【正体秘匿】
「【英雄育成】……」
試合を観戦するサキは、カタログの該当項目を探し当てた。
二人がトラックに轢殺されてから、最初の転生イベントが起こるまでには僅かな猶予がある。
「強化型。対象一人に強力な成長倍率を与える……か。対象人数が少ない分、【無敵軍団】とか【酒池肉林】の上位種って感じになるのかな」
隣のタツヤが答える。
「ああ。その分、強化効率は段違いだぜ。他人に【超絶成長】をかけられるようなもんだな」
自身は内政に専念しつつ、転生者すら撃破し得る戦力を護衛として構える【英雄育成】は、内政型デッキにおける戦力確保の定石の一つでもある。
「他者強化型のCスキルで伸ばせるのは戦闘系スキルに限った話じゃねェけどな。【無敵軍団】辺りでも同じことだ。育てる相手の適性をしっかり見れていりゃあ、【超絶知識】にも【超絶交渉】にもなる」
「ルドウは……黒木田さんのデッキがどういう戦術か分かる?」
「あァ? そりゃ【悪役令嬢】の効果が分からなきゃ何とも言えねェだろ。ただの【令嬢転生】の亜種なら、黒木田得意のスタンダードな内政型だが……純岡を裏切ってまで使うDメモリがその程度のモンか……?」
彼らの疑問への答えは、すぐに示されることになる――予想だにしない形で。
――――――――――――――――――――――――――――――
純岡シト IP0 冒険者ランクE
オープンスロット:【超絶成長】【正体秘匿】【全種適性】
シークレットスロット:【????】
保有スキル:〈UNKNOWN〉〈UNKNOWN〉〈UNKNOWN〉〈UNKNOWN〉〈UNKNOWN〉
黒木田レイ IP0 冒険者ランクE
オープンスロット:【悪役令嬢】【超絶交渉】【英雄育成】
シークレットスロット:【????】
保有スキル:〈交渉C+〉〈礼儀作法C〉〈宗教学D〉〈美貌の所作C〉〈北黒言語C〉〈東青言語D〉〈カリスマE〉
――――――――――――――――――――――――――――――
「なにィーッ!?」
「……嘘だろ……!?」
「な、なんで……!?」
超世界ディスプレイに映し出されたのは、最初のイベントの時点での二人のステータス状況だ。
転生者の人生におけるイベントを余さず編集し伝えるはずの超世界ディスプレイ――その表示時間が異様であった。
「……十七年と三ヶ月……!?」
「最初のイベント発生まで十七年――十七年間も何も起こらなかったってのか!?」
両者ともにIP0。全国クラスの異世界転生でそのようなことはあり得ない。タツヤのような速攻型であれば、転生から十年目の時点でドラゴンを倒すことすらできるのだ。
それが謎めいたDメモリの使用者である黒木田レイ一人ならば、まだしも不可解な戦術であると解釈することもできる。だが……我らが純岡シトまでもが、十七年もの間、何も引き起こせていないというのか。
「【悪役令嬢】……」
サキは呟いた。超世界ディスプレイは、『最初のイベント』を映し出している。
「……一体……どういう……Cスキルなの……!?」
――――――――――――――――――――――――――――――
「――レイ・エクスレン。君はファルア教の聖女の一人でありながら、サラ・アルティリーへと数々の中傷や嫌がらせを行い、彼女を公然と貶めた。その申し開きがあるなら、今ここで聞きたい」
上流階級の子女が集う学園舞踏会の会場において、第三王子フィルハルト・ロートローゼンはレイに対してそのように告げた。生徒達達の間にも、次第にざわめきが広がっていく。
それは事実上、第三王子の婚約者に対する訣別の表明を意味していたからだ。
「聖女とはただ生まれによって決まるものではない……それは心のあり方だと俺は思っている。身分や家柄で差別を行う者より、サラの方がずっと聖女として相応しい」
「そう」
黒木田レイは穏やかな微笑みを返した。突き刺さる好奇の視線も屈辱的な言葉も、全て予定調和の内である。
