久井檸檬からは『和彦おめ! 今度バッティングセンター奢ってやるよ!』という、祝っているのか毟り取ろうとしているのか判別不能な誘い。
柏木小鞠からは『おめでとうございます……。あの、あとで、渡したいものが……』という、スマホ越しでも伝わる挙動不審な短文。
僕はそれらを適当に受け流しながら、駅前の図書館へと足を運んだ。
家でじっとしていれば、間違いなくあの「幼馴染包囲網」に捕まり、強制的に青春イベントの渦中に放り込まれてしまうからだ。
「……ふう。ここなら安全だ」
冷房の効いた図書室。
インクと紙の匂いが漂うこの静寂こそが、僕にふさわしい。
空いている席を探して歩いていると、窓際の特等席に、見覚えのある端正な横顔を見つけた。
一ノ瀬佳樹。
長い黒髪を耳にかけ、難しそうな洋書に目を落としている。
彼女は僕たちのグループの中でも、群を抜いて大人びていた。
その知的な佇まいは、まるで僕がさっきまで逃げてきた「幼稚な幼馴染の騒乱」とは無縁であるかのように見える。
「……西野。そこで突っ立ってると、他の利用者の邪魔よ」
顔も上げずに、彼女が言った。
相変わらずの地獄耳、というか、気配の察知能力が高すぎる。
「いや、悪い。一ノ瀬もここに来てたんだな」
「私はいつもここよ。あなたが逃げ場所を探してここに来ることも、計算の内」
彼女はそこでようやく本を閉じ、琥珀色の瞳で僕を真っ直ぐに見た。
一ノ瀬佳樹は、他の4人のように感情を爆発させることはない。
けれど、その冷静な眼差しで見つめられると、自分の思考の裏側まで透かされているような気分になる。
「誕生日、おめでとう」
「……ありがとう。一ノ瀬まで祝ってくれるとは思わなかったよ」
「忘れるわけないでしょう。生まれた病院まで一緒だったんだから」
彼女は淡々とそう言うと、バッグの中から小さく包装された箱を取り出した。
リボンの結び目一つとっても、彼女らしい几帳面さが滲み出ている。
「これ。あなたが好きそうな、海外のブックカバー。今のボロボロだったでしょう?」
「えっ……。あ、ああ。助かるよ。よく見てるな」
「幼馴染ですもの。観察は義務よ」
義務、という言葉。
彼女が使うと、それが冷たい契約のようにも、あるいは逃げられない呪縛のようにも聞こえる。
僕はそのプレゼントを受け取り、少しだけ気まずくなって視線を外した。
「……そういえば、一ノ瀬。あの海での杏菜の『賭け』の話だけど」
「ああ、あの馬鹿げた提案?」
「やっぱり一ノ瀬もそう思うよな。誰が最初に境界線を越えるかなんて、そんなの――」
「私は、不毛だとは思わないわよ」
言葉を遮られ、心臓が跳ねた。
佳樹は椅子から立ち上がり、ゆっくりと僕の方へ歩み寄ってくる。
図書室の静寂の中に、彼女の履いているローファーの音が重く響く。
「西野。あなたはいつも、僕たちは変わらない、変わってはいけないと思おうとしている。でも、時間は残酷よ。私たちはもう、手を繋いで走り回っていた頃の子供じゃない」
彼女の手が、僕の頬に触れた。
ひんやりとした指先の感触。けれど、そこから伝わる温度は驚くほど熱い。
「誰が最初に境界線を越えるか。……その答えは、もう決まっているかもしれないわよ?」
彼女の顔が、視界を占領するほど近づく。
眼鏡の奥の瞳が、獲物を狙う狩人のように鋭く、そして熱っぽく潤んでいた。
いつも冷静な一ノ瀬佳樹の、初めて見る「女」の顔。
「……っ」
僕は息を呑み、思わず一歩後ずさった。
背中が本棚に当たる。逃げ場はない。
その時、図書室の扉が勢いよく開いた。
「あー! 見つけた! やっぱり和彦くん、佳樹と一緒にいた!」
羽賀杏菜の声だ。
その後ろには、檸檬と小鞠の姿も見える。
「……チッ、お邪魔虫ね」
佳樹が舌打ちしたのを、僕は聞き逃さなかった。
彼女は一瞬でいつものクールな表情に戻り、僕から距離を置く。
「さあ、和彦くん! パーティーの準備はできてるよ! 主役がいないと始まらないでしょ?」
杏菜が僕の腕を取り、強引に引っ張っていく。
檸檬が背中を叩き、小鞠が不安そうに僕の袖を掴む。
そして、最後尾を歩く一ノ瀬佳樹が、僕と目が合うと、唇の端をわずかに吊り上げて笑った。
ああ、ダメだ。
僕は今日、この17歳の誕生日に、確信してしまった。
僕を取り囲むこの4人の幼馴染たちは、僕が思っている以上に「僕」という存在を逃がすつもりはないらしい。
友情という名のセーフティエリアは、もうとっくに崩壊している。
やれやれ。
平穏なモブキャラの誕生日を、静かに過ごさせてはくれないらしい。
これからの1年が、あるいはこれからの人生が、どれほど騒がしく、そして「詰んでいる」のか。
考えただけで、僕は深いため息をつかずにはいられなかった。
「……どうせ、恋でもなんでもしてしまうんだろうな、僕は」
夕暮れに染まる帰り道。
4人の少女たちの笑い声に挟まれながら、僕は誰にも聞こえない声で、そう認めるしかなかった。




