20話 観測開始:3年18日目-1 / アリシアのまほー
ぬかるんだ地面に足を取られないよう、ハンスは慎重に歩みを進める。目の前に垂れ下がる蜘蛛の巣のかかった枝を、彼は手甲で乱暴に払いのけた。
「それでコパのやつ、どうしてもついてきたいって駄々こねててっすね。剣を持つんだって、木の棒を振り回して」
「まあ、子供なんてそんなもんだろ。お前に憧れてるんじゃないか?」
「ですけど、あいつもいずれは自分の食い扶持くらい、自分で稼げるようにならねえと。だから、剣の振り方くらいは教えてやってもいいのかな、なんて思ってるんす。ディーン隊長、どう思いやすか?」
「さあな。俺は他人の家の育児に口出しできるほど、できた人間じゃない」
ディーンがそう言って足を止めると、つられてハンスも立ち止まる。何か気配でも感じたのかと身構えたが、肩にぽつりと冷たい雫が落ちた。
「……雨か。足元に気をつけろ」
森の匂いが一層濃くなり、雨粒は土埃を静め、葉を打ち始める。最初は遠慮がちだった雨音は、次第にその数を増していく。
「へい。そういや、ダグのとこもこの前、元気な男の子が生まれたでしょう? あいつ、今から『どんな強い男になるか楽しみだ』なんて、気の早いこと言ってて。奥さんが呆れた顔してるのに、本人は気づきもしないで――」
「ハンス。そろそろ近い。無駄口はそのくらいにしておけ」
「へ、へい!」
ハンスは慌てて背筋を伸ばすと、腰のベルトに吊るした長剣の柄を汗ばんだ手で握りしめた。
ディーンが背負う人の背丈ほどもある大剣に比べれば玩具のようなものだが、村の周辺に現れるゴブリンや小型の獣相手ならこれで十分。
「す、すいません! 最近村に子供が増えたもんでつい、嬉しくなっちまって。ほら、隊長のところも……」
「……ああ。最近はまた、よく笑うようになった」
「へ? アリシアちゃん、何かあったんですかい?」
「まあ、ちょっとした喧嘩だ。だけど、前よりずっと仲良くなったな」
喧嘩と聞き、ハンスはディーンの妻を思い浮かべた。物腰の柔らかい美しい女性。村全体が好意を抱きつつ、出産以降どこかよそよそしくなってしまった。
でも時々村に出てくる時は笑顔でアリシアと手をつないでおり、とても子供と喧嘩するように思えない。
「はー、レイラさんと?それは意外っすね」
「あ?……あ、ああ。そうだな。だがもう済んだことだ。アリシアも元気だし、昨日も一緒に風呂に入ってな」
「へへっ、そりゃあ今だけですぜ、隊長! 女の子は大きくなったら、父親なんて――」
「おい」
ぴしゃりと背中越しにディーンの声が飛んできた。また無駄口を叩いたと、ハンスは「す、すいません!」と慌てて口をつぐむ。
「む、無駄口でしたね!集中しねえと――」
「いや。俺の娘の話は、無駄口じゃないだろう? それより、いつか嫌がられるか? どうしたら、これからも一緒に風呂に入れると思う?」
「へ……?」
真顔で尋ねられ、ハンスはあんぐりと口を開けて固まった。その間抜けな顔に、森の雨が容赦なく降り注ぎ、雨脚はますます強くなっていった。
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[REQUEST] マスター権限により、魔法構築プログラム『Create_Water_ver.2.0』の実行を要請。
[PROCESSING] 現象再現のため、物理演算及びモーションパスアルゴリズムを構築中...
[LOADING] 基礎パラメータをロード...
> FORM_MODEL: 『アバター・ボディ』内データ 'とりさん' を取得申請...