これが十七年と三ヶ月目にして引き起こされる、確定したイベント。恋の上でも政治の上でも予め敗北を定められた『悪』――それが悪役令嬢。
「――ふふふ。未来の夫への言葉遣いや作法の無礼に見て見ぬふりをするのが、王家の婚約者として正しい姿だったかな? 差別ではなく、他の学友がそうするように、ぼくの婚約者に接してほしかった。それとも、きみにとっては彼女のふるまいだけは特別だった?」
「俺はこれまで……本当の君を知ろうとしていなかったのかもしれない。サラはきみの言葉に大きく傷ついている……残念だよ、レイ」
「お気に入りの女の子ができた途端に婚約者を捨てるのが本当のきみなら、それでもいいのかもね」
「……何を言っても無駄なようだな。ならば、俺と結婚したとしてもそうなのだろう。君との婚約を破棄する」
学友の喧騒とは裏腹に、レイはあくまで落ち着き払っている。
黒木田レイが見ている者はただ一人だ。いかにこの王子の身分が高く、容貌や能力に優れ、時には恋人らしい言葉を投げかけられたとしても、異世界における設定上の婚約者に心を動かされる要素はどこにもない。
この愚鈍な王子は、レイがこの転生でIPを獲得するための餌にすぎない。【悪役令嬢】の強制力でこのような言動をさせてしまっていることに、哀れみの念を抱いてすらいる。
「それなら、ぼくは身を引かせてもらうよ。ごきげんよう、フィルハルト様」
この世界は、国家とは別の二つの宗教勢力――ファルア教とラダム教が対立している。生まれながらに高貴な身分を得る【悪役令嬢】で入手したのは、ファルア教の聖女の地位。大義名分をもって敵性宗教を殲滅するには、最適の初期条件といえた。
後は、首尾よく異世界の父から処分を受けるだけでいい。王族に関わるスキャンダルから引き離すために、遠方の領地に送られることになるだろう。【超絶交渉】のCスキルがある限り、処罰の軽重すらも自在だ。
(……やっぱり地方送りがいいな。中央の目から離れた片田舎で……この世界を覆す兵力を育てる。世界救済を果たすのは、最後だ)
会場を後にする馬車の中で、レイは婚約者ではない男の名を呟いている。
「――さあ、シト。ぼくのところに来て」
――――――――――――――――――――――――――――――
星原サキ達が見守る位置から、スタジアムを挟んで反対側にあたる客席である。
そこには異様な存在感を放つ二人組が着座して、試合の趨勢を見守っていた。
白衣を羽織った痩身の老人は、ドクター日下部。筋肉の鎧を纏う巨漢は、既に第一回戦を勝利で終えた鬼束テンマである。
「ドクター。この戦い、純岡シトに勝機はあると思うか」
「……くくくく。逆に、君は勝ち目がないと思っているかね?」
ドクターは邪悪に笑い、一方のテンマは僅かな笑みも返しはしない。
威圧的な腕組みのままで、超世界ディスプレイの中の黒木田レイを眺めている。
「黒木田レイのDメモリの仕様は、私でも把握しきれない。初期条件を高貴な生まれとして転生する。最初に社会から貶められ追いやられることで、その後の獲得IP倍率をブーストする。自身を排斥した国家への報復によってもIP獲得が可能になる。高貴な身分の男性からの婚約破棄を強制する。さらに、その男性は別の庶民に恋愛感情を抱いており……何より、最初のイベントまでの十六~十九年間のIP獲得を敵味方共に凍結する」
予測どころか、目で見てなお理解の及ぶものではない。これらの全てが、ただ一つのメモリで引き起こされている現象である。
あまりにも複雑かつ複合した効果のために、鬼束テンマすらこのDメモリの挙動を読み切ることができないのだ。
「くく、くくくくくく。君は生真面目過ぎるなテンマ! 単純、まったく単純だ。【悪役令嬢】のスキルは極めてシンプルな、ただ一つの効果から波及するものに過ぎない」
それはまさしく、この世で黒木田レイの他に取り扱うことのできないDメモリ。
