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いばらの冠  作者: サモト
忌み枝
36/53

5.

 アイスバーグ城の内偵ということで、ロゼットは着ているものを警備兵の制服にかえた。


 この館もアイスバーグ城も、制服はおなじだ。濃い緑色に同色の帽子をかぶる。

 キートの昔の制服とはいえ、袖や裾はやはりあまった。

 ブーツもすこし大きい。制服に着られているような雰囲気だ。


「ま、武器もてばなんとかなるだろ」


 しあげに愛用の槍をもち、ロゼットはヤナルの住居へむかった。


 ヤナルの住居は、館からすこしはなれたところにある小屋だ。エセルの邸宅の敷地内にある。今は母親と二人で住んでいる。

 薬草や香草が、軒に干されたり、たくさん植えてある。だれの家かとてもわかりやすい。


 庭先で、ヤナルがエドロットの手を借りて、荷馬車に本や木箱や甕をつみあげていた。

 アイスバーグに行くついでに、実家に物をはこぶようだった。


「アイスバーグまで、どのくらいかかるの?」

「近いよ。今からなら、日暮れまえにはつけると思う」


 荷馬車の手綱はヤナルがとった。乗りこんだロゼットの手もとに、視線を留める。


「槍の柄、木に変えたんだね」

「さすがにあれは、今のからだには重いからね」


 ロゼットの槍は、以前は柄も金属製という重たいしろものだったのだ。

 血や脂で刃がにぶくなると、鈍器としてつかえ、重宝していたが、常人のからだになった今では扱いづらい。


「目立つしな。内偵するなら変えてあって正解。じゃ、行こうぜ」


 エドロットの一言で、ヤナルがムチをふった。ムチが荷車をたたく音に反応して、馬がゆっくり動き出す。


 広大な邸宅だ。門にたどりつくのも時間がかかる。錬鉄の門扉は居館から見えもしない。


「これが貴族の家としてはふつうの規模?」


「領地に建てるものとしては、小さい方だよ。ノブレスにある邸宅が、たぶん標準かな。帝都にあるのは、敷地も館もここより小さいけど、都ではふつうくらい」


 ヤナルの回答をきき、ロゼットは頭に疑問符をうかべた。


「ノブレス? この州に、そんな地名あったっけ?」


「ノブレスは州の名前だよ。伯爵は、ここ、マスカード州のほかに、ノブレス州もおさめているんだよ。ノブレス伯も兼任なんだ」


「じゃあ、マスカード伯と、ノブレス伯と、あの島の王も兼任だから、三つ称号があるわけだね」


 ロゼットは指おりかぞえ、うなずいた。


「姓にマスカードを名乗ってるってことは、マスカード州が本拠地ってことでいいの?」


「そ。もともとはここらの地主だ。州も爵位も、戦の功績で手に入れてる。

 マスカードは、エレガダ帝国のもとになった国の成立を手助けした功績で。ノブレスはそのあと、いくつかの戦功でだ」


 寝ころんでいたエドロットが、身を起こした。

 ロゼットに説明するといっていたのを思い出したらしい、話にくわわる。


「州の名前が姓名だからな。マスカード家はけっこう古くからつづいている家だ。

 今の時代、爵位は大金をつめば商人や大地主でももらえることを思うと、めずらしい」


「そうだね。逆にいえば、貴族がお金のないために、領地と爵位を失うこともあるわけだから。つづいているのはすごいことだよ」


 ヤナルの追加説明に、ロゼットはふうん、とつぶやいた。

 二人とも、自分の主家のことなので心なしほこらしげだ。

 だが、ロゼットにとっては他人ごとだ。たいした感慨はわかなかった。


「あんまり興味わかない?」

「五軒隣のおじいちゃんが、なんと今年で六十歳って聞かされたような気分」


 ヤナルは苦笑いした。エドロットはさらに説明をつづける。


「ちなみに、さっきの話を聞いていれば予想つくだろうけど、長年つづいてきたお家だけあって、伯爵様はオカネモチだ。

 マスカード家は長年、農民に土地の開墾をうながしたおかげもあって、毎年莫大な地代がふところにころがりこんでくる。伯爵の一日の収入は、規模のちいさな地主の年収に相当するくらいだ。皇帝陛下の所領から得られる地代より多いって話だよ」