[ERROR] 該当データが存在しません。アクセス権限、またはデータ形式に不整合の可能性。
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無機質なシステムログ、その最後の行に表示された赤い警告灯が冷たく点滅している。
「駄目です……アリシアが魔法を発動しようとすると、データの参照でエラーが起きてしまいます……」
「エデンちゃん、その『データ』というのは?」
「そうですね……ママ様のおっしゃる『イメージ』を、私が理解できる形にしたもの、と申しますか……」
説明しながら、エデンは小鳥のアバターを形成し、アリシアの目の前にふわりと舞い降りた。
アリシアは悔しそうに、「もーっ!」と地団駄を踏むように両足をばたつかせた。
「おねえちゃん! とりさん、アリシアもだしたい! きれいなとりさん!」
「あ、アリシア。落ち着いて」
ぷくっと風船のように膨らんだ頬をなだめるように、小鳥のアバターがワタワタと羽ばたく。
「そうねえ。エデンちゃん、前はアリシアちゃんも魔法を使えていたわよね?」
「はい。その際は、より簡易的なプログラムで対応していました。ですが、今のバージョンはアリシアのイメージとの親和性が……」
「『プログラム』、ねえ。なんだか、魔術式に似ているのかしら……」
「まじゅつしき、ですか?」
「ええ。言葉で説明するのは少し難しいわね。ちょっと待っていてくれる?」
「あ、ママー、どこいくのー?」
「すぐ戻るわよ」
レイラは手をひらひらと振ると、仕事の部屋へと入っていった。
見送った途端、アリシアはむすっとした顔でテーブルにつっぷしてしまう。
「アリシア、どうしたの?」
「……まほー、アリシアだけできない」
拗ねたように呟き、ちらりとエデンに視線を向けたかと思うと、アリシアはばっとエデンの体を両手で掴み、ぶんぶんと上下に揺さぶり始めた。
「おねえちゃんー! アリシアだけ、まほーできないの! まえはできたのにー!」
「そ、それは……いま、対策を……」
今の魔法プログラムは、自分が使うこと前提で構築してしまった。これをアリシアが使うためには、どうしたらいいだろうか。
アリシアの顔が揺れる視界の中を上下に動いている。エデンの頭がぶんぶんと揺さぶられていると、アリシアはピタリと腕を止めた。
「……ねえ! おねえちゃん、いっしょにやって!」
「え?」
「アリシアだけじゃ、できないもん!」
アリシアの魔力とエデンのシステムが直接リンクする。それは未知の領域だが――
「……そうね。やってみよう」
「ほんと!?」
エデンはアバターを解除し、システムコアに戻った意識がプログラムを確認する。エラーの原因は、アリシアの『イメージ』という名の魔力と、システムが要求するデータ形式のミスマッチ。ならば、その間を自分が翻訳し、中継すればいい。
「それじゃあ、もっかい!」
アリシアが元気よく両手を前に突き出す。アリシアから流れ込む奔流のような魔力が、エデンの介在によって制御され、青白い光の粒子となって明滅を始めた。
プログラム起動からアルゴリズム構築。滑らかに処理されるシステムの中、該当処理の場面でエデンは直接コマンドを入力した。
アリシアの手の先に、青白い輝きが収束し始める。その光の中から、まるでガラス細工のように透き通った水の小鳥が、ゆっくりと形を成していく。
「できたー!」
アリシアが歓声を上げたのと、リビングに戻ってきたレイラが「あら」と驚きの声を上げたのは、ほぼ同時だった。
親子が見守る中、水の小鳥は生きているかのように軽やかに羽ばたき、部屋の上空を目指して舞い上がっていき――。
「えー!?」
「え?」
「あ……」
小鳥は天井に勢いよく激突し、水しぶきが魔力の粒子となって儚く消えた。
呆然と天井を見上げるアリシア。その隣で、レイラは苦笑しながら、持ってきたランプの台座らしき物をテーブルに置いた。
「凄いじゃない、アリシアちゃん。小鳥さん、出せたのね?」
「え? でも、ばーんってなっちゃった……」
「ふふ、それでも凄いわよ」
レイラに頭を撫でられ、アリシアは「えへへ」と照れくさそうに笑う。
「でも、どうして急にできるようになったのかしら……あら、エデンちゃんは?」
