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いばらの冠  作者: サモト
忌み枝
38/53

7.

 エドロットは翌朝、あくびを噛み殺しながら帰ってきた。

 昨晩はアイスバーグ城にいたときの同僚と話をしてきたらしい――酒のほかに香水のにおいがするので、真実は半分だけだろうが。


「時間外労働の成果はあった?」

「多少。みんな、夫を見捨てたモンクリフ夫人にあきれていたよ。師団長なんかは、伯を差しおいてなんたるふるまいって、憤っているって話だ」


「夫人の動向については?」

「下っ端ばっかりだったから、その辺の情報はない。知るなら、やっぱり城に入りこまないとな」


 エドロットは城をふり仰いだ。


「聞くあてあるの?」

「ロッツ、俺をだれだと思ってんだ?」


「貴婦人からメイドまで口説き、青田刈りも抜け目ないボーダーレスな女好き」

「お褒めにあずかり光栄のいたり。夫人の衣装担当メイドに聞いてみるさ」


 エドロットは酷評など気にも留めず、優雅に一礼してみせた。ヤナルから酔いざましの飲みものを渡されると、少し顔をしかめて飲み干す。


「ヤナル、親父さん、今日は城に行くんだろ?

 一緒について行って、口が固くて信頼できそうなやつに接触してみてくれ。伯爵の味方したいと思っているやつがいれば、おまえの顔見て話しかけてもくるだろうし。何か情報くれるかも」


