6.恋など理解不能です
「ようこそ、アルファード帝国へ。我が国はヴィラージュ王国とは歴史も文化も慣習も違う。どうかじっくりと時間をかけてこの国を見て歩いてください。その上で移住されたいというのなら、大いに歓迎致しましょう」
「お心遣い、感謝いたします」
ドレスをつまみ身を屈めて一礼する。
堂々としたその仕草とは裏腹に、白磁の頬は隠しきれない『想い』を宿して紅潮している。
帝国の皇太子自ら挨拶に出向いてくれた、その彼を見た瞬間
人が恋に落ちる音を、マドカは確かに聞いた気がした。
その日、ヴィラージュ王国とアルファード帝国の国境にある関所は、大混雑だった。
普段はあちらこちらの国を行き来する商人や、たまに外交に出かける要人が通る程度であるため、警備の兵こそ手抜かりなく数人常駐しているが、国を行き来するための書類を審査する役人はいたりいなかったりで、いても大概暇をもてあましていた。
が、この日は突如として現れた魔導列車から降り立った数十人の平民に加え、彼らが主と仰ぐ明らかに貴族階級の者が数名、そして毛色の変わった研究者が数名、とかなりの人数の入国審査をせねばならず、涙目になる役人を見るに見かねた元ローゼンリヒト公爵は
「彼らの身元は私が証明しよう。私はヴィラージュ王国の元公爵位にあったアルバート・ローゼンリヒト。私自身の身の証をたてるため、できればある程度要職にある方に目通り願いたいのだが」
と名乗り出て、自分についてきてくれた領民達の身元保証を請け負ってしまった。
慌てて国境の町を治める領主のもとへ駆け戻った役人、ややあって戻った彼が連れていたのが他ならぬこのアルファード帝国の皇太子と宰相その人だった。
どうやらあまりに目立つ移動手段をとったため、以前薬の件で交渉の席についた宰相が何事かあったらしいと最初に気づき、それを皇太子に報告したことで急遽同行しての国境視察とあいなったらしい。
ローゼンリヒト側としても、ジュリアーナと既に挨拶済みである宰相が来てくれたことで手間が省け、あっさりと領主の邸に招待されることになったことでホッと一安心できたところだ。
が、ここでひとつ問題が起きた。
アルファード帝国の皇太子は現在23歳、実力主義のこの国において剣の腕はもとより魔術の方も複数属性扱える、赤茶の髪にアイスブルーの双眸を持つワイルド系の美男子である。
穏やかで優しい印象のヴィラージュ王国王太子とは真逆と言ってもいいその容姿に、高位貴族のご令嬢として様々な男性を見てきたジュリアーナが一目で恋に落ちてしまったのだ。
もとより、ラインハルトとは政略的な意味合いでの婚約であったし、婚約中はいずれ王家に嫁ぐ者、いずれは王妃として国王を支える者として、王太子を純粋に慕っていた彼女ではあったが、それは義務感から派生した情であって恋心ではなかったらしい。
「いやはや、ご令嬢は可愛いやね。あーんなに真っ赤になっちゃって、おめめもウルウル。こりゃ間違いなくあの皇太子にも気づかれちゃってるでしょ」
と茶化すように言うのは研究チームの中でもプログラミング担当のマサオミ。
そんな彼にスパンッと丸めた書類でツッコミを入れたのは、薬学博士の称号を持っていた元大学准教授のミシェル(本名マイケル)だ。
「あんたのことだから、美男美女でお似合いっしょ、とか考えてるんでしょうけど……いいこと?ご令嬢は確かに元公爵令嬢だけど、亡命してきた今は一般庶民よ?それどころか、あの皇太子の言いようじゃ、しばらくの審査期間を置かないと国民として認めてもらえないみたいだし。前途多難じゃないかしら?」
「行きがかり上滞在は認めるけど、下手なことはするなと暗に釘を刺されたわけですしね」
「ご名答、お嬢はきちんと飲み込めてるみたいね。えらいえらい」
「なんだよ、オレだってちゃんとわかってるって」
ヴィラージュ王国の技術が我が国にも欲しい、と口にしたのはこの国の宰相だが、かといって『亡命してきました。技術を研究するチームも一緒です』とやってきた元高位貴族をはいそうですかと無条件で受け入れるわけがない。
