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灰冠のアビシニア  作者: 相生 紡
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終章 光差す場所

※ChatGPTを全文で使用しています。

終章  光差す場所

その後の数日は、嵐のように過ぎた。

帝都評議は連日開かれた。

白塔の記録は検証され、軍務省の関係者は次々と召喚された。技術院は保管していた王冠炉関連資料の提出を求められ、旧ル・メイル領の諮問官たちは、初めて形式ではなく実質を伴う発言権を得た。

混乱はあった。

怒号もあった。

罵倒もあった。

復讐を求める声も、記録を封じ直せという声もあった。

けれど、すべてが記録された。

誰が何を言ったか。

誰が沈黙したか。

誰が反対したか。

誰が保留を求めたか。

隠さないために。

アビシニアは、評議場の片隅で何度も同じことを思った。

これは勝利ではない。

勝利というには、痛みが多すぎた。

取り戻せない人が多すぎた。

サリアはまだ眠り続けている。

リセとフェリクスの生死も分からない。

白塔で名前を失った者たちの多くは、まだ名簿の上にしか戻っていない。

それでも、闇の中だけにはいない。

それだけは確かだった。

七日目の朝、独立記録院の設立が暫定承認された。

正式名称は長かった。

「王冠炉および白塔関連記録の保全・開示・被害調査に関する共同記録院」

ミラはそれを聞いて、困った顔をした。

「長すぎます」

セラが真面目に頷いた。

「略称が必要ですね」

「記録院、でよくないですか」

「それで十分です」

そうして、人々は自然にそれを記録院と呼び始めた。

記録院には、帝国、旧ル・メイル領、被害者家族、技術者、記録官、守備軍、そしてル・ヴェンの継承者が参加することになった。

サリア・ル・ヴェンは、まだ目覚めていなかった。

だが、彼女の席は空けられた。

空席として。

誰かが勝手に埋めないために。

旧ル・メイル領には、自治評議準備会が置かれた。

王国の復興ではない。

だが、属州として沈黙する時代も終わる。

税、治安、教育、被害調査、移送者捜索。

それらについて、旧ル・メイルの人々が自ら発言する場が作られることになった。

アビシニアは、その議事録に署名した。

王としてではない。

立会人として。

署名欄には、こう記した。

アビシニア・ル・メイル。

ル・メイル王家の生存者。

記録院設立立会人。

王女とは書かなかった。

誰かがそれを見て、寂しそうな顔をした。

誰かは、安心した顔をした。

その両方を、彼女は見た。

どちらも間違いではないと思った。


北方捜索隊が出発したのは、その翌朝だった。

帝都の北門には、まだ薄い霧が残っていた。

エルは旅装に身を包み、リセの木片を首から下げていた。隣にはカイが立っている。さらに、マイヤ少佐と数名の守備軍兵士、医療班、記録官が続いた。

「本当に行くのですね」

アビシニアが言うと、エルは少しだけ笑った。

「何回確認するんですか」

「心配なので」

「心配されるのは嫌いじゃないです。でも、止められるのは嫌です」

「止めません」

「なら大丈夫です」

カイが横から言った。

「大丈夫ではない」

エルは顔をしかめた。

「出発前に不吉なこと言わないでください」

「油断するなという意味だ」

「あなたの言葉はいつも硬い」

「柔らかい言葉はミラに借りろ」

ミラは涙ぐみながらも笑った。

「怖かったら、怖いって言ってください」

エルは少し困った顔をした。

「それ、流行りすぎじゃない?」

「大事なので」

「分かりました。怖かったら言います」

彼は一度、レオンハルトを見た。

皇太子は北門の前に立っていた。まだ査問は終わっていない。だが、北方捜索隊への命令書には彼の名があった。

「皇太子殿下」

エルが言った。

「リセのこと、記録してください」

レオンハルトは頷いた。

「する」

「見つかったことも、見つからなかったことも」

「する」

「都合の悪いことも」

「する」

エルは少しだけ満足したように頷いた。

「なら、行きます」

