第2話 転禍為福
「安堂さん、お久しぶりです」
「こんにちは。京太君」
僕は七海と共にタイタンの軌道ステーションに訪れていた。安堂は椅子から立ち上がると僕らの方へと歩いてきた。彼は相変わらず美しい顔つきをしている。透き通るような青い瞳と整った鼻梁。そして腰まで届く長く真っ直ぐな銀髪。同性であるにも関わらず見惚れてしまう。七海はジト目で安堂を見つめていた。
「京太君、お元気そうでよかったよ。彼女は……?」
「彼女は七海といいます。彼女も先日管理局の職員になりました」
「七海と申します。はじめまして」
「こちらこそよろしくね。私はここの司令官の安堂だ」
安堂は微笑むと手を差し出した。七海はその手を取ると、にっこりと笑って握手を交わす。
「それで今日はどのような用件かな。まさか挨拶だけしに来たわけではないだろう?」
「えぇ、実は……」
安堂は腕を組み目を閉じて僕の話を聞く。七海は彼の顔を見つめていた。彼女の頬はうっすらピンク色に染まっている。どうやら一目惚れしてしまったようだ。……まぁ、しょうがないな……、と僕は思う。こんなにも美形で知的そうな男性なのだから。無理もない。
「話は分かった。しかし、荒廃した地球のためにタイタンに移住した者が力を貸すだろうか」
安堂の言葉を聞いて、僕は何も言い返せなかった。確かに彼の言う通りだと思う。タイタンに住む者の大半はもう地球のことは諦めてしまっているのだ。地球での出来事はもはや遠い過去のことにすぎないのだから。しかし、だからといってこのまま何もしないのでは駄目だと僕は思った。地球には大勢の仲間がいるはずだ。彼らの力を借りることができれば何かが変わる気がする。
「いえ、きっと協力してもらえるはずです。彼らは必ず地球を救いたいと願っているに違いないんです。だって彼らにとって故郷は他でもない地球なのですから!」
僕が力強く答えると安堂はフッと笑った。
「なるほど……。君のその気持ちは十分に伝わった。それならば我々も協力しよう。我々の全力をもって地球を救おうじゃないか」
「ありがとうございます!本当に助かります!!」
「私に任せてくれ」
彼は優しい表情を浮かべながら自身に満ちた声で答えた。
「それと……、戦闘要員を探しています。地球に常駐してくれる人が良いのですが……」
「そうだな……、何人か候補者をピックアップするから君が直接会って決めるといい」
「はい、ありがとうございます!」
彼は部下に指示を出すとその場を離れていった。僕は安堵のため息をつく。とりあえずこれで一段落といったところか。しかし、ここからが本番だ。地球を救うためには多くの困難を乗り越えなければならない。果たして僕たちだけでできるのか。不安を感じるものの、七海の笑顔を見るとそんなことも気にならなくなった。彼女がそばにいる。それだけで僕は幸せだった。これからどんな困難なことが待ち受けていようとも彼女と一緒なら乗り越えられるような気がした。
「京ちゃん、がんばろうね」
「あぁ、もちろんさ」
僕らは手を取り合うと、お互いの顔を見て笑い合った。
……
僕らは宇宙ステーションの廊下を歩いていた。ステーションはとても広くて迷子になってしまいそうだった。七海の手を握ると彼女の体温が伝わってくる。彼女の手は温かくて柔らかい。いつまでもこうして手を繋いでいられたらいいと思った。
しばらく歩いていると、前方に人影が見えてきた。そこには女性が立っていた。女性は黒いローブに身を包み、フードを被りガスマスクを着けている。そのまま歩いて彼女の横を通り過ぎようとするが、突然躓いてしまった。
よろめいてガスマスクの女性に向かって倒れてしまう。そして彼女に抱きかかえられるような形で受け止めてもらった。柔らかい胸の感触が顔全体を包み込む。
(うわっ!?何だこれ、めちゃくちゃ良い匂いするんだけど!なんだこの香りは?)
