タイトル未定2026/09/26 14:45
遠い日の記憶が刻まれた古いアルバムをめくると、セピア色の写真の隅に、青空だけが妙に鮮やかに残っている。
「昔の人は、命を何だと思っていたんだろうね」
祖父は縁側に座り、乾いた茶をすすりながらぽつりと言った。第二次世界大戦のころ、日本人の命は「羽よりも軽い」と言われ、国のため、あるいは時代の大きなうねりの中で、多くの若者たちが自らの命を差し出すことを余儀なくされた。特攻という極限の選択、そして逃れられない窮状の中での集団自決。それは貧困による選択の狭間だったのか、それとも徹底的な教育や国家神道という宗教の洗脳だったのか。個人の尊厳よりも組織や大義が優先された時代、命の重さはあまりにも軽んじられていた。
時代は巡り、現代の日本では「人の命は地球より重い」と誰もが口にする。誰もがスマホの画面をのぞき込み、平和な日常を謳歌しているはずだった。
しかし、画面の向こうでは今もウクライナの街が砲撃にさらされ、ガザの砂塵の中で市民が倒れ、イランの空に緊張の炎が走る。国境の向こう側では、現代においても市民の命が、かつてと同じようにあまりにも無残に「羽のように」扱われている。
「なぜ、僕たちは繰り返してしまうんだろう」
テレビのニュース速報を消すと、部屋には奇妙な静けさが戻った。貧困が、教育が、あるいは政治や宗教が人々の目を曇らせるのか。だが、本当の恐怖は、遠いどこかで誰かの命が軽んじられることに、いつの間にか私たちが慣れてしまうことかもしれない。
最も重要な「人の命」を守るには、どうすればよいのだろう。
祖父は答えを口にせず、ただ庭の木々を見つめていた。風が吹き抜け、青葉がざわめく。 きっと答えは、目の前の誰かが流す涙の意味を忘れず、「お前の命は地球より重い」と、隣にいる人と手を取り合い、声に出し続けること。その小さな営みの積み重ねのほかに、この重い命を守る盾はないのかもしれない。




