40話 観測開始:3年65日目-6 / 言葉の表現は慎重に
そろそろ、日も落ちようという頃。
遊び疲れて眠ってしまったアリシアを寝室のベッドに寝かせたエバは、なかなか帰ってこない二人を案じながら、夕食の支度を始めていた。麻袋から取り出した芋の、ひんやりとした土の感触が指に伝わる。整理されたキッチンを見て、今はいないレイラのことが、ふと頭をよぎった。
(……ちゃんとしとるねえ)
この村に来たばかりの頃のレイラは、それはもう見ていられなかった。良い家の生まれであることは立ち居振る舞いから明らかで、洗い物ひとつしたことのないような白魚の指は、包丁の握り方さえ知らなかった。涙目になりながら必死で料理を教わっていた健気な姿を思い出し、エバの口元に自然と笑みが浮かぶ。
その時、トントン、と来客を知らせるノックの音がした。
「エバさーん! 開けてください!」
誰かと思い外に出ると、ハンスが数人の男たちを引き連れ、満面の笑みで立っていた。
「エバさん! 水が流れてきたっす!」
「おお、そうかい。そりゃあ良かった」
ディーンたちがやってくれたのだろう。安堵しつつも、子守りの途中だ。「じゃあの」と扉を閉めようとすると、ハンスが慌ててそれを押しとどめた。
「え、エバさん、何で閉めるっすか!?」
「なんじゃい、わしゃあアリシアを預かっとるんじゃ」
「いや、でも、隊長たちがもうすぐ帰ってきますし、みんなで出迎えましょうよ!」
そう言ってエバが閉めようとした扉を、ハンスががっちりとつかんで離さない。
「分からんやつじゃな。アリシアを一人にしておけんじゃろうが」
「アリシアちゃんも、一緒に来ればいいじゃないっすか」
「こんな暑い中、いつ帰るか分からん者を待たせるわけにはいかんじゃろうが、この馬鹿垂れが!」
そう叱りつけると、ハンスが泣きそうな顔で訴えかけてきた。
「だ、だって、隊長、絶対怒ってますよ……。お休みを邪魔しちまったんですから……。エバさん、どうか一緒にいてください!」
「笑顔で迎えればええじゃろ! ディーンも大人なんじゃ、そんなに怒りゃあせんじゃろ」
「そ、そうっすかねえ……」
ハンスの後ろの男たちも、子犬のような不安げな目つきでこちらを見ている。
エバは天を仰いで深いため息を吐くと、「まったく」と扉を開けた。
「情けない。普段ディーンの隣で何を学んでおるんじゃ。……少しだけじゃぞ」
「え? じゃあ」
「先に戻っとれ。アリシアの様子を見たら行くからの」
そう伝えると、男たちは途端に表情を輝かせ、いそいそと去っていく。その背中を見送りながら、エバはもう一度溜息をついた。
キッチンに戻り、瑞々しい果物の皮を剥いて一口大に切り分ける。
アリシアを残していくのは気が引けるが、少しだけなら大丈夫だろうか。20分ほど待って二人が戻らなければ、すぐ戻ってこようと心に決める。
テーブルに皿を置き、寝室へ向かうと、扉の向こうからアリシアの楽しそうな声が聞こえてきた。
起きたのか、と扉に手をかけた時、アリシアと話す、聞き慣れない声に気づいた。
(……誰かおるのか?)
いったいいつの間に家に入った? 警戒しながらそっと耳を澄ますと、小さな会話が聞こえてくる。
「すごい遠かったんだけど、その間にママ様とディーン様が、色々教えてくれたの」
「うー。いいなー」
「大丈夫。私が全部、教えてあげるから」
ディーンの名が出たことに、彼の知り合いかと判断し、エバはそっと扉を開ける。そして、そこに広がる光景に、思わず口に手を当てて後ずさった。
ベッドの上、アリシアが満面の笑みで話しかけているその相手は――
(あれは……エレじゃないか!)
