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大型案件の決済種別は『一家心中』――死んでも止まらない派遣社員は、322歳の社長を許さない  作者: 葛石
幕間 一

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44/83

あの結婚式、あのソムリエ


とある休日。


手早く身支度を整え、玄関のドアを開ける。


「ここだろ?」


ガチャリ。


氷室はしっかりと握った。


目の前に広がっていたのは、行きかう人たちの名前と寿命、鮮やかな世界だった。


駅へと続く、いつもの見慣れたアスファルト。


(ああ、あの名前に付いて行けばいい)


迷うことなく歩く。


老舗の弁当屋からは、父親と息子の無邪気な話し声が響いてくる。


その隣に佇むパン屋の看板には、母親と娘が開店の準備をする声が聞こえた。


一度は狂気に呑まれ、壊されたはずの日常。


そのすべてが、何事もなかったかのように、穏やかに呼吸していた。


風が焼きたての小麦の匂いを運んでくる。


弁当屋の女店主が、通りを歩く氷室の姿を捉えた。


因果の光が、ふいに、引かれた。


氷室がふと、足を止める。


女店主が深く頭を下げている光。


その横で、娘が笑顔で小さな手を振っていた。


もう、理不尽に脅かされることはない。


この街でこれから先も幸せに生きていく。




――生存:高橋 隆太(67)

     高橋 翔太(37)

     高橋 英子(34)

     高橋 未希(07)

     高橋 大誠(03)




駅前のタクシープール。


立ち上る排気ガス。


アスファルトのむっとするような熱気。


道路の反対側では、騒ぎ立てる若者たちのグループを、四人の警察官たちが押さえつけていた。


その最前線で一際輝く男。


周囲を威圧するベテラン刑事、倉持。


その視線が、人混みを通り抜けて氷室を捉えた。


彼は一瞬だけ、ニィと、口元を緩めると、おどけた仕草で指先を額にあてた。


親愛を込めた、略式の敬礼。


氷室はそれを、ふっと鼻で笑う。


(ああ、それくらいなら、……見えるぞ)


隣の巨躯がそれに気付くと、頭を下げた。


氷室は口角を上げる。


ざわめく人混みの奥、駅の雑踏へと、氷室の背中が静かに溶けて消えていく。


この街を愛する刑事たち。


明日もまた、この街の日常を見守っていく。




――生存:倉持 剛 (48)

     陣内 勝 (42)

     井上 陽向(32)

     綾瀬 玲奈(26)




ついに、その場所に辿り着いた。


煌びやかであるはずの、結婚式場。


グラスに注がれるシャンパンの音。


弾ける泡の涼やかな飛沫。


すべてを祝福するような華やかな音の洪水。


円卓を囲んでいるのは、かつての庶務課だ。


その賑やかな喧騒が会場を満たしている。


「あ、社長……。お疲れ様です」


気後れしたように声をかけてきたのは、遠藤だ。


「遠藤。『先輩』でいいと言っている」


「い、いえ。なんかもう、遠くに行きすぎちゃいまして……」


「そうか」


氷室は短く返し、自分の席を引いた。


そして、隣に立つ白鳥へと目を向ける。


「……社長。流石にそのリクルートスーツは、いかがなものでしょうか」


「……? ああ。そうだった。ファッションか、……すまない、忘れていた」


改めて白鳥の姿を視界に収める。


「教えてくれ、白鳥。お前と遠藤は、どんな格好をしている?」


「……言葉にすると恥ずかしいのですが、私はネイビーのパンツスーツを着ています。遠藤さんはガーリーなライラックピンクのドレスです」


指先を、いつもの服に這わせる。


ザラと破れ、ほつれた箇所がある。


「ああ、私は浮いているんだな、白鳥」


「……。」


胸の奥深く、完全に凍りついていたはずの感情の底が、かすかにひび割れる。


自嘲気味な、乾いた笑い。


だが、それはかつて自分が人間だった頃の、懐かしい痛覚の証明だった。




――生存:遠藤 葵 (22)