「ママ様、今のは私とアリシアが一緒に行いました」
「おねえちゃん!」
説明の途中、アリシアがずいっと顔を寄せてきた。
「とりさん、ぶつかっちゃった! どうして?」
「うん。それはあらかじめ、そう動くように私が『プログラム』していたから」
「ぷろぐらむ……? わかんないよー」
アリシアがぶんぶんと首を横に振るのを見て、レイラは持ってきた台座を指し示した。
「エデンちゃん、その『プログラム』の話なんだけど……魔道具って知ってるかしら?」
魔道具。その言葉は、キューレからもらったコンテンツデータ、基本生活様式の中にあった。前世で言う家電に近い物らしいのだが。
「……はい。ですが、実物を見た事はありません」
「このランプもね、魔道具の1つなの」
見れば、台座の上には本来あるべき光源がない。レイラが台座のスイッチをカチリと入れると、何もない空間にぼんやりと柔らかな光が灯った。
「これは……これも、魔法ですか?」
「ええ。この中を見てみて」
レイラが光を消し、台座の側面にある小さな蓋を開ける。中から現れたのは、光を乱反射させる五センチほどの美しい石だった。
「これは魔石。魔物の体内から採れる、魔力を持った石よ。魔導物質なんて呼ばれるわね」
「うわあ、きれー!」
「魔導物質……ですか?」
「そう。生き物以外で、魔力を有している物質のことを言うの。ほら、ここ見てみて?」
レイラが指さす台座の空洞を、エデンはてくてくと歩いて覗き込んだ。お尻が後ろに突き出されたような姿に、レイラは笑いながら話を続ける。
「金属のようなでっぱりがあるでしょ?」
「はい。確かにあります……なにか、模様のようなものが」
金属でできた数本の突起が、空洞の底から伸びている。銀色に輝くその表面には、幾何学的な紋様がびっしりと刻まれていた。
「その紋様が『魔術式』。魔導物質でこれを刻むと、式に応じた現象を起こす『魔道具』になるの。このランプは魔石を動力源にして、この魔術式が光を生み出しているのよ。まあ……私は、あまり詳しくないんだけれど」
頭を引っ込めながら、エデンははコクコクと頷いた。魔石はバッテリー。魔道具はデバイス。そして、魔術式は――
「……理解しました。魔術式の機能的特徴は、『プログラム』と極めて類似しています。私が魔法の動きをプログラムで設定したように、このランプは魔術式で光るように設定されているのですね」
「そういうこと。ということは、エデンちゃんの魔法は、そのプログラムを変えない限り、小鳥以外の形は……」
「はい。現状できません」
きっぱりとした返答に、レイラは少し困ったように笑った。エデンの魔法の再現性は素晴らしいが、応用が利かないのでは問題だ。
「んー、なんとかしたいわね。アリシアちゃんも、1人で魔法を使えた方がいいでしょうし」
「うん! アリシア、まほーつかいたい!」
「では、プログラムを再度構築しなおします」
エデンはぴしりと背筋を伸ばしながらそう答えつつ、残りの空き容量について考える。日々増えていくアリシアの魔力のおかげで、エデンの空き容量も少しずつだが増えてきている。
だが微々たる物で、いくつものプログラムを組むとすぐに容量不足に陥ってしまうだろう。
(そうですね……不要なデータがないか確認しましょう。まずは……キュー様とのやりとりは文字に起こし、保存されている映像データと、ダウンロードさせられた画像は削除して……)
そんなことを考えていると、レイラの瞳にふと心配そうな色が浮かぶ。
「ねえ、エデンちゃんは……夜に1人で、寂しくない?」
この意気込む小鳥は、これからも夜に一人で作業を続けるのだろう。寝る事がなく、長い時間を一人きりで。
そう思い聞いたのだが、当の本人は不思議そうに小首を傾げる。
「いいえ? 夜も、アリシアとママ様が傍にいてくださいます。それに、ディーン様も」
「うん! おねえちゃん、きょうもいっしょにねようね!」
娘が小さな小鳥をそっと抱きしめる。その光景に、レイラの口元が綻んだ。
その時、玄関の扉が激しく開く音が響き、雨と泥の匂いが部屋に流れ込む。ドタドタという慌ただしい足音と共に現れたのは、びっしょりと濡れたディーンだった。