アビシニアは彼に近づいた。

何を言えばよいか分からなかった。

戻ってきて。

気をつけて。

リセを見つけて。

生きて。

どれも正しく、どれも足りない。

だから、彼女はただ言った。

「エル」

「はい」

「あなたの行く道にも、光がありますように」

エルは少し驚いた顔をした。

それから、照れたように視線を逸らした。

「王女様っぽいですね」

「今のは、リーナとして言いました」

エルは笑った。

「じゃあ、受け取ります」

彼は背を向けた。

北方捜索隊が動き出す。

カイは出発前に一度だけ振り返った。

アビシニアと目が合う。

彼は何も言わなかった。

だが、その沈黙には十分な言葉があった。

戻る。

そう言っているように見えた。

アビシニアは頷いた。

隊列は北へ向かった。

リセの名を追って。

フェリクスの名を追って。

まだ見つかっていない多くの名を追って。


サリアが目を覚ましたのは、それから三日後の夜だった。

医療棟の窓の外では、雨が降っていた。

静かな雨だった。

アビシニアが駆けつけた時、サリアは寝台の上で目を開けていた。意識はまだ朧げだったが、彼女は確かにこちらを見た。

「……姫」

「アビシニアです」

サリアはかすかに笑った。

「そう……だった」

アビシニアは椅子に座り、彼女の手を取った。

「サリア・ル・ヴェン。あなたの席を、記録院に用意しました」

サリアの目がわずかに揺れる。

「記録院……」

「王冠炉と白塔の記録を保全する場です。帝国にも、旧ル・メイルにも独占させません。あなたの家の役割が、必要です」

サリアは長く黙った。

「ル・ヴェンは……もう、私だけかもしれない」

「それでも、あなたがいます」

「私は……長く、何も守れなかった」

「名前を守りました」

アビシニアは言った。

「白塔で、あなたは自分の名を教えてくれました。私に、持っていけと言いました。だから、あなたは戻りました」

サリアの目に涙が浮かんだ。

「王女様」

「王女ではなくてもよいと、父は言いました」

サリアはゆっくり瞬きをした。

「王は……そう言われましたか」

「はい」

「なら、あの方は最後まで……ル・メイルの王でした」

アビシニアは少し笑った。

「父でした」

サリアはその言葉を聞いて、静かに頷いた。

「それが、いちばんよい」

雨音が続いている。

サリアは弱々しく窓の方を見た。

「光は……」

「はい」

アビシニアは答えた。

「まだ、差しています」

レオンハルトの査問は長引いた。

彼を廃太子にすべきだという声もあった。

軍務省と一部貴族は、王冠炉停止を帝国防衛力の破壊と呼んだ。

一方で、白塔の記録を見た市民や旧王国領出身者、守備軍の一部は、彼が公に責任を認めたことを支持した。

皇帝は、病床から短い布告を出した。

王冠炉を封じる。

白塔の調査を認める。

帝都評議の権限を一部回復する。

皇太子レオンハルトの査問を公開記録とする。

その布告の最後に、こうあった。

「帝国は、人の顔を忘れてはならない。」

その一文は、皇帝自身の言葉なのか、レオンハルトが添えたものなのか、アビシニアには分からなかった。

どちらでもよいと思った。

レオンハルトは皇太子位を失わなかった。

ただし、王冠炉関連事項については評議承認なしに命令を出せない制限を受けた。軍務省への監督権も一時的に評議と守備軍へ分割された。

それは、皇太子としては大きな後退だった。

だが、彼はその決定に署名した。

「悔しくありませんか」

ミラが尋ねると、レオンハルトは少し考えた。

「悔しい」

ミラは目を丸くした。

「正直ですね」

「悔しくないと言えば嘘になる。私は、まだ権限を失うことが怖い」

「でも署名した」

「一人で持つには大きすぎた」

彼はそう言って、窓の外を見た。

「父も、そうだったのだろう」

アビシニアは、その横顔を見ていた。

彼はまだ完成していない。

人を信じる皇太子になった、などと簡単には言えない。

彼はこれから何度も迷い、権力を使い、後悔し、止められるだろう。

けれど、彼はもう、止められることを敗北とは思わない。

それだけで、確かに変わったのだと思った。


