21話 観測開始:2年253日目-2 / 小さな濡れ衣
(はっ!?)
そのまだ慣れていない呼ばれ方に、エデンは驚きつつ視界を確認する。
アリシアは小さな足をバタバタと動かしながら、口を少しとがらせてレイラとエバを見つめていた。
(つまんない!)
訴えるその声はエデンに響くが、レイラとエバには聞こえていないようで笑いながら会話を続けていた。
(アリシア様、これはいったい……)
(ママとエバーバ、むつかしいおはなしばっか!)
エデンが狼狽していると、アリシアの声がまた響いた。するといたずらっぽく笑い、頭を下げて歩き出した。
(アリシア様!? どちらに行かれるのです!?)
レイラとエバがアリシアに気づいていない事に、エデンが慌ててアリシアに呼びかけると、それが聞こえたのかアリシアが返事をする。
(ママのおへや!)
それを聞いて、エデンの魔力粒子が飛び上がった。アリシアの足の向かう先は、レイラから入ってはいけないと繰り返し言われている仕事部屋だ。
(アリシア様! いけません、ママ様から止められています!)
(いいの! だってママ、おはなしばっか!)
アリシアはエデンの呼びかけを笑って流すと、背伸びして仕事部屋のドアノブをつかんだ。ゆっくりとドアが開き、開いた隙間からさっと身体をすべりこませると、部屋の中に満たされたえぐみのある臭いがアリシアの鼻腔を刺激した。
「くしゃい!」
思わずこぼれてしまった言葉に、アリシアが慌てて口に手をあてる。
(エレおねえちゃん! しーっ!)
(私ですか!?)
思わぬ濡れ衣にエデンが愕然とすると、アリシアはきょろきょろと興味深そうに周りを見回した。エデンもアリシアの中から見上げるように部屋をのぞく。
大きなテーブルからは植物の葉がこぼれ、見た事のない器具にガラス瓶が乗せられている。壁に備え付けられた台にはざるやボウルが重ねて置かれている。天井にはフックで物がかけられるようになっており、そこには得体のしれない果物が何房もかけられていた。大量の物がそこかしこに置かれており、本来の広さを圧迫された部屋を見てまるで実験室のようだとエデンは感じた。
するとアリシアが目を輝かせて、こっそりとした足取りで部屋の中を進んでいく。
(アリシア様! 戻りましょう!)
(もうちょっと!)
エデンの静止を笑顔で拒絶し、アリシアは身近にあった箱を背伸びして覗き込む。そこにはガラスや金属で出来た器具が無造作に放り込まれていた。冷たい金属がうっすらと部屋に差し込む光を反射し、鈍く光っている。
(おー! これなに!?)
(アリシア様! お触りにならないほうが)
アリシアの小さな手が伸び、金属に触れようとしたその時。
「はい、そこまで」
横から伸びたすらりとした手が、アリシアの小さな手をつかんだ。振り返ると、そこには困ったような顔をしたレイラが立っていた。
「ぎゃあ! ママ!」
「アリシアちゃん。ここには入っちゃダメって言ったでしょう? めっ!」
そう言ってレイラがアリシアの目の間に指を一本立てた。するとその後ろからエバが「おやぁ、こんなところにおったのかい」と顔をだした。
「アリシアちゃん、ママのお部屋が気になっちゃったのかい?」
エバはそう言って笑っているが、レイラは困り顔だ。
「危ない物もあるんだから。入っちゃだめよ? 良い?」
その言葉を聞き、エデンがアリシアに怪我がなくてよかったと安堵していると、アリシアがぷいとレイラから視線を逸らした。
「エレおねえちゃんが……いいよって言った」
(アリシア様!?)
