【無敵軍団】
「集まったな」
転生開始から十七年。
かつてと同じ王都の広場に集う【集団勇者】の顔ぶれは十八名にまで減っていたが、彼らの統率者は今や委員長ではない。
「――既に加藤の『脳内通話』で共有しているように、帝国が発掘しつつある先史文明の遺産は、この異世界全体を脅かしかねない、最悪の危険因子だ」
その一人――即ち純岡シトは、全員を見渡して言った。
「貴様らは決して無敵の勇者などではない。だがそれでも、チートの力で掴み取った地位と名声は真実のものだ。断じて軽率な暴力に訴えることなく、むしろこの世界より暴力を廃絶せよ。帝国とは既に和平を締結し対コボルト条約を取り付けてはいるが、それでもここからの交渉はなお困難を極めるだろう。粘り強く発掘中止を働きかける……! 全ては貴様ら一人一人の双肩に懸かっている! いいな!」
「もちろんだぜ、純岡ァーッ!」
「アンタの言う事なら間違いじゃないって、アタイ信じてるよ!」
「俺は最初から分かってたぜ……本当はお前のチートが最強だったってよ!」
「す、純岡くん……この戦いが終わったら、私……」
思い思いの愚劣反応を示すNPCは、しかしシトの命令に背くことはないだろう。それぞれの知名度を活かして各国家の上層へと接触し、シトの介入の糸口を作り出してくれるはずだ。【超絶交渉】なくして不可能とされる【集団勇者】の掌握を、純岡シトは完全に成し遂げていた。
彼はここからさらに三年、あるいは四年がかりの計画を考えている。『先史文明』は復活イベントが発生してしまえば戦闘特化型のデッキでも対処は極めて困難だが、時間を掛けて社会を制圧すれば、安全かつ確実に防ぎきることのできるレギュレーションでもある。
しかし、故に純岡シトのスキル構成はほぼ全てが内政系だ。防御スキルすら、最低限、毒殺等を防ぐ程度のものしかない。
「純岡くん」
屋根を跳び渡って、委員長が現れた。彼女のスキル上限は然程高くはなかったが、【無敵軍団】でほぼ生存の保障された偵察ユニットは、試合のどの局面においても有用ではある。
「溶岩蜘蛛の縄張りの壊滅を確認したわ。これで人類の生存圏の外側は全てコボルトの単一の群れに支配されたことになるわね」
「そうか」
シトは取り出した地図の領域の一つを赤く塗り潰す。赤は地図の面積の大半を覆い尽くしており、白く残った人類の国家は、その中で頼りなく浮かぶ浮島のようだ。
「……なるほど。これで全部か」
銅ルキが号令を下すだけで彼らは一斉に行動を開始し、人類を滅ぼす事ができるだろう。個人がどれだけ強くとも、文明がどれだけ発展しても、抗う手段のない……数という暴力。
敵よりも早く繁殖し、土地の開拓の手間すらなく支配圏を拡大し、そして圧殺する。それは人間に転生する限り不可能な戦略だ。
邪獣進化のみではない――これが【人外転生】のもう一つの側面か。
「ならば、試合はこれで終了だ」
――――――――――――――――――――――――――――――
「一体……何を考えているんですかァ、純岡シト……」
深淵蜘蛛の領地へと踏み込んだルキを待ち受けていたのは、異様な光景であった。
絶大なる敵が現れたわけではなく、狡猾な罠が彼らを捕えたわけでもない。
そこには何もなかった。人里を残すのみの版図の最後に至ってすら、コボルトの軍勢は一切の労苦なく深淵蜘蛛の領地を制圧した。
「神獣クラスの深淵蜘蛛が既に殺されている。我々に先回りするように……【集団勇者】を最大に活用すれば不可能ではありません。しかし、【超絶交渉】以外に彼らを操る方法があると……?」
現在のルキの種族は、アルビノ・ケルベロス。【超絶成長】の効果も合わせ、十分にこの世界で最強を名乗れるレベルではあるが、それでも復活した先史文明を正面から相手取るにはまだ数度の進化が必要になる。
「……私のIP獲得源を潰そうとしている?」
