6.
アイスバーグ城は石造りの、堅固な城だった。
小高い丘の上にあり、北側から東にむかっては川が流れている。四方の城壁は高く、兵がつねに目を光らせていた。
ロゼットは一目見るなり、城の堅牢さに渋面を作った。
「まじめに正面衝突はだめだな」
「五百年前からの防衛拠点だ。簡単には落ちねえよ」
城下町は城の南側、丘のふもとにある。到着したときには、町は夕暮れの色に染まっていた。
荷馬車は町の一角の、ヤナルの実家へとすすむ。
医者は地元の名士だ。当然、屋敷も、屋敷の庭もりっぱなものだった。
庭にはめずらしい花々が植えられ、植栽はきちんと刈りこまれ、訪れる人の目を楽しませるようにできていた。
家のなかも、多数の美術品がかざられ、重厚な木製の家具はよくみがかれて光り、年月のふかさを感じさせた。
しかし、あまり威圧的な雰囲気がないのは、庭の奥に薬草畑や温室があったり、薬草や香草がむぞうさに軒先に干されたり、玄関先にぬいぐるみがおき忘れられていたりと、ところどころに家柄と人柄があらわれているせいだろう。肩の力がぬける。
「ヤナルの小屋のにおいがするね」
「薬っぽいな」
ロゼットは空気を吸ったが、エドロットは鼻をつまんだ。
「お帰りなさいませ、ヤナル坊ちゃん!」
年配のメイドが、ヤナルの顔を見るなり、喜色をあらわにした。
メイドの声をききつけ、小さな男の子と女の子が走ってくる。ヤナルの弟妹のようだ。
「おかあさんは?」
「今日は俺だけだよ。ほら、まずは兄ちゃんの友達にあいさつして」
二人は良家の子供らしく、礼儀正しくロゼットたちにあいさつした。
が、やはり、まだ幼い子供。末子だという次女は、すねたように母親のことをたずねた。
「おかあさんは、いつもどってくるの?」
「もうじきだよ」
「そんなかわいいふくれっ面していると、お兄さんがいたずらしちゃうぞ?」
エドロットが頬をつつくと、やだあ、と甲高い声があがった。
女性のあつかいは、少女であっても慣れているらしい。
「にぎやかだな。帰ってきていたのか」
「今さっき。ただいま、父さん」
きっちりと前髪を後ろになでつけ、口ひげをたくわえた、壮年の男性があらわれた。ヤナルの父親だ。名を、アルフといった。
「エドロットは、もう知ってるよね。こっちはロッツ。前にいってた、あの島の。すごい強い子」
「例の友人か。何度も助けられたっていう?」
アルフはロゼットを上から下までながめ、意外そうにした。
息子の話を聞いて、屈強な青年を想像していたのだろう。
警備服の大きさがあっていないこともあって、ロゼットはぱっと見、線のほそい少年だった。
「息子が世話になったね。ありがとう。たいしたもてなしはできないが、わが家と思ってゆっくりしていってくれ」
「この方が、坊ちゃまが大学にももどらず待っていらしたお友達でしたの。急いでもっと良いお食事を用意しないといけませんわね」
メイドはあわてて厨房へと消えていった。
ロゼットは下からヤナルをねめつける。
「……大学にもいかず待ってたあ?」
「だって、おいでっていったのに、ロッツにこっちで会わないうちから大学に行くわけにはいかないだろ?
