第3章 迷宮攻略【1】
晴れやかな朝。中庭のバルコニーで紅茶を飲む優雅な時間。リーフェットはこの暮らしが気に入っている。実家で暮らしていた頃は手に入れることのできなかった穏やかさ。だが、そんなひと時は長続きしない。
大窓が乱暴に開け放たれる音が、その時間に終止符を打つ。
「リフ! 今日も行くぞ!」
いつもの溌剌としたディランの声に、リーフェットは溜め息を落とさざるを得ない。きっとそのうち、大窓の蝶番が弾け飛ぶことだろう。
「本当にあなたは実直な男ね」
「なんだ、それ。褒めてるのか?」
ディランは眉をひそめながら首を傾げる。嫌味が効かないことなど、リーフェットにはわかりきっている。だから実直な男なのだ。
「ええ、褒めてるわ」
「リフが俺のことを褒めるなんてな」
能天気な幼馴染みにはもう、立てる腹もないというものである。腹を立てたところで意味がない。彼は底抜けの能天気。そうして、リーフェットは彼に関するすべてを諦めるしかないのだ。
「なんでもいいわ。さっさと行きましょ」
「珍しく随分と乗り気じゃないか」
ティーセットを片付けるために立ち上がりつつ、リーフェットはまた溜め息を落とした。
「乗り気なんじゃないわ。どうせあなたが無理やりにでも連れて行くのよ」
「無理やりは言い過ぎだ。こっちだってお願いしてる身だぞ」
「あなたのお願いはお願いじゃないの。まあいいわ。さっさと行きましょ」
無駄な抵抗は止しておいたほうがいい。それはなんにしても言えること。無駄な抵抗は、無駄な抵抗なのである。
冒険者ギルドでは、すでにパーティメンバーの三人がリーフェットとディランを待っていた。彼らも気合い充分といった表情で、特にヴェラの顔色が良かった。
「昨日の実績でやっと個人ランクDに戻れたんだ!」
興奮気味に言うヴェラに、リーフェットは軽く肩をすくめる。
「おめでとう。これでやっと駆け出し冒険者に戻れたわね」
「リーフェットさんのおかげだよ。ありがとう」
「私は何もしていないわ。あなたの実績はあなたのものよ」
ヴェラは心底から嬉しそうに微笑んでいる。ヴェラは以前に所属していたパーティの規約違反により降格した。順当に実績を積めばランクEからDに上がるのは簡単なことなのだが、ようやく罪を清算したような気分なのかもしれない。
「あとはディランが個人ランクBになって、あなたたち全員がランクCになればパーティランクはBに上がるわ」
「なんとか先が見えてきたな」
「まったく見えていないわ」
個人ランクはディランがC、他の三人はDである。CからBに上がるのはそれなりの実績が必要だが、DからCに上がるのはそう難しいことではない。このまま鍛錬を続ければ充分に可能なことだろう。
「まずはランクアップを目指すところからね。そのために、装備を整えに行きましょう。いつまでもその貧相な装備のままではいられないわ」
冒険者にとって装備は必須。リーフェットもいまはドレスを身に着けているが、冒険者だった頃は冒険者らしい服装だった。勇者パーティの冒険は、ドレスでは乗り越えられないほど過酷なのだ。
オルディンには武具の店はひとつしかない。オルディンを拠点とする冒険者は、漏れなくこの「ミーグの武具屋」で装備を揃えるのだ。小さな武具屋だが、その品揃えは充実している。勇者パーティだとしてもこの店で充分に装備を整えられるだろう。
「やあ、これは珍しいお客さんだ」
奥から出て来た髭面の店主は強面で、駆け出し冒険者に怯えられるのはよくあることだ。だが、その根は優しい人であることをオルディンの民は知っていた。
「リーフェットも冒険者に戻ったのかい」
「私ではないわ。この駆け出し冒険者たちの装備を整えに来たの」
リーフェットがディランたちを手のひらで差すと、店主は豪快に笑った。
「やっと来たか。最初に来てから何ヶ月が経ったかな」
「いや、はは……」
さすがのディランも苦笑いを浮かべている。本当の駆け出し冒険者のような装備をしているとリーフェットは思っていたが、どうやら結成時から装備を変えていないらしい。これが勇者を志すパーティなのかと思うと、リーフェットは先が思いやられる気分だった。
「武器はそのままでいいわ。しばらくは使い慣れた物で続けましょう」
「ランクの低い魔獣を討伐するなら、いまの武器でも充分だな」
ディランたちは武器もこの店で揃えたのだろう。安物であることに間違いはないが、武器は手に馴染ませるもの。能力値に見合わない武器では実力を充分に発揮することはできないのだ。
「まずはライカさんの防具を。魔法使いは強化耐性に加えて、回復薬に回ることもあるわ。真っ先にやられたのでは話にならないわ」
「それなら、最近、入荷した良い物がある」