仮にそれがシトの作戦であったとすれば、確かに成功を収めている。
純岡シトが【絶対探知】の情報を元に指示を出しているのか、人間勢力は常にコボルトの群れに先んじてその攻撃目標を討伐しており、即座に撤退している。特にルキ自身が直接戦い、IPを獲得する機会は長らく訪れていない。
彼がこの姿にまで進化できたのも、配下のコボルトらの支持から細々と得たIP収入によるものであって、次の段階に至るためにはより巨大な功績を挙げなければならない状況である。
――だが引き換えに、コボルトの群れは一切の消耗なくこの地上を覆いつくした。
武装した村人にも追いやられていた最弱の魔物は、世界最大の軍勢と化したのだ。
シトの行ったことは本末転倒の、まったく無益な問題の先送りとしか思えない。
彼らはまだ、この世に最大のIP獲得源を残しているのだから。
「まさか……まさかまさか。人類を滅ぼしてみろ、という挑発ですかァ……? 何か秘策となる文明を発展させている? それとも攻め入った先で古代文明の遺跡を起動して、IP自爆覚悟の相打ちでも狙っているんですかね?」
【集団勇者】【無敵軍団】【絶対探知】。見えている手札からは、産業型はあり得ない。そもそも仮に人間文明を突きつめ、コボルトに対して磐石の防衛線を固めていたとて、世界最強の銅ルキ自身を打ち倒せるレベルにまでは達しないだろう。
加えてルキは、【正体秘匿】による直接暗殺の手段も隠し持っている。
軍勢による圧殺。姿を消しての直接攻撃。あるいは現状維持によるこれ以上の長期戦。全ての選択権は銅ルキにある。
だが、彼は敵の全ての可能性を絶つつもりだ。それでこそ、鬼束テンマが認める転生者に対する、完全な勝利を証明できる。
「大将ォー! ハッハッ、次! 次の縄張り! どっ、どうしますか! 次!」
伝令コボルトの一匹が、彼の足下へと走り寄ってくる。
「……人里です。付近の群れに通達。人を襲いますよ」
「わかった! わかりました! 人っ人里! ワオーン! ハッハッ」
「さァて。純岡シトさん。お望みどおり今! 私が……この世界最後の戦争を引き起こして差し上げますよ……!」
人類の脅威はルキのみではない。彼が【無敵軍団】により力を与え、同様に進化させた十匹の配下は、それぞれがグレーター・ティンダロス以上。軍勢同士の総力戦に持ち込めば、上限レベルからして凡庸な【集団勇者】など問題にもならぬ。
結論から言えば、銅ルキの戦力判断は正確であった。彼我の戦力差において、何一つとして、彼の把握を覆す要素は存在しなかった――
――――――――――――――――――――――――――――――
純岡シト IP7,958,601,059 冒険者ランクSS
オープンスロット:【集団勇者】【無敵軍団】【絶対探知】
シークレットスロット:【????】
保有スキル:〈究極話術SS〉〈国境無視A〉〈斬術A〉〈地図作成S+〉〈軍団統制SS〉〈完全言語SS+〉〈大扇動S〉〈完全鑑定B〉〈平和の英雄SS〉〈円魔法B〉〈線魔法S〉〈角魔法A〉他35種
銅ルキ IP9,210,406,823 冒険者ランクSS
オープンスロット:【人外転生】【超絶成長】【無敵軍団】
シークレットスロット:【????】
保有スキル:〈アルビノ・ケルベロスA+〉〈邪界の牙SSSS〉〈次元三連SS+〉〈概念断爪SSSS+〉〈死の超越SS〉〈装甲結界SSSS〉〈遍在S+〉〈事象解読SS〉〈天運掌握D〉〈人間化A〉〈完全魔法B+〉〈獣族言語SSS〉〈人間言語S〉〈地上の獣王SS〉他35種
――――――――――――――――――――――――――――――
「……」
「……マジか」
タツヤとルドウは、超世界ディスプレイを見つめて絶句している。
超世界ディスプレイ越しに戦局を眺める転生者達には、今の盤面が意味するところがはっきりと分かっていた。
