5.血縁であるとは残念です
珍しく満員御礼状態の魔導列車。
荷物を片手にわいわいがやがや、子供は窓の外を見てはしゃぎまわり、白髪交じりの老夫妻はそれを微笑ましそうに見守る。
身内であるなし、知り合いであるなしに関わらず屋台で買い占めてきた食材が配られ、それをほおばりながら楽しげな笑い声が車内に響き渡る。
「随分と楽しそうね」
「そりゃそうですよ、お嬢様。我々はお嬢様のお父上、ひいては公爵家に多大な恩があるんです。領地を離れられなかったあいつらの分もおもしろおかしく生きて、ご恩返ししなきゃバチが当たるってもんでさぁ」
「あんたがおもしろおかしく生きたくらいじゃ、ご恩返しにもなりゃしないよ」
「ちがいねぇ!」
かつて、王国内の北の端に不毛の土地があった。
広大な敷地ではあったが作物が上手く育たず、また魔物が頻繁に出現するとあって領民は他所へ逃げ出し、残った数少ない者も怯えて引きこもるくらいしかできず、長い間国もその土地を扱いあぐねていたようだ。
とそこへ救いの手が差し伸べられた。
騎士団初の総騎士団長となった当時のローゼンリヒト公爵令息は、祝いに何が良いかと問われて迷わずこの不毛の土地をくださいと王に願った。
物好きな、と誰かが嘲笑ったという。
だが彼は当時の公爵領を分家に預けると、この不毛の土地の調査と改革に乗り出した。
作物が育たないのは土壌が育っていないから、ならば闇雲に耕すのではなく土を育てることから始めればいい。
魔物が頻出するならその対策を、まずは私設騎士団による巡回と魔物の棲家をいたずらに荒らさぬように、人と魔物の住み分けを考える。
そして同時に冒険者の集うギルドを作り、人に害を成す魔物のみを依頼によって討伐させるような仕組みを作った。
かつてこの土地から泣く泣く離れていった者が一人戻り二人戻り、そのうちに他の領土からも移住希望者が増えていき、ローゼンリヒト公爵領は一代にしてみるみる活気を取り戻していった。
その当時のローゼンリヒト公爵令息、のちの公爵が現在の若公爵の兄……流行病で突然この世を去ってしまったジュリアーナの父である。
あの、悪夢のような卒業祝賀パーティで宮廷魔術師長をはじめとする何名かの魔術師がその場で捕らえられた後。
まだ往生際悪く食い下がろうとしてきたラインハルトやサイラスに構わず、前公爵の年の離れた弟である現公爵が突然席を立ち、ジュリアーナとマドカを連れてさっさと会場から立ち去ってしまった。
彼はずっと静観していたわけではない、可愛い姪とその従者が次期国王や次期宰相といった権力者達に立ち向かっていく姿を見て、勇敢で行動力のあった兄を思い出していたのだ。
そして自分も、とついに行動を起こした。
この祝賀パーティに出席する前から、彼は姪が王太子に冷遇されていることを知っていた。
まさか喜ばしい卒業祝賀の場において断罪にまで踏み切るとは思ってもいなかったが、それでもいつかはやらかすだろうと予測し、ならばと粛々と準備を進めてきた。
まずは王都にある別宅を引き払い、あらかじめしたためてあった国王に対する【爵位返上届】を王城に向けて送ると同時に、領地に戻って領民達に事情を説明するおふれを出す。
『我々ローゼンリヒト公爵一族はこのたび一身上の都合により爵位を国に返上することとなった。よってこのローゼンリヒト領の所有権は国に返り、近々新しい領主が派遣される』
たったそれだけで、領民達は己の処遇を決めてしまった。
この土地に柵がありどうしても残らねばならない者以外は、他の領土に移住するかもしくは領主にどこまでもついていくか。
そうしてついて行く方を選んだ者達が、こうして主と同じ魔導列車に乗って一路隣国を……正確には隣国との国境を目指している、というわけだ。
「それにしても叔父様、魔導列車を使うのは確かに速いですがその分危険も多いのでは?空を飛ぶのですもの、遠くからでも我々がどちらの方向へ向かうのか一目瞭然ですわ」
緩くウェーブのかかった銀髪をくるくると指でもてあそびながら、ジュリアーナが向かい側に座った叔父を見つめると、彼は穏やかながらも芯の強さを秘めたその鳶色の双眸を細めて「今更だな」と苦笑した。
「確かに危険だが、別に目的地を隠しているわけではないからバレても問題はない。仮にも王族に喧嘩を売ったんだ、この国にいられなくなることくらい阿呆でもわかる。なら向かう先は隣国、と考えるのが筋だろう?行く先がバレているなら、より多くの人を一度に運べて追っ手も撒ける魔導列車にする方が効率的、というわけさ」
