表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/10

第三章


 雨は止まない。


 窓の外、夜空は濡れそぼり、灰色のヴェールが闇を包み込んでいる。シリウス療養施設の屋根を叩く雨音は、まるで悲鳴のように鳴り響き、柊一の鼓膜を突き刺した。


 


 その晩、患者たちの間には異様な緊張感が漂っていた。


 


 「誰かが消えた……」佐久間の呟きが廊下の端から聞こえた。


 


 柊一は廊下の隅で、薄暗い照明に浮かび上がる彼の顔を見た。目は赤く充血し、頬はこけていた。彼が言う“消えた”という言葉に重みがあることは、誰もが知っていた。


 


 「また……か」誰かが囁く。


 


 柊一はその言葉の意味をすぐに理解した。去年、雨の日に三人の患者が忽然と姿を消したという噂。病院からも、職員からも一切説明はない。報告書には「事故死」と記されているが、死体も見つかっていないという。


 


 「どうして、そんなことが起きるんだ?」


 


 柊一は不安げに声を潜めて尋ねた。だが、答えは誰からも返ってこなかった。


 


 療養施設シリウスは、外界から隔絶された空間だ。電話もインターネットも遮断され、患者は各々の世界に閉じ込められている。スタッフは親切だが、どこかぎこちなく、笑顔の裏に何かを隠しているように感じられた。


 


 その夜、柊一は不意にベッドの中で目を覚ました。


 暗闇の中で、雨の音だけが明瞭に響いていた。だが、彼は何か別の音も聞いた気がした。


 


 ──足音だ。


 


 重く、鈍い音が廊下を歩いている。


 


 「誰か……?」


 


 寝ぼけた頭で問いかけるが、返事はなかった。


 


 彼は布団から体を起こし、静かに寝室のドアを開けた。


 


 廊下は濡れたタイルの床に、ぼんやりとした非常灯の光が映り込み、異様に長く伸びていた。


 


 「どこへ……?」


 


 足音は、確かに近づいている。だが、その音は人間のものではないように思えた。どこか空虚で、湿った風が廊下の隅を揺らすたびに、揺らめく影が生まれた。


 


 柊一は心臓が激しく打つのを感じながら、恐る恐る足を踏み出した。


 


 廊下の奥、スタッフルームの前で、足音は消えた。


 


 息を整えようとした矢先、扉の隙間から漏れる微かな光に気づいた。


 


 彼はそっと扉を押し開けた。


 


 中は薄暗く、パソコンの画面だけがぼんやりと輝いていた。だが、その画面には異様なものが映し出されていた。


 


 患者たちの情報がリストになっている。


 


 その中には、“消えた患者”として記録された名前があった。


 


 「……誰も知らないんだな」


 


 画面のデータは、不自然に改ざんされていた。存在しているはずの記録が削除され、代わりに偽の事故報告が上書きされている。


 


 柊一の頭の中に、あのノートの一節が蘇った。


 


 【彼女の目は、最後まで僕を見ていた。問い詰めるように、赦すように】


 


 彼は立ちすくみながら、知らず知らずのうちに呟いた。


 


 「真実は、ここにあるのかもしれない……」


 


 その瞬間、背後でドアが閉まる音がした。


 


 振り返ると、三嶋医師が立っていた。


 


 「まだ知るには早すぎる。藤堂さん」


 


 医師の声は冷たかった。

 彼の瞳は、雷のように激しく光っていた。


 


 「この施設は、単なる療養所ではありません。真実を追求する者は、痛みを伴います」


 


 柊一は歯を食いしばった。


 


 「痛み……か」


 


 外の雨音が、ますます大きくなる。


 


 その夜、柊一はベッドに戻ったものの、眠れなかった。


 


 雨の音に紛れて、どこからか低いうめき声が聞こえてきた。夢と現実の境目があいまいになり、彼の中の霧が深くなる。


 


 やがて、彼の心に囁く声が聞こえた。


 


 「忘れられない真実は、必ず誰かの記憶の中にある」


 


 柊一は目を閉じた。


 


 そして、ゆっくりと拳を握り締めた。


 


 自分が追うべき真実とは何か。


 


 失われた記憶の先に、いったい何が待っているのか。


 


 雨音のノクターンは、まだ終わらない。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