純白の小鳥が、まるで人間のようにアリシアと向かい合って座っている。その小さな体から発せられているのは、凛とした、理知的な声だった。
魔物か、それとも使い魔の類か。様々な可能性がエバの頭をよぎっていく。
(このこと、レイラは知って――)
そこまで考えて、エバの思考はすっと冷静になった。あのレイラが、娘の傍にいる存在に気づかないはずがない。むしろ、知っていて秘密にしているのだろう。そう思い再度隙間から覗くと、アリシアが目を輝かせてその小鳥と会話していた。
ぱっと見ではあるが、害意のあるものではなさそうだ。そう安堵した時、外から「エバさーん!」と、またハンスの間の抜けた声が聞こえた。あまり遅くなると、ハンスが入ってくるかもしれない。それは避けたい。
「アリシア、入るよ」
「え!? あ、うん!」
声をかけて扉を開けると、アリシアと小鳥が、あからさまにわたわたと慌てていた。親子揃って隠し事が下手なことだと苦笑し、エバはアリシアを手招きする。
「ちょいと出かけなきゃならんくてね。果物を切っておいたから、良かったら食べて待っとってくれ」
「うん! やったあ!」
「良い子で待ってるんだよ。出来るかい?」
「うん! エレと待ってる!」
「ぴっ」
こくこくと頷く小鳥に、エバは堪えきれずに笑ってしまった。どう見ても人の言葉を理解している。だが、自分も今まで気づかなかったのだ。きっと、この村の者たちも、まさか小鳥が話すなどとは思わないだろう。
「そうかい。それじゃあ二人とも、お留守番、まかせたよ」
*********
二人が村につく頃には、日は大きく西に傾き、空は燃えるような茜色に染め上げられていた。その光が、ようやく流れを取り戻した川面に映り込み、きらきらと乱反射しながら二人の影を長く、長く伸ばしている。
「お休み……終わっちゃうわね」
レイラの呟きは、夕暮れの空気の中に静かに溶けた。
「……ああ」
ディーンの肩が、目に見えてがっくりと落ちる。その子供のような仕草に、レイラは思わず笑みをこぼし、彼の広い背中にそっと手を当てた。
「また、お休みは来るわよ」
「分かってはいるんだが……。まあ、仕方ないか」
力なく笑うと、ディーンは澄んだ川の流れに視線を落とした。水底の石の1つ1つまでが見え、夕日の光を宿して宝石のように輝いている。その穏やかな光景を見つめているうちに、ふと、レイラの口から言葉がこぼれた。
「もう……あの子たちが生まれてから、三年も経ったのね」
「なんだ、急に」
「ねえ、ディーン……後悔、してる?」
その問いに、ディーンの足がぴたりと止まった。ゆっくりと振り返った彼の瞳には、かすかな怒りの色が宿っている。
「……何をだ?」
その幾分低い声に、レイラは少し困ったように眉を下げた。
「私と……この村に残ったこと」
「……馬鹿なことを言うな」
「だって……。逃げることも、できたのに」
そう言うレイラの横顔は、夕陽のせいか、どこか儚げで寂しそうに見えた。風が彼女の髪を優しく揺らし、その頬を撫でていく。
ディーンは深く息を吐くと、ごしごしと乱暴にレイラの頭を撫でた。
「俺が、自分で選んだことだ」
「……そう」
「ほら、帰るぞ」
ぶっきらぼうに差し出された大きな手。レイラは一瞬ためらった後、その温かい手を、確かめるようにそっと握り返した。
それからは何も話さず、けれどいつもより少しだけ歩調を緩めて、二人は村へと戻っていった。
村の入り口では、まるで凱旋を迎えるかのような、賑やかな歓声が二人を包んだ。
「隊長! 見てください! 井戸の水が、こんなに!」
ハンスが、溢れんばかりに水を湛えた井戸を指さし、興奮気味に叫ぶ。
「畑の方のため池もだ! 助かった、ありがとな!」
「レイラさん、こんどお礼にうちの野菜持って行っていい? もうすぐ茄子が収穫時なのよ」
次々と寄せられる感謝の言葉に、ディーンとレイラは照れくさそうに顔を見合わせる。その喧騒を、「やかましいわ!」というエバの一喝が切り裂いた。
「わしを無理やり引っ張り出しおって! 二人とも、すまんのう、こやつらに連れてこられてしもうて。アリシアなら、ちゃんと家で良い子にしとるよ」
「いや、助けになったなら良かった」
「エバさん、アリシアを見ていてくださって、本当にありがとうございました」
「気にせんでええ。いつも助けられておる」
別れ際、ディーンが「ああ、忘れるところだった」と、土産の土蜥蜴の卵を取り出すと、村人たちから再び大きな歓声が上がった。その陽気な騒がしさに見送られ、二人は今度こそ、我が家へと歩き出した。
家の扉を開けると、そこには待ちわびた光景があった。椅子にちょこんと座るアリシアの前で、純白の小鳥が、興奮した様子で小さな羽をぱたぱたと動かしている。
「それで、ママ様が魔法を使ったの。きらきらした氷の粒が広がったかと思うと、魔物を足元から凍らせてしまって」
「おー! ママのまほう!?」
「帰ったぞー」
「ただいま」
「あ、パパ! ママ! おかえりー!」
「おかえりなさい、ママ様、ディーン様」
アリシアとエデンの声に、一日の疲れが霧散していく。
レイラはローブを畳みながら、二人の傍に歩み寄った。
「二人とも、楽しそうね。どんなお話をしていたの?」
すると、エデンがバッと勢いよくレイラの方を振り返った。
「はい。今日見た事を、アリシアにお話していました」
「そう……。ねえ、エデンちゃん、村の皆さんが助かったって、とても感謝していたわ」
「? はあ、そうですか」
小鳥は、興味がなさそうにこてんと首を傾げると、すぐにアリシアに向き直り、報告の続きを始めた。
「ママ様の魔法は日の光を反射して、とても綺麗だったの」
「すごーい!」
その無邪気な二人を見て、ディーンとレイラは顔を見合わせ、小さく息を吐いた。
「ま、エデンにとっては村のことよりもアリシアだよな」
「そうねえ。皆は知らないけれど、川のことを解決したのはエデンちゃんなのにね」
その視線の先で、小さな体を目一杯使って語る小鳥にとって、村人の感謝など些細なことに過ぎないのだろう。
「まあ、楽しそうだからいいんじゃないか?」
「ふふ、そうね。エデンちゃんも、色々なものが見られてよかったのかしら」
二人はそう言って笑い、目を輝かせて話の続きをせがむ娘と、どこかいつもより饒舌で、高揚して見える純白の小鳥を、愛おしげに見つめた。
「それで? それで、どうなったの?」
「うん。ママ様が次の魔法を使って……氷の槍が魔物の頭を貫いたの。衝撃で鮮血が霧のように飛び散って、砕かれた頭蓋骨と脳漿が宙を舞い、その勢いで眼球が――」
「おいこら、ちょっと待て」
「え、エデンちゃん? その……もうすこし、表現を柔らかくしてくれると、ママ嬉しいかなあ?」