自在に空を飛ぶ乗り物が発明されていなくて幸いだ、と彼は異世界人であるマドカを見ながらそう笑う。
マドカのいた【地球】という異世界においても、空を飛ぶ乗り物といえば飛行機という鳥を模した大きな機械だけだったが、それに乗るにも訓練と免許が必要であり、一般人が手に入れられる金額のものではないという。
だとするなら、いかに『落ち人』が優秀であってもそう易々と飛行機を作り出すことは難しいだろう、事実魔導列車が開発されて以降これまで空飛ぶ機械がお目見えしたことはないのだから。
なら魔導列車はどうなのかというと、あらかじめ入力設定された目的地にただ向かうだけのものであるので、自在に空を翔るというイメージとはやはりかけ離れている。
「閣下」
「私はもう公爵ではないよ」
「では旦那様」
「ん、まぁよしとしよう」
「この国を出るという選択は支持します。ですがどうして隣国なのでしょう?」
と、マドカが発した疑問もまた今更なものだった。
隣国アルファード帝国は、その昔小さな国の集まりだった。
しかし数十年前に現れた男がどんどんとその小国を合併・吸収していき、アルファード帝国を造り上げた。
しばらくはバーベナという農業国を間に挟んで微妙な距離感を保っていたのだが、十数年前にその国もまた吸収されて今に至る。
帝国の強みは騎士団とは違う、軍という戦うことに特化した組織を有していること。
そして剣の強さだけでなく、最近になってからは魔術の重要性も認識されて、帝国は益々影響力を強めてきている。
身分に拘らず高みを目指したいなら間違いなく帝国を選ぶのだが、今の場合は状況が違う。
仮にも王族に喧嘩を売った形でその場を去り、そして一方的に爵位を返上した上領民まで道連れにして国を出るのだ、実力で成り上がるとか高みを目指すとか言っている状況ではない。
むしろ目立たずひっそりと、のんびりと暮らせそうな目的地を選ぶのではないだろうか?
その問いかけに答えたのは、数年前に公爵の妻となった『落ち人』の女性だった。
彼女の名は、サクラ。
どうしてだか『落ち人』には元日本人が多く、彼女もまたその一人だ。
そして公爵夫人であると同時に、科学技術研究チームの一員でもある。
「あら、でもマドカはド田舎でのんびりゆったりスローライフって柄じゃないわよね。それに、帝国は徹底した実力主義の国ですもの、国に利があるとわかれば投資は惜しまないと思うわよ」
それにね、と彼女は若干声をひそめる。
「例の薬の件でジュリアが国境まで出向いたことがあったでしょ?その時にも魔導列車を使ったそうなんだけど、相手方の交渉人……宰相閣下に言われたそうよ。帝国にもこんな技術が欲しいものです、って」
「それはまぁ、そうでしょうね」
帝国は小さな国の寄せ集めなので、元々文化や宗教などに統一性はない。
『落ち人』は何もヴィラージュ王国だけに落ちてくるわけではないので、恐らく帝国内にも存在はしているだろうが……しかしそれを国が保護し、何かを研究させるといった方向性までは定まっておらず、故に科学技術に関してはヴィラージュ王国の方が他国の数倍研究・導入が進んでいると言ってもいい。
「…………あの断罪の時も思いましたが、王太子殿下は余程盲目になられたようですね」
「もっと明け透けに言っちゃえば?国益を考えない馬鹿だ、って」
今ある魔導機械や科学技術は王国のものだが、それをより使いやすく改良したり、これまでにない技術を開発したり、そういった目的で作られた科学技術研究チーム。
国が認可したとはいえ、そのチームに資金提供していたのはローゼンリヒト公爵家だ。
そして中心人物たるマドカやサクラはローゼンリヒト公爵家の関係者であり、ジュリアーナが謂れのない罪で断罪されたことにより国を離れることになった。
そう、王太子は目先の欲求のみに囚われて、『落ち人』による研究チームを……ひいては今後国を富ませてくれるだろう金の卵を産む鶏を手放してしまったのだ。
更にローゼンリヒト公爵家に関わりのない研究員すら呆れ、憤慨した『落ち人』を貶める発言によって、その他の『落ち人』すらも国に協力しなくなるという事態を招いてしまったことにも、彼は気づいていないだろう。