レイは【令嬢転生】の使い手である。【令嬢転生】の反転とも言うべき強力なDメモリの使い手となるべく、アンチクトンでそのように育成された。
「【悪役令嬢】は、一つのイベントを必ず起こすDメモリなのだ。即ち……たった今のような、婚約破棄と追放! 社会的な敗北イベントを世界に強制する! イベントの妨害は決してできない! それ以前の世界救済を許さないのだ!」
「試合進行の停止……婚約破棄イベントが発生するまで、他のあらゆるイベントを起こさないということか。結果として、両者ともにIP取得が行われない」
「IPはスキル経験点への乗算にも用いられることは知っての通り。ならばIP獲得が凍結された転生者の成長効率など、もはや常人同様! 開始イベントの時点まで、本来の肉体ポテンシャル以上の成長は不可能! スタートラインを強制的に成長時点とすることで幼少時の成長機会を奪う――戦闘型に対する天敵たるDメモリ! それが【悪役令嬢】!」
十七年ものIP凍結。尋常の速攻型が世界救済を完了してしまうほどの長期間、シトの【超絶成長】は死に札となっている。【全種適性】すら、多種多様なスキルにまで手を伸ばせるだけの経験点の余裕はなかったことだろう。
一方で【英雄育成】は他者の成長に作用するCメモリである。転生者自身の成長が制限された状態にあっても、その穴を抜けることが可能だ。
レイは一切の誇張を行っていない。互いの転生者自身の肉体的な成長の機会を奪った上で社会戦を仕掛ける【悪役令嬢】には、自分自身では戦わぬ内政型以外で勝つことはできない。その上このメモリを用いるのは、元より内政型の天才である、あの黒木田レイなのだ。
「――ならばどう戦う。敵の領域に自らが引きずり込まれた時、洞察が一切通用しない時。君はどのように戦術を組む……純岡シト!」
――――――――――――――――――――――――――――――
「きみ達はただの使用人じゃない」
馬車に積み込まれていく荷物を見送り、レイは背後に控える使用人達に告げた。
「きみ達にだって、エクスレンに仕える以上は……帰るべき、相応しい身分の家があるはずだ。ぼくなんかに付き合って、きみ達まで追放の憂き目を負うことなんかない」
「いいえ! これまでのご恩を忘れ、お辛いレイ様を置いて、何故私一人だけが家に戻ることなどできましょうか!」
「そもそもフィルハルト様の婚約破棄が不当! 戦うべきです!」
「私は当主様の判断にも納得していません……! いくら地方領主扱いとはいえ、これではまるで追放同然ではありませんか!」
「自分は他の者とは違い、元は奴隷の生まれを拾っていただいた身! 最後までお供いたします!」
使用人達は、やはり予定調和の通りにレイへの忠誠を表明していく。
【基本設定】による保護があるとはいえ、涙ながらにレイを弁護する彼女らへの罪悪感がないわけではなかったが、【悪役令嬢】の運用において、転生開始時点の召使は貴重な戦力ではある。
「……ふふふ。ここからは、とても苦しいかもしれないよ?」
嘘ではない。レイは、彼女らに敵対教団を滅ぼさせようというのだから。
仲間。支援者。ヒロイン。異世界において転生者が支配した住人は召使と呼称される。
異世界に生きる人間をまるで道具のように使い潰してさえ、【基本設定】はその罪悪感すら削り取ってくれる。
「もちろん、覚悟の上です!」
「私がお世話いたします! レイお嬢様!」
「……うん。信じてるよ」
彼女らの忠誠は本物なのだろう。少なくとも、彼女らの主観においては。
何度も転生を繰り返してきた中でも、レイは異世界の住人の心を疑ったことはない。
だがそれでも、それは彼女にとっての本物ではないのだ。
(……シト)
【悪役令嬢】に対して完全に劣勢である、直接戦闘型。
けれどきっと、この程度で負けるような敵ではないのだろう。
相手は純岡シトなのだから。全力を尽くさなければ、レイは負けてしまうのだろう。これまで敢えて手を染めた事のない戦術すら用いる必要がある。