     白鳥 美砂(33)




華やかなファンファーレが鳴り響いた。


披露宴の幕が盛大に上がった。


氷室の瞳が、会場の一角を静かに捉える。


無機質な名前が文字列で視える。


氷室の無茶なプラン変更を、現場で支え切った営業たち。


ふと、沢渡の名前が揺れる。


すぐに隣にいた赤城の名前が揺れた。


促されるように振り返った赤城。


(こっちを見ている)


二人は示し合わせたように、手元の何か――グラスを小さく掲げてみせた。




――生存:伊藤 博志(27)

     日向 渚 (24)

     沢渡 澪 (24)

     赤城 晴馬(24)




「社長、一応、お伺いしますが」


白鳥が淡々と告げる。


「ああ」


「社長からのご挨拶、式の序盤に組み込まれています」


「そうか。白鳥、私はどうすればいい」


白鳥は氷室の手を優しく包むと、無線イヤホンを差し出した。


「お伝えします」


「ああ、助かる。お前には無理ばかりさせている、もう少しだけ時間をくれ。思い出せる気がするんだ……せめて、感情だけは、人間らしく、な」


氷室は、身体が覚えている、一番優しいはずの笑顔をした。


すぐ横でそれを聞いていた遠藤は、二人の間に漂う空気の重たさに、少し距離を取った。


その時、テーブルに不気味な影が差した。


「お飲み物をどうぞ――」


ワインボトルを抱えた、一人のソムリエ。


その声を聞いた瞬間。


白鳥の身体が石化したように完全に硬直した。


彼女の周囲から、完全に呼吸の気配が消える。


氷室の視線が動き、男の頭上へと向けられた。




生存:志馬 駿介(33)




一礼する男。


何事もなかったかのように気配が立ち去ろうとする。


「白鳥」


氷室の口から漏れた低い声。


周囲の賑やかな喧騒と場違いなほど、冷めている。


「私は――真面目に生きる人間の理不尽が、どうしても許せない」


「……はい」


氷室の左手。


そこに宿る黄金の炎が、内側から脈打つように微かに輝きを増していく。


運命の、因果の糸。


氷室はその指先で力任せに引き絞った。


理不尽に歪められた世界を、今度こそ、その左手で正しく修復するために。




【運命の修復】


――志馬 駿介(33) 運命:祝福されている




「知っているぞ」


氷室は、男の背中に染み込ませるように言葉を紡いだ。


「三年間、お前がどれほど真面目に生きようとしていたか。――奥さんと、幸せに生きてくれ。これが、今の私にできるすべてだ」


理解される安らぎが、彼の魂に触れた。


ソムリエが、弾かれたように振り返る。


その瞳には、底知れない敬意が宿っていた。


震える手で差し出された、透明なワイングラス。


白鳥はそれを、静かに受け取った。


役目を終えた視線を、再び祝福の中心へと戻す。


そこには、眩いばかりの白の世界が広がっていた。




――生存:真壁 涼子(24)

     真壁 悠人(28)




(良かったな、涼子)


胸の内で、静かにその名を呟く。


感情も、倫理観も、一度は死に絶えたはずだった。


会場に響き渡る温かい歓声と拍手。


その一つ一つが、氷室の壊れ、摩耗した心の破片を、丁寧に、優しく縫合していく。


光の奔流と化したバージンロード。


氷室はもう見えない風景画を鑑賞するように、ただじっと見つめていた。


(ああ、きっと、綺麗だ)


そして、ついにその瞳から、一滴が零れ落ちた。




――生存:日無牢 結異(24)

  運命:怪異達に守られている。



第五章をお読みいただき、ありがとうございます。


『氷室は、復讐を果たしました』


物語は完結しました。


でもそれは、この地に根付いた因果の表層です。


ぜひ画面下の【ポイント】や【いいね】を押していただけると嬉しいです。


怪異の正体、この地に眠る真相。


皆様の熱量が、それを暴く、氷室の原動力に届けば。


氷室は再び、止まりません。


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