第1話 管理業務
ふぅ……、疲れた……。
僕はパソコン画面の前に座っている。時刻はすでに夜の9時を過ぎている。ここは地球滅亡管理局の本部ビル。僕が所属している部署だ。地球滅亡管理局とは、地球滅亡に繋がるあらゆる事象を予測し、文明がよい状態を保てるよう必要な手立てを講じる組織である。地球には様々な危険が迫っている。小惑星の衝突や急激な環境変化、資源の不足、敵性宇宙人の襲来など、数えればきりがないほど多くの問題があるのだ。それらの問題を解決するため、地球滅亡管理局が存在している。
地球滅亡管理局の業務は多岐にわたるが大きく以下の五つに分類できる。①地球滅亡に繋がる事象の予測、②現状の把握、③過去事例の把握、④問題解決と対策、⑤未来の構想・制度のアップデート。僕は以前、管理局での仕事が嫌になり辞めて、仮想世界で暮らしていたのだが、宇宙人の襲来により止む無く復職した。
「京太さん……」
部屋の扉が開き、アイが入ってきた。彼女は僕の後輩である。僕のところまで歩いてくると、笑顔を浮かべながら言った。
「お仕事お疲れ様です。コーヒーでも飲みますか?」
「ああ、ありがとう。もらうよ」
彼女は机の上にマグカップを置いた。湯気とともに芳ばしい香りが立ち上る。僕はそのコーヒーを一口飲むと、彼女の方を見た。
「アイももうすぐ終わりなんだよね。今日はどんな感じだったの?」
彼女は少しだけ表情を曇らせると、小さくため息をついて答えた。
「それが、あんまりよくなかったんです。いつも通りというか……、特にこれといった出来事もなかったです」
「そっか……それは残念だな……、でもアイは頑張ってると思うよ。仕事を真面目にこなしてくれているし」
「でも、もっと何か大きな事件とか起きて欲しいですよね。そうしたら活躍できる機会もあるかもしれないし」
「まぁ、そうだね。何も起こらないのが一番だけど」
「確かにそうですね。じゃあ京太さんも早く帰ってください。明日も早いんですよね? 」
「うん、分かった。じゃあそろそろ帰ることにするよ」
「はい。また明日。お疲れさまでした」
「アイこそ、お疲れ」
……
僕は会社を出て、自宅に向かって歩き始めた。
西暦10025年。この星は住みにくい場所になってしまった。大規模災害が頻発し環境は悪化の一途を辿っている。エネルギー不足により多くのアンドロイドは仮想世界で生活している。文明は衰退し生存圏は徐々に狭まっている。地球を捨てて他の惑星で暮らす者も多い……。そんなことを考えながら歩いていると、少し離れたところに女性がいることに気が付いた。
(珍しいな……こんな時間に外に人がいるなんて……)
その女性は白い和服を着ており、桃色のショートカットを風に靡かせて、どこか寂しげな瞳をしているように感じる。身長は170cm前後でスラッとした体型をしていた。モデルのように美しい女性である。彼女の着物の丈は異常に短く、足を殆ど露出している。
女性のことを見ていると目が合った。そして、こちらへ近づいてくる。咄嵯の判断で、このまま女性を無視してマンションに入ろうと思ったのだ。だが――
女性は無言のまま近づき、声をかけてきた。
「こんにちは、お兄さん」
女性から放たれた言葉はとても透き通るような声で、鈴が鳴るような綺麗な音だった。その声には不思議な魅力があり心を奪われる感覚があった。女性の声を聞いただけで思わず見惚れてしまう。女性の顔を見つめると目鼻立ちがとても整っていることが分かり、美人であることがよく分かる。彼女は優しく微笑みかけていた。
「あっ、はい。こっ、こんちは」
緊張して、まともに話せない。心臓の鼓動が激しくなるのを感じる。顔が熱い。頬が赤くなっていることだろう。
(やばい……めちゃくちゃかわいいんだけど。えっと、誰だっけ……?)