(もしも君が……もっと弱かったなら。ぼくは世界を滅ぼさずにいられたのかな)
自分を負かした敵であるから、シトのことを想わずにはいられない。
ならば本当に、そうではない方が良かったのだろうか。
――――――――――――――――――――――――――――――
「これは聖女レイ・エクスレン様の、名誉あるお側仕えの職務です」
一年後。シトは有象無象の冒険者とともに、この辺境の地に集っていた。
表向きは戦地の慰労へと赴くレイの護衛兵の招集という名目ではあるが、実態は明らかに戦局介入のための私兵の雇用である。
「どのような生まれの者であろうと、レイ様はあなた方に等しく教育を授けてくださいます。ですのでこれは実力を測るものではなく、自覚持たぬ者をふるい落とすための面接であるとお心得ください」
アンチクトンとして戦う限り、黒木田レイの勝ち筋はある程度限定される。
人類に甚大な被害を与えつつこの宗教対立世界の世界救済を行う道は、多数の生贄が投じられ根源邪神が覚醒する以前の時点での、片方の勢力の全滅。IP獲得の都合からすれば、恐らくは自身の属していたファルア教への復讐という形を取るのだろう。
ならば、いずれ彼女が何らかの形で兵力を集めることは読めていた。
(……黒木田が政治上の地位を固めれば、身元の確かな兵だけを集めるようになる。ただ一つ直接攻撃の好機があるとすれば、自由行動が可能になった序盤の今しかない)
直接攻撃。レイに世界を滅ぼさせることなく勝利する最も確実な手段はそれだ。
「シータ・グレイ」
「うむ。俺か」
「まずはあなたの班から、直接の面通しを行いたいとのことです。夕食を終えた後、この紙片に記された部屋に集まるように。案内は必要ですか?」
「無用だ。地図があれば道順は分かる。あー……だが、中々肝の座ったお嬢様みたいじゃねえか。ゲヘヘ」
「レイ様への無礼は許しませんよ。……次!」
本来のシトとは全く異なる姿形と言葉遣いの転生体であった。
野性味を感じさせる髭面に、無骨な手斧。彼が普段の転生で好む直剣での斬撃とは、戦闘スタイルすらも大きく変えている。
【全種適性】及び【正体秘匿】の複合による偽装。普段の純岡シトを知る者が相手であるほどに、その裏をかくことができるのだ。
「……正念場だな」
多数のデコイの中に紛れての暗殺は、【正体秘匿】の真骨頂である。冒険者が町に集い、そしてレイの護衛を兼ねる使用人達が常駐していない今だからこそ、奇襲が可能だ。
「当初の戦略は潰されたが……黒木田を止めるには、やはりこの一手しかない」
――――――――――――――――――――――――――――――
純岡シト IP23,620 冒険者ランクD
オープンスロット:【超絶成長】【正体秘匿】【全種適性】
シークレットスロット:【????】
保有スキル:〈UNKNOWN〉〈UNKNOWN〉〈UNKNOWN〉〈UNKNOWN〉〈UNKNOWN〉〈UNKNOWN〉〈UNKNOWN〉〈UNKNOWN〉〈UNKNOWN〉〈UNKNOWN〉〈UNKNOWN〉〈UNKNOWN〉〈UNKNOWN〉他8種
黒木田レイ IP45,998 冒険者ランクD
オープンスロット:【悪役令嬢】【超絶交渉】【英雄育成】
シークレットスロット:【????】
保有スキル:〈政治交渉B+〉〈礼儀作法B〉〈宗教学B〉〈扇動D〉〈美貌の所作A〉〈完全言語D〉〈鑑定C+〉〈カリスマC+〉〈農業C+〉〈公共事業D〉〈ファルア法術B〉他5種
――――――――――――――――――――――――――――――
そうして、シトは屋敷の中へと踏み入っている。シトを含む何人かの班で面通しを行うように聞いていたが、他の冒険者どころか、使用人の影すら見当たらない。
既に夜の帳が下りているが、光の法術に照らされた屋敷は煌々と明るい。
(……俺以外は呼ばれていないのか?)