銅ルキはどんな試合でも見たことがないほど自軍の勢力を拡大し、一方で純岡シトは都市部に篭もったまま帝国に対し発掘中止を働きかけるのみで、動きを見せてもいない。
状況を動かす選択権は、完全にルキの側にあると言ってよかった。
「もう勝ち目がねえぞ」
「……ああ。シークレットを解放したとしても……どんなCスキルがあっても、ここからの逆転はゼロだ」
「……えっ……で、でも、まだ分からないでしょ!」
星原サキは、戦況が読めぬなりにシトを信じようとした。いくら戦局が一方的に見えたとしても、彼女の中にはどこかその楽観があったのかもしれない。
「だ、だって純岡クン、タツヤの時だってそんなだったし……! また凄いシークレットのコンボとか出して、華麗に逆転してくれるよ! だって、タツヤもルドウも純岡クンの強さは分かってるじゃない……!」
「ケッ。ド素人が」
「ド……ド素人で悪かったわね! でも、純岡クンの転生スタイルは分かるよ! 最後まで、まだ勝負は見えていない……」
「サキ。違う……! シトがDメモリと戦うのは二回目なんだ……!」
「タツヤまで……じゃあ、何なの……?」
あの剣タツヤすら、完全に勝負が決まったことを信じ切っている。
逆転不可能のチェックメイト。それは目にこそ見えぬ情勢だったが、彼が秘める苛烈なる意思が現出したが如き、徹底的な戦術である……!
「圧倒的だ。勝ち目がねえ」
ルドウはもう一度呟いた。
「たった二回目でこんなことができるか……? こんな盤面から覆す方法が思いつかねェ! この試合、純岡の圧勝だッ!!」
――――――――――――――――――――――――――――――
銅ルキ率いるコボルトの大隊は、東の辺境の村へと到達していた。
辺境とはいえここは帝国領であり、この村を焦土と変えるだけで、人類への宣戦布告としては十分であろう。
(……砦からの矢が来ませんねェ)
領地を踏み荒らす魔物に対して沈黙を貫いたままの守備隊を、ルキは怪しんだ。
もっとも……アルビノ・ケルベロスにまで進化を果たしたルキには、人類の持ち得るあらゆる魔術や兵器などは一切無意味であるが。
「……あァ。また【絶対探知】ですかァ? 我々の侵攻を察知して住民を退かせたと。まさかご自分が死ぬまで、その無意味な一時しのぎを続けていくと?」
やはり、純岡シトの心は折れていた。イニシアチブを取り続けるルキに対し、それを取り返すどころかさらに消極的な対応を繰り返し、ますます命の灯火を縮めようとしている。
シトが戦線を後退させつづけるならば、最後の領地の一点に至るまで侵略の手は緩めぬ。そうして文明発掘を行う人類が滅亡すれば、『先史文明』のレギュレーションは救世完了だ。
テンマが認めた転生者との試合が降参同然に終わるのは、些か残念ではあるが――
「お水くみに行ってくるねーっ!」
溌剌とした声が響いた。
それは恐らく不幸だったのだろう。民家の戸から、幼い少女が現れたところである。
この世界の歴史上のあらゆる神獣を凌駕する魔狼の前に、何の護りもなく。
銅ルキは無慈悲だ。まずは手始めにその娘を。続く全人類をそうするつもりでいた。声を発することすらなく、血に餓えた大群に攻撃指令を下し……
「……ッ!? 止まりなさい!!」
だが――寸前。口をついて出たものは、停止命令であった。
恐怖の軍勢は、その一声でたたらを踏んだ。
切り込み役を担うウェアウルフが、困惑の表情でルキを振り返った。
先ほどまでの漆黒の意思は一転して、ルキは震えていた。
「そんな」
何の危機感もなく春の日差しに踏み出していく、幼い……無力な少女に対して。
「そ、そんな……そんな。そんな。そんな、ことが」
視線は一点に注がれていた。彼女の後に続いて現れたものは……犬頭の獣人。
コボルトだ。見間違えようがない。
少女は、家で待つ母親へと元気よく叫んだ。