何か裏がないか、そもそもどうしてあの国を出てきたのか、一緒に連れてきた元領民達……そして『落ち人』は信用に足るのか、そして何より実力のほどはどうなのか。
ひとまずは誰かの監視下においてそれらを見極め、信用に足ると判断されれば恐らく帝国国民としてイチからのスタートとなるだろう。
そもそもこの国には貴族制度がないため、かつて高位貴族だったと言ってもやはり他の庶民と同じく実力でのし上がっていくしかない。
裏を返せばたとえ生まれがどうであれ認められるほどの実力があればいいのだから、そこはやはり実力主義を謳っていても貴族制度から抜け出せないヴィラージュ王国とは一線を画していると言える。
「それに、あの年齢なら結婚してたっておかしくはないわよね?ま、してなくても婚約者くらいいるでしょうし」
「あー……まぁ、そっか」
「その辺り、ジュリア様もわかっておられるはずなのですけど、ね」
わかってはいても恋心はままならない、ということか。
そもそも恋をしたことも、したいと思ったことも、興味を持ったこともないマドカには全く理解できず、こればかりは主の役に立てなさそうだと彼女は早々に諦めて、客間の窓から見える人影をそっと遠くから見守るに留めた。
窓の外、領主の邸の中庭には二組の人影。
そのうちの一組、実力主義のこの国において皇太子と認められた男とその護衛は、新たな客人にどう接するか検討中だった。
「さて、宰相が撒いた餌に食いついてきた獲物をどう料理してやろうか?すぐに捌いて食ってやってもいいが、それでは面白みに欠けるな。なぁカイン、どう思う?」
「せっかく囲いに誘い込んだのですから、しばらく飼ってみればよろしいのでは?それで合わないと思われたら譲渡するなり放り出すなりお好きなように」
「ふむ、そうだな。……だがなぁ、獲物の方が俺に食われたがっている場合、食ってやるのが礼儀だとは思わんか?」
「思いません」
「チッ、堅物め」
かたやこの国の皇太子ジェイル・アルファード。
彼は隣国ヴィラージュ王国に諜報員を何人も送り込んでおり、王族をはじめとする名だたる貴族やその子息令嬢のことも既に情報として持っていた。
『落ち人』のもたらす技術力は計り知れず、確かにその技術力を我が国にもと考えてはいたが、だからといってこれまで一般庶民と同じ扱いをしてきた『落ち人』を今更ながらに優遇するつもりもなく、もし何らかの知識を持っているなら実力で這い上がってくればいい、という気持ちも変わらない。
だから、隣国の王太子が己の婚約者を冷遇し、異世界から召喚したという聖女を代わりに据えたがっていると知った時は、チャンスだと喜んだ。
王太子ラインハルトの婚約者は『落ち人』の研究チームに出資しているローゼンリヒト家のご令嬢であり、更に複数属性の魔術を同時に扱うこともできる優秀な魔術師候補でもあり、王妃教育の全てを終わらせたことで教養やマナーも万全、おまけに美人という表向きは完璧な女性である。
そんな彼女の完璧さに息が詰まったのか、それともただ単に心変わりしたからか、ラインハルトが彼女を手放そうとしただけでなく、恋しい聖女を虐めた罪人として断罪したと聞いて、彼はすぐさま己の父である皇帝に直談判に向かった。
ヴィラージュ王国から亡命してくるだろうローゼンリヒト元公爵とそのご令嬢について、全て自分に任せて欲しい、と。
彼らが目をかけている『落ち人』達は独自の研究チームを立ち上げるほどの実力者、そんな彼らならもし一般庶民として暮らせと言われてもすぐに不満を訴え、実力を持ってのし上がってこようとするだろう。
上手くすればその技術力は帝国のものとなる、そしてそんな彼らの中心人物が主と仰ぐのがローゼンリヒト元公爵令嬢……ならば彼女と接する機会もおのずと増えるというわけだ。
「かの国の王太子が考えなしで助かった。王妃教育まで済ませたご令嬢を手放してくださったんだ、この縁が纏まった後は礼を言わねばな」
「殿下が本気で口説きにかかればすぐにおちるでしょうに」
「そう見えたか?……だが俺は生憎と一目惚れは信用しない性質でな。あれは逆上せ上がるのも早いが、冷めるのもあっという間だ。しかも相手はその辺の恋愛脳なご令嬢ではないときた、ならば一気に攻め入らずじっくりじわじわ攻め落としていくさ」
