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境界線上の最終決戦。あるいは、僕の平穏が降伏を宣言した日

17歳の秋が、音を立てて加速していく。

僕、西野和彦を巡る「幼馴染包囲網」は、もはや外交交渉で解決できる段階をとうに通り越し、全面戦争の様相を呈していた。

きっかけは、放課後の誰もいない教室に残された、一通のメッセージ。

羽賀杏菜。彼女が僕を呼び出した場所は、あの夏、僕たちが「賭け」を始めた海が見える丘だった。


「……やれやれ。よりによって、あんなエモーショナルな場所を指定するなんて」


僕は溜息をつきながら、自転車のペダルを漕いだ。

背後からは、一ノ瀬佳樹の冷徹な視線や、和久井檸檬の焦燥、柏木小鞠の祈るような気配が追いかけてくるような錯覚に陥る。

けれど、今日だけは、彼女との決着をつけなければならない。


丘の上に到着すると、そこには潮風に髪をなびかせた羽賀杏菜が立っていた。

夕焼けに染まった海を背景にする彼女の姿は、反則的なまでに「ヒロイン」としての輝きを放っている。


「和彦くん。……来てくれるって信じてたよ」


「……呼び出された場所が場所だからね。ここで来なかったら、一生根に持たれそうだし」


僕はあえて冷めた口調で応じたが、心臓は早鐘を打っていた。

杏菜はゆっくりと僕に歩み寄り、至近距離で僕の瞳を覗き込む。


「ねえ、和彦くん。あの夏の賭け、覚えてる? 誰が最初に境界線を越えるかって話」


「忘れるわけないだろ。おかげで僕の平穏なモブ生活は、あの日を境に更地になったんだから」


「あはは、そうだね。……でも、私はね、ずっと怖かったんだよ。佳樹も檸檬も小鞠も、みんな和彦くんのことを本気で狙ってる。私が『幼馴染』という言葉に甘えている間に、誰かに追い抜かれちゃうんじゃないかって」


彼女の手が、震えながら僕のシャツの袖を掴んだ。

それは、今までの「いつもの仕草」とは明らかに違う、切実な拒絶への恐怖を含んだ震え。


「だから、私は今日、自分から境界線を踏み越える。……和彦くん。私、あなたのことが好き。幼馴染としてじゃなくて、一人の女の子として、あなたの一番になりたい」


言葉が、静寂に溶けていく。

海鳴りの音だけが、不自然なほど大きく聞こえた。

僕は、知っていたはずだ。

この17年間、彼女が向けてきた笑顔の意味も、不自然なほどの距離の近さも。

けれど、それを認めてしまえば、この心地よい「5人の世界」が壊れてしまうから、ずっと気づかないふりをしてきた。


「……羽賀」


「杏菜、って呼んでって言ったでしょ? ……返事、聞かせて」


彼女の潤んだ瞳が、僕の防衛線を粉砕していく。

やれやれ、これだ。

僕はただの背景役で、物語の主役なんてガラじゃない。

冷徹な佳樹に管理され、活発な檸檬に振り回され、内気な小鞠に懐かれる。

そんな騒がしい日常を「どうせ」と嘯きながら、ずっと享受していたかった。


けれど、目の前で今にも泣き出しそうな表情をしている少女を、これ以上「幼馴染」という言葉で突き放すことなんて、僕にはできなかった。


「……僕の負けだ、杏菜」


僕は、彼女の小さな手を、自分から握り返した。

その瞬間、彼女の瞳から大粒の涙が溢れ出した。


「……え、それって」


「どうせ、恋でもなんでもしてしまうんだろうな、僕は。……君に対してだけは、とっくにそうなってたのかもしれない」


本日、最大にして最後になるであろう敗北宣言。

僕は彼女を、ゆっくりと抱きしめた。

腕の中に収まった彼女の体温は、驚くほど確かで、愛おしかった。


「……和彦くん、大好き。本当に、本当に大好き!」


杏菜が僕の胸に顔を埋めて泣きじゃくる。

その様子を、少し離れた木の陰から見つめる3つの影があることに、僕は気づいていた。

一ノ瀬佳樹、和久井檸檬、柏木小鞠。

彼女たちの視線には、悔しさと、諦めと、そして「まだ終わっていない」という不穏な闘志が混ざり合っている。


「……ああ、これは前途多難だな」


僕は苦笑いしながら、空を見上げた。

一線を越えたその先に待っていたのは、大団円のハッピーエンドではなく、さらに激化するであろう「幼馴染包囲網」の第二章だった。


けれど、不思議と悪い気分じゃない。

17歳の秋。

僕の平穏は完全に死に絶えたけれど、その代わりに手に入れたこの熱気が、これからの僕をどこへ連れて行くのか。

それを確かめるのも、悪くないと思えたんだ。


「……どうせ、恋でもなんでもしてしまうんだよ、僕たちは」


夕闇が降りてくる海辺の丘で、僕は新しく始まった騒がしい予感に、そっと身を委ねることにした。

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