その言葉に、エデンの音にならない声が響く。だけどアリシアから返事はなく、その言葉を聞いたレイラが眉を上げた。
「アリシア、エレお姉ちゃんはそんな事いわないでしょ!」
「い、いった、もん!」
「アリシア、ちゃんとママの顏を見なさい」
そう言ってアリシアの頬に手を当て、顔を上げさせる。
「嘘は駄目。ママ、分かるんだから」
「そうなの?」
「うん。だからほら、エレお姉ちゃんにごめんなさいしないと」
「うん……ごめんなさい」
(アリシア様……)
そう言って少し暗い空気が流れると、エバがあえて明るい声を出した。
「そういえば、エレちゃんは今日はおらんのだねえ。また会いたかったんじゃが」
「ええ。時々餌を取りにどこかへ行ってしまうんです」
レイラは苦笑しながらそう答えると、アリシアを抱き上げた。
「ちゃんとごめんなさい出来たから、エバさんが持ってきた果物食べましょう」
「え!? たべる!」
リビングに戻りアリシアを椅子に座らせると、上機嫌になった様子を見てエバが笑った。
それをしり目に、レイラはキッチンに入ると愁いを帯びた表情で小さくため息をついた。
*********
結局、エデンの魔法は、一度として形を成すことなく、無情にも夜の帳が下りてしまった。
レイラは根気強く、様々な角度からアドバイスをくれた。だが、AIであるエデンにとって、「イメージ」という概念は、あまりにも曖昧で、掴みどころがない。関連性の高い映像データを再生しながら呪文を唱えても、レイラの動きを模倣してみても、結果は同じ。桶に張られた水につかりながらの試みも、空振りに終わってしまった。
エデンが寝室の棚の上でうんうん唸っていると、寝る準備を終えたアリシアが、ベッドの上から「エレおねえちゃん!」と、小さな手を伸ばした。
「はい、アリシア様」
未解決の問いを思考の片隅に追いやり、エデンは棚からふわりと飛び降りる。ベッドに着地すると、待ってましたとばかりに、アリシアの小さな腕が、その小鳥のアバターを優しく抱きしめた。
「エレおねえちゃん! いっしょに、ねんね!」
「アリシア様、私は睡眠を必要としませんが……」
エデンが首を傾げると、同じく寝間着姿のレイラが、ベッドの端に腰を下ろした。
「アリシアちゃんはね、ただエデンおねえちゃんと一緒にいたいのよ」
「……なるほど、そういうことでしたか」
それならとエデンがアリシアの腕の中でおとなしくなると、アリシアは満足げに、ごろんとベッドに横になった。
「ですが、私の体は朝になる前に魔力が切れてしまいます」
「いいのよ。アリシアちゃんが寝るまで、一緒にいてくれたら」
「うん! あさ、おはよーする!」
そう言ってアリシアの腕に、ぎゅっと力が入る。エデンのアバターから、ピシッ、とガラスが軋むような、微かな音が漏れた。
「アリシアちゃん、エデンお姉ちゃん、割れちゃうわよ?」
「ん? だいじょうぶ!」
アリシアが悪気なく元気に返事をすると、さらにピシピシと嫌な音がエデンの体から響く。これではすぐに限界が来てしまう。レイラは苦笑しながら、アリシアの腕にそっと手を伸ばした。
「ほら、もう少しだけ、そーっとね」
「えー」
「エデンお姉ちゃんが、痛い痛いしちゃうから」
「ママ様、このアバターに痛覚はありません。ご安心ください」
エデンの、あまりにも真面目な返答に、レイラは何とも言えない、困ったような顔で微笑んだ。「そういうことじゃ、ないのよ」と、小さな声で呟きながら。
そのまま横になったアリシアに布団をかぶせ、レイラもその隣に、そっと寄り添うように横になる。ディーンがいない日だと大きなベッドは、どこか広く、そして少しだけ寂しく感じる。
「それじゃあ、エデンちゃん、アリシアちゃん、おやすみなさい」
「うん! おやすみー!」
「はい。皆さま、良い夜を」
そうして魔法の灯が消された部屋に、微かに聞こえるのは、二人の穏やかな寝息だけとなった。眠りについたアリシアの腕の中で、エデンはただ一人答えを探し続ける。
何かヒントが欲しい。人間の「イメージ」という不可解な現象を、エデンでも理解できる別のロジックが。
まとまらない思考の奔流に身を任せながら、エデンはアプリケーションを起動した。
(ワールドライブラリ、起動します)