旧ル・メイル領へ戻る日、帝都の空は晴れていた。

アビシニアは、宮城の中庭でレオンハルトと向かい合った。

旅の支度をした彼女の隣にはミラがいる。

セラは記録院の初期業務のため、しばらく帝都に残ることになった。

カイとエルは北方。

サリアは医療棟で回復を待っている。

皆、同じ場所にはいない。

それでも、つながっている。

「行くのか」

レオンハルトが言った。

「はい。旧ル・メイル領へ。自治評議の準備があります」

「王女として?」

アビシニアは少し笑った。

「立会人として」

「リーナとして?」

「それもあります」

レオンハルトは頷いた。

「私は、しばらく帝都を離れられない」

「分かっています」

「北方の報告は、届き次第送る」

「お願いします」

短い沈黙があった。

恋ではない。

別れを惜しむには、二人の間にあるものは複雑すぎた。

敵であり、同行者であり、互いの父を見た者であり、王冠炉の前で共に命令権を捨てた者。

アビシニアは、彼を見た。

白い肌。

淡い金の髪。

灰青の瞳。

初めて会った時、彼は冷たい光のようだった。

今は、まだ冷たさを残しながらも、その奥に人の温度が見えた。

「レオンハルト」

「何だ」

「人に諦めそうになったら、記録を見てください」

「痛いものを勧めるな」

「必要なので」

彼は少し笑った。

「君も、王冠を懐かしく思ったら?」

「ミラに止めてもらいます」

ミラが横で真剣に頷いた。

「止めます」

レオンハルトはほんの少し目を細めた。

「よい同行者だ」

「はい」

アビシニアは頷いた。

「私には、よい同行者が多すぎるくらいです」

「それは幸運だ」

「あなたにも、これから増えます」

「そう願う」

彼は右手を差し出した。

皇太子としての儀礼ではない。

旅の終わりに交わす、ただの握手だった。

アビシニアはその手を取った。

冷たい手。

けれど、以前ほど凍ってはいなかった。

「また会いましょう」

彼女が言うと、レオンハルトは頷いた。

「その時までに、少しはましな皇太子になっている」

「たぶん?」

「いや」

彼は少し考えた。

「練習する」

アビシニアは笑った。

「それなら信用できます」


旧ル・メイル領へ向かう道は、かつて彼女が逃げた道とは違って見えた。

同じ空。

同じ風。

同じ遠い山並み。

けれど、彼女はもう一人ではなかった。

隣にはミラがいる。

背負い袋には父の記録片。

エルから預かった紙片の写し。

サリアの言葉。

記録院の設立文書。

自治評議準備会の議事録。

重い荷だった。

だが、その重さは彼女を縛らなかった。

「リーナさん」

ミラが言った。

「はい」

「これから、大変ですよね」

「とても」

「怒られることもありますよね」

「たぶん」

「旧ル・メイルの人たちに、王女なのにって言われるかもしれません」

「言われると思います」

「帝国の人たちにも、余計なことをしたって言われるかもしれません」

「言われるでしょう」

ミラはしばらく黙った。

「それでも、行くんですね」

アビシニアは前を見た。

道の先に、朝の光が差している。

「はい」

「怖いですか」

「怖いです」

ミラは満足そうに頷いた。

「私もです」

「では、一緒ですね」

「はい」

二人は歩いた。

しばらくすると、道の脇に古い石標が見えた。

ル・メイル文字が刻まれている。

半分は風雨で削れ、読めない。

アビシニアは立ち止まり、石に触れた。

昔、塩を運ぶ人々が通った道。

税に不満を言う商人。

昼寝をする子ども。

小刀で名を刻んだ誰か。

王国は、王宮だけではなかった。

人々の足跡こそが、国だった。

彼女は石標の前で、静かに頭を下げた。

「ただいま」

ミラが隣で微笑んだ。

「ここから始まるんですね」

「はい」

アビシニアは顔を上げた。

「戻るのではなく、始めます」


数か月後。

湿地の村には、小さな記録小屋が建っていた。

エルが作った名簿は、最初は乱暴な字で始まっていた。怒りで筆圧が強すぎ、紙が何度も破れていたという。だが、サーシャに叱られ、マルタに紙を節約しろと言われ、ニナに「字が怖い」と言われて、少しずつ読みやすくなった。