記憶を呼び起こすために、頭を必死になって回転させたが何も浮かばない。どうやら初対面のようだ。僕は女性の方を見る。彼女は笑顔で語り掛けてくる。
「お兄さんの住んでいるマンションはここですか?」
「あっ、ああ……そうですけど……」
女性はニコッと笑う。
「ふぅん。私も同じところに住んでるんです」
「そうなんですね。奇遇だな」
(同じマンションに住んでいたのか。全然気が付かなかった。ということは隣人になるのかな? これはラッキーだ! しかし、この子は誰なんだろうか……)
すると、彼女が口を開いた。
「私は地球滅亡管理局で局員を務めている『マキノ』と言います。以後、お見知りおきを」
彼女は右手を差し出した。握手を求めているらしい。
「ああ、どうも。僕も同じところで働いてます」
差し出された手を握る。彼女の手は柔らかく、すべすべしていて気持ちいい感触がある。彼女の手は温かく、ほんのりと甘い香りが漂ってきた。
(マキノか、良い名前だと思う。可愛くて響きも良い。漢字ではどんな字を書くのだろう)
握った手を離し、彼女は続けて語る。
「京太さんは最近このあたりに住み始めたんですか?」
「はい。先月引っ越してきたばかりです。今はこのマンションに住んでいるんですよ」
「そうですか、それは運が良いですね。京太さんの部屋は何号室になりますか? 良かったら案内していただけませんか? これから仲良くできれば嬉しいです」
「僕の部屋の場所ですね。60階の007号室ですが……。あの、ちょっと聞いてもいいですか?どうして僕の名前を知っていたのでしょう」
「ああ……。それについては後で詳しく説明しますね。さぁ、早く部屋まで行きましょ」
彼女に腕を引っ張られ、エレベーターに乗った。エレベータの扉を閉める前に後ろを振り返ると、こちらを見ていたマキノと目が合う。彼女はニコリと笑っていた。60階でエレベータを降りると彼女も一緒に降りた。廊下を進み、007と書かれた部屋の前で止まる。
「僕の部屋はここですよ」
鍵を取り出しドアを開けると、彼女を部屋に招いた。
「ささっ、中に入ってください」
彼女は部屋に入ると物珍しそうに見渡している。そして、「へぇー」と言ってからこちらに振り向いた。
「これが京太さんのお家なのですね。京太さんと二人きりになれてとても嬉しく思います」
マキノは僕をじっと見つめながら話を続ける。彼女の目は潤んでおり、顔は紅潮しているようにも見える。頬も赤いようだ。そのせいなのか、彼女の表情はさっきより色っぽく感じる。その視線にドキッとした。僕の心は落ち着かない。ドキドキして息苦しい。緊張して彼女を見ることができずに、自分の手元を見て彼女の次の言葉を待った。
「ねぇ、京太さん」
彼女は小さな声で囁くように話しかけてくる。その声を聞いて心臓が大きく跳ね上がった。緊張した状態で「はい!」と答えた。
「京太さんはアンドロイドについてどう思いますか?」
「どうって?」
質問の意図が分からないため、思わず聞き返す。
「私たちアンドロイドは何のために存在するのでしょうか?」
「う~ん……」
(いきなり難しいことを聞かれてしまったな……)
答えようとして言葉を探す。だが、うまく見つからない。少し考えた後、
「人類の文明を保つために造られたんじゃないか? 」
と答えることにした。
「確かにそうなのですが……遠い昔に人類は絶滅してしまいました……人類のためだとすると、私たちには存在意義がないということになりませんか?」
マキノは続けて言う。
「私は人間に会ったことがありません。京太さんは人類が絶滅する前に造られたから話を聞いてみたかったんです」
「なるほど、それで僕に近付いてきたのか」
「自分が何のために存在しているのかを知らずにいるので……もし、人間がいて、彼らと交流できたなら何かわかったと思うんです」
彼女の目からは悲しみのようなものを感じた。僕は彼女に対してどう返事をしたらよいのかわからなかった。