伯爵のことが気になったとか、島で仕入れた薬草や知識の整理をしたかったとか、他にも理由はいろいろあったけど」
「ヤナル、ロッツが『重い……』って顔してるぜ。たとえるなら、一度一緒にでかけただけの男が、家の前に待ってた、みたいな」
エドロットはやれやれと首をふる。
「っていうか、それならそれで大学まで会いに行くからよかったのに」
「え? ロッツ、来てくれたの?」
「……やっぱやめようかな」
「なんで? どうして? そうか、大学ってここからけっこう遠いから、大変かな」
「バカだなー、おまえ。この場合の、やっぱりやめたは、デートにさそわれた、自分も行きたいけど、でもそれを素直にいって相手をよろこばすのは癪っていう半分承諾のこたえだぜ?」
「エド、さっきから俺には例えがよく分からないんだけど」
「マジかよ坊ちゃん」
三人が他愛のないやりとりをしている間に、夕食の用意がととのった。
伯爵家に劣らないほどの料理に、ロゼットとエドロットはぞんぶんに舌鼓を打つ。
「じゃ、俺はちょっと出かけてくるわ」
食事が終わると、エドロットは嬉々として席を立った。今度は夜の町に繰り出すつもりらしい。
「酒場には、城づとめの兵もくるしな。情報仕入れないといけないだろ?」
「エド、くれぐれも手段と目的が逆転しないようにね」
「僕も行く」
「ロッツはダメだよ。夜遅くの外出は危ないからね」
「夜が長くて、退屈なんだよ」
「ダメだよ! 伯爵からもいわれているんだから。どうしてもっていうなら、俺も行く」
アルフが、息子との晩酌のために酒瓶とグラスを用意していた。ロゼットはしかたなく、エドロットを見送る。
「僕もグラスをいただいてよろしいですか?」
「まあ待て待て。君のような前途ある少年は、まずはこれだ」
アルフはジョッキに、濃い緑色をした液体をそそいだ。薬草くさい。
「ヨランド家に代々伝わる特製滋養ドリンクだ。お酒より体にいいぞ」
「……。これ飲んだら、お酒飲んでいいよね」
「まだまだ。次は代々伝わる疲労回復ドリンク。その次は代々伝わる成長促進ドリンク。さらに代々伝わる精力増強ドリンク」
「そうそう、俺もロッツが来たらぜひ飲ませようと思ってたんだ。うちに代々伝わる傷跡回復ドリンク。味が二種類あるんだけど、どっちがいい?」
たちまちジョッキが乱立する。
ヤナルとアルフに悪意はない。あるのは一点の曇りもない善意だ。
善意に殺されたらどうしよう、と思いつつ、ロゼットはジョッキに口をつけた。
「伯が賽を投げられたそうだな」
琥珀色の酒をグラスにそそぎ、アルフが口火を切った。
「モンクリフ氏を人質に取ったって? てっきりこのまま、我関せずと隠居暮らしかと思ったが」
「はい。やる気になってくれて、ほっとしています」
「家督を継ぐなり、いきなり島を攻めとったことといい、よくわからない御仁だ。気まぐれか?」
「伯はいつだって本気ですよ。責任感も人一倍おもちです」
アルフは息子の弁護を、あまり信じていないようだった。そうだといいが、と、グラスを口にはこぶ。
「ただ、人質をとっても、意味はなかったようで。どうしようか困っているところです。モンクリフ夫人が何を考えているのか、知りませんか?」
「大方、新しい愛人に何かそそのかされているんだろう。都で詐欺まがいのことを働いて、ここらへ逃げてきた男だ。ろくでもない」
「伯が逆らえば、兵を差しむけてくるつもりでしょうか」
「そこまで大げさなことはしないだろうし、伯が兵に呼びかければ、兵が伯に味方することくらいは予想しているだろう。
モンクリフの次男坊が一枚かんでいるようだ。近頃、ひんぱんに城に出入りしている」
「カークは、今は何を?」
「何も。ふらふらしている。危ないことに手を染めているようだな。
母親より、母親の愛人と仲が良いようだよ。酒場で意気投合しているのを、私の患者が見かけている」
アルフはなげくように肩をすくめた。
アルフが知っているのは、そこまでだった。あとは、息子とお互いの近況で盛りあがる。隣家のことから新薬のことまで、とりとめなく話がはずんだ。
「そうだ、これ」
話の途中で、ヤナルがポケットからガラスの筒をだした。今朝、ロゼットの部屋にあった薬だ。
「ロッツが人からもらったらしいんだけど……こっちまで来るなんて、けっこう出回ってるのかな。これのもとになる鎮痛剤は、規制されているはずですよね」
「近頃は目こぼしが多い。患者が、私が処方する前に使っていたものだから、役所にきちんと監督しているのかと文句をいってやったが、善処するの一言だ。
税収を増やすために流通量を増やしているんだろう。見のがす代わりに、賄賂も受けとっているようだ。バカなことを」