そのいつにない慎重な物言いに、カインと呼ばれた青年は2,3度珍しそうに瞬いて苦笑を浮かべた。
「随分な入れ込みようですね。一目惚れは信用されないのでは?」
「ああ。俺の場合は、事前に得た情報があるからな。その上で実際に本人を見たら好みど真ん中だった、というだけだ」
(ひとまずジュリアーナ嬢については殿下に任せておくか……)
黒髪に蜂蜜色の双眸を持つカインと呼ばれたその男は、ジュリアーナを取り込むことで得られる利益と被る損害を天秤にかけ、ムッと眉間に皺を寄せた。
ジュリアーナ一個人としてはとても優秀な人材であり、何より王妃教育を一通り終わらせているので皇太子妃としてもすぐに順応できるだろう。
外交に関しても徹底的に叩き込まれているため、彼女がもたらす国益はきっと無視できないほどになるに違いない。
対して、損害となるとやはりヴィラージュ王国からの抗議や返還要求などが予測されるが、さしてこれまで付き合いのなかった両国間においてはそれほど大問題にはならないはずだ。
ただし、カインが危惧しているひとつの問題がある。
「アプローチされるのは構いませんが、その前に片付けておくべき問題があるでしょう?そちらはどうなさるおつもりですか」
「…………セイラのことか」
応じる皇太子の表情が、一転して苦々しげなものに変わる。
ミシェルが予測した通り皇太子ジェイルにはセイラという名の婚約者がいる。
艶やかなブルネットの髪に明るい若葉色の瞳、ジュリアーナのような凛とした美しさではないがそれよりも華やかな、大輪の薔薇のような美貌は成長するに従って男の目を惹きつけてやまない魅力を纏うようになってきた。
実力主義のこの国において皇太子を名乗れるジェイル、その婚約者の座を射止めたセイラもまた相応の実力を持っている。
学問や魔術の実力もそうだが、何より彼女が優れているのは社交界におけるリーダー的役割……カリスマとも呼べる圧倒的な自信に満ちたオーラだ。
無論それだけでは皇妃など勤まらないのだが、それでもジェイルと同年代の令嬢達の中ではセイラの存在が突出していたため、必然的に彼女が婚約者ということで決まってしまった。
「アレは人一倍プライドが高い。俺が何も言わずとも、ジュリアーナの存在に気づけば何かしらのアクションは起こすだろう」
過剰なまでの自信、その向かう先は己の皇妃としての未来を妨げる存在。
ヴィラージュ王国において聖女に対しジュリアーナが行ったとされた冤罪……泥水をかけたり服を切り裂いたり、そのような生ぬるい手段を通り越してセイラならきっと直接的に【敵】を排除しようと動くはずだ。
「俺の隣を望むというのはそういうことだ。セイラ一人あしらえないようではこの先困るからな、精々ジュリアーナには頑張ってもらいたいものだ」
「…………つまり、ご自分の問題を彼女に押し付けようというわけですか」
「俺から言って聞くようなやつじゃないだろ、セイラは」
全く悪びれないその言葉に、カインは深いため息で応えた。
中庭にいたもう一組は、時折笑みすら浮かべながらも何事か話し合う皇太子とその護衛の姿を視界の端に入れながらも、それ以上近づこうとはせずに東屋に留まっていた。
そしてそのうちの一人がそっと彼らから視線を外したところで、もう一人が「ジュリアーナ」と姪の名を静かに口にした。
「我々は確かに王国を出てきたが、それでもこの国の住人と認められたわけではない。つまりまだ、王国に籍を置いているわけだ。……この機に、我々を連れ戻そうとする動きがないとは言えない。わかってるね?」
「……ええ、叔父様。現段階、わたくし達の問題に帝国は介入させられない……王国からの追っ手がきた場合、帝国側に迷惑とならないように対処すべきということですわね」
「それもある」
だけどね、それだけじゃないだろう?
そう問いかけられたジュリアーナは、わかっておりますわと寂しげに目を伏せた。
(この想いが万が一にでも王国側に悟られてしまったら、皇太子殿下まで巻き込んでしまう)
「隠し通してみせますわ。王国側にも……皇太子殿下にも」