興奮と混乱が入り交じり、頭が真っ白になる。
突如として、想像できないほどの力が全身にかかった。まるでダンプカーでもぶつかったかのような強い衝撃を受けた後、意識がブラックアウトしていった。
……
……
……
目が覚めると見慣れない天井が広がっていた。一瞬どこの施設か分からなかったがすぐに思い出す。ここはタイタンの宇宙ステーションだ。僕はベッドの上で寝ており、すぐ側には僕の左手を握っている七海がいた。彼女の綺麗な金色の瞳に見つめられドキッとする。すると彼女は目尻に大粒の涙を浮かべ、僕の体に勢いよく抱きついてきた。
「よかったよ~京ちゃん!」
「ごめん。心配かけちまったな……」
七海は泣きながら何度も僕の名前を呼ぶ。彼女の声は震えていて今にも壊れてしまいそうなくらい弱々しかった。彼女を悲しませたくないと思い、心の底から申し訳なく思った。
「でも、どうやって助けてくれたんだ?」
確かあの時僕はガスマスクの女にぶん殴られて気絶してしまったはずだ。その後どうなったんだろうか?
「京ちゃんは覚えていないかもしれないけど、あのガスマスクの女の人、京ちゃんの体をスキャンして治療用のナノマシンを投与してくれたの」
七海は僕の右手を握ったまま自分の胸に押し付けた。
「その……、無事でよかった……。京ちゃんがいない世界なんて耐えられないもの……」
僕は彼女を強く抱きしめた。彼女の言葉が嬉しくて愛おしくて仕方がなかった。僕は生きている。そのことを噛み締めるように彼女の背中に回した手に力をこめた。彼女の体は柔らかく温かい。その温もりは僕にとって最高の幸福そのものだった。ずっとこうしていたいと思える。
「七海、もう離れることはないよね」
「うん。私たちは永遠に一緒だよ。京ちゃんは私のものだから。誰にも渡さないからね」
彼女は僕の耳元で囁いた。僕は彼女の頭を撫で唇を重ねた。甘い吐息が混じり合う。
「ちゅぱ……京ちゃん、もっとキスして欲しい……」
彼女の甘えるような声を聞き、口の中に侵入する。彼女の舌の動きに合わせながら深い接吻を交わす。
「ふぅ……ふ……はぁ……あっ」
やがて呼吸の限界に達して口を離すと唾液の糸を引いた。彼女の顔は赤く染まり上気している。その様子がたまらなく可愛らしいと思った。
「七海、好きだよ」
「私も京ちゃんのことが好き」
ガラガラー。部屋の扉が開かれる。ガスマスクの女が入ってきた。彼女がこちらに近づいてくると思わず身構えてしまう。
(こいつ一体何者なんだ)
女は無言のまま僕の近くまで来るとピタッと止まった。
(なんだ?)
そこで僕はハッとした。そうだ!僕は今裸だった!急いでタオルケットを腰にかけ、秘部を隠した。しかしそれでも恥ずかしいことに変わりはなかった。するとガスマスクの女はベッドの端っこにある丸椅子に座った。そしてモニターを見ている。どうやら僕の怪我の様子を見に来ただけみたいだ。それならそうと言ってくれればいいのに……。まあ言っても無駄か。
しばらくすると女は立ち上がり、無表情で見下ろしてきた。何を考えているのかまったく分からないのが不気味である。マスクで見えないがおそらくこちらを見ているのだろう。そして女は初めて一言だけ発した。
「……あなたと同じ空気を吸いたくありません……」
それだけ言うと部屋から出ていった。…………. えっ、今のは聞き間違いだろうか。同じ空気を吸いたくないって言ったように聞こえたのだが。どういう意味だ。
(なんなんだよ、あいつは!失礼すぎるだろ!ていうか嫌われすぎじゃね?僕がなにしたっていうんだ!僕が何かしましたかね!?)