隠匿している〈奇襲感知C+〉で警戒を行いつつ、地図の部屋へと到達する。
十七年ものIP凍結による戦力低下は大きいはずだ。よって仮にこの場で奇襲を受けた場合、それで戦力の程を露呈してしまう可能性があった。
室内からの射線を避けるように位置取り、扉を開ける。手斧の柄に指をかける。
「入っていいよ」
促す声があった。忘れようもない、黒木田レイ本人の声。
シトは扉の影で構えを解き、まるで無造作な傭兵のように装いつつ踏み込む。
「どうも、お邪魔す……」
シトの言葉は止まった。部屋の中に居るのは一人だ。
十八歳の姿に成長したレイがそこにいた。
部屋は彼女の自室であった。
「…………。すまな……いや、失礼。噂通りの……別嬪さんだったんでね」
「うん。ありがとう。そこに座って、話をしようよ」
「…………」
「久しぶりだね」
閉じた唇の両端を吊り上げる、真意を悟らせない笑み。既に状況は明白である。
……これは罠だ。世界のどこかに潜む純岡シトを釣り出すために、レイは絶好の奇襲の機会を自ら作った。
「なぜ俺の正体に気付いた」
「ふふふ。もっと異世界の社会制度を勉強しないと駄目だよ、シト。確かに【正体秘匿】で作ったきみの身分は、信頼に足るファルア教の黒豹聖堂部隊の一人だ――けれど【正体秘匿】は既に存在する誰かに成りすますこともできないし、現時点での身分証明しか作り出すことができない。そしてファルア教徒なら必ず、子供の頃に洗礼を行っている。ぼくならその記録だって見れる。聖女だからね」
「……現在の身分が不確かな者ではなく……生まれの記録が残っていない者に絞って調べをつけていたのか……!」
辺境に追放された身とはいえ、教団の聖女の護衛は冒険者にとっても条件の良い依頼だ。集った者の中には、【正体秘匿】を用いるシト以上に胡乱な生い立ちの者もいる。だが彼らはその実、隠れ蓑として機能していなかった。
シトは無防備にその正体を晒したまま、敵の懐へと飛び込んでいた。
「……でも、さすがだよ。今日ばかりは偶然、ぼくの護衛も出払っていてね。屋敷にはぼくだけだ。ね。二人きりだよ、シト」
「白々しいことを……偶然を装って護衛を遠ざけていたのも含めて、俺を誘き出すための罠だったのだろう」
「――ふふふ。そうかも。確かめてみる?」
レイは夜着を纏った細身を乗り出して、無防備に首筋を晒した。
如何にシトの【超絶成長】が十全に機能していないとしても、容易に必殺可能な間合いに、自分から。
「う……」
白い首筋を前にしたシトは、震えた。
一方のレイは死の淵に足をかけていながら、薄く微笑みを浮かべている。
転生者としての賭けと読みの全てが問われる一瞬。シトの思考はめまぐるしく巡った。レイの言葉と微笑みに、大いにその判断を惑わされていたとしても。
(【無敵軍団】の兵。違う。ならば自分から距離を詰めるリスクを負う意味はない。【超絶成長】による防御スキル一点特化。彼女の側も経験点はギリギリのはずだ。内政に有効となる交渉スキル以外に経験点を回していたはずがない。もしも、ブラフ……それらの防御手段が他にあるのだと、シークレットのCスキルを誤認させようとしているのなら――)
目を強く瞑り、全ての思考を遮断する。
レイに勝つためには、そうしなければならない。異世界での出来事だ。【基本設定】が、当然あるべき罪悪感と恐怖を殺ぎ落とす。
シトは手斧を一息に振り下ろした。想いを寄せる少女の首を断ち切る……
「……っ」
……ことはなかった。斧は、触れるほどに近いレイの首を外れた。
シトは再び斧を振るった。重い刃が間近な衣装棚を破砕したが、それだけだ。
「効かないよ。わかってるでしょう?」
無傷なまま、華奢なレイの体が、シトにひたりと体重を預けた。
