21話 観測開始:3年18日目-2 / 夜間迷彩
そして彼の肩には、服を血に染めた男がぐったりと担がれている。
「レイラ! 回復薬はあるか!?」
「ディーン!? いったい何が……!」
「いいから、あるなら持ってきてくれ!」
ディーンは苦しげに息をする男を慎重に床へ降ろした。男の肩口からは生々しい傷が見え、暗赤色の血が床にじわりと染みを作っていく。
そこで初めて、椅子の上で目を丸くしているアリシアと、その手の中の小鳥に気がついた。
「アリシア、寝室に行ってろ。エレと一緒にな」
「そ、そうね。ほら、アリシア。寝室に行って?」
「う、うん」
レイラに背中を押され、アリシアはエデンを抱いたまま寝室に押し込まれた。
パタンと閉められた扉の向こうから、ディーンの怒声がくぐもって聞こえてくる。
「おい、ハンス! しっかりしろ、起きろ!」
そのいつもと違う荒い声に、アリシアはびくりと体を震わせた。
「……びっくりした」
「……うん、私も」
扉の向こうの緊迫した空気。突然怪我人が、ディーンと一緒に転がり込んできた。あの傷は、いったいどうしたのだろうか?
エデンが疑問に思っていると、アリシアがそーっと扉に近づき、つま先立ちをしてノブに手をかけようとしていた。
「あ、アリシア!? 何をしてるの!?」
「え? あのひと、だいじょうぶかな?」
「だ、駄目! ママ様とディーン様が、寝室にいるように言ってたのに!」
「えー……。おねえちゃん、きにならないの?」
そう言われると、エデンも言葉に詰まる。あの怒声、滴る血、そしてレイラの張り詰めた声。何が起きているのか、確かめたい衝動に駆られる。
「……き、気になるけど……」
「ちょっとだけ!」
そうしてそーっと開けられた扉の隙間、隙間から見えたのは、レイラが渡した薬瓶の栓をディーンが歯で引き抜き、ハンスとやらの口に無理やり流し込む光景だった。
「んぐっ!?」というくぐもった声が聞こえ、男の傷口らしき箇所が、淡い緑の光を放つ。光はまるで生き物のように傷を覆い、裂かれた肉がゆっくりと再生していくのが見えた。
「……馬鹿野郎が。油断しやがって」
安堵の息をつき、ディーンはハンスの頭を小突いた。
「何があったの?」
「雨で足を滑らせてな。ゴブリンにやられた」
「そう……」
「すまんが、ちょっと様子を見ていてくれ」
そう言ってディーンは立ち上がると、壁にかけてあった自身の剣帯を手に取り、荷物を確認し始める。
「ハンスのやつ、回復薬割っちまってな。まだ1、2本あるか?」
「あるけれど……もしかして、討伐はできてないの?」
「ああ。まあ、残りは俺一人で問題ない。それより……あれは巣か? それなりの数が集まってやがる。村にも近い。全部倒しておかないと」
「そう……待ってて」
レイラはそう言うと、また仕事部屋に駆け込んでいった。
「パパ、またいっちゃうの?」
「そうみたい……ね」
「パパも、おけがしちゃう?」
「……ディーン様は、大丈夫だって言ってる」
不安そうなアリシアにそう伝えながら、エデンの思考にもノイズのような不安が混じる。ゴブリンというのは、以前ディーンが魔物だと言っていた。
するとレイラが戻ってきて、ディーンに数本の薬瓶を渡している。
「一応、エバの婆さんにはひと声かけていく。こいつはこのままでいいから、寝かせといてやってくれ」
「うん……ねえ、気をつけてね」
「ああ」
ディーンが出ていくと、レイラが振り返ってこちらへと歩いてきた。アリシアは慌てて扉から離れベッドに飛び乗ると、扉が静かに開きレイラが顔を出した。
「二人とも、これからお客さんが来るかもしれないから、先に寝ていてね?」
「は、はーい!」
「わ、分かりました!」
慌てたように返事をする二人に、レイラは少し怪訝な顔をしながらも扉を閉めた。
しんとした部屋の中で、外の雨音だけが大きく聞こえる。ベッドの上で、アリシアが不安気な表情でエデンへと呟いた。
「ねえ、パパ、だいじょうぶかな」
ディーンは元冒険者だと言っていた。戦う術を身に着けている。大丈夫だと自分に言い聞かせつつ、エデンは1つ気になる事を口にした。
「……魔物ってなんだろう?」
「まもの?」
「うん、以前ディーン様が話してた。そこら中にいるんだって」
「おねえちゃんも、まもの、しらないの?」
「うん、そうなの」
エデンがこくりと頷くと、アリシアは「ほー」と大きく口を開けた。そして、部屋を見渡すとその視線が開けられたままになっていた窓で止まる。
「おねえちゃん、みてきたら?」
「え?」
「おそらとんで!」
アリシアはそう言って両手を広げた。
確かに、魔物が危険な物であるのであれば、一度確認しておきたい。ディーンが向かった先に、どんな脅威があるのか。この目で確かめるべきではないか。
エデンが決めかねていると、アリシアが布団をばさりとかぶり、その中から顔だけだした。
「アリシア、ここでおねえちゃん、まってる!」
「そう……うん、それじゃあ、いってくる」
白い小鳥は静かに頷くと、ふわりとベッドから飛び立った。一度窓枠にそっと足をかけ、部屋を振り返る。アリシアが小さく手を振っているのに頷いて返すと、雨の降り続ける夜の空へと飛び立っていった。
雨幕の向こう、村全体が小さく見える高度まで達すると、森へと続く泥道を進むディーンの背中がかろうじて視界に映る。
一度ディーンに追いつこうと考え、その背中を一直線に追いかけた。
しかし全速で羽ばたいているにもかかわらず、豆粒ほどの大きさの背中は一向に近づいてこない。むしろ、僅かずつ遠ざかっている気さえした。
(全然……追いつけません!?)