腸が煮えくり返った。屈辱的だ。あんな奴にバカにされるなんて絶対に許せない……。しかし、今は協力者を募るのが急務だ。もう怪我は十分治ったし、宇宙ステーションを出てタイタンに向かおう。それにしても彼女の胸は柔らかくていい匂いだった…………
◇◇◇
僕と七海は宇宙ステーションを出て、タイタンに向かった。地球と比べるとかなり小さいが、宇宙から見える地表の幾何学模様から文明が非常に発達していることが分かる。地表に近づくと、空には乗り物が入り乱れ、超高層ビルが立ち並ぶなど、昔の地球にタイムスリップしたかのような光景が広がっており、思わず息を飲むほど圧倒された。
(あのガスマスクの女がいるのだけは頂けないけどな……)
僕らは宇宙船から降りて街を散策することにした。まずは何より情報が欲しいところだ。街を歩くと、多くの人たちで賑わっていた。皆が笑顔を浮かべており、とても楽しげな雰囲気を感じる。
「七海、すごい人混みだけど大丈夫?」
七海は人酔いしやすい体質なので心配になる。
「うん、平気だよ。京ちゃんと一緒にいるだけで幸せだから」
彼女は満面の笑みを見せた。僕はそんな彼女を見て安心すると同時に嬉しくなった。
「そっか。よかった」
「ねぇ、京ちゃん、あれ見て!」
七海は興奮して指差す。その先にはゲームセンターがあった。
「よし、行ってみるか」
「やったー!!」
七海は子供のようにはしゃいでいる。彼女は僕の手を引いて店内に入った。中に入ると騒音が耳に飛び込んでくる。様々な音が混ざり合い頭が痛くなりそうだ。七海は目を輝かせながらキョロキョロしていた。UFOキャッチャーの前に立つとガラス越しに景品が見える。そこには巨大なクマのぬいぐるみが置かれていた。僕は財布を取り出し、100円玉を入れる。アームが動き出し、降下していく。そして見事に掴むことに成功した。
「よっしゃ!!取れたぞ!!!」
僕は喜びの声を上げる。七海は感心するように拍手をした。
「京ちゃん、すご~い!一発で取れるなんて天才じゃん」
「まぁ、これくらい朝飯前さ。それよりほら、あげる」
僕はクレーンゲームの戦利品を手渡した。七海はそれをギュッと抱きしめる。
「ありがとう!一生大事にするね!」
彼女の喜ぶ顔を見ると、取って良かったと思う。
次に僕たちは次に服屋に行くことにした。店内は白を基調としたオシャレな内装になっていた。僕たちが店の奥まで行くと店員さんがやってきた。
「お客様はどのようなお洋服をお探しでしょうか?」
「この子に似合う服を選んでほしいんだ」
そう言って七海を前に出す。店員さんはニッコリ笑って答えた。
「かしこまりました。それではこちらへどうぞ」
「はい」
七海は店員さんに付いていく。一人残された僕は店の商品を眺めていた。ふと、一着のパーカーが目に入る。それは黒を基調として所々に赤が入ったパーカーだった。デザインが気に入り、手に取る。
(試着してみよう)
僕は試着室に向かい、個室のカーテンを開けた。すると、そこに立っていたのは――――、
「…………」
「…………」
ガスマスクを除いて一糸まとわぬ姿のあの女だった。筋肉質な体に柔らかそうな脂肪が薄っすらと乗っている。引き締まったウエストと丸みを帯びたヒップ。その美しい曲線美に見惚れてしまう。一瞬にして僕の思考回路は停止した。
脳がフリーズする。お互い見つめ合ったまま硬直する。
やがて、彼女は口を開いた。
「!!!変態っ!!」
甲高い悲鳴が響き渡る。
「うおっ!?違う!!これは誤解だ!!」
僕は慌てて弁解する。
「何が違うのよ!!今すぐ出てってよ!!」
ガスマスクの女は怒鳴った。
「待ってくれ、これには訳があるんだよ」
「言い訳なんか聞きたくないわ!!」
僕は必死で弁明するが聞く耳を持たない。
「ちょっと話を聞け」
「うるさい、早く出ていきなさい!!」
「頼むから話を聞いてくれ」
「いいから出ていけ!!」