「ルーちゃんと一緒に行くからねーっ!」
「お昼までには帰ってきなさい! ルー、まだごはん食べてないんだから! 道草して遊んでたら夕方になっちゃうわよ!」
「ええー? ルーは平気だもんね!」
「うん! か、川っ、川で遊ぼう! キャンキャン!」
コボルトが洗濯の盥を持ち、人と同じ衣服を着て、そして生活に紛れている。
その微笑ましい光景が、ルキの計画のあらゆる前提を崩壊させた。
「こ、攻撃は……中止……他、他の村を……」
……この村にはコボルトがいる。町並みの光景がそうであることに気付く。
四足で畑を耕すものが。貴族らしき若者の後に続く護衛が。老いて切り株に腰掛けるものが。人類と同じように、暮らしている。
Dメモリの効果は、人類殺害のIPペナルティを受けない。彼らは人類である。だが、コボルトに友好的な人類だ。
彼のIP取得条件は逆転しているのだ。自身の系統の魔物か、それに利をもたらす者でない限りは、他のどの魔物を倒しても人間と同様にIPを獲得できる。
――それに利をもたらす者でない限りは。
アルビノ・ケルベロスの肉体でもなお……精神的要因による激しい動悸に息を荒げながら、ルキは眼前に存在しない敵の戦術を恐れた。
「他の村を、襲います……コボルトと敵対関係にある、他の村を……」
『他の村』などが、本当にこの世界に残っているのか?
無作為に選んだ辺境の村ですらこのようになっているのだ。
いつの間にそれが起こっていたのか。地上から次々と他種族が姿を消し、ルキが勢力拡大を図っていた頃、シトは一度たりとも前線に姿を現さなかった。常に国家で内政に勤しみ……
内政。純岡シトは通常考えられる、逆を行ったのだ。
人類を率いてコボルトの群れと戦うのではなく……
――――――――――――――――――――――――――――――
「コボルトだ……純岡が内政仕掛けて結ばせたのは、人間の国家同士の和平なんかじゃねェ……コボルトと人間の和平だ! もうとっくに、人間はコボルトと共存する種族になっていやがる! 元々は無害な、最弱の魔物なんだからな!」
「……そうか……Dメモリが人間を倒してIPを得られるのは……人間が、魔物の敵だから。普通の転生でも、友好的な魔物を召使にできるように……純岡クンは、コボルトにとっての人類をそうしたってこと……!」
異世界転生への類稀なるセンスを持つサキも、異世界における内政の大局までを把握できていたわけではない。
だが、確かにその兆候はあったのだ。純岡シトが戦闘系スキルを差し置いて成長させた、数々の内政スキル。それらは全て、この一つの結末を見据えてのことだった。
「でも……じゃあ、敵が序盤からコボルトの軍団で速攻を仕掛けていたら、和平なんて結べるはずが……!? 純岡クンは、そういう賭けに勝ったの?」
「できないんだよ」
答えたのは、剣タツヤである。真剣な口調だった。
「シトには【集団勇者】で作った【無敵軍団】があった……! 銅が単騎で勝負を仕掛けるならともかく、序盤から軍団で戦っても勝てない状況を作っていた。銅は自分の種族の勢力を広げて、部下を進化させる必要があったんだ!」
「コボルトは……最弱の魔物……」
【人外転生】。
最弱の魔物へと転生し、経験点とIPに応じて際限なく進化するDメモリ。
その弱みをあまりにも的確に刺し貫いたこの戦術を、ルドウも分析している。
「純岡は……オープンスロットの提示の時から、銅を操作してやがった。大量IP獲得を仄めかす【集団勇者】は、脅しだ! 『こっちにはいつでもIPブーストの手段があるぞ』というメッセージ……銅にとっては、最初から長期戦が安全策だった。時間が経てば経つほど、【集団勇者】のアドバンテージは落ちていくからだ!」
敵に長期戦を選択させ、そうして作り出した時間の中で内政を動かしていた。【集団勇者】は餌であると同時に、心理的にルキの足を止めるための盾。