聖女が現れる前までの彼は穏やかで公正、物事をきちんと見る目を持っていただけに、恋はこうも人を変えるのかとマドカは呆れるしかできない。
それが恋だというのなら、そんなものに冒されるのは自分なら御免だ、と。
「にしてもマドカとあの聖女様カッコわらいカッコとじ、ってマジ似てねぇよなぁ」
「半分だけですからね」
腹違いというやつですよ、とマドカは己の剣の師匠でもある青年、レオに苦笑しつつそう告げる。
ドイツの名門クリストハルト家のお坊ちゃまが日本の大学に留学し、そこで顔良し家柄そこそこ競争率激高な女性に恋をした。
だが彼女に子供ができたことで実家であるクリストハルト家は大激怒、身重の女性と引き離してドイツに連れ帰り、彼を無理やり本来の婚約者と結婚させた。
そうしてできたのがマドカだ。
彼女が生粋のドイツ人であるにも関わらず日本風の名前を持っているのは、ひとえに父親たる彼がかつての恋人に未練を残しているから。
マドカにとってはいい迷惑でしかないが、そのこともあって彼女は物心ついてからずっと家族というものを知らず、他者との関わりも最低限にして生きてきた。
そんな中、転機が訪れる。
珍しく父に誘われてついていった旅行先で、自分と同じ位の年齢のふわふわした髪の女の子に会ってしまったのだ。
父としてはマドカと彼女を会わせるつもりはなかったようだが、その彼女の方がマドカを見つけてどうしても話がしたいと駆け寄ってきてしまった。
『あの、もしかしてまどかちゃん?……あのね、私ね、あなたの……おねえちゃん、なんだって!えへへ、仲良くしようねっ』
どう見ても同年、もしくは年下にしか見えないその少女は実は2歳も年上で、しかも父が日本にいた時にできた……日本人女性との子供なのだという。
湧いてきたのは嫌悪感。
父にとって自分はこの子に会うための隠れ蓑だったと、そう気づいてしまったから。
差し出されたその手をマドカは冷ややかに見下ろし、ふいっと背を向ける。
黒髪の娘の背後で父が何かわめいていたような気もするが、彼女にはそんなことはどうでも良かった。
望まれて生まれた子と望まれていなかった自分。
愛されて育った子と義務感だけで育てられた自分。
どうしてこうも愚かしいほどに無邪気でいられるのか、どうして髪色も人種も話す言葉も住む世界すら違う相手に『おねえちゃんなんだ』と名乗れるのか。
バカじゃないの、と呟いた言葉は母国語であったため少女は何のことかを首を傾げたが、意味がわかった父は彼女を力の限り張り飛ばした。
よろけて、道路に出てしまった彼女の目の前に、猛スピードのスポーツカー。
そこから先は、白い光に包まれてしまったためあまり覚えていない。
黙り込んでしまったマドカを励まそうとするように、レオはその肩をぽんぽんと軽く叩く。
マドカと同じ欧米民族出身のアリアもレオの反対側に座り、「ずぅっと考えてたんだけどねぇ」とどこか間延びしたような口調で話し始めた。
「剣と魔術のファンタジー世界に異世界トリップした聖女サマ、その取り巻きは王太子殿下に宰相子息、宮廷魔術師に近衛騎士。でもって王太子殿下の婚約者が社交界の華と呼ばれる公爵令嬢なわけでしょぉ?学園の卒業式の日に、公の場で断罪と婚約破棄されたわけでぇ……これってさぁ、なぁんか『乙女ゲームのテンプレ』っぽくなぁい?」
「っていうよりむしろ、ネット小説の『悪役令嬢モノ』っぽいけどな」
「でしょぉ?制服切り裂きに、階段……じゃないけどバルコニーからの突き落とし、かーらーのーまさかの無傷生還。この辺、テンプレの匂いがプンプンなのよねぇ。この世界、乙女ゲームが原作だったりするのかしらぁ?」
「……つか、ゲーマーなお前が知らないもんは誰も知らんだろ」
そうレオが真っ当につっこむと、アリアも首を傾げながら「そうよねぇ」と応じる。
(もしあの聖女もそう思っていたんだとしたら……?)
ここが名も知らぬゲームの世界で、自分は愛されヒロイン、王太子の婚約者はヒロインをいじめる悪役令嬢で、マドカはさしずめその手下か取り巻き役。
公の場で悪役を断罪し、自分は王太子とハッピーエンドでめでたしめでたし。
周囲の気持ちなど考えようともしない、脳みそお花畑な彼女ならそう考えていてもおかしくはない。
現にあの状況で「どうして」などという言葉が出てきたのだから。
だが、だとするなら尚更。
「…………絶対に許さない……」
漏れ出た物騒な呟きは、幸いなことに誰の耳にも入ることはなかった。