【悪役令嬢】によって四種のCメモリのうち二種が無効化されたシトには、一つの勝ち筋しか残されていない。直接攻撃。内政型を誰よりも得手とする黒木田レイは、当然それを熟知している。
「黒木田……!」
「ふふふふふふ。……ね。攻撃以外のことはしないの? ……シト」
それはひどく単純で、絶対的な、直接攻撃封じ。
――――――――――――――――――――――――――――――
純岡シト IP23,620(-11,152) 冒険者ランクD
オープンスロット:【超絶成長】【正体秘匿】【全種適性】
シークレットスロット:【????】
保有スキル:〈UNKNOWN〉〈UNKNOWN〉〈UNKNOWN〉〈UNKNOWN〉〈UNKNOWN〉〈UNKNOWN〉〈UNKNOWN〉〈UNKNOWN〉〈UNKNOWN〉〈UNKNOWN〉〈UNKNOWN〉〈UNKNOWN〉〈UNKNOWN〉他8種
黒木田レイ IP45,998 冒険者ランクD
オープンスロット:【悪役令嬢】【超絶交渉】【英雄育成】
シークレットスロット:【不朽不滅】
保有スキル:〈政治交渉B+〉〈礼儀作法B〉〈宗教学B〉〈扇動D〉〈美貌の所作A〉〈完全言語D〉〈鑑定C+〉〈カリスマC+〉〈農業C+〉〈公共事業D〉〈ファルア法術B〉他5種
――――――――――――――――――――――――――――――
「な……何やってんだ純岡ッ!」
「シト、どうしちまったんだよッ!?」
ミスプレイに驚愕したのはルドウやタツヤのみではない。どの転生者が見たとしても、あまりにも明白過ぎる失着。聖女の地位を持つ対戦相手への直接攻撃失敗。
ただでさえ少ないIPが、反撃能力を持たぬ者への攻撃失敗でさらに消耗した。
剣タツヤは、思わず席から立ち上がっていた。
「わ……分かってたはずだッ! 敵のオープンスロットに【正体秘匿】が見えていたらシークレットに【不朽不滅】を差してくる! 内政型の転生者が直接攻撃を警戒するのは当然なんだ! ちくしょう……シトが、そんな簡単なシークレットを読み落としたってのか……!?」
「なんなんだクソッ……!」
「……。アタシ、分かる気がする」
この結果を受け入れることができていた者が会場にいたとすれば、転生者ではなく、シトの事情を知るサキただ一人であったかもしれない。
異世界におけるあらゆる出来事から精神を保護する【基本設定】があろうとも……否、それ故に異世界において超人的な精神力を発揮する転生者の心の基点は、こちら側の世界にある。仮に……ゲームの世界を画面越しに覗き込んでいるのに等しいのだとしても、現実世界の心が乱れていたとしたなら。
「だって……普通じゃいられないよ。だって純岡クン、黒木田さんのこと好きなんだもん……! IPとか……どんなCメモリがあるかとか……好きな人を殺す時にそんなこと考えてられない……冷静に見えていても、冷静じゃなかったんだ……」
「クソッ……脳は機械と同じ、か……!」
ルドウは親指を噛む。そもそもそれは、第一回戦の時点で危惧していたことだ。
完全無欠の、一つの綻びのない転生者ですら……心の動揺で、あっさりと崩れる。
それは普段のプレイングが完璧である分、あまりにも滑稽に、手酷い形となって。
「成長イベントが全部飛ばされて、【超絶成長】と【全種適性】が駄目になった。これで……【正体秘匿】のアドバンテージも、ゼロだ」
あの鬼束テンマ戦ですら、このような状況ではなかった。しかも転生序盤、シトはIPすら一切獲得できていない。
――オープンスロットに存在する、三種のCスキルの全てが。
「純岡の手札は、ブタだ! この試合で使える札が、もう何もない!」
次回、第二十一話【王族転生】。明日20時投稿予定です。