「伯もそういって、顔しかめていらっしゃいました。なれはてが酷いのは分かっているはずなのにって」
アルフは意外なことを聞いたというように、顔をあげた。
「そうか、伯は怒っておいでだったか」
「もちろん。ロッツなんて、よくわからず使って、今朝、怒られていたくらいです。今、こうして現状を聞いているのも、伯のご指示ですし」
「コシモたちより、よほどまともな感性のお方らしいな」
アルフは上機嫌で酒杯をかさねた。ひざに、子供たちがすり寄ってくる。おやすみ前のあいさつだ。
「ヤナル、おまえも疲れたろう。今日はもう休んだらどうだ」
「まだ大丈夫です」
「僕は先に失礼しようかな。後はごゆっくり」
新たなジョッキがでてくる前に、ロゼットは席を立った。メイドが客室に案内してくれる。
手入れがゆきとどいた客室だった。季節柄、使っていない暖炉の前には鉢植えがおかれ、壁には家人の作品らしい刺繍の作品がかざられていた。ベッドはしっかり乾かされて、陽のにおいがする。
寝床は快適だったが、ロゼットは不安とともにベッドに入った。案の定、睡魔は一向にやってこなかった。
何度も寝返りをうったあと、あきらめて、起きあがる。槍をかかえて、暗闇を見つめた。
「――だれ?」
扉のむこうにけはいを感じて、ロゼットは誰何した。
ヤナルが申し訳なさそうに顔をだす。
「ごめん、起こした?」
「なんかあった?」
「今朝、昨日はねむれなかったっていっていたから、気になって」
ヤナルは枕もとに、木のボウルをおいた。いいかおりのする、乾燥させた香草がたっぷり入っている。
次は、小さな木箱をおいた。木箱から飛びでているねじをまわし、開けると、音楽がながれた。
「オルゴールっていうんだ。音楽をきくと、落ちつくからさ。だめなら、眠気を誘うつまらない本もあるし」
「ああ……」
「睡眠薬も用意できるけど……いやな夢をみるの?」
「昨日はね。ひさびさに。今日は慣れてない場所だからだと思う。……寝れない日は、きらい。夜に食べられるような気がする」
ロゼットはうつろな闇を見つめた。昔、夜は友だちのような存在だったが、近ごろは怖い。しずかな闇のなかで考えることが尽きると、ふと、心にぽっかりできた空洞に気づかされる。
島にいたとき、そこには憎しみがつまっていた。
今度は何で埋めればいいのかがわからない。
一人生き残ってやると、過去を清算してやり直してやると思っていた。
ところが、いざ実現してみれば、自分には未来をえがく能力が欠けていた。幸せになればいいのだろうが、幸せというものが何かがわからない。
明けない夜に飲みこまれそうになる。こわくて、不安で、何でもいいからやりたくなる。
本当に睡眠薬かどうかも分からない薬を使ってみる気になったのも、不安からだ。何もないくらいなら、痛みや苦しみを感じていた方がまだましだった。生きている気がする。
「きっと、ヤナルみたいなのをまともっていうんだろうな」
「どうしたの、急に」
「この家にきて、あいつのいうまともが少しわかった気がする」
ロゼットはオルゴールのねじをまわした。
箱の中で、人々が収穫をよろこんでくるくるおどっている。争いも憎しみも苦しみもない、そぼくな世界。
ひたすら恨みと憎しみと怒りに身をまかせてきた自分とは、あまりにちがう世界だ。
「ごめん、ロッツ」
「どうしたの、急に」
「ロッツにしてみれば、ここだって知らない人ばっかりだし、エドと酒場に行った方が気楽だったよね。
弟たちもまだ小さいから、にぎやかすぎるし。朝、うるさいかも。先にあやまっておくよ。宿屋の方が、よかったよね」
「……あのさ、ヤナル。やさしーい君が何を懸念しているか予想つくから、いわせてもらうけど。
うるわしい家族愛はぞんぶんに見せつけてくれてかまわないからね?」
ヤナルはあきらかにうろたえた。ロゼットはため息を吐く。
「憎たらしいとも羨ましいとも思ってないよ。人の仲むつまじい姿を見るのは、好きなんだ。世の中にはちゃんとこういうものがあるんだなって安心する」
一拍おいて、ロゼットは頭をなでまわされた。
「うわっ、何すんの!」
「いやごめん! なんか急にしたくなって」
ヤナルは自分の方が苦しそうにした。
「ロッツが俺の弟だったらなあ。見る側じゃなくて、見られる側にできたのに」
「気持ちだけもらっとくよ」
妹だけど、と突っこむのはよした。髪を直し、寝台にもぐりこむ。
「なんか寝れそうな気がしてきたから。寝るよ」
「本当? よかったらこれ、代々伝わる特製安眠ドリンクなんだけど」
「いやホント、ぐっすりねむれそうだから」
何としても寝ると決意して、ロゼットは目をとじた。