「僕はどうする?」

「ロッツは俺と一緒。面が割れてないおまえに行動してもらう時があるかもしれないからな」


 人々が動きはじめる時間になると、ロゼットとエドロットは家を出た。城にむかって、丘をのぼる。

 途中で、馬車が二人を追いこしていった。あらっぽい操縦で、二人のそばをぎりぎりに通っていった。馬車の紋章に、エドロットはやれやれと肩を落とす。


「バスケット判事か」

「どういう愛称?」

「罪の重さは、バスケットのなかの金の重さで決まるってね」


「領主が判事じゃないの?」

「昔は、おまえの島とおなじで領主だったよ。今は、王が任命して、派遣してくる。地方の自治権を強くしないためだろうな」


 正門がちかづき、二人は警備服をただした。制服の効果は絶大で、門兵は二人にしたしげに敬礼した。気にしたのは、むしろ、二人の後ろからきた男だった。


「――んだよ。ババアに呼ばれたんだよ」


 男が門兵に突っかかる。

 ロゼットはその声に眉をひそめた。聞きおぼえのある声だったのだ。


「モンクリフの次男坊だ。かかわるとめんどうだ。目、あわすなよ」


 エドロットはモンクリフの次男坊――カークに道をゆずった。

 ロゼットは帽子のかげから、男を観察する。足の長いシルエットに、酔っているような独特の足はこび。

 おとといの夜、館のちかくで会った男にまちがいなかった。


「偵察しにきていたのかな?」

「親父の救出をするために?」


 ロゼットから事情を聴いたエドロットは、疑わしそうにした。素行不良と評判の息子だ。親子仲はよくないのだろう。


 城壁の内側には、兵はもちろんのこと、役人や楽師、鍛冶屋や大工、職人、召使などがおおぜい住んでいる。二人の姿は、多数のなかにすぐまぎれた。


 広場を突っ切り、城主の住まう居館をめざす。先ほどの判事が居館へ消えていくのがみえた。行政の中心となる場所なので、法廷もここにあるようだ。


 通用口からなかへ入ると、ひんやりしていた。灰白色の壁はつめたくそっけない。城内は外見どおり無骨だった。


「ソフィアー、アンナ呼べる?」


 エドロットは城の洗濯場に顔を出し、メイドの一人に呼びかけた。メイドは、あら、とおどろきの声をあげる。


「エドロット、いつもどってきたの?」

「休暇で内緒でね。黙っといてくれよ? これはおみやげ」


 エドロットは小さな陶製の容器を、メイドの手ににぎらせた。


「なあにこれ。いい匂いがするけど」

「こうやって使うやつ」


 エドロットはふたをあけ、黄みがかった中身をすくった。メイドのあれた手にすりこむ。両手でやんわりと、しかし入念に。


「彼氏にこうやって塗ってもらえよ?」

「やあねぇ。そうやって何人誘惑してるの? 悪い人」


 メイドは笑いながら、エドロットの手をつねった。ちょっと待っててね、と足取りかるく去っていく。


「君ってこういうの、超適任だね」 

「ま、俺ならその家の昨日の献立から、女主人のスリーサイズまで、なんでも調べてみせますよ」


 エドロットはさらさらの髪をかき上げた。今日のお仕事はとても楽しそうだ。


 しばらくして、化粧のはなやかなメイドが洗濯場にやってきた。

 これがメリナ=モンクリフ付きの、衣装担当メイドなのだろう。女主人のものとおぼしき、仕立てのよいドレスをかかえている。


「ひさしぶり。また化粧変えたね。その口紅、似あってるじゃん」

「そんなこと、どうでもいいわよ」


 メイドは怒っているというよりは、あわてたふうにエドロットにつめよった。洗濯場の外へつれだすと、柱のかげにエドロットを押しつける。


「大胆は大歓迎だけど――なんかちがいそうだな」

「伯爵様が、先代様のご嫡子でないって、本当なの?」


 ロゼットもエドロットも目を点にした。けげんそうに、顔を見合わせる。


「奥さまは朝早くから衣装をおととえになって、判事様のところへ行かれたわ。伯爵様の父親だっていう方と一緒に、証拠をもって。先代様の相続について異議を申し立てるおつもりよ」


「証拠ってのは? どんな?」


「指輪よ。ミセス=マスカードが、肌身はなさず身に着けていらした紫水晶の指輪。行方不明になったとき、一緒になくなっていたのでしょう?