……ならば、もう一つの疑問がある。
「銅クンは、最後まで自分の群れが人間に取り込まれてることに気付けていなかったよね……!? それも、純岡クンが仕組んだこと……!?」
「ああ。考えてみりゃあ当たり前だぜサキ……! だって……もうあの世界で、人類の国以外の地域は全部コボルトの縄張りなんだ。コボルトが増えすぎた」
「純岡クンは【集団勇者】でコボルト以外の種族を先回りして討伐していったから……普通じゃあり得ない速度で支配していったってことだよね」
「そこが純岡の狙いだ」
ルドウが言葉を継いだ。シトは【集団勇者】を動かし、むしろコボルトの勢力拡大を助け続けていた。それは決して、人間世界の内政から目を逸らすための誘導や先送りなどではない。
「いいか星原……コボルトには人間みたいな政府はねェんだ。当然だよな、魔物なんだからよ……! 確かに銅が命令すれば全員言うことは聞くだろう……だが、世界全体に増えまくったコボルトの下っ端まで全部管理できるか? 敵の勢力を逆に拡大させることで、統制できない死角を作りやがった! 純岡は……あぶれた集団の中から、『人間に友好的なコボルト』を人為的に作りやがったんだ……!」
「そんな……そんなことができるCメモリがあるとしたら――」
「……ああ、間違いねえ。シトのシークレットは……!」
――――――――――――――――――――――――――――――
「ハァーッ、ハァーッ……!」
銅ルキは人里への侵攻を継続できず、今は山中に身を隠している。
殺気のみで人類を殺しかねぬアルビノ・ケルベロスは、そうする必要があった。
もはや人間はコボルトの敵ではない。文字通り……どちらの意味でも。
種族への敵対意思がないものへの先制攻撃は、逆転不能のIP激減を意味する。
「どこ、どこで間違えた……? す、純岡シト……! 私の見立ては間違っていなかったはず……! 【集団勇者】【無敵軍団】は、【超絶交渉】を絡めた弱小コンボ……フラッシュフォースをちらつかせるブラフで……シークレットは自己強化型。直接攻撃へのカウンターを狙っている……私は、その可能性を読み切って……」
無尽蔵に残されていたはずのIP獲得源は、もはやゼロとなった。
彼は世界最強の、さりとてA+ランクの先史文明を滅ぼす域でもない中途半端なアルビノ・ケルベロスのまま、決して成長の見込みはない。
もはやこの世界でIPを稼ぐ手段は、世界救世のための発掘中止活動か、先史文明の破壊しかない。人間と魔物の融和。これこそが純岡シトの、Dメモリ殺し!
「【正体秘匿】で人間社会に潜入し、発掘中止活動を…………いや……む、無理だ……私にはもう、人間社会で使える内政スキルがないッ! 人外だから! 私はアンチクトンとして、人類を滅ぼし尽くす……あるいは先史文明を滅ぼすレベルの暴力があれば、それで良かったから……」
戦闘能力のみに絞って成長する転生スタイルを読まれていた。
政治情勢を動かして、あらゆる戦闘スキルが無意味になる世界へと変えたのだ。
「暗殺……今なら、純岡シトの【無敵軍団】も……シークレットに隠している自己強化系メモリも無視して、直接攻撃が可能なはず……可能だった……最初からそうしていれば、私は……!」
それも、今や不可能な手段だと理解してしまっている。
この人間とコボルトの融和政策が純岡シトの手によるものであれば……彼は人間でありながら、人に追いやられていたコボルトを救済した偉人だ。
現在のシトを抹殺するだけで、どれだけのIP下落がルキを襲うことになるのか。
「【集団勇者】で他種族を始末して回っていたのも、最初からこの計画のため……【集団勇者】は、決して私たちとぶつかることなく、自分の力で勝てるレベルの、他の魔物の群れを……自分自身は政策に働きかけながら、各地で動かせる手足を……」