鬱蒼と茂る木々が、ディーンの姿を何度も視界から奪っていく。それでもエデンは、闇間に明滅するその影だけを頼りに必死で羽ばたき続けた。
そうしてどれだけ飛び続けただろうか。必死に羽を動かし続けると、不意にディーンが動きを止めた。すると肩越しに睨み上げた視線が、遥か上空にいるエデンを正確に貫いた。
(――!?)
隠れていたわけではないが、突然の事にエデンの思考に驚愕が走った。エデンはディーンの遥か上空を飛んでおり、その距離は数十メートルは離れている。だがその視線はエデンから外れることなく、今もなおじっと見つめ続けている。
大きく羽ばたきディーンの眼前に舞い降りると、家とはまるで違うディーンの表情に、エデンは「う……」と後ずさった。
「エデン、なんでついて来た?」
「あ、あの……ま、魔物というものを、一度、見ておきたくて」
「はあ、まったく……」
ディーンは大きな手でがしがしと顔を覆うと、「ほら」と無造作に手を差し出した。その掌にエデンがちょこんと乗ると、ディーンはぐいと顔を寄せる。
「遊びじゃない。楽しいことじゃないんだ」
「そ、それは、理解しています」
「いいか、まだ……」
子供なんだからと言おうとしたが、ふと目の前の小鳥に「年齢」という概念はあるのだろうかと疑問がよぎる。
彼の沈黙を不思議に思ったのか、エデンがこてんと首を傾げると、その仕草がやはり子供らしく見えた。
「いや、いいか。お前はまだ子供なんだから、危険なことに首を突っ込む必要はない」
「はい……」
「血を見るぞ。もっとひどい、おぞましい光景もだ」
「それは……それは、問題ありません。視覚情報はあくまで情報として、客観的に処理することが可能です」
「ん、そうなのか?」
「はい」
これがただの子供の強がりなら、拳骨を落として無理やりにでも帰らせるところだが、目の前の小鳥はそうではない。しっかり物事を考えられるし、その上でついて来ようと決めたのだろう。
「……まあ、ここまできちまったんだ。少しだけ、見てくか?」
「……よろしいのですか?」
「条件がある」
ぱっと顔を上げた小鳥に、ディーンは言い聞かせるように声を一段と低くした。
「俺の言うことには必ず従え。決して勝手なことはするな」
「はい。承知いたしました」
「お前はただ見てるだけだ。確認したら、すぐに帰れ……レイラが心配しているかもしれん」
「う……そ、そうですね。確認が済み次第、即座に帰還します」
「……そうしろ」
ディーンは頷くと、エデンに視線を落とした。雨に濡れた純白の羽毛は、夜の森ではあまりにも目立つ。
「あとその姿は目立ちすぎる。もっと目立たない姿になれないか?」
「はい。それでは」
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[EXECUTING] スキル『光学迷彩』を起動。
[PARAMETER] 変更対象:アバター・サーフェイス・シェーダー
[APPLYING] 『夜間迷彩』を適用...
[COMPLETE] 色彩変更が完了。
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インクを水に垂らしたように黒が滲み、瞬く間に純白を飲み込んでいった。光が収まる頃には、闇そのものを切り取って作ったかのような、濡羽色の小鳥がディーンを見上げていた。
「はは、便利なもんだな。まあ、いいだろう」
ディーンは思わず笑みをこぼしたが、すぐに表情を引き締め、真剣な眼差しに戻る。
「いいか、俺の背後10メートルを維持しろ。地面には下りず、木の枝以上の高さに常にいるようにしろ」
「了解しました」
「あとここからは喋るなよ。1キロほど先にゴブリンがいる。一気に駆け抜けるぞ」
「……はい!」
ディーンが腕を振り上げると同時に飛び立ち、再び疾走を始めた彼の背中を追う。
しばらく飛び続けると、先を行くディーンが大剣に手をかけた。
勢いに乗ったディーンが力強く地面を蹴り、その巨体が飛び上がるように空中へ飛び出す。その勢いのまま、上段に構えた大剣を人影に振り下ろした。
ゴゥッ、と空気を引き裂く轟音。叩きつけられた大剣が肉を潰し、骨を砕き、血肉を飛び散らせた。
一瞬の出来事に、残りの人影が甲高い悲鳴を上げた。
「ギギィッ!?」
「ギャ、ギャー!!」
近くの枝に着地し、エデンはその姿を視界に収めた。
子供の様に見えたそれは緑色の肌をしており、浮いた肋骨と骨ばった身体が不気味さを漂わせている。耳は異様にとがり、大きな口には人とは思えないするどい歯がいびつに並んでいた。切れ長の目が吊り上がり、開けた口からはよだれがこぼれ、見る者に悍ましさと不快感を猛烈に叩きつける。また知能があるらしく、その手に粗末な棍棒を握る者もいた。
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[ALERT] 未定義の生体情報を観測。
[ERROR] データベースに該当する既知の地球生物が存在しません。
[SYSTEM] 新規カテゴリ『魔物:ゴブリン』として仮登録します。
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(これが……魔物!?)