(人類がいた頃のアンドロイドはきっと、こんな悩みを持っていなかったはずだ。しかし、今は違う。アンドロイドは人類の生活を支えるために造られた。人類がいない以上、人類の未来を考える必要がなくなったんだ。だから、アンドロイドは自身の存在意義を失ったのかもしれない)
僕は悩んだ末、こう答えることにした。
「じゃあ、アンドロイドも他の種族と同じように子孫を作ったらどうかな? そうすれば、アンドロイドは存在意義を得られるんじゃないだろうか」
「それはどういうことですか? 詳しく教えてください」
マキノは身を乗り出して聞いてきた。
「素晴らしいアイデアだと思います!アンドロイド同時で子供を作るということですよね? でも……、私たちアンドロイドには生殖機能はないんですよね……」
彼女は悲しそうな顔をする。
「いや、ほとんどのアンドロイドは知らないけど、実は僕たちには生殖機能が備わっているんだ」
「本当なんですか!? 初耳です!」
「ああ、男性型アンドロイドの生殖器に一定の刺激を与えると、設計情報を載せたマイクロマシンが放出される。そして、女性型アンドロイドの生殖器にそのマイクロマシンが吸収されると、接合体が形成され、アンドロイド同士の子供が産まれるんだ」
「へぇー」
マキノは感心しながら僕の話を聞く。
「『一定の刺激』とはどのような刺激なんでしょうか?」
「……、性行為によって得られる快感だよ……」
「なるほど。私もやってみたいです!」
「えっ!?」
彼女の言葉を聞いて驚いた。
「だって、やりたいじゃないですか」
彼女は目を輝かせている。
「いや、そういう問題ではない気がするんだけど……」
「それに、アンドロイド同士で子供を作れるなんて凄い発見ですよ!」
「まぁ、確かにそうだけど……」
「じゃあ、早速やりましょうよ」
「え、今すぐやるの?」
「はい。善は急げと言いますから」
「ちょっと待ってくれ。まだ心の準備ができていない。もう少し時間をくれないか?」
僕は慌てて答える。
「分かりました。それでは待ちましょう」
彼女は笑顔で答えた。
「ありがとう」
(なんとか助かったみたいだな)
ホッと胸を撫で下ろす。しかし、この場は収まったとしても根本的な解決にはならないことにすぐに気がついた。
(彼女の興味をアンドロイド同士による生殖行為に注がせないようにしなければ……)
「ところで、マキノは最近どんな仕事をしてるんだ?」
話題を変えようと試みる。
「特にこれといって特別なことはしてないんです。強いて言えば、破壊された発電施設の復旧に取り組んでいます。それと、最近は大規模な災害が起きやすいのでその調査を行っています」
彼女は表情を曇らせる。
「そうなんだ……。大変な仕事だと思うけど頑張ってくれ」
彼女の力になりたかったが、何もできることが思いつかなかった。
「そういえば、京太さんの仕事ってなんですか?」
「昔は地球環境の維持・保全を担当していたが、復職した今は宇宙人襲来への対策が中心だ」
「そうだったんですね」
彼女は少し考えると何か閃いたようだった。
「そうだ。よかったら、京太さんのご友人を紹介していただけませんか? 一度お会いしたいのです」
予想外の提案だったが、断る理由もないので了承することにした。
「いいよ。明日にでも紹介しよう」
こうして彼女とのデートが決まった。
◇◇◇
次の日、僕はマキノと一緒に外出していた。七海に紹介するためだ。
「京太さん、ここが七海さんの家ですね」
彼女が立ち止まる。そこは一軒家の玄関の前だった。インターホンを押して家の中にいる七海を呼び出す。しばらくして、扉が開かれた。中から眠たげな女性が姿を現した。服は着ておらずセットの黒い下着だけ身に着けている。頭には寝癖がついている。瞳の色は金色。肌は透き通るように白く美しい。胸は大きく膨らみ、腰はくびれている。彼女は、まるで人形のように美しかった。
「京ちゃん、朝から何……?」
「もう12時だけど……」