「ロッツの住んでいた島も、領地になったからね。今、帝国の貴族のなかで、十指に入るんじゃないかな」


 ロゼットの反応は、やはり、ふうん、だった。


「やっぱ興味ねえのな」

「五軒隣のおじいちゃんが、じつは大富豪だって以下略」

「おまえ、そのうち他人事じゃなくなるから。ちゃんとおぼえとけよ」


 エドロットはまた寝ころがった。


「とりあえず、コシモたちが欲しがるにはじゅうぶんな家だってわかったよ。次はコシモのことをきかせてよ」


 ようやく門扉をくぐった。

 本格的に寝るつもりらしい、エドロットは顔に半分、帽子をかぶせた。声がくぐもる。


「コシモはマスカード家が出資している貿易商人の一人だ。

 十数年前、飢饉と戦争のせいで、さしものマスカード家も財政がかたむいた。

 そのとき、コシモは援助を申し出、見返りとして、先代の妹を嫁としてもらった。一介の商人だったコシモは、貴族とのつながりが欲しかったのさ。

 ちなみに、その後、先代の力添えで男爵の称号も手に入れてる――余談だけどな」


「家族は?」

「息子二人と娘一人……だっけ?」


 エドロットはヤナルにつづきをまかせた。

 ヤナルは代々マスカード家の主治医をつとめている家なので、しっかりとおぼえていた。


「生まれたのはね。今は息子が二人だけ」

「娘さんは亡くなったの?」

「うん……まあ」


 ヤナルが口をにごすと、エドロットがきっぱりと事情を明かした。


「自殺だ。暴漢におそわれて、それを苦に。

 かわいそうにな。伯爵と婚約した直後のことでさ。親同士の決めた結婚だったにしろ、未婚のお嬢さんにとっちゃ、一番うれしい時だったろうに」


「エド」

「いっといた方がいいだろ。こういう因縁もあるって」


 エドロットは同意を求めるように、帽子をあげて、ロゼットを見た。

 ロゼットは深くうなずく。


「ヤツにかかわるうしろ暗い事件と事情は押さえておきたい。むこうの行動を予測する材料になる。

 たしか前妻とその息子、先代の弟たちも亡くなってるよね。馬車の暴走とはやり病だっけ?」


「ほかにも、死んではいないけれど、妙ないなくなり方をしているやつが数人。

 親が病気になって里に帰るとか、結婚で、とか、去っていく理由はまともなんだけどな。急なんだよ。

 しかも、全員、ミセス=アイリス=マスカードと伯爵を不審がってたやつばかり。

 だから、マスカード家の使用人や、かかわりの深いやつらは、ミセス=マスカードと伯爵について口を閉ざす」


 ロゼットは、画廊で話したメイドのことを思い出した。

 いくら直接関係なくとも、度重なれば、人はエセルとアイリスに対して疑いをむけたことだろう。

 使用人たちが主人や客人との距離をかたくなに守るのも、よけいな詮索はしてはいけないという心のあらわれなのかもしれなかった。


 ヤナルの表情も暗い。


「ロッツも、伯爵がどこまでかかわってるかは、知らないんだよね」

「知らない」


 ロゼットは少し考えて、でも、とつづけた。


「伯爵の意志はうすい気がする。だって子供のころだろ? だれか他の人の意志に従っただけだと思う」


 ロゼットは脳裏に、うつくしい伯爵夫人の肖像画を思い浮かべた。

 ミセス=アイリス=マスカードもまた、魔法使いの末裔だ。


「……今の伯爵は、もうそんなことはしようと思ってないし。それで十分だよね」


 ヤナルは手綱を引きしめ、脇道にそれそうになった馬を御した。

 道の両わきには麦畑がひろがっている。麦穂はどれもゆたかにみのり、土地の肥沃さをものがたっていた。


「で、ヤナル。息子二人ってどんなやつ?」


「長男は大学を出て、官僚になったよ。今は帝都にいる。

 次男の方は寄宿学校をでたあと、海軍に入って、やめたんじゃなかったかな。今はどうしているか聞かない」


 次男の方は印象があったらしい、エドロットが情報をつけくわえた。


「次男って、カークだっけ? 素行不良の問題児だったよな」

「そう。それから、伯爵に対してあまりいい感情を持っていなかった気もする」


 ロゼットは相槌を打ちながらも、小首をかしげた。

 だいたいの情報は頭に入った。もう話の道がそれてもかまわない。思うままに質問する。


「ダイガクとかガッコウって、何?」


「学校は、勉強するところだよ。学校によって、習うことはちがうけれど、モンクリフ家の入るようなところなら、語学とか歴史とか貴族の心得とかかな。

 大学は、学校を卒業した後に入るところで、一つの専門のことについて深く勉強するところ」


「ヤナルも大学にいってたんだぜ。でも、島の遠征のために退学してよ」


 わざわざ危険にむかってこなくても、とエドロットはあきれていた。


「でも、医者になるなら、戦場に行った方が学ぶことは多いし。あの島には独自の医術や薬もあって、いい勉強になったからさ」


「さすがバカまじめ」


「ちなみに、休学だから。島から帰ってきたら、こんなことになったから復学の機会を逃したんだよな」


 エセルがアイスバーグ城を去るとき、ヤナルは父親からもエセルからも大学への復学を勧められたらしい。


 しかし、ヤナルは今後のなりゆきが気になって、大学にもどらず、エセルについていったのだという。


「しねえの? 復学」

「これが終わったら考えるよ」


 荷馬車はゆっくりと一定のリズムですすみつづけ、やがて、小高い丘のふもとまで来た。

 丘の頂上に、おおきな城が見える。

 アイスバーグ城だ。

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