【集団勇者】は早熟だ。知名度や冒険者ランクの成長も早い。
シトが真に欲していたのは、戦力ではなくその知名度だ。彼らを介して各地の政府に接触して、この迅速な融和政策を実現させた。
「けれど……うう……【集団勇者】は【超絶交渉】でもなければ、制御不可能なはず……初心者の弱小コンボ……【超絶交渉】以外に、支配下に置く方法なんてないのに……。そもそも、これほど早く人間やコボルトを説得できるCメモリなど……!」
確信していた。シトのシークレットは、【超絶成長】。彼ほどの転生者ならば、シークレットの中に自分自身の身を守るCメモリを隠し持っていたはずなのだ。仮に、そうでもなければ。
「勝っていた……初手で暗殺を選べていれば、わ、私は勝っていたのに……! ああああ……【超絶交渉】でもなければ……他に……どんな、手段が……」
ステータス画面の無機質な表示が、シトのシークレットメモリの開放を示した。
彼に決定的な敗北を突きつけるように。
「【超絶交渉】でもなければ……」
銅ルキは、もはや進むことも退くこともできない。
シークレットに隠し持った切札を使う機会すら与えられない。
彼がIPを獲得すべき『敵』は、この世界のどこにも存在しない。
彼は絶叫した。
「ウオオオオオオオオオオーッ!!!!」
――――――――――――――――――――――――――――――
純岡シト IP7,958,979,233 冒険者ランクSS
オープンスロット:【集団勇者】【無敵軍団】【絶対探知】
シークレットスロット:【超絶交渉】
保有スキル:〈究極話術SSSS+〉〈国境無視SS〉〈斬術A〉〈地図作成S+〉〈軍団統制SSS〉〈完全言語SSS+〉〈大扇動SSS〉〈完全鑑定B〉〈平和の英雄SSS+〉〈円魔法B〉〈線魔法S〉〈角魔法A〉他37種
銅ルキ IP9,210,436,523 冒険者ランクSS
オープンスロット:【人外転生】【超絶成長】【無敵軍団】
シークレットスロット:【????】
保有スキル:〈アルビノ・ケルベロスA+〉〈邪界の牙SSSS〉〈次元三連SS+〉〈概念断爪SSSS+〉〈死の超越SS〉〈装甲結界SSSS〉〈遍在S+〉〈事象解読SS〉〈天運掌握D〉〈人間化A〉〈完全魔法B+〉〈獣族言語SSS〉〈人間言語S〉〈地上の獣王SS〉他35種
――――――――――――――――――――――――――――――
「獣に相応しい死に様を与えると言ったな。銅ルキ」
アンチクトン。予選トーナメントにてシトを完膚なきまでに打ち負かした敵。
異世界を滅亡に追いやる転生スタイルを是とする敵。
黒木田レイを悪の道へと堕とした敵。
壮絶な特訓を経たわけではない。
新たなるCメモリを用意したわけでもない。
純岡シトは、常にそうするようなことをしてきただけだ。
Dメモリを倒すための方法を考え続けてきた。
もはや全ての手足を失った遠い敵へと向けて、彼は宣告した。
「――『IP餓死』。それが貴様の末路だ!」
WRA異世界全日本大会第一回戦。
世界脅威レギュレーション『先史文明A+』。
攻略タイムは、22年4ヶ月17日3時間2分15秒。
――――――――――――――――――――――――――――――
「……貴様らの情報を渡してもらう」
現実世界への帰還を果たした後、純岡シトは無慈悲に告げた。
異世界転生で精神的に憔悴した銅ルキは、転生レーンに仰向けに横たわっている。
「問うべきことは、異世界転生で問う。貴様らの如き悪しき転生者であろうと、まさかその流儀を知らぬとは言うまい」
「……ク。分かっています。何故テンマさんがあなたを評価……するのか……それも、十分に、分かりましたよ……」
「貴様らは何者だ」
純岡シトは、未だ何も知らない。
黒衣を纏うアンチクトンの転生者がどこから来たのか。
まったくの無名である彼らに、なぜこれほどの強さがあるのか。