七海とは仮想世界で同棲していたが現実世界では別々に暮らすことにした。理由はアイとの関係が拗れないようにするためだ。
「あれ? 本当だ」
彼女は大きな欠伸をする。そして目を擦りながら言った。
「まぁ、いっか。上がってよ」
マキノと共に家に上がりリビングに向かう。
「七海、彼女は僕らと同じく地球滅亡管理局で働くマキノだ」
「初めまして。私はマキノと言います」
彼女は礼儀正しく挨拶する。七海は軽く会釈すると椅子に座った。僕達もそれに続いて席に着く。しばらく、沈黙が続く。七海の口元が動き始める。
「それで、京ちゃん。今日は何の用事?」
僕は話を切り出した。
「実はこの子を紹介しようと思って……」
僕はマキノのことを簡単に説明する。七海は興味なさそうに聞いてくれた。説明を聞き終えると彼女は口を開いた。
「へー、お仕事忙しいんだね。そんなことより私のことをかまってよ。京ちゃん、私寂しいんだけど」
甘えた声ですり寄ってくる。彼女の甘い匂いが鼻腔を刺激する。
「ああ、もちろんかまうぞ」
頭を優しく撫でてやる。彼女は嬉しそうな声を上げる。僕の手に身を委ねる彼女。その様子はとてもかわいらしいものだった。
しかし、マキノのことを考えると複雑な気持ちになった。七海は誰とでも仲良くなるタイプではないのだ。だからマキノと仲良くしてくれるかどうか不安があった……。僕はマキノの方を向く。マキノは頬を膨らませていた。七海が僕の視線に気づいてこちらを向いたので慌てて顔を背ける。
「ねぇ、昨日、二人だけで何を話してたの?」
金色の双瞳は僕を射抜くように輝いていた。
「えっと……」
彼女にどこまで事情を明かしてよいのか迷っているときだった。マキノが口を開いた。
「生殖行為について話していました」
「せッ!?」
予想外の言葉を聞いて動揺する。七海も驚きで目を丸くしていた。
「あははっ。京ちゃん照れてる。かわいい~」
「うるさい!」
七海にからかわれてしまった。恥ずかしくて顔が熱くなる。すると、マキノが真剣な表情をして語り始めた。
「私はこの地球という星の未来のために行動しています。繁栄と衰退を繰り返している世界です。今のままではいずれ滅亡します。そのためにも生殖行為を行うことは大切なことです。協力してくれませんか?」
七海は腕を組み考え込んでいる。やがて、何かを思いついたようで勢いよく手を挙げた。
「じゃあさ、三人でやってみない?」
「…………」一瞬、場が静まり返る。
「おい! ちょっと待て!」
思わず叫んでしまった。
「だってぇ……。せっかくかわいい女の子が二人いるんだよ。京ちゃんはやりたいよね? やりたくないわけがないよ」
「そうだな…………って、違うわ!!」
七海の提案を否定する。確かに七海の言う通りだ。マキノも可愛いと思う。だが、倫理観や道徳的な問題があるだろう……。マキノは無言のまま首を傾げている。どう答えればよいのかわからないのだろうか。しばらくして彼女は口を開き始めた。
「私は別にかまいません。京太さんが嫌でなければの話になりますけど……」
(まじですか……?)
心の中でつぶやく。彼女の無垢さが眩しかった。そして罪悪感を覚える自分が醜かった。それでもなお彼女と交わらずにはいられないのであった。僕は大きく息を吸い込んだ。覚悟を決める。
「わかりました。いいですよ。三人でしましょう」
「やったー」
七海は満面の笑みを浮かべながら喜びの声を上げた。
「ありがとうございます」
マキノは丁寧にお辞儀をする。礼儀正しい子だ。僕は少し気後れしたような気分になる。僕はまず二人の肩に手を回して抱き寄せた。
……
すると、「もう京ちゃんたら。冗談だよぉ」
「つべたい!」
僕の首筋に冷たい物が触れる。いつの間にか七海が近くにあった氷を押し付けたようだ。七海は楽しそうにクスクスと笑う。彼女の悪戯っぽい仕草が愛らしい。僕が怒る様子を楽しんでいるのだ。
「もう許さないぞ!」
僕は彼女を捕まえようと追いかけた。七海は身をかわして逃げる。そんな光景を見て、マキノがくすりと笑い声をあげた。
つづく