店主は軽やかな足取りで裏に入って行く。この店主は冒険者が装備を整える姿が好きらしい。全員が変えるとなると、それは心の躍ることだろう。
店主が奥から持ち出したのは、光を受けると虹色に光る布のローブだった。触れてみると、シルクのような滑らかさがある。
「竜の鱗を特殊な技術で繊維にしたローブだ。物理攻撃のダメージも軽減する」
「いいわね。着心地も良さそうだわ」
「いくらだ?」
値札を見たディランが、ぎょっと目を剥く。リーフェットも横から覗き込んだ。
「こんなにするのか!?」
「当然だろ。稀少性の高い生地なんだぞ」
「こんなに高い物、買えないぞ!」
「昨日のゴブリン討伐の報酬があるでしょ」
ゴブリンはランクが高い魔獣であるため、たった一体だとしてもそれなりの報酬が出る。これまでに受けた依頼の報酬も合わせれば、決して手の届かない物ではないのだ。
「これから依頼のランクも上げていくのだし、防具は妥協できないわ。これを買っておけばしばらく装備を変える必要もなくなるわよ」
「そ、そうだな……。じゃあ、これで……」
「毎度。次は剣士か」
店主はぐるりと店内を見回す。これなんかどうだ、と指差したのは鋼の鎧で、いまディランとダンが身に着けている銅の鎧よりはるかに防御力が高い。一般的な鎧であるが、いまの装備とは雲泥の差がある。
「ディランはこっちでいいんじゃないか」
店主は胴当てと肩当ての簡素な鎧を指差す。剣士の装備としては軽装だ。
「ダンは前線に出るし、こっちだな」
次に店主が指差したのは、全身を覆う鎧だった。最前線に立つ騎士として充分に身を守れる防具だ。
それぞれの値段を見たディランは、安堵の息をつく。
「これくらいなら買えるな」
「本当は銀製がいいんだがなあ。いまの手持ちじゃ足りないだろ。いずれまた新しくするといい」
「これから魔獣のランクも上がっていくし、あなたたちの装備は小まめに替えたほうがいいわ」
「わかった」
前線に立つ騎士、剣士は、それだけ攻撃を受ける回数が増える。防具は命を守るためのもの。リーフェットとしては、ふたりの装備を妥協するつもりはなかった。それでも、店主の言う通り、さすがに銀製の鎧にはまだ手が届かない。ランクとしても、鋼の鎧が妥当だろう。
「ヴェラは人狼製の服がいいな」
店主は棚から冒険服を取り出す。ライカのローブほどではないが、手触りの心地良い服だった。
「これは従魔術士専用の服でな。いろんな耐性を上げる上に、従魔術の効果も上げることができる。同時に従魔契約する数も増やせるぞ」
「充分ね。これで全員分、揃ったわね」
会計の際、ディランは渋い表情をしていたが、いまの彼らには必要な経費である。勇者パーティを志すなら、装備に出し惜しみしていては話にならないのだ。
* * *
装い新たに冒険者ギルドに戻ると、見違えたわね、とアンネリカが感心する。彼女の目から見ても、先ほどまでの彼らの装備は貧相だったことだろう。
「今日の依頼はこれね」
リーフェットは手にした依頼書をディランに見せる。迷宮で薬草を採取する簡単な依頼だ。
「迷宮攻略か。また迷宮に寝泊まりすることになるのか」
「そんなことするはずないでしょ。少なくとも私は死んでも御免だわ」
リーフェットも迷宮で寝泊まりした経験はある。だが、それはあくまでランクの高い迷宮に限ったこと。普通の依頼では、余程のことがなければ寝泊まりする必要はないのだ。
「迷宮と言っても、最初級の『冒険者の迷宮』よ。寝泊まりする人なんているはずがないわ」
「そうか。それならよかった」
どうやら彼らは最初級を踏まなかったらしい、とリーフェットは溜め息を落とす。志が高いのは良いことだが、物事には順序というものがある。ひとつも飛ばしてはならないのだ。
「今回は鍛錬も合わせて二階層まで下りれば充分よ。薬草だけなら一階層だけでもこなせるけれど。迷宮に出現する魔獣を討伐すれば追加報酬も出るし、実績も増えるわ」
「いまの俺たちに必要なことだな」
「やっとわかったのね。コツコツ依頼をこなせばランクアップもできるはずよ」
依頼書には冒険者の迷宮に出現する魔獣も書かれている。依頼書に記載のない魔獣を狩れば追加報酬がより良くなるのだが、いまのディランたちには高望みだろう。
「ポケットラットはライカさん、グリーンウォンバットやギミックバットはディランとダンさんで討伐するといいわ。ヴェラさんはとにかく従魔契約。この基本を忘れないように」
四人は揃って頷く。彼らもリーフェットの言葉には従うだけの意味があると理解できたらしい。この期に及んで「最初級なんて」と言い出したら、とリーフェットは考えていたが、杞憂で済ませることができるようだ。