彼女は怒りで顔を真っ赤にしている。このままだと警察沙汰になりかねない。こうなったら最後の手段を使うしかない。僕は深呼吸をして覚悟を決めると、彼女の手を掴んで引き寄せる。そして、ガスマスクを無理やり剥ぎ取り、そのままキスをした。柔らかい唇が触れ合う。
「んぐぅ……」
彼女は驚きの声を上げ、暴れるが僕は逃がさない。しばらく経ってから口を離すと、二人の口から唾液の橋がかかった。
「ぷはぁ……いきなり何をす―――」
文句を言いかけた彼女を遮るように僕は言った。
「愛してる」
「えっ?」
彼女は戸惑っていた。
「好きだ」
「ちょ!」
彼女は慌てふためく。
「お前のことが好きなんだ!」
「やめてぇ!」
「僕は、君のことを愛している!!」
泣き叫ぶ彼女を見てハッとする。我に返るととんでもないことをしてしまったことに気付く。慌てて謝る。
「ごめん、悪かった。怖がらせるつもりはなかったんだ」
「グスッ、酷いよぉ。」
涙を流す彼女に罪悪感を覚える。だが、どうしても言わずにはいられなかったのだ。
「本当にすまなかったと思っている。だから泣かないで欲しい」
僕は優しく声をかける。しかし、逆効果だったようだ。
「誰のせいで泣いてると思ってるのよ!もう嫌!最低!大嫌い!!」
罵られることにどこか興奮を覚えたが今はそんなことを考えている場合ではない。何とか機嫌を取らなければ。
「そうだ、クレープを食べに行こう。お詫びとして俺が奢るから」
「知らない!ついていかないもん」
「お願いだ、一緒に行ってくれ」
「い・や」
「じゃあどうすれば許してくれる?」
「自分で考えれば」
そう言うとそっぽを向いてしまった。(参ったな、どうやって許してもらおうか)
「分かった、僕が全面的に悪いのは認めよう。だけど一つだけ聞いてほしいことがある」
「……」
彼女は黙って僕の方を見た。真剣さが伝わったのか?とりあえず反応があったことには安心した。ここから先は僕の気持ちを全て話すことにした。僕がいかに彼女が好きなのか、どれほど愛おしいと感じているかを包み隠さず伝えるとしよう。僕はそう決意し口を開く。
「さっきも伝えたけど君のことが好きになってしまったんだ。君は僕にとって特別で運命的な存在なんだ。君に出会って以来、君のことを思う度に僕は胸の奥に熱いものが込み上げてくる。……これが恋だと自覚したのはいつ頃だろうか? いや、本当は出会った瞬間かもしれない。初めて見た時から既に恋に落ちていたんだろうね。だってしょうがないじゃないか!こんなにも美しくて魅力的な女の子を好きにならないわけないだろ。……僕はずっと君に会いたかった。それが叶った時の喜びと言ったら言葉では表せないくらいだよ。僕は今最高に幸せを感じてる。この幸福は誰にも譲りたくない。たとえ神様でも渡したくない。それほど大切なものなんだよ。……僕は君の全てが欲しい。できることなら全部僕のものにしたい。君のことを想うと夜も眠れなくなるほど辛い。……だけど、その反面、君は魅力的過ぎるせいで他の男が言い寄ってくるんじゃないかって不安をいつも抱えている、いつかは離れて行ってしまうんじゃないかって。だから少しでも早く手に入れてしまいたい。絶対に離れられないように縛り付けておきたい。そのためなら何でもする。どんなことでも受け入れる。……だから頼む、どうか受け入れてくれないか……?」
「ううっ、ひくっ、うえええん」
彼女は泣き出してしまった。困ったことになった。これでは許してもらうどころではない。
「すまない、泣くとは思わなかったんだ。大丈夫か?」
僕は彼女の頭を撫でながら優しく語りかける。すると、彼女から予想外の言葉が出てきた。
「……いいよ」
一瞬聞き間違いかと思った。しかし、どうやら勘違いではなかったらしい。彼女は顔を赤く染めていた。僕は驚きながらも質問を投げかけた。
「えっと、何が良いのかな?教えてくれるかい?」
「その、あの、だから、恋人になってあげるって言ってるの」
まさかOKされるとは思っていなかった。しかし、これで晴れて恋人同士になった訳である。僕は嬉しさのあまり彼女にキスをした。何度も、何度も、飽きるまで繰り返したのであった。
つづく