「つまらない……まったくつまらない、問いと答えです。我々はただの、異世界転生のためだけに造られた調整体……ドクター日下部に育てられた試験管ベビーですよ。私も……テンマさんも。そして、レイさんもね」
「黒木田が……調整体だと……!?」
「クク……その様子だと、何もご存知なかったようで……いえ、レイさんが何も伝えていなかったのですねェ」
「……な、何故だ! 何故異世界転生のためだけにそこまでをするッ!」
シトは、倒れたままのルキの胸ぐらを掴んだ。虚ろな瞳孔が彼を見つめた。
「あなたがたが……ただ、理解していないだけですよ。【基本設定】の存在を。我々は世界を救うために、世界を滅ぼす罪を背負わなければならない。それは親を持つ子、友を持つ人には重すぎる責務です……」
「【基本設定】……それは……」
「知れば、今度こそあなたは勝てなくなります。それでも聞きたいですか?」
「……」
シトは、敵の体を投げ捨てるようにその手を離した。
ルキは咳き込み、力なく立ち上がった。
「……あなたは確かに強かった。想像以上の実力があった。それでも、あなたはテンマさんに勝てません。それも……今、分かりました」
「奴の【魔王転生】は既に看破した。貴様らのDメモリの特性もだ」
「本当に、看破していますか? ……もう一つだけ、あなたにお教えしましょう。テンマさんの【魔王転生】は、ご存知の通り……私の【人外転生】の基本機能と同じように、通常のIP計算を逆転させます」
異世界転生以外の一切を知らぬ子供達。ならばその中にあって抜きん出たカリスマ性を持つ男の異世界転生の実力とは、如何程のものか。
「他の機能は殆どありません」
「!」
「Dメモリの中でも最初期型……テンマさんは事実上三種類のCメモリだけで、全ての戦いに勝利し続けている……!」
「……バカな」
「……楽しみです。あなたとテンマさんが戦う時が。……ク。楽しみだ」
消耗した銅ルキに、スタッフが駆け寄ってくる。
彼らの肩を借りて、死人の如き学生服の少年は歩き去っていく。
「こんな……キ、キキク……私が、楽しみなどと、思える日が来るとは……」
「…………」
圧勝に沸く歓声に包まれながら、シトはドライブリンカーを見下ろしていた。
現実世界のそれは沈黙を保ったままで、何も彼に教えてはくれない。
【基本設定】の真実を尋ねる相手は、信頼に足る者でなければならないだろう。
彼の敵であるアンチクトンではなく……今度こそ大葉ルドウに。
「――シト」
その考えに割り込むように、聞き覚えのある澄んだ声が背後から聞こえた。
振り返ると、そこには彼の新たな敵が佇んでいる。
かつての友。そして、もしかしたらそれ以上の心を抱いていたかもしれなかった。
会場の熱気が生んだ微風が、黒いドレスのスカートを揺らした。
「勝ったんだね。おめでとう」
「黒木田……!」
「ふふふふ。時間をかけすぎだよ。銅程度の相手に」
隣で同時に行われていた黒木田レイの異世界転生の試合結果を映す超世界ディスプレイは、彼の位置からでもよく見えた。
18年3ヶ月1日16時間39分2秒。内政型の転生としてあるまじき速攻。
「ああ、安心して? こっちはDメモリを使うまでもなかったから」
その微笑みには、何の負い目も悲哀もないように見えた。
アンチクトン。異世界転生の他を何一つ知らない、無垢なる子供。
「はじめての相手はきみがいいんだ。Dメモリで、きみを倒してあげる」
「……やめろ……! 貴様とは、正しい形で戦いたいと……!」
「ふふ。また、貴様って呼んでる……」
純岡シトはその因縁に対峙しなければならない。
手を腰の後ろに組んで、レイは彼だけに、囁くように言った。
「君って呼んでよ」
第二回戦。純岡シト、対、黒木田レイ。
次回、第十九話【悪役令嬢】。明日20時投稿予定です。