北方からの第一報は、冬の初めに届いた。

リセ・ランバル、生存確認。

その知らせを受け取った時、エルは何も言えなかったらしい。

ただ木片を握りしめ、その場に座り込んだ。

フェリクス・ローデンも生存していた。

他にも、多くの名が見つかった。

亡くなっていた者もいた。

記録だけが戻った者もいた。

すべてが救われたわけではない。

けれど、いくつかの灯は戻った。

サリアは、少しずつ回復した。

声は弱く、長く話すことはできなかったが、彼女は記録院の最初の会議に出席した。空席だったル・ヴェンの席に座り、最初の発言でこう言った。

「記録は、刃にもなります。盾にもなります。灯にもなります。だから、誰か一人に持たせてはいけません」

その言葉は、記録院の第一原則として残された。

レオンハルトは、帝都に残った。

皇太子として。

だが、彼は以前のように静かな白い塔の中で一人で決めることはなかった。評議に苛立ち、記録官に訂正され、マイヤ少佐に現場を見ろと言われ、セラに技術的に無理ですと冷たく返される日々を送った。

ある手紙で、彼はアビシニアにこう書いた。

「人に聞く政治は、想像していたより遅い。だが、遅いことと間違っていることは同じではないらしい。まだ練習中だ。」

アビシニアはその手紙を読んで、少し笑った。

彼女もまた、練習中だった。

旧ル・メイル領の自治評議は、何度も紛糾した。

王政復古を求める者。

帝国との融和を求める者。

白塔被害への賠償を最優先する者。

北方捜索を続けるべきだという者。

何も信じられないという者。

アビシニアは、何度も答えを急ぎそうになった。

そのたびに、ミラが袖を掴んだ。

「今、少し王女様の顔をしています」

そう言われると、彼女は息を吸い直した。

王女の顔を完全に捨てることはできない。

捨てなくてもよいのだと思う。

ただ、その顔だけで決めないようにすればよい。


春が来た。

ル・メイルの古い王都跡に、杏に似た白い花が咲いた。

焼け落ちた王宮の南庭にも、花は咲いた。

アビシニアは、ミラ、エル、リセ、カイ、サリア、そして数名の記録院員とともに、そこを訪れた。

リセは痩せていて、まだ長く歩けなかった。

記憶もところどころ欠けている。エルのことも、最初は兄だと分からなかった。

それでも、彼女は木片を見て泣いた。

「これ、私の」

その一言で、エルはまた泣いた。

誰もからかわなかった。

カイは少し離れた場所に立っていた。

彼は旧王都跡に来ることを最後まで迷っていた。自分にその資格があるのか分からないと言った。

アビシニアは、資格ではなく記録のために来てほしいと言った。

彼は来た。

そして、王宮跡の前で深く頭を下げた。

それで何かが許されたわけではない。

だが、彼は逃げなかった。

サリアは南庭の石段に座り、古い王宮を見上げた。

「光は、まだここにありますね」

アビシニアは頷いた。

「はい」

「王冠は?」

「ありません」

「それでよい」

サリアは微笑んだ。

「光差す場所に、王冠は必ずしも要りません」

その言葉を聞いた時、アビシニアはようやく、この物語がどこへ来たのかを少しだけ理解した。

彼女は王国を取り戻したのではない。

父を取り戻したのでもない。

母を取り戻したのでもない。

失われた十年が戻ったわけでもない。

けれど、名は戻り始めた。

顔を見る場が生まれた。

一人で決めないための仕組みが、まだ頼りなく、何度も壊れそうになりながら、立ち上がり始めた。

それは、王国より小さい。

王冠より地味で、神代機関より不完全だ。

けれど、人の手で守れる。

アビシニアは南庭の中央に立った。

幼い頃、母と歩いた庭。

父が遠くを見ていた庭。

炎に包まれ、失われたと思っていた場所。

そこに、今は人々の声がある。

ミラが花を拾っている。

エルがリセに水を渡している。

カイが崩れた石柱を調べている。

サリアが記録官に何かを指示している。

アビシニアは目を閉じた。

母の声が、胸の中に響く。

光は、闇を責めない。


父の声が、重なる。

生きなさい。

彼女は目を開けた。

朝の光が、王宮跡に差していた。

闇を消すほど強い光ではない。

ただ、そこにいる人の顔が見えるだけの明るさ。

彼女は王冠を持たなかった。

金の冠も、神代の冠も、王座も持たなかった。

ただ、滅びた王宮の灰だけが、見えない冠のように彼女の上にあった。

それは支配するための冠ではない。

忘れないための冠だった。

アビシニア・ル・メイルは、王冠を持たない。

それでも、彼女は確かに、光差す場所に立っていた。

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