 伯爵様の父親だと名乗る男が、それを、ミセス=マスカードに愛の証に頂いたものだってもっていたんですって」


 メイドはうろたえていた。が、ロゼットとエドロットは、最初から何かあることを覚悟してきている。すぐに落ちつきを取りもどした。


「どうなの、エド。あなた、何か知らない?」

「知らなくたって、嘘ってことはわかるぜ。父親だって男も、指輪も、作りだせるからな。夫人につられて、バカなこといいふらすなよ、アンナ」


 エドロットはメイドにキスを一つすると、柱のかげから出た。


「どうする? ヤナルに知らせる?」

「伯爵の父親とやらと、証拠の指輪が見たい。判事の部屋へ行ってみようぜ」


 判事の部屋までは、だいぶ遠かった。途中、代々の城主の肖像画がかざられた回廊を通りかかる。


「あれって、先代さん?」


 通りすがりに、ロゼットは末尾にある肖像画を指さした。

 胸板の厚い、いかにも軍人といった男だった。ふさふさとした波打つ髪はとび色で、一文字の眉の奥に光る眼は、緑がかった茶色をしている。

 剣の柄にかけられた指は太いへらのような形で、現当主のほそい指とは似ても似つかない。


「……メイドさんがうたがうのも、もっともかもなあ」

「まあな。似てねえもん。ひとっかけらも」


 エドロットはロゼットの感想にあっさり同調する。


「そう思っていながら、メイドさんには信じろっていうわけ?」


「俺はすべての女性の味方だぜ? あのうるわしいミセス=マスカードに不貞の疑惑をかけるなんてとんでもない」


「モンクリフ夫人の言い分は即座に否定しておきながら?」


「あのな、ロッツ。女性二人とデートしていて、目のまえを何かが横切ったとしよう。一人はそれを犬といい、もう一人は猫といった。さあ、おまえならどっちを信じる?」


「僕ならどっちも信じないけど。君なら?」


「俺ならどちらのことも否定しない。どちらのことも信じる。

 ただ、俺には鳥にみえたというね」


「つまり?」


「つまり、俺はどっちが正しいかなんてことに興味はないってこと。俺にとって大事なのは、伯爵サマに俺の雇い主でいてもらうことだからな。

 コシモみたいな、見た目もうつくしくないオヤジに使われるようになるかもしれないなんて、考えるだけでも怖気が走る」


 回廊の角をまがり、不意にエドロットが足を止めた。壁のかげから、背後をふりかえる。一組の男女がやってくるところだった。


「しめた。モンクリフ夫人と愛人だ」


 メリナは肖像画のある回廊の途中でとまった。たっぷりとしたドレスのすそをさばき、窓枠に腰かける。

 色の白い女性だった。細心の注意をはらってたもっているのだろう、青い血管が透けてみえるほど白い。きれいといえばきれいだが、不健康さを感じるほどで、神経質そうだ。


「本当に大丈夫かしら? リリック」


 夫人は胸を押さえ、声を絞りだすようにした。かざりたてた髪が、細面には重たそうにみえる。


「こんなことをして、また妙なことが起こらないかしら」

「何を怖がっているんだい。何も起きやしないさ。今まで起きた妙なことだって、みんなに聞いてみたが、ぜんぶ偶然じゃないか」


 なだめる男の袖で、カフスが光った。革の靴はよく手入れされてしっとりと光り、シャツやカラーは糊がきいて、しわ一つない。

 ヤナルの父親の悪い評価とは裏腹に、メリナの愛人、リリックの印象は清潔だった。

 うしろになでつけた髪にみだれはなく、鼻柱のふとい顔はととのって、背筋は凛とのびている。


「知り合いに、黒猫が不吉だというやつがいる。黒猫を見ると、不幸が起こるっていうんだ。黒猫がいなくたって不幸は起こるっていうのにね。

 人は、一度思いこむと、関係のないことにまで関係をつけてしまうのさ。それどころか、関係をわざわざ探し出す。杞憂だよ」


 男の話しぶりは、ゆっくりと落ちついており、自信に満ちていた。


「証拠の指輪は、僕があずかっておくよ。だれかに盗まれると、大変だからね」

「俺があずかる」


 さらにやってきたモンクリフ家の次男坊――カークが、手を差しだした。大粒の紫水晶がついた指輪が、リリックの手から、しぶしぶカークの手のひらにのせられる。


「“彼”は?」

「ちゃんといる。ラベット、ちゃんとついてこいよ」


 カークは背後をかえりみた。カークよりも頼りない足取りで、男がやってくる。


 生気のうすい優男だった。肌の色はぬけるように白く、髪色もうすい。上等な身なりはしていたが、着させられているといった体で、似あっていなかった。青い目は宙をおよぎ、落ちつかない。


「もっとしゃんとしていて欲しいものだが。まあ、たくましい先代より、よほど伯の父親らしい」

「あとは、城においておくのか?」

「よけいなことを話さないか心配だが」

「心配ねえよ。こいつはこれの虜だ」


 カークはポケットから、ボールのようなものを取り出した。床に落ち、はねたそれに、優男が飛びつく。


「判事の方は、きっちり根回しできたんだろうな? リリック」

「もちろん。ぬかりないさ」


 リリックの微笑のそばで、メリナが、やはりまた表情をくもらす。


「息子に何もなければいいけれど……」


 リリックはちらりと、カークを横目にした。しかし、すぐ視線をもどす。


 ロゼットたちも、その意味をすぐ了解した。夫人はそばの次男を見ない。彼女が案じているのは、ここにはいない、長男の方だけなのだ。官僚となり、りっぱに成長した。


「大丈夫。僕がついている。

 さあ、しっかり背筋を伸ばして。これは必要なことなんだ。君はこの家のために、行動を起こさなければならない。あやまちは、正さなければいけない。そうだろう?」


「そうだわ。そうよ。このままじゃ、いけないの。あの女が来てから、この家はめちゃくちゃになった。兄はあの女にたぶらかされ、娘は死んだ。敵を取るべきなのよ」


 夫人は正面の肖像画――先代マスカード伯の肖像画に誓うようにいった。


「夫も頼りになんかなりはしない。あの色ボケ男、ついでに一緒に追放してやるわ」


 夫人は憤然と立ち上がった。ロゼットたちはあわてたが、夫人はロゼットたちには目もくれず、通りすぎていった。

 回廊には、夫人の愛人のリリックと、息子のカークがのこされる。


「君も一言、『母さん、僕がついているよ』ぐらいいえばいいのに。こういうときが、売りこむチャンスだよ」

「親にまで媚びを売るほど落ちぶれちゃいねえよ」


「じゃあ、なんだって協力してくれたんだい?」

「……さァ。俺も、金回りがよくなるに越したことはねえし」


 カークは靴底で床を擦った。伯父である先代マスカード伯の遺伝か、肩まであるとび色の髪はゆるく波打っている。


「これで件の伯爵様が、おがめるかな。ミセス=マスカードにそっくりだそうだね。彼女の肖像画がこの城からなくなって辛い思いをしているんだ。彼にあえばその悲しみも癒えそうだ」


「……なぁ。本当におっかないもんほど、きれいな姿かたちをしてるって、知ってるか?」

「君も彼らのことを警戒しているのかい?」


「本当にろくでもないやつは、外面を取りつくろう。あんたと一緒で」


 カークが優男を連れてちかづいてくる。

 ロゼットとエドロットは一瞬視線をあわせ、何食わぬ顔でその場を遠ざかった。


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