第26話 インソムニア
しばらくするとレナは起きて、VRヘルメットを頭から外した。そして大きく伸びをする。……バキバキッ……ボキッ……と背骨が鳴る音がする。彼女はゆっくりと立ち上がり、眠たげに目を擦りながら薄紫色の瞳で辺りを見回す。そして僕の方をじっと見てから首を傾げた。
「…………キョウタ……?」
「おう、久しぶりだな。元気にしてたか?」
「……う、うん……。私はいつも通りだけど……。来るなら言ってくれたらよかったのに……。ビックリした……」
彼女はそう言うと嬉しそうにはにかんで、それから照れ隠しをするように頬を掻いて俯いた。その仕草が可愛らしくて、見ているだけで自然と笑みがこぼれる。彼女の言う通り一報入れるべきだったかもしれない。そうすれば僕が彼女の胸を揉んでしまうこともなかったはずだ。……まぁ、今更遅いが……。僕はあの時の感触を思い出して、胸の奥がざわつくような感覚を覚える。今思い出してもドキドキしてくる……。
「ああ、ごめん。急に決まっちゃってさ。……それはそうと、お前はまた随分と無茶してるみたいじゃないか……。そんなんじゃ体壊すぞ。……もっと自分を大事にしろよ」
「……うん。でも、仕方ないよ……。早く強くならないといけなかったから……」
「…………」
彼女は現実世界にいても、頭の中はゲームの世界のことばかりなのだろう。僕は呆れて言葉が出てこなかった。……しかし、彼女がずっとこんな生活を続けていると考えると心配になる。僕は彼女の顔を眺める。……大丈夫かな……。顔色がよくないし……。目の下のクマだって消えていない。きっと満足に寝てすらいないのだろう。これは早急にどうにかしないと大変なことになりそうだ。
「……ところで、キョウタは何をしに来たの? 何か用事?」
「いや、七海に夕ご飯を一緒に食べないかと誘われたんだ。……レナにも会いたかったしさ。……ほら、七海が買ってきてくれた唐揚げ弁当だよ。一緒に食べよう」
「うん……」
レナはこくりと小さくうなずいた。それから椅子に座り、箸を取って唐揚げを口に運ぶ。もぐもぐと口を動かし飲み込むと、幸せそうな表情を浮かべた。
「おいしい……」
「そっか。そりゃあ良かった」
「う、うん……」
僕は弁当を食べながら、ちらっと彼女の表情を見る。目の下にクマがあっても相変わらず可愛い笑顔だ。見ていると癒される。
しかし、しばらく食べると彼女は急に立ち上がって先ほどまでいた場所に戻ろうとする。
「えっ、もう行くのか?」
「……うん。レベル上げの続きをしないといけないから……」
「…………」
七海はレナの方を見て少し逡巡してから言った。
「あ、あのさ……、レナちゃん。せっかく京ちゃんもいるんだしもう少しゆっくりしていったらどう? ほら、また一緒にお風呂にでも入ったらいいんじゃないかな。ねぇ、京ちゃん」
「あ、ああ、そうだな……、風呂もいいけど、ちゃんと寝たらどうだ?鏡見たか?ひどい顔してるぞ。今日はもう終わりにして休めよ」
レナは僕たちのことを見つめながら思案するような表情を浮かべていた。そして視線を下に落とすと、恥ずかしそうにしばらく黙っていたが、やがて意を決したように顔を上げると、真剣な眼差しで僕を見据えて口を開いた。
「じゃあ、お願いがあるんだけど……。キョウタ……、その……」
「ん?」
「その……、添い寝してほしい……」
「……え!?」
一瞬、耳を疑った。レナはなんて言ったんだ……。隣にいる七海の方に目をやるが、彼女は苦笑いをして肩をすくめるだけだった。
「ちょ、ちょっと待て! どういうことだ!?」
「……」
レナは僕をじっと見たまま黙っている。……一体、何を言い出すんだよ……。僕は助けを求めるように七海に顔を向ける。しかし彼女は微笑むだけで何も言わない。
「……添い寝ってのはあれだよな。一緒にベッドで眠るってことだよな」
「うん……」
「なんでだ?」
「それは……、一人だと寂しいから……」
レナは申し訳なさそうにうつむいてそう呟く。……おい、嘘だろ……。こんな頼み方されたら断れないじゃないか……。いや、でも……、やっぱりおかしいだろ……。七海がいるんだぞ……。僕は再び七海に目を向けた。
「いいんじゃない? 私なら気にしないし。それにレナちゃん、このままだと倒れちゃうよ。……ね、京ちゃん」
「……」
僕は困り果てて言葉が出なかった。レナが心配なのは本当だが、いくらなんでもまずいだろ……。七海の家でレナと添い寝なんて……。僕とレナはしばらくの間、無言のまま向かい合っていたが、彼女の表情を見ると断ることなどできなかった。
「……わかったよ。添い寝しよう」
「ほんと?」
レナはぱあっと明るい顔になり、嬉しそうに僕を見た。
「ああ……。でも、その代わり、明日からはゲームはほどほどにしような。七海もレナの手料理が食べたいだろうからさ」
「うん……」
「よし、決まりだな。じゃあ、着替えてから一緒に寝よう」
レナは顔を赤らめてコクリとうなずく。
「七海……。それじゃあレナと一緒に先に寝るから……」
「あ、うん。お休み……。あんまり変なことしちゃダメだからね」
「わかってるよ……」
僕とレナはリビングを出て寝室に向かう。七海と別れて廊下を歩きながら考える。
……やばいな。まさかレナの奴、あんなに大胆な行動に出るとは思わなかった。よりにもよって七海の前で……。
振り向くと、レナは俯き加減で僕の服の裾を握っていた。何か言いたげにしているが、なかなか話し出さない。僕は彼女の手を引いて二階に上がり、寝室に入る。電気をつけると、そこにはベッドが二つあった。七海のベッドとレナのベッドだ。
……このベッドで添い寝することになるのか……。ベッドがシングルサイズだから、かなりくっついて眠ることになる。
そんなことを考えていると、レナはベッドの上に座り、自分の服に手をかけて脱ぎ始めた。彼女の白い肌と豊満な胸の膨らみが露わになる。それから彼女はベッドの上に無造作に脱ぎ捨ててあるパジャマを手に取って袖を通した。
……ノーブラなんだよな……。
僕は思わず目を逸らす。レナはボタンを留めると恥ずかしそうに僕の方を見る。そして、彼女は布団の中に潜り込んだ。彼女は僕に背を向けて恥ずかしそうに身を縮めていた。僕は部屋の明かりを消してから上着とズボンを脱いで下着姿になると、彼女に続いて布団の中に潜り込み仰向けに寝た。そして、目を閉じる。
……ただ一緒に寝るだけだ。何もない……。
そう自分に言い聞かせるが、彼女の温もりを感じているうちに妙な気分になってくる。レナは黙ったままじっとしていたが、しばらくすると、衣擦れの音と小さな吐息が聞こえてきた。ゆっくりとこちらに体を向けてくるのが分かる。僕は気付かぬふりをしながら天井を見つめていた。やがて、彼女は僕の方を向き、僕の肩にそっと頭を乗せるようにして寄り添ってきた。彼女の手が僕に触れる。柔らかな髪の感触と温かい体温が伝わってくる。彼女は僕の体にぴたりとくっつき、体を寄せてくる。
彼女は静かに呼吸を繰り返し、時折、思い出したように頭をこすりつけてくる。猫が甘えるような仕草だった。僕はどうすればいいか分からず、じっとしていた。……彼女はどんな気持ちなんだろうか……。ふと、そんな疑問が浮かぶ。彼女の顔を見ると、幸せそうな表情を浮かべていた。まるで、ずっとこうしていたいと思っているかのように。
「……なぁ、レナ」
「なに?」
「なんで急に添い寝しようと思ったんだ?」
「それは……」
彼女は躊躇うようにして言葉を切る。
「いや、言いたくないなら言わなくていいんだ。ただちょっと不思議に思っただけで……」
「ううん……。あのね……、私……、怖い夢をよく見るの……」
「怖い夢?」
「うん……、大切な人の夢……、でも、もう二度と会えないんだって、ふと気が付くの……。……それが、すごく怖くて悲しくて……、目が覚めると、涙が出てる」
「…………」
「それでね……、キョウタと一緒に寝たら、どんな夢を見ても平気だって、そう思って」
「なるほど」
僕は彼女の頭を撫でた。彼女は心地よさそうに頬を緩ませる。
「そういうことなら、いつでも一緒に寝てやる」
「ほんと?」
「ああ」
「ありがとう……」
レナは嬉しそうに微笑む。
「でも、七海と一緒に寝ないのか?あいつも寂しがり屋だから喜ぶと思うぞ」
「えっと、私は……」
レナは顔を赤らめて言い淀む。それから何かを言いかけて口をつぐみ、再び口を開いた。
「うん……、わかった……。今度からは、遠慮しないでナナミと一緒に寝ようかな……」
「そうしろよ」
「うん」
レナは素直に返事をして僕に身を寄せる。僕は彼女に向き合って、彼女を抱きしめた。それからしばらく、二人で黙ったまま互いの鼓動を感じていた。
……
……
……
彼女は規則正しい寝息を立て、安心しきった穏やかな顔で眠っていた。……疲れていたんだろうな。きっとゲームのやり過ぎのせいで睡眠障害になっていたんだ。僕はそう思い、優しく彼女の髪を撫でる。さらさらとした髪の心地よい感触が指先から伝わる。彼女は身じろぎをして微笑む。……可愛いな。僕は素直にそう思った。
すると七海が寝室に入って来た。暗闇の中、下着姿の彼女のシルエットが見える。彼女はベッドの横で膝立ちになり、僕とレナの様子を見た途端、呆れたような声を上げる。
「……すごい恰好で寝てるね……」
「あ、ああ……」
レナは僕の胸に顔を埋めて眠っている。その幸せそうな姿を見ると離れるのがかわいそうだと思ってしまう……。七海は大きなため息を吐き、不満げな様子で僕に話しかける。
「レナちゃん、私とは添い寝してくれないのに……」
「さっきレナと話したら、今度からは七海とも添い寝するってさ……。遠慮してたみたいだ」
「そっか……」
彼女はどこかホッとしているように見えた。彼女は自分のベッドの端に腰を掛けて、独り言のように呟く。
「ねぇ、京ちゃん……。私のこともかまってくれないと、拗ねるよ?」
「ああ……、そうだな……、明日も会社でこき使ってやるよ」
「なにそれ……、酷いなぁ……」
「冗談だよ」
「ふふ……」
彼女は楽しげに笑